◆20
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翌日は調整と体調管理のため、一日休みを入れた。
しかしレナスいわく。
「みんなでサハッコ麺を食べに行こう!」
だがカイルは制止する。
「それは迷宮を踏破してからにしよう」
「えーケチ!」
簡素だがひどい言い草である。
「ケチじゃない。僕たちの旅の目的を忘れたの?」
彼らがここにいるのは、あくまで、ダルトンの迷宮を踏破してバリスタの月光を獲得するため。遊びに来ているわけではないのだ。
彼は仲間に、改めてそう話した。
……しかしこれは表向きの理由。本当は、カイルはもっと戦略的に後回しにしていた。
サハッコ麺は任務完了の報酬であり褒美である。彼はそう位置付けている。すなわち、冒険への士気を維持するためのもの。
例えるなら馬の前にぶら下げられたニンジン。カイル以外の三人は、冒険を成功させ、生きて帰り、美味い飯にありつくために死線を切り抜ける。
逆に、先に幸せを与えてしまったら、事前に満足してしまい、いざという時に踏ん張りが効かないことにもなりかねない。それは言い過ぎだとしても、わずかばかりであっても、心のどこかに影響する可能性は高い。
もっとも、実際には食事のためだけに冒険をするのではないだろう。美味い飯は大半の人間にとってご褒美だが、それにありつくためだけに苦難に耐えるのではない。人生はもう少し複雑である。
だが、順序を変えるだけで士気が多かれ少なかれ上がるというのであれば、そうすべきであろう。少なくともカイルはそう考えていた。
決して嫌がらせのためではない。
「頭首がそう言うならそうするしかないけどさあ……」
「ごめん。でも忘れないでほしいんだ、目的ってやつをね。迷宮が終わったら奮発するから」
そう言うと、セシリアやアヤメも続いた。
「確かに休暇の旅ではないからな。仕方がないといえば仕方がない」
「それがしもカイル殿の判断に従いますぞ。そもそも、いまから迷宮への挑戦を始めてもおかしくのうござったのに、頭首殿は休養日を入れてくださったのです。それだけでも御の字というもの。今日はサハッコ麺のことは忘れて、体調管理に専念すべきでしょうぞ」
「うう……そうだけどさ。うん、まあ、仕方がないよね」
レナスはわずかに気落ちした様子だったが、すぐに立ち直って。
「サクッと迷宮を突破して、美味しいものにたどり着くとしますか!」
「うん、そうしてくれると助かる。ありがとう」
「おおう……真面目にお礼を言われると恥ずかしいよう」
レナスは目をそらしつつ言った。
挑戦当日。カイルらは迷宮の前で受付を済ませ、迷宮の入口を仰ぎ見る。
立派な石造りの入口。その重厚さは、先に待つ苦難の大きさを思わせる。
「なんだか緊張するよう」
レナスがぽつりと漏らす。
「緊張? 僕たちは危険な冒険をすでに経験しているじゃないか、紫電の山、さすがに覚えてるだろ」
「山は山だよ。明確な入口なんてない。でもこの迷宮は、入口がなんかすごく迷宮迷宮してるんだよ」
「迷宮迷宮て」
ちなみに怪盗との戦いは勘定に入れていない。あれは「調査」と「戦い」ではあるものの、いわゆる迷宮への挑戦や山登りとはやることが全く異なる。
……そう考えて、カイルは得心した。
きっとレナスは、山登りと迷宮挑戦とは違うものであると認識しているのだろう。ちょうど怪盗戦と山登りが異なるように。
そしてそれはセシリアやアヤメも同様だったらしい。
「何が悪いかといえば、この入口だな。きっと中もいかにも迷宮な造りをしているのだろうが、初っ端からこのがっしりした本格的なこしらえでは、緊張しないほうが難しい。山登りとはやはり違うものだ」
「それがし、自然の険しさには里の鍛錬で慣れておりまするが、こういう明らかに人工の迷宮はそれほど訓練しておりませぬもので……いや、罠のあれこれとか探索の仕方などは知識として持っておりますが」
確かに、言われてみれば、紫電の山は自然の産物であり、例えば人工的な罠などは誰も設置しない、というか設置の必要がないといえる。冒険者を迷わせることはあるだろうが、それは設計者や普請担当の人為によるものではない。
自然の地形と人工の迷宮。きっとレナスは、入口の様子でこの二つの違いを意識させられているのだろう。
ならばやることは一つ。
「みんな、いったん落ち着こう。確かに自然と人工は違うかもしれない。この一党で人工の構造物に挑むのも初めてだ。けれど僕たちには知識はあるし、この手のものへの経験自体もある。決して緊張する必要はない。頭と心をしっかり切り替えて、適度な注意を保とう。やればできるはずだよ。ね?」
「それは、そうだけど」
「落ち着いて、か。初心を忘れていたな」
口々に一行。
最大の問題は、踏破を阻み続けている謎の脅威だが、前情報がほとんど無いまま対抗するには、冷静に、かつ適度に注意深く意識を保つしかない。
何につけても冷静さである。
「うん、みんな良さそうだね。じゃあ突入だ」
かくして、彼らは酔狂な金持ちの迷宮に足を踏み入れた。
迷宮は全部で四層。中で夜を越す必要はまずもってない。ギルドの掲示でも書かれていたし、受付から説明もあった。
一日の勝負。さすがの富豪ダルトンも、野営が必要な規模の迷宮は造れなかった、と考えるべきだろう。
ともあれ、日帰りで踏破しうるということは、冒険者にとってはペースやリソース配分の参考にもなる。要は一日に全力を注げばいいという意味なのだから。
……逆に考えるなら、日帰り程度の浅い迷宮で踏破者がいないのはなぜなのか、という疑問にもつながるのだが。
とすれば、この迷宮には何か本当にとてつもないものが潜んでいる。
充分な警戒のもとに進むべきである。
カイルは深呼吸し、そして集中した。
あるところでは、地面に仕掛けが施されていた。
正面から石つぶてが飛んでくる。
「危ない!」
カイルの声とともに、全員がこれを避ける。
「みんな大丈夫か、怪我した人間はいる?」
「大丈夫だよ。みんな避けられたみたい」
レナスが答える。
あるところでは、足元に鳴子の罠。
セシリアが不注意にも鳴らしてしまう。
「しまった!」
「何かが来るぞ!」
猛犬が駆けつけてくる。
「仕方がない、戦うよ!」
躍りかかってくる犬たちを、カイルは先頭に立って剣で切り払う。
しばらくして、今度は落とし穴。
レナスが罠の気配を察知し、安全に作動させてくれたおかげで、メンバーは負傷などを免れた。
落とし穴の中に何かが、なみなみと満たされているのを確認する。
「あの液体は?」
「きっと酸だね。この濃度だと即死はしないだろうけど、出てくるまでに負傷は避けられないと思う」
「なるほど。装備が溶けるおそれは?」
「すごくある。ただ、すぐに消え失せるということはないはず。状態が悪くなって切れ味とか硬度とかが落ちることは考えられるね」
一瞬、カイルは女性陣の着ているものが溶けてきゃあきゃあ言う光景を思い浮かべてしまった。
しかし現実は、仮に罠にかかっていたとしても、そうはならないだろう。体中に酸を浴びて、死には至らないとしても、きっと凄惨な光景になるだろう。スケベな状況を噛み締めている余裕は、きっとない。
とはいえ、そのようなスケベな光景を思い浮かべていられるのは、レナスがしっかり仕事をしたからである。
「レナス、ありがとう」
「うん? ああ、こういうのも私の仕事だから、お気になさらず」
どうやら彼女には気づかれなかったようだ。
カイルは自分の顔を手で打って、気を引き締めた。
しばらく迷宮攻略を進めていたカイルは、しかしあることに気がついた。
この迷宮、本当に挑戦者たちをふるい落とす気があるのか?
例えば石つぶての罠。まともに浴びたところで死に至るおそれは高くない。いや、ある程度熟練した人間の使う石つぶては、急所にまともに受ければ重傷は免れないが、あの罠の石つぶてはそのような威力からは程遠いものだった。
鳴子の罠は、確かに猛犬を呼び寄せるものではあったが、「この迷宮に挑むような人間」の「集団」が果たして全滅するようなものだっただろうか。「この迷宮に挑むような人間」は動物との戦いなど慣れたものであり、ましてやそれが「集団」ともなれば、猛犬が返り討ちになる以外の結末を思い浮かべられるのか。
酸の落とし穴は、確かに引っかかれば結構な損害にはなるだろう。しかし実際にはレナスが察知して安全に切り抜けた。
……最初から察知されるところまで見越した罠だった可能性は?
レナスによると、この落とし穴の罠は、その道の人間なら容易に見抜けるものだったという。なぜそのようなものを配置したのか?
要するに、罠はふんだんに用意されているように見えて――いや、事実としてふんだんに用意されてはいるのだが、設置の仕方または罠の内容が甘いといわざるをえない。
そして、そのような事情にもかかわらず、踏破した者がいない。おそらくだが迷宮内で亡くなっているのだろう。
死因はきっと罠によるものではない。もっと別の何か、この迷宮の、詰めの甘すぎる罠より何倍も致死性の高い何かなのではないか。
罠の中に、本命の必殺を期したものがあるのだろうか?
いや、そうする意味がない。かく乱のための罠と本命のそれを分ける余裕があるのなら、始めから致死性の高く見つかりにくいものだけ設置すればよいだろう。
……あまたの挑戦者の死因となったのは、こういったちょっとした罠ではなく、この迷宮に潜む、なにかとんでもないものなのか?
カイルはそう考えると。
「みんな、ちょっと待って聞いてほしい」
仲間たちを集めた。




