136話 儀式下、因子の綱引き
向こう側にベルクがいた。
いや正確には、ベルクの輪郭をした光の塊。
『――アステル。
邪魔をするな。
お前は、もう用済みのはずだ。』
「用済みで片付けられるほど、私って安くないですよ。」
光の奔流が、二方向から拮抗する。
綱を引き合うように、ぐっ、ぐっ、と押し合っていく。
アステルの側から、糸のように光が引かれていく。
痛みを伴う、指先から輪郭ごとほどけていくような感覚。
『……お前が、抵抗したところで。
継承は、既定の手順だ。
お前の意志など、関係ない。』
「関係、ある。」
アステルは、歯を食いしばる。
「関係ないわけない。
儀式は同意が前提にある。
――この拮抗が証明してる!!」
『無駄な足掻きを……ッ』
光が大きく波打つ。
ベルクの輪郭がまた揺らいで崩れて戻る。
トゥーラもいる。
引き合う光が拮抗したまま止まらない。
「――教えてください、ベルク。」
『……なんだ。』
「アステル計画って、本当はなんなんですか。」
◆
『――ベルク。』
小さな人の形をした、何か。
髪の合間から覗く、二本の小さな角。
それだけが“人ではない”ことの証だった。
顔立ちは幼いながら、今のアステルやトゥーラの面影を微かに宿していた。
――逆だ。
彼女たちの方がこの子の面影を受け継いでいる。
『……お前、またそこにいたのか。
あぶねえだろ。帰れよ』
『……ん。
だって、ここあったかいから。
ベルクが守ってくれるでしょ。』
『腹減ってるのか?
待ってろ。またなんか探してくる。
一緒に行くか?』
『うん。
――一人にしないでって約束、守ってくれてるんだ。
えへへ。』
『俺も1人だからな。』
親も家もろくになかった。
ガキと角の生えた子。
互いにそれしかなかった。
数年後。
夜。
炎。
悲鳴。
見知らぬ武装した男たちが、村を囲んでいた。
『魔族の襲撃だ……!!
逃げろ……!!』
幼いベルクを庇うように、その子が前に出た。
角の光が膨れ上がる。
――浄化のための力。
あの時から数年経ったけれど、まだ幼い体に抑えきれる力量ではなかった。
『――ベルク。
逃げて。』
『……っ。
待て……!!
待てって……!!
やめろ!!!』
『忘れないで。
いつもずっと一緒に……』
叫んだ声は届かなかった。
光は彼女の輪郭ごと全てを飲み込んでいった。
村も。
襲撃者も。
――三つの州、まるごと。
僅かな破片以外、跡形も残らなかった。
灰の中に、少年だけが一人立ち尽くしていた。
――三十年前。
そうして『彼』は生まれた。
◆
光の向こう、ベルクの輪郭が一瞬止まった。
「星聖獣を蘇らせるって何度も聞きました。
でもそれを蘇らせて、あなたは何がしたかったんですか。
研究のため?
魔王様への忠義のため?
それとも――」
『……』
「『彼女』を、取り戻したかった。
それだけなんじゃないですか。」
光の奔流が、微かに揺れた。
『……お前に何がわかる。』
ベルクの声が初めて掠れた。
「わかりません。
わからないから聞いてます。
研究って言い張るくせに――
毎回、律儀に、説明してた。
毎回、律儀に、謝ってた。
それ研究者の顔じゃない。
――誰かを悼んでる顔でした。」
『……』
沈黙が光の中に落ちる。
「アステル計画は星聖獣を取り戻す計画じゃなくて――
あなたが、30年前の自分を許すための計画だったんじゃないですか。」
引き合う力が一瞬拮抗を崩した。
ベルクの側の光が、大きく揺らぐ。
『――黙れ……!!』
その後光が、荒れ狂うように押し返してくる。
アステルはそれでも引かなかった。
「図星なんですね。」
『――ほう。』
低く億劫そうな声だった。
聞き覚えのあるあの聖星獣の声。
『貴様、我を、我が身の罪滅ぼしの道具にするつもりだったか。
道理で律儀に詫びる。
律儀に名を与える。
――道具とのたまう割には、随分と律儀な男だとは思っていた。』
『……お前は、黙っていろ。
これは俺とアステルの――』
『黙るのは、貴様の方だ。』
聖星獣の声に初めて明確な侮蔑が滲んだ。
『我を宿すに値するかどうか。
それを決めるのは我だ。
貴様ではない。』
その時遠く――儀式圏の外側から震える声が届いた。
「――一つでいいの。
一つも、貰えなかったから。」
トゥーラの声だった。
聖星獣の”意識”が、僅かにそちらへ向く。
『あの娘も器の一つだったな。
何度も耐用試験とやらに付き合わされた。
――貴様は、我が身可愛さに罪を償うために娘にまで同じ役目を背負わせていたわけか。』
『それは……』
『詫びる相手を間違えているぞ人間。
我は器を選ぶ。
道具ではない。
――貴様のように贋物の願いで我を求める者を我は選ばぬ。』
光の奔流、その均衡がはっきりと崩れた。
ベルクの側から糸が引き戻されていく。
『……待て。
待ってくれ。
これしか、俺には……
これしか、償う方法が――』
『ない、と思っているのは、貴様だけだ。』
聖星獣の声は、もうベルクの方を見てすらいなかった。
『――アステル。
貴様はまだ消えたくないと言ったな。』
「ええ。
何度でも言います。
わたしは、わたしだ。」
『……愚かな。
だが。
貴様のような愚かさの方が、まだ幾らか見ていては飽きぬか。』
光の奔流が、大きく反転する。
引き剥がされかけていた因子が、糸を手繰り戻すようにアステルの元へ還っていく。
ベルクの輪郭が、支えを失い崩れ落ちていく。
『――が、ぁ……』
『契約は成らぬ。
貴様は器に値しない。
――以上だ。』
聖星獣の声が、静かに遠ざかっていく。
視界が白から医務室の天井へと戻っていく。
音が戻ってくる。
誰かの叫び声。
物が倒れる音。
そして――
「アステル姉さん!!」
トゥーラの声だった。
アステルは、寝台の上で大きく息を吸い込んだ。
まるでずっと水の中にいたかのように。
「――っ、は……」
指先が動く。
体の輪郭が戻ってくる。
軋んでいたはずの、体の奥。
そこに、確かにあるはずのものがある。
(――戻った。
わたし、の……)
視線を巡らせる。
崩れ落ちたベルクが、床に力なく横たわっていた。
体を包んでいた光は、もう消えている。
星の紋様も、もう皮膚の下に見えない。
ただの一人の老いた男がそこにいた。
決着だろう。
30年の因縁の。
私たちアステル計画の。
この男の陰謀の。




