116話 アス対副将
「フェリクス。
お前は氷属性の天才だ。 一族の中でもその才能は類を見ないと言ってもいいだろう。
――なのになぜ女性の前に出ると詩人になる」
「……分かりません。 気づいたら口が動いています。口説いてしまうのです。」
「そもそも口説くな。
今度こそ頼むぞ。 全国大会の決勝だ。
ダグラス家の看板を背負っている、ということをゆめゆめ忘れるな」
「――もちろんです、父上。 心得ています。
ダグラス家の威信を国中に知らしめてやりましょう。
ですが、若さゆえに無軌道なエネルギーがあるというのも、また事実でありましょう。」
父は思ったという。
こいつ、全然わかってねーよ。
なんだよ無軌道なエネルギーって。
制御しろよ。
◆
フェリクスの表情には、悔しさより何か別のものが浮かんでいた。
「……はは」
小さく、笑う。
「熱すら、支配されるとはな……
読めない相手に……初めて出会えた。
……これは、俺の負け方まで綺麗に奪っていったと言ってもいい。」
「はい?」
膝をついたまま、フェリクスはアスを見上げていた。
その熱。
氷雪原に勝るとも劣らず、煮えたぎるように熱い。
「悔しい。そのはずなのに、なぜか清々しい。
まるで初めて雪を見た日のような……
そんな不思議な気持ちだ」
「……あの、頭大丈夫ですか。 頭打ちました?」
「はは。
運命ってのは、こういう瞬間に突然に姿を見せるものなんだな。
俺がいつかこの闘技場でもう一度お前と……」
「――フェリクス選手!!退場、お願いします!!」
係員の無情な声が割って入った。
アスは普通に引いていた。
いそいで魔力を整えねばならない。魔力枯渇寸前だ。
会話してる暇などない。
「ま、待て!!いいところなんだ!!せめて、名前くらい……
俺はあきらめないからなーー!!覚えてろよーー!!」
引きずられて彼は去っていた。
これがフェリクス。
氷属性なのに、それを感じさせないほどに熱い男。
──観客席、貴賓席。
ダグラス家、当主――フェリクスの父親は、震える手で、そっと顔を覆っていた。
「……」
隣に座る夫人が静かに尋ねる。
「あなた……大丈夫ですか?」
「……大丈夫ではないだろうな。
さて、詫び状の文面を考えようか。」
我が子の健闘を全く讃える前に、それをまず親が考える時点ですでにフェリクスは終わっていた。
◆
笑いの余韻は、長くは続かなかった。
係員に引きずられていくフェリクスの声が遠ざかるのを聞きながら、アスは一人、肩で息をしていた。
魔力枯渇寸前。3連戦の消耗が体の芯に重く鈍く残る。
整える暇もないまま、次の相手が、もう間合いに入ってきていた。
副将ガイウス・ソレル。
「――《術式干渉》」
ガイウスの指先から放たれた繊細な糸のような魔力が、油断なく構えるアスの展開していた《循環型温熱結界》に、するりと絡みついた。
「――え」
結界の効果が、瞬時に乱れ、機能を失っていく。
「な、なんで……」
「術式ごと乱してしまえばそれまでだな」
ガイウスは、涼しい顔で静かに間合いを詰める。
「シルフ、シレーナ、ドムナ、カグテス!!
お願い!!」
風、水、土、火の四精霊が顕現する。
だが。
4連戦目。
アスにとって、頼みの術式が封じられた状態では、もはや打つ手がなかった。
(まだ、動く。まだ――)
一撃、また一撃。
避けきれず、魔術が肩を掠める。
焼けるような痛みが、遅れて追いついてくる。
怖い。
◆
冬に悪意はない。
山向こうから、時々村に薪を取りに来ていた子は、その年の冬に来なかった。
エルディアは、その子に何も返せなかったし、何もできなかった。
毎年似たような感じで、何人も凍え死んだ
「薪、もう、うちには買えないから」
彼女と最後に会った日、そう言って俯いていた事を覚えている。
少なくとも誰も、悪くないし、 誰のせいでもない。
そう大人たちは言った。 慰めるつもりだったのだろう。
エルディアは、控え席で、思わず額を押さえた。
(……そりゃ、そうだ。)
――もうあれから10年か。
(誰も悪くないわけねーだろーが。)
《循環型温熱結界》に対妨害を想定した術式なんて、そもそも組んでいない。
あくまでもこれは、村の冬を越えるための“ただの暖房”だ。
攻撃されることも、妨害されることも、想定していない。
”願い”だからだ。完全に甘かった。
「だって単なる暖房だもん!!」
思わず口に出た呟きに、隣に座るアルトが、静かに頷いた。
「……妥当だな……」
――そう言った直後、アルトの表情から、笑みが消えた。
闘技場の中心、膝をつきそうになりながらも立ち続けるアスの姿を、じっと見つめる。
「……だが、あれはまだ、終わってない目だ」
「ここまでだな。
貴様は魔術不全の身でよくぞ戦った。
だが悪いが俺はグランディアの名を背負っている。俺がここで敗れることは、俺個人の問題では済まない。」
――ここで俺が敗れれば、失望するのは家だけじゃない。俺を送り出した、あいつらだ。
それは、アスの中の何かに、静かに触れた。
名を背負う、ということ。
誰かの期待を背中に載せて立つ、ということ。
(――違う)
アスの奥底で、何かが疼く。
(わたしには、それすらなかった。
何もなかったんだ。
だから足掻くんだ。)
名前。数字。努力。誰も、何も私を救ってくれなかった。
あの子の狂気だけが、私に道を示した。
私が賭けているのは、言葉では言えないものだから。
だから、ここで膝はつけない。
頭上――闘技場を覆う、開けた空。そこに、異変が生じたのは、次の瞬間だった。
観客の誰かが、ふと、空を見上げ、息を呑む。
「――なんだ、あの、雲」
晴れていたはずの空に、局所的に、ひどく濃い、灰色の雲塊が、渦を巻きながら、生まれていた。自然の摂理を、明らかに、逸脱した速さで。
実況席、興奮を隠しきれない声が、闘技場全体に、響き渡った。
「こ、これは――っ、空に、雲が……!
いや、これは、天候操作系の魔術でしょうか!? 解説の先生、これは、一体――」
「……いや、私も、初めて見る」
解説者の声は、今日幾度目かになるだろうか、動揺していた。
局地的に発生する、下降噴流――ダウンバースト。
本来であれば、広範囲の気象を巻き込む、天災に等しい現象。それを、アスは、闘技場という、ごく限られた一点。ガイウスとの間合いにのみ、無理やり圧縮して叩き込んだ。
(――数秒なら保つ。)




