112話 カトレア
「次鋒――アーカム魔術学院より、カトレア選手」
実況の声に、カトレアが、緊張した面持ちで前に出る。
歩き出す直前、彼女は、控え席を振り返った。
「ねえ、エルディア
私も、ギャグ担当になりそうなんですけど」
「大丈夫大丈夫、なんとかなる。
カトレアは、なんだかんだでそつなくこなすから。
仕掛けは話した通りだよ」
「実際、勝算は?」
「ないね。
ただできれば――私はアステルまで消耗したくないんだ。
決勝の大将戦の相手。今の私の最大の壁。
あそこに、辿り着くまでに、全部使い切るわけにはいかない。
勝つのは無理でも、できるだけ粘ってほしい。」
「つまり……わたくしたちは、そこまでの、体力調整要員ってこと?」
「そういうこと。みんなにしか頼めない。」
「全く。
雑な頼み方しといて、内容は本気の本気なんですから。」
「これでも、私はカトレアを買ってるんだよ。
入学した頃、アスを思いやりから退学にさせようとした手腕。
本気になった貴族の怖さを教えられたから。」
「良いこと言ってる風に見えて、腹黒いって言ってるだけですからね。
それ。」
「ほめことばでしょ?
将来の大商人的には」
カトレアが、困った顔で小さく笑った。
「……分かりましたわ。
せいぜいオズワルドのように、噛ませ犬として、精一杯、噛みついてきます。
大商人として。」
「頼もしい。」
「ツケは高いですから。」
「覚悟しとく。」
エルディアも、小さく笑った。
カトレアはそうして、闘技場の光の中へと足を踏み出した。
審判の合図と共に、試合が始まった。
「――え」
ロゼが、目を、瞬かせた。
先ほどまで、目の前にいたはずの、カトレアの姿が――消えていた。
「な……!?」
「消えた!? どこに――」
「まさか、瞬間移動系の、術式か!?」
実況も、困惑した声を上げる。
ロゼは、警戒を強めながら周囲を見渡した。
気配はある。だが視認できない。
「……姑息な手を」
いた。
遠い。非常に遠い。
壁際だ。
「出たね」
エルディアが、控え席で静かに呟いた。
「私の、領域魔術。
《戦術迷宮・冥府耕作結界》
内緒で、闘技場の地下に設置したカカシが……区画内の空間を、歪める」
その言葉に、控えていたアルトが驚いたように振り返った。
「お前、いつのまにそんなもん」
「昨日の、北方要塞戦の時の余り。」
「卑怯すぎる……
待て、それってつまり……
カトレアが避けているのではなく……」
「そういうこと。
カトレアの、意思とは関係なく――闘技場の空間ごと私が操作してる。」
「……反則じゃねえか……」
エルディアの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
「――そう。反則。
バレたら終わるから、内緒で。」
「……」
アルトが思わず隣で固まる。
こいつも大概、危ない橋を渡ってんな……
カトレアが杖を振るのが、ワープの合図だ。そのたびにカトレアがロゼから距離が生まれる。
そしてそれをロゼが追うという展開が続いた。
闘技場では、ロゼが静かに目を細めていた。
「……なるほど。
空間そのものが歪んでいる。
……けれど水は隙間を抜ける。
どんな、小さな綻びも見逃さずに。
みんなすべからく、同じ間違いをする。」
「――え」
言葉の意味を、理解するより先に空気が鳴った。
高密度の水が、カトレアの頬を掠めていた。
頬に一筋赤い線が滲む。
カトレアの髪の先が、数本パラパラと地面に落ちた
反応する暇すらなかった。
気づいた時には、既に攻撃は終わっていた。
「……剣、じゃない……!?」
「ロゼ選手、遠隔攻撃です!!」
「高圧水流だ!!
あの速度、斬撃が飛んできたのに等しいぞ!!」
実況の声が、困惑に揺れる。
「魔術大会だぞ?
距離を、離せばなんとかなると思っていたのか?
――これでもそこそこ経験は積んでいてな。」
ロゼが水を集め高圧で放つ。
ロゼの狙いは正確で、カトレアのいるはずの座標に、的確に水の一撃を送る。
だがその水は、空振った。
何発も送るが、すべて同じ結果だ。
空間が曲がっている。
(……どの程度?)
ロゼは、表情ひとつ変えずに、次々と次弾を放つ。
弱く。
強く。
角度を変えて。
距離を変えて。
「ロゼ選手!! 連続で水を放つ!
凄まじい連射速度だ!!」
「まさにファランクスに等しい速度だ!!
ただ、なぜか攻撃を防いでるはずのカトレア選手が戸惑っているが」
カトレアは、見えない糸で動かされている操り人形のような動きをしていた。
「きゃあ!!」
自分だけではない。
自分がいる場所、その空間自体を歪められて不自然に引っ張られている
「むりー」
(お願いだから。ちゃんと避けさせて!!)
関節がもげる。
空間の歪みは理解した。
(今まで1番多かったのが距離を、離せばいい、というやつ
次に多いのが上に逃げるやつ。)
後退を続ける炎の矢を放つ狩人。
風を操る翼持ちの魔物。
土竜のような巨躯。
(よし。
見つけた湾曲の中心……待て)
湾曲のパターンが変わった。
まるでこっちの心理をどこかから、見ているような正確なタイミングだ。
だがなぜあの様子でここまで正確に……
まさか、カトレアのはちゃめちゃぶりは演技だとでもいうのか。
ロゼが、両手を静かに掲げる。
見上げれば、闘技場の上空に途方もない質量の水が、渦を巻きながら形を成しつつあった。
「恐るべき空間魔術だ。
正直舐めていた。
点の攻撃とは相性が悪いか。
鬼ごっこの時間が伸びるだけになりそうだ。」
雲ではない。
明らかに水そのもの。光を受けて、鈍く、青白く、輝いている。
「こ、これは――!」
実況の声が、裏返った。
「出ました!!
ロゼ選手、領域魔術!
《大瀑布領域・万象浸水結界》!!
闘技場の上空を、まるごと水源に変えている……!?
こんな規模の領域魔術、見たことがありません!!」
観客席が、悲鳴とも歓声ともつかない声で、揺れる。
「これで、終わりにしよう。
決着だ。」
天が、割れたかと、錯覚するほどの、水の壁が、落下した。
(あ――
むーりー
もー、むーりーでーすーかーらー)
悲鳴というより、もはや白旗だった。
杖を握る手からも、力が抜けかける。
(もう、いいですわよね。
ここまで、粘れたら十分――)
そこまで思いかけて、ふと脳裏に控え席の後ろ姿が過ぎった。
(……言い方は雑でしたけど、本気でしたわね。エルディア。
友達の本気に付き合わないなんて、それこそ貴族の風上にもおけません!!
無理を、無理のまま終わらせてなるものですか!!)
視界いっぱいに広がる青白い水の壁に。杖を両手で握り直して水精霊の力を、根こそぎ絞り出す。
カトレアが抗う術もないまま。
「――視界の全てを、飲み込むような水柱にカトレア選手が飲み込まれたあ!!」
実況の声が悲鳴に変わる。
観客席が一斉に息を飲んだ。
しばらく誰もが動けなかった。
水煙がゆっくりと晴れていく。
ずぶ濡れの髪。
震える膝。
脇に浮かぶ水精霊が今にも消えようとしている。
その中心で、杖を両手で握りしめたまま、辛うじて立っているカトレアの姿があった。
だが確かに立っていた。
「……ほう
まだ、残しているか。
――私と同じ水属性だったのが幸いしたようだな。だが質量制圧攻撃のまえでは、空間湾曲も追いつかなかったようだ。」
「……諦めの悪い友達の頼みですもの……
ったく、本当に世話のかかる……」
ロゼが剣を抜き、歩いてくる。
カツ
カツ
カツ
ズボ。
そしてロゼは落とし穴に落ちた。
え?




