120話 大将戦の裏
地下、闇の底で。
紋様の光が、脈打つたびに強くなっていく。
リリの額に、汗が浮かんだ。
「……このペース、闘技場側の魔力遮断結界が、いつ気づいてもおかしくないっすね。」
独り言のように呟きながら、指先で紋様を辿る。
繋がった回路はまだ細い。
だが、確実に闘技場の地盤深くへと根を張っていく。
すでに彼女の背後、暗がりの奥には、幾つかの人影が横たわっていた。
サキュエラの処理済みであった。
「リリ様、さっそく侵入者をぶち殺……あ、じゃなくて記憶消しときました。
加減が難しくて、三日分くらい消しちゃう時もあるんですけど、そこはご愛敬で……」
「雑っすね……
まあサキュエラ。引き続きよろしくっす。」
「はーい。」
「……姉御が上で暴れてる間に、こっちは、こっちで、片付けとくっす。」
闘技場。
誰も気づかない、その真下で。
額の汗を拭う暇もなく、緊張しつつリリは作業を進めた。
◆
そこは、全国体格会場である闘技場の地下にクモの巣のようにい張り巡らされ地下迷路。
災害時などの、都市の人間の避難用に作られた設備である。
『仕込み』の為のダンジョン領域接続の為には、いくつか場所を回らなければならない。
リリとサキュエラは、息が浅くなるのを自覚しながらも足音を殺しながら、その一本を駆けていた。
紋様を素早く地面に描く指先が僅かに震え、線が一箇所歪んだ。
「ちっ……」
舌打ちをして、構わず上書きするようにもう一筆。
やがて。
紋様も結界も張られていない、粗末な扉。
だが、その先に広がっていたのは――リリの足を止めるには十分な光景だった。
(魔術研究所っすね…
驚くべきことに、これ、私に比肩するレベル……)
構築された術式の緻密さに、リリは目を細める。
一目で分かる。
継ぎ目のない線に、迷いの跡が一つもなかった。
ざっと一瞥すると、気になる記述があった。
古びた紙。手書きの記録。
所々、掠れて読めない箇所もあったが、繰り返し出てくる単語だけは、はっきりと読み取れた。
『アステル計画』
「侵入者ですね。
消えていただくことになっています。」
振り返った先。
薄闇の中に、人影が立っていた。
リリは、頭を抑えた。
(サキュエラ。
普通に侵入者を通してる……あのバカ……)
目を凝らす。
覗く顔立ち。
皺の刻まれ方。
骨格。
そして何より――目元。
『その顔』を見た時、リリには腑に落ちものがあった。
記憶の奥底に埋もれていた顔と、目の前の顔が、静かに重なる。
「全くベルクのやつ。
30年前のことまだ引きずってるっすか。
馬鹿なやつ……」
「……何?」
「あなたの、『あなた達』の元になった『彼女』とは面識がある。
すぐわかったっす。
三十年前の王都の悲劇。
まだベルクはしがみついてるのか」
「黙りなさい。」
杖の先に灯る光が、見覚えのある色を帯びていく。
淡く、しかし密度を伴った、星の瞬きにも似た輝き。
すなわち星属性。
「――星矢」
リリは、咄嗟に足元の紋様――繋いだばかりのダンジョン回路に、手を突いた。
「――《転移》!!」
重力が一瞬だけ消える浮遊感とともに、景色は先ほどとは違う地下迷路の一角に切り替わっていた。
リリは荒い息を整えながら、額の汗を拭う。
「ベルクの研究所をぶち壊す気っすか?
誰に似たっすかねえ
ああ、聞くまでもなかったか」
「……」
『彼女』は周り見渡す。
転移の感覚は残っていた。
あの一瞬、肌を撫でた魔力の質感。
(……ここまで、あの一瞬で。
……ダンジョン内部への直接転移。
相当に手練れだ……
魔力から推察するにこの粘っこい感じ、おそらく魔族──
現存する人間の術式ではありえない速度……)
『彼女』は、静かに杖を握り直す。
――厄介な。
三十年前を「悲劇」と評した、あの口ぶり。
ただの侵入者ではない。
何かを知っている。それも深く。
研究所の場所を割り出し、資料にまで目を通していた様子だった。放置していい相手ではない。
杖の光が揺らめく。
リリの声は静かだった。
「……30年程前。辺境の村で、独りぼっちの聖獣の子を拾ったガキがいた。
互いに、お互いしか縋るものがなかった。
ガキも、彼女も。」
「……っ」
『彼女』の肩が、目に見えて強張った。
『彼女』は奥歯を強く噛み、震えそうになる指先を杖に押し付けた。
「聖獣種の幼体期は、本当に脆いっすからね。ガキがいなきゃ、彼女は生きてすらいなかった。
逆も同じっすよね。お互いとって、1人の家族だった。」
「……やめろ」
「魔族の急襲があった夜。
角に宿る力を、聖獣はただ全部解き放った。
――浄化のための力は、制御を失った瞬間災厄になった。
三州が消えた。彼女は跡形もなく。」
「……知ったような口を……」
「ガキだけが、生き残った。
彼女に悪意なんて、欠片もなかった。ガキを守りたかっただけ。
そして彼女を利用した国には悪意があった。厄介な政敵がいたらしいっすからね。
事件の後、消えた政敵と、心に傷を負ったガキだけが残ったと。
ま、どこにでもある話っすね。」
沈黙。
『彼女』の杖の先の光が、震えていた。
「戯言ですね。」
「私はこんななりでも260歳程の魔族なので、その場にいたっす。
まあ、当たらずとも遠からずってところじゃないっすか?
ところで──」
リリは核心を告げた。
──あなた何人目?
──やっべ。ミスった。
サキュエラは、この世の終わりのような顔で頭を抱えていた。
侵入者を通してしまった。
しかも自分の担当エリアで。
姉御にバレたら消される。物理的に。
「ど、どどどうしよう……
いやでも待って、消しますか?
記憶消しますか?
いや違う、もう遅い、あの人研究所入っちゃってる、詰んだ、詰んでしまった……罰として……また男子と遠ざけられてしまう……!!!」
地面をのたうち回らんばかりの、動揺。
そこへ、転移陣が輝く。
「リリ様!!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!
弁明の余地もありません!!
処分は甘んじて受けます!!
でもサキュバスにとって、男子とのかかわりとときめきは生死にかかわるんです!!
殺さないでください!!!」
「……気にしすぎっすよ。
逆に出会わなくて良かったっす。サキュエラ殺されてたから。」
「……」
リリは、ドレスの裾についた埃を軽く払う。
乱れはほとんどない。
サキュエラの喉から、声が出なかった。
黒地に紫の差し色。
幾重にも重なったフリル。
揺れるたびに小さく光る、髪飾りの宝石。
――このお姿。
知っている。忘れるはずがない。
全身の毛が、逆立った。
背筋が凍り、胃の奥が縮み上がっていた。
(この格好の時のリリ様は……
「加減」が消える時だ……)
脳裏に蘇るのは、数十年前。
まだ自分が今より青かった頃、うっかりリリ・ヴァルフェリアの逆鱗に触れてしまった夜。
その時もリリ・ヴァルフェリアは、今と同じこのドレスを纏っていた。
可憐で、優雅で、そして指先ひとつで自分の同胞が塵になっていくのをただ眺めていた。
──あの夜、自分は死ぬ間際だったので最後とばかりにサキュバスとしての性癖をさらけ出して、面白がられたから生き残った……
(リリ様が"あの御姿"にならざるを得なかったってこと……?)
──そして思い出す。
どうせ死ぬならイケメンと泥沼の中で汚泥の底でぐちゃぐちゃになりたいという自分の本質を……
その夢を果たすまで死ねない!!!!
「……サキュエラ?」
「な、なんでもないです!! 何も見てないし何も聞いておりません!!」
青白い顔で姿勢を正し、直立不動で敬礼するサキュエラ。
リリは倒れた「アステルコピー」を、そっと拘束の紋様で包み込む。
「研究資料も、後で回収しないと。
姉御に、報告することが、また増えたっす。
サキュエラは、姉御に繋がった事を伝えるっす。
急いで。」
呟きながら、リリは、地上への回路を、再び繋ぎ直し始めた。
サキュエラの目は、なぜか妙にギラついていた。
理由は言うまでもないだろう。




