143話 ●●と、とある一つの終わり
「始めるでござるよ。
アステル殿もよろしいでござるか?」
「……いいですよ。
自分で決めたので。」
アステルは小さく笑う。
オズワルドの指先から黒い糸のような気配が伸びていく。
円陣の外側でエルディアが、静かに見守っていた。
紋様が、深く沈み込むように輝きを増していく。
「――呼び声よ届け。
30年前、この地に消えた聖獣の魂。
輪郭、まだそこにあるならば。」
オズワルドの詠唱が低く響き、アステルの体が僅かに震えた。
「……っ。」
やがてアステルの瞳の色が変わった。
言葉にならない何かが、その瞳を満たしていく。
◆
監獄の独房。
鉄格子の向こう。
ベルクは、壁に寄りかかったまま動かなかった。
足音が近づいてくる。
「……何の用だ。」
溜息をつくように、ベルクはそう答えた。
顔をあげすらしない。
「――久しぶり。」
「……!?」
その声にベルクの体が凍りついた。
おそるおそると顔を上げると、アステルの姿を纏った、けれど確かに違う誰かがそこに立っていた。
「……アステル……
いや違うのか……まさか……『お前』なのか……」
「うん。」
その瞳が静かに彼を見つめる。
「久しぶりだね。ベルク。
――ずいぶん、待たせたね。」
ベルクは鉄格子に、縋りつくように手を伸ばした。
「どうして……
ありえん……どうして……こんな……事が……」
「……」
彼女は寂しげに微笑んでいた。
「――すまない……本当に、すまない……
俺は、ずっと……
守れなかった……
1人にしないと約束したのに……」
「ベルク。」
その声は、とても静かで優しかった。
そしてどこか、悲しかった。
「もう、いいんだよ。」
「……何が……」
「あなたが探してたのは、もういない私。
私はあの夜、確かに消えた。
今ここにいるのは、ほんの少しの時間だけあなたの娘を借りている輪郭にすぎない。」
「……」
「あなたが、続けてきたこと。
トゥーラも、アステルも、他のたくさんの子たちにしたこと。
――私はそれを喜べない。
一つも。」
ベルクの肩が震える。
「……悪かった……本当に……」
「謝る相手が違うよ。
あの子達に。
それから、あなた自身に。」
長い沈黙。
「……もう時間、ないみたい。」
瞳の色が、揺らぎ始める。
「最後に、一つだけ。
笑ってよ。ベルク」
「――俺は失ってしまった。何もかもを……
笑えるわけが……」
「ベルク。
あの時も私達は何もなかった。
何もなかったんだよ。
でも笑ってたじゃん。
あの時と同じ顔してるよ。
道がわからない。
先なんてない。
だけど。」
輪郭が揺らめき、薄れていく。
「一人は怖いよ……ベルク」
困ったように。彼はひねくれて笑った。
「俺もだよ●●
一人にはしないよ。
約束したろ。」
◆
アステル自身の意識が静かに戻ってくる。
――さようなら。
それが声に出される事はなく、最後の声が独房に溶けることなく消えた。
アステルがその場に崩れるように座り込む。
「……終わりました。」
ベルクは、鉄格子の前で崩れ落ちたまま動かなかった。
「……余計なお世話を。」
「やっぱバレてた?」
物陰から、エルディアがひょこっと姿を現す。
その声は静かに笑っていた。
「当たり前だ。
彼女は死んだ。
こんなバカげた事を考え、非現実的な事を実現させてしまうのは貴様くらいだろう。
お節介女め。
俺が因子に目覚めたということは、彼女の魂は、俺のそばにあったのだ……ずっと……
それは、見つからないわけだ……」
ベルクの口から、乾いた笑いが漏れる。
エルディアは肩をすくめた。
「……夢は見れた?」
「――夢から、覚めたよ。」
ベルクの顔が、くしゃりと歪んでいた。
「別に、あんたに同情したわけじゃない。
あんたがどうなろうと興味ない。
あんたはこれから国の道具にされる。一生使い潰される。
だけど、研究が終わったよって、ちゃんと教えてあげたかった。
あんたはクソ野郎だけど、研究は本物だ。それに掛ける想いも。」
エルディアは思いのほか真剣な顔をしていた。
「あんたほどの、腕、才能。
30年を幻に注ぎ込めるほどの執念深さ。
このまま何にも気づかずに腐っていくのは、勿体ないなって」
「……傷口に塩をぬるか……
みっともない男の、くだらない無為なあがきに」
「夢から覚めたんでしょ。」
「……」
「あんたがこれからどう償うのか。
何を思うのか。
そんなの、知ったこっちゃない。
ただ夢から覚めたなら、あとは自分で何とかしなよ。」
それだけあっけらかんと告げて。
エルディアは踵を返した。
振り返らずに独房を後にする。
アステルも少し迷う素振りを見せたが、それに続いた。
残されたベルクは、崩れ落ちたまま長い間、動かなかった。
顔を覆うその手の隙間からは、涙が伝っていた。




