147話 ゴルド・バルシャイン
オメガが、大地を割らんばかりの勢いで踏み込んだ。
ゴルドは咄嗟に戦斧を構え直し、渾身の力で受け止める体勢を取った。
「うおおおおおおおおおおッ!!!」
ゴギィィィンッ!!!!
金属同士がぶつかり合う凄まじい音とともに、三十年間ゴルドの手に馴染んできた戦斧が、根本からへし折れて宙を舞う。
「――ッ!?」
衝撃は、柄を伝ってゴルドの両腕全体を貫いた。
(――なんだこの威力は……
儂は今まで幾多の戦場で幾多の一撃を受けてきた……
だがこれは……
これはまるで格が違う……ッ)
じわり、と背中に冷たい汗が伝う。
ゴルドは、震える膝を無理やり叱咤するように大きく地を踏みしめた。
(――怯むな。
三十年、この身一つで磨き上げてきた戦士としての誇りは、武器の有無如きで揺らぐものではない……ッ!)
戦斧の柄だけが残った得物を投げ捨て、ゴルドは両拳を握りしめて構えた。
「――来い、化け物おおおおッ!!!
たとえこの身一つになろうとも、儂は魔王城の門番として、貴様を通しはせんぞォォォ!!!」
その咆哮に、瓦礫の陰で見守っていた兵士たちがどよめいた。
「ゴ、ゴルドさんが…… 武器を失ってなお素手で立ち向かうつもりか……!?」
「あれこそ真の戦士の姿…… 俺たちも、俺たちだって黙って見てるわけには……!」
「い、いや待て待て、俺たちが出て行ってどうなるもんでもねえだろ!
あの図体見ろよ!」
兵士たちの士気が、絶望と感動の狭間で奇妙にざわめく中、ゴルドはまっすぐにオメガを見据えていた。
一方、そのゴルドの覚悟に満ちた咆哮を受けたオメガもまた、双眸を大きく見開く。
まるで感嘆するかのように、オメガはゆっくりとニヤリと、口の端を吊り上げていた。
まっすぐにゴルドを見据えたまま、ゆっくり距離を詰めていくその足取りには、敬意にも似た色が滲んでいる
両者の間に、再び張り詰めた空気が満ちていく。
「――来るなら来い……
儂は、逃げも隠れもせん……ッ」
まさに、オメガの拳がゴルドへと放たれようとした、その瞬間。
「──あ。」
全てを台無しにする声が、場違いなほど呑気に響いた。
エルディアが、顎に手を当てながら杖をくるんと一回転させる。
その動きにつられ、杖の切っ先がちょうどオメガの拳の「軌道線」の上をすっと横切った。
「そういえばさっきの話なんだけど。
ヴァーナル・プロトコルが術式として高度すぎる件、あれってつまり、術式そのものが後付けなんじゃなくて
もとから未来にあったものを、無理やり過去に引っ張ってきたなんじゃない?」
オメガの拳が、ゴルドへの直撃コースから逸れ、そのまま横薙ぎに空を切り――
中庭の噴水に、まともに突き刺さった。
ばしゃあああああああああん!!!!
大量の水が噴水のように噴き上がり、周囲一帯を丸ごと濡らす。
「な、なんだこの結末はァァ!!」
「水浸しだ! 備蓄の小麦も水浸しだあああ!!」
兵士たちの悲鳴が、びしょ濡れの中庭にこだまする。
オメガ自身も、自分の拳を信じられないものを見るような目で見つめていた。
(――こいつ自身の意志ではない……
先ほどから、このミノタウロス。
動きがあまりにくるっている。
この現象は一体……
……まさか。
あの、杖を持った小娘――)
ぎろり、とゴルドの視線がエルディアへと向く。
しかし当のエルディアは、水浸しになった中庭など気づいた素振りもなく、ぶつぶつと呟き続けていた。
◆
「ねえ。リリ。
私の思う世界はこんな感じ……」
エルディアは地面に魔法陣を書いていた。
指先に魔力を纏わせ四つの弧――『春夏秋冬』を示す記号を刻み込んでいく。
そして、その外側にもう一つ大きな円を描き足し、内側の四季の四つの円をぐるりと囲んだ。
大きな外側の円に「冬」とだけ、小さく書き込む。
リリは固まる
「つまり、今の四季の巡りは、より巨大な季節の中で薄氷の上で繊細なバランスで成り立ってる。」
(……微妙に違うっすけど……正解。
姉御……
ループの記憶ないはずっすよね?)
エルディアは、魔法陣の中心に「Ω《オメガ》」という文字と矢印を書き加えた。
先端に、小さく「巻き戻し」と書き添える。
「……」
リリの沈黙に気づかず、エルディアは顎に手を当てたまま続ける。
(仮にオメガ粒子がより大きな世界の土台──すなわち『すでに世界が終わっている事実』を示すものなら、『巻き戻し』とは因果の逆転を示す。
仕組みとしては、いけそうだけど……)
図に大きなパッテンをつける。
「勘の域はでないか……。
オメガ粒子を中和するなんて、それは因果を人為的に逆転させる事と同義になるもの。
さすがにあり得ない。」
「ゴ、ゴルド様ーー!!ご無事ですか!?」
部下の兵士が数名、噴水に駆け寄る。
ゴルドは、手を出して彼らを静止する。
「お前たちは決して手を出すな。死ぬぞ……」
「え、ええと……お怪我は……」
「怪我はない。
だがあの女、攻撃の意思のない攻撃で俺を飛ばした。
あれは文字通り攻撃ですらなかった。
それでこの様だ……」
完全に足にきているゴルドの様子に、兵士たちは何と声をかけていいか分からず、無言で顔を見合わせた。
「『奴』が来た。
手を出すな。
巻き込まれるぞ……」
ごくりと周囲の兵士達は唾をのんだ。
◆
『その男』は気づけばそこにいた。
事務総括――ゾルグは深くかけた眼鏡を指で押し上げた。
エルディアは一瞬で悟った。
魔法陣を書く手は、すでにとまっていた。
「……厄介な相手が現れたわね……」
「いや、別に厄介じゃないっす。ゾルグさんです。
魔王城の良心。
戦闘能力はほぼ0っす。」
ゾルグは眼鏡の位置を直しながら、静かに惨状を見渡した
「……これは書類が増えるかもしれんな……」
「なんでこと。
書類……ですって?
リリ……
かつてない圧力を感じる……
『常識』という刃が、私達を切り裂こうとしているのね……」
「へー。」
拳も理屈も通じない、書類という絶対的な日常の壁がエルディアの前に立ちはだからんとしていた




