第十三話 〈嘘つき〉の魔女②
今日は儀式の日だ。そわそわとしている大人たちに耐えきれず、カノープスはいつものようにシリウスの元へと通った。
いつものように窓を叩こうとした瞬間だった。
「どうして僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ……っ!」
「シリウス様……!」
どたどたと騒がしい音がして、次に悲鳴、それからその場は静かになった。
胸騒ぎがする。ただ事じゃないことが起こっているような。
カノープスは建物の表側へ回ると、深呼吸をしてその扉を開けた。そこには、
「……え」
両の手が血で真っ赤になった少女が一人突っ立っており、彼女のお付きだったのであろう女性が胸元を刺されて倒れていた。
「し、シリウスはどこ……?」
「ここだよ、カノープス」
シリウス、と呼ばれた少女が、カノープスを招くように血だらけの両腕を広げた。
「あなたが、シリウスなの?」
「そうだよ、カノープス。僕がシリウスさ」
その喋り方や声はすべて何年も窓際で語り合ったシリウスそのもので。でもその姿とは合わないことからカノープスは困惑した。
シリウスと名乗った少女は腰まで銀の髪を伸ばし、服装は貧乏なこの村とは思えないほど上質なものばかりの女性用の衣装だった。まるで、今から儀式に生贄として出るような——。
「し、シリウ——」
「カノープス、君も知ってて騙していたんじゃない?」
心が頭に追いついた瞬間。シリウスは刺すような言葉をカノープスに投げかける。
「な、なんのこと……」
「君が〝十年の子〟の、しかも村長の娘だって、その顔を見て分かった。だってあいつの奥さんの顔とそっくりだもの。あはは、すっかり騙されたよ。まさか同い年だとは思ってなかったからね」
「シリウスだって……男の子じゃ、なかったの?」
「僕は、そう振る舞ってるだけの女だよ」
そんな、そんなまさか。
それはわたしが一番関わってはいけない相手で。
私のせいで生贄になったと言っても過言じゃない相手で。
「ご、ごめんなさ、」
「ごめんね、謝罪は聞きたくない。というか要らないよ。その様子だとどうせ君も知らなかったんだろ? 僕が、僕こそが生贄の子だって。まぁ僕も君が村長の娘だとは知らなかったわけだけど」
シリウスは生贄の子で、わたしは生贄から外された村長の娘。変えられない事実、出会ってはいけなかった相手。
けれど出会ってしまった。縁を結んでしまった。お互い唯一の友だちになってくれた。それをカノープスは忘れられなくて。
〝助けなくちゃ〟
そんな思いが、心の中に燻っていく。つのっていく。
「儀式はめちゃくちゃだ。こういうのは神聖さが大切なんだよ。人殺しの生贄なんて役に立たないだろうな」
あーあ、と諦めの声を出したシリウス。床に転がっている死体の脈に触れて、もう動かないことを確認しながら。
「シリウス、逃げよう」
「……っはは、まさかカノープスからそんな言葉が聞けるなんて」
「わたしは、本気だよ」
カノープスの瞳が真っ直ぐシリウスの目を射抜く。しかしシリウスは目を逸らして呟いた。
「……無理だよ。だってもう、大人たちが来てる」
「おい! 時間だぞ! まだ用意できてないのか!?」
外からは儀式の始まりを待つ大人たちが集まってきていて。
「そ、そんな……」
「カノープス、もし本気なら、僕の最後のお願いを聞いてくれるかな」
「……わたしに出来ることなら」
シリウスはにこやかな笑みを浮かべて、
「僕を、殺してほしいんだ」
と、言った。
カノープスの思考が止まる。とんでもないことを要求されたのが分かるまでそう時間はかからなかった。ただ、かける言葉を探せなくて。頭がいっぱいで。
「……本気、なんだよね」
「本気だよ。なんなら、君がしなくても僕は自分で死ぬつもりだから」
最期くらい自分で決めたいからさ。彼女はそう言って、安らかな笑顔でカノープスと向き合っていた。
「君の印名の噂は聞いているよ。強いんだろう? 願いが叶うんだとか、そういった類で」
まさかそこまで把握されているとは。
カノープスの印名、それは言葉で発した願いがいくらか叶う印名だ。どこまで叶うのかなどはまだ確認されておらず、主に夜に戦う男性陣への願掛けとして使われているものだったのだが。
ふとカノープスは窓の外を見る。外は日は暮れて真っ暗闇になり、そろそろナイトメアが現れる時間だった。それなら、
「シリウスがその願いを譲らないなら、わたしも叶えたい願いがあるの」
「おい、儀式はまだか! ナイトメアが出たぞ!」
外では既にナイトメアが猛威を振るっているようで。カノープスはこれから己がすることに対して決意を固めた。
「ねぇ、手を握ってくれる?」
「……僕の手は汚れているよ」
「……それでもいいから。お願い」
カノープスが手を差し出すと、シリウスは血を服で拭い、カノープスの手を取った。そして。
「——さよなら、わたしの村」
カノープスのその一言で、世界は静寂に包まれた。何も聞こえない。戦う音も、声も、そして隣で手を握っていた、たった一人の友人の鼓動も。
カノープスがかけた印名は単純なものだ。別れを告げるだけ。ただそれだけで、村の人々全員が息を引き取った。
崩れ落ちそうになった友人を落ちないように抱きかかえ、眠るように死んだことを確認しするとぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。しかし泣いてる場合じゃない、まだやることがあると奮い立たせる。村全体を見て回ることだ。
カノープスは村人の死体を一人一人丁寧に見て回り、全員を埋葬した頃には辺りはすっかり朝になっていた。その中には父親や母親、そしてシリウスもいて、カノープスの目には何度も涙が滲み、もう動かない彼らを濡らした。
これで、これでよかったんだ。これでみんなもうナイトメアに襲われることもない。みんな安らかな眠りについた。これでよかったんだ。
「どうか、どうか」
許してください。
わたしが願ったことを、叶えてしまったことを、手にかけたことを、許してください。
カノープスは小型のナイフを手に取ると、静かに目を瞑った。思い浮かべるのは、お母様、お父様、そして最期に見たシリウスの笑顔。
そしてカノープスは真っ直ぐ、自分の首に刃を突き刺したのだった。
「あーあ、こんなになっちゃって。話通りって感じだけど、見ると結構堪えるね。住民全員埋葬してある。埋葬されてないのはこの子だけ……ってこの子、生きてるなぁ、虫の息だけども。ふむ、顔はなかなか可愛い」
微かに声が聞こえる。こぽこぽと喉から溢れ出す液体を薄目で見ていると、不意に体が持ち上がった気がした。
丁寧に頭と足を抱えられ、慎重に動かされる感覚。首からの出血は止まることを知らず、いずれ死ぬのだろう。あぁ、安心して眠れる。もう二度と目は覚まさなくていいのだ。それに看取ってもらえる人がいるだなんでどんな幸せだろうか。わたしはこんなに幸せな終わりを迎えてもいいのだろうか。
そして、カノープスの意識はそこで途絶えたのだった。
◇
眩しさを感じ、カノープスは目を開く。いつもと違うふかふかの布団に包まれていることに気付いて、果たして自分は何をしていたのかを思い出そうとする。そうしてはっとして首に手を当てると、包帯が巻かれ、手当てがされていたのだった。
そんな、と声を出そうにも、声は掠れて息が漏れるばかり。それどころか、耐え難い痛みが喉から全身を駆け巡る。その痛みにぐっとシーツを掴むことで耐えていると、ふと、横たわっているベッドの傍に人影を感じた。
顔をゆっくりと声のする方へ向けると、藤色の瞳とカチリと目が合う。
「やぁ、起きた? 気分はどう? もう目が覚めないかと思ったよ」
最悪だった。もう二度と目覚めたくなかったのだから。
「完全に声帯に傷を作っちゃったみたいだから、声は出せないよ。でも命は大丈夫。きちんと繋げたからね」
余計なお世話だ、とカノープスは思った。わたしはあのまま死ぬべきだったのだ。死んで償うべきだったのだ。村人全員を、一晩で殺してしまったのだから。
「生きてることが不満って感じの顔をしているね。ペトリ、メモ帳はあるかな。あと書くものも」
「かしこまりました」
ペトリ、と呼ばれた青年は会釈をすると、背を向けて部屋の扉を開けて姿を消した。
温かい日差しが当たる窓際。ふかふかの布団。美味しいパンの焼ける匂い。
「これを」
ペトリはカノープスにメモ帳と万年筆を渡し、これで意思疎通をするように促した。そのまま彼は後ろに引き下がり、部屋を後にする。部屋に残るのは藤紫の瞳をした彼と、自分だけ。
『助けてくださってありがとうございました。どうして助けたんですか』
「やっぱりキミ、自殺だったんだね」
『わたしは、はあのまま死ぬべきだったのです。苦しんで死んで償うべきだと……』
「……本当に、そうかなぁ」
『え?』
カノープスに話しかける、藤色の瞳をした女性とも男性とも見分けがつかない姿のこの人は、能天気に首を傾げる。
「だってキミ、本当にその手で殺したの?」
『いえ、印名で……』
「だったら違う可能性だってあるよね」
『でも、わたしの印名は何でも叶えるものです。わたし以外に生存者はいなかった。それに、わたしは願ってしまった。村がなくなることを、みんなが、安らかに眠りにつくことを』
ぽたぽたと垂れる雫がメモ帳の文字を滲ませていく。お父様もお母様もお兄様も、そしてシリウスをも殺してしまった事実はここにある。わたしが唯一生き残っている。それが証拠。
「…………へぇ。でもそれ、『本当の心』じゃないよね」
この人は何を言っているのだろう、とカノープスは疑問に思う。カノープスの印名は口にすれば何でも叶う印名。ならば、村を壊滅させたのはカノープス自身だ。カノープス以外の誰でもない、わたし自身。
「キミは『嘘』をついている。キミ、本当はこんなことしたくなかったでしょ?」
その問いで、カノープスの中の何かが弾けた。ずっと繕っていたものが、硬く硬く守っていたものが、ぷっつりと。
本当は。
本当は、本当は……!
『殺したく、なかった、わたしはただ、村のみんなと、笑っていたかった、あの子とも、もっともっとお話したかった、それだけで、嬉しかったのに、』
「ほらね、やっぱり〈嘘〉だ」
ぼろぼろ涙がこぼれ落ちる。そうだ、わたしは生きていたかった。笑っていたかった。ナイトメアのいない村でただ幸せに暮らしていたかった。それだけだった。
「キミは生きなくちゃいけないよ。罪の意識があるなら尚更だ。死ぬのは赦しだ。救いなんだ。キミの罪は、そんなことで許されるものなのかな?」
『じゃあ、どうすれば』
「生きるんだ。生きて、精一杯償うんだ。殺した人の何倍も、何十倍もの人を、キミはその手で幸せにするんだ。出来るかい? それが償うってことだよ。生きることは死ぬことよりもうんと苦しいからね。死ねば一瞬で終わってしまうから」
死が、救い……?
悪い事をした人は死んで償うのだと、お母様は言っていた。だから当然のように、わたしは自殺を決意した。それが、逃げであって、赦しであって、救い……?
「キミの印名は〈嘘つき〉だ。嘘を本当にする力。それがキミが持つ本質だよ。たまに叶わなかった時があったんじゃないかな、それは本心だったからだ。そうしてキミは〈嘘つき〉の魔女となった」
魔女。話には聞いたことがある。印名で大きな功績、あるいは大きな悪事をした人に付けられる呼び名。あぁ、なんて自分にぴったりなのだろう。
「でもそれじゃあ味気ないから、ちゃんと名前を聞くよ。キミの名前は?」
『……カノープス、です』
「なるほど、素敵な名前だね。ところで、ボクが拾った子どもたちはみんな生まれ変わるように新しい名前を付けるんだ。キミにも、名前を付けてもいいかな」
カノープスはやや迷って、それからこくりと頷いた。
何もかも失ったわたしにはもう、この名前は必要ないのです。ここから新しく生きるのなら、わたしは…………。
「シュライフェ。愛称はシェリーなんてどうだろう? リボン、という意味だよ。可愛いキミにピッタリだ」
『かわ、いい……?』
「キミは可愛い女の子だろう? カノープスという名前も可愛らしいけれど、飛びっきり可愛い名前をつけたいと思ってね。シュライフェ。縮めてシェリー。可愛いだろう?」
『シェリー……』
あの村では男女どちらが生まれてもいいように、生まれる前から男女どちらでも構わない名前をつけるのが習慣だった。
わたしは、女の子だったのだ。
今までも、そしてこれからも。
「これからは何だって出来る。キミはもう、自由なんだから」
あ、あ、あ。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が零れていく。
大きな間違いを犯した。沢山の人を殺した。小さな嘘で、ひとつの村を、わたしは滅ぼした。
「さぁ、キミの物語を始めよう。まずは罪を償うところからだね。丁度いい案があるんだ。キミには苦痛かもしれないけれど、どうだろう、飲み込んでくれるかな?」
『……それだけのことをしたんです。だから、何でも飲み込みます』
「ほう、なるほど、キミを拾ってよかった! 初めての『成功者』なんだ。とっても嬉しいよ」
その言葉に、カノープス——否、シェリーは首を傾げる。
「キミは、初めての『藤の花』の成功者……死なない体になったんだ。ボクと同じ〈不老〉にね」
突然風がカーテンを巻き上げ、目の前に座る彼の透き通った短い白髪を揺らし、袖をめくり上げる。その腕には藤の花が咲き乱れ、彼は右腕を振って偽物ではないことを証明してくれた。そこで気付く。彼から花のような優しい香りがすることに。自分のことで精一杯であったシェリーは、今まで彼のことを見ようともしていなかったのだ。
「ようこそ。このボク、ウィスタリアの家へ。歓迎するよ、シェリー」




