100話 グレイス戦
「――は?
見りゃ分かるでしょ!!!」
競技場全体に響き渡る怒声。観客の誰かが、思わず噴き出しかけて、慌てて口を押さえた。
「い、いえ、私、種族柄そういう機微には敏感なはずなのですが……戦意と気迫が、あまりにも凄まじかったもので、つい種別判定が後回しに……」
「言い訳が余計に腹立つ!!」
「も、申し訳ありません!!ただ、これでハッキリしました。
あなたは女性です!!」
「だから、服装みた時点でわかるでしょ!!」
「おーっと! これはまさかの――サキュバス選手、魅了不発!!
性別誤認からの、まさかの空振りぃぃぃ!!」
一方、解説は、眉一つ動かさず、淡々とシュールな解説を続けた。
「……魅了魔術は、対象の性自認や性的指向によって、成功率が大きく変動する。
今回のケースは、いわば――典型的な”対象外”ということだろう。
サキュバス種の魅了は万能ではない。
いくら領域魔術を展開したとはいえ、事前の対象確認を怠った、明確な戦術ミスと言えるだろな。」
エルディアは手を振って帰れのジェスチャーをした。
「じゃあ出番終わり。帰れ。」
「――え?」
サキュバスが、きょとんとした顔をする。
「いや、攻撃されたら死んじゃうでしょ。
そもそも、こんな学生ばかりの大会に君は、存在自体が危ないんだよ。
存在が非常にナイーブなんだ。風紀委員会と倫理委員会がとんでくる。」
「ご主人様。ならなぜよんだんですかー
畑仕事飽きたんですけど。
折角、お披露目だと思って気合いれてきたのに!!
畑に置き去りにされた者の諦めを誇りとして、対象を永遠の泥沼に引きずり込んで、傷をなめ合える関係にこそ、サキュバスとしての本懐を感じていたのに!!!!」
「いいから早く帰れ。
あと、畑仕事バカにすんな。それに長い!!」
「うう……仕方ありませんね。
もっとご主人様のお役に立ちたかったのに。
とゆーか、自分が沈んでいた同じ泥の中に、もっと人間どもを引きずり込みたい。」
まじで帰れ
グレイスが杖を軽く振ると、その先端から、幾筋もの極細の金属糸が放たれる。
「――《鉄糸》」
「うげ」
グレイスは、戸惑うエルディアに向けてさらに間合いを詰める。
杖を地面に軽く突き立てると、これまでふりまいておいた周囲の金属片が、彼女の意志に従うように、浮かび上がった。
「――《穿鉄》」
圧縮された一条の鉄が、まっすぐに撃ち込まれた。
「――っ」
肩口への直撃の手応え。
確かな衝撃が杖を通して伝わってくる。
肩口の布が裂け、赤い筋が腕を伝って地面に滴る。
グレイスの中で、勝利の確信が音を立てて形を成した。
《穿鉄》は、貫通を目的とした技だ。
防御術式のない生身に直撃すれば、それだけで戦闘続行は不可能になる。
会場が、静まり返る。
実況席のマイクが、一瞬、言葉を失った。
「直撃……!北方要塞・グレイス選手の《穿鉄》が、アーカム・エルディア選手に直撃しましたァ――!
これは、決まったか……!?」
観客席がどよめきの波を打つ中、審判の腕が、鋭く横に振られた。
「――試合、一時中断!負傷確認!」
歓声とどよめきが、一瞬でざわめきに変わる。
待機していた治癒術師と審判が、駆け足でエルディアに近づく。
「見せてください」
エルディアは、肩を軽く差し出す。裂けた布の隙間から覗く傷は、確かに骨に届くかという深さだった。審判の表情が、一瞬強張る。
「……骨には達していません。ただ、この出血量は……」
「ん、大丈夫。ダメージはゼロ。動くよ。」
「行動能力の確認をします。右腕を、水平に上げて」
エルディアは、傷ついた腕を、何の躊躇もなく真横に上げた。可動域に、制限は見られない。
「握力、確認する。
……問題、ない。」
治癒術師が、審判に向けて小さく頷く。それでも審判は、念を押すようにエルディア本人に問いかけた。
「本人の申告を、確認します。続行できますか」
「もちろん。そりゃ続行で。」
治癒術師は思った。
傷は確かにある。
だが明らかなダメージは見られない。
審判は一拍置いてから、片手を上げた。
「試合、続行!」
ここで、実況が入る。
「無事試合が再開されましたね。
エルディア選手。本当に大丈夫なんでしょうか。
すごい出血量ですが……」
解説の老魔術師が言う。
「本人の申告と、行動能力。その二つが、基準を満たしている、ということなんだろう……だが、人間が行動不能になる出血量というものがある……あれはそれを大幅に越えているようにみえるが……」
グレイスは、動きを止めていた。
《穿鉄》は、 父の言葉を胸に、磨き上げてきた必殺の魔術。
その一撃が、確かに入った。手応えもあった。
なのに、目の前の相手は涼しい顔で血を拭っている。
「……なんで、そんな顔していられる」
エルディアは、傷口を一瞥して、それから興味なさげに言う。
「さあね。なんでだと思う?」
さらに脇腹。
完全に直撃。
ゴボゴボ
先ほどよりも明らか重傷。
内臓が傷ついてもおかしくない。
口から多量に血が出ている。
再度試合中止。
「レフリータイム!!」
実況の声が、裏返る。
「エルディア選手、さらに負傷!!
試合が再度一時中断!!医療班、状態確認に入ります!!
し、しかしこれは……続行は、さすがに厳しいのではないでしょうか!?」
会場中の視線が、血に染まった少女へ、一斉に注がれる。
「……流石に今度こそ無理だろう。」
「……つまり、ドクターストップ、ですか?」
「普通ならな。
いや、普通というなら、最初の一撃で試合など、とっくに終わっているのか。」
長い沈黙のあと、審判の片手が、ゆっくりと、上がった。
「試合、続行!!」
歓声とも悲鳴ともつかない声が、闘技場全体を揺らす。
「し、試合継続……!エルディア選手、脇腹に重傷を負いながら、なお、立っている……!これは、一体、何を、見せられているんだ……!」
「ご主人様は多くの魔術刻印を使いこなしますので、それの一貫ですね。」
「それは一体どういう事ですか!?
何か知ってると!?」
実況席の椅子の隙間、体育座りのまま、事の成り行きを静かに眺めていたサキュバスが、いつの間にか、しれっと会話に加わっていた。
「――え!?
サキュバスさん!?なぜここに!?
い、いいんですか!?あなたのご主人様、まだ戦ってますよ!?」
「いいんです。ご主人様、どうせ私に戦闘能力なんて求めてないので。
私って求められてるのは、基本的に畑仕事なのです。
つまり肉体労働を求められてるんです。
サキュバスなのに。」




