第十三話 〈嘘つき〉の魔女①
中央都市を大型船で後にして、ムジナが用いる小舟に揺られてしばらく。シェリーはカバンから一通の封筒を取り出し、ノッテに差し出した。随分と分厚いそれは、長い手紙なのだということが見て取れる。
「これは……」
ノッテが受け取ると、シェリーはノートを一枚めくって、書いてあった言葉をノッテに見せる。いつもはその場その場でやり取りしていたが、今回の手紙は元々渡す時の文章まで考えていたようだ。
『これは三百年前にあった出来事……わたしの故郷の話です。ノッテさんが良ければでいいです。過激な部分もあるので無理しないでいただきたくて……』
「大丈夫。私が、読んでもいいんだね?」
シェリーはその問いに、こくりと頷いた。普段から見せている笑顔は薄れ、やや緊張しているようだ。それもそうだろう。三百年も明かさなかった出来事を、ノッテに明かしてくれると言うのだから……三百年?
「さ、三百年!?」
ノッテはつい飛び出た言葉に慌てて口を塞ぐ。シェリーもしーっと口に指を当てている。船を漕いでいるムジカに聞かれたら大変だ。
「ねぇ、シェリーちゃん、提案なんだけど……一緒に読んでもいいかな。シェリーちゃんがどんな軌跡を辿ってここまで来たのか、私はあなたと知りたいから」
ノッテの提案にシェリーは、
『喜んで』
と、花が咲いたような笑みで綴った。それは普段から見ているにこやかな微笑みではなく、本当に心の底から嬉しいと思って笑ってくれているようで。
「じゃあ、開けるね」
ノッテはそう声をかけて、封を切ったのだった。
◇
わたしが生まれたのは、スランド地方にある小さな村でした。結界近くだったからか、そこは夜な夜な『ナイトメア』と呼ばれる魔物が出る村でした。夜中にしか現れず、現れれば必ず村を襲い、襲われたことで死人も出ていました。
何もしなければ村は壊滅。わたしたちが生き残る為にはナイトメアと戦う他ありませんでした。しかしナイトメアは何度倒しても毎晩のように現れます。いつ現れるかも分からないので見張りも必要でした。
わたしは女でしたので、村に生まれてくる男の子たちのような剣の鍛錬は受けず、裁縫や料理、護身術など、常に最前線で戦ってくれている男の人たちを裏から支える役割を母やお祖母様とともに与えられていました。常に最前線で戦うお父様やお兄様を支えるためにも、わたしはなんの疑いもなく、日々ナイトメアに怯えながらそうして暮らしていました。
母はいつも言っていました。お前は女なのだから他の人よりもうんと頑張らなくてはいけないの、頑張ることは当たり前、と。そして、期待している、とも言われました。わたしはわたしなりに頑張ったつもりです。それは今でも変わりません。それが母やお祖母様に届いたのかは分かりませんが。
お父様、お母様、お兄様、村の人、ナイトメア。その全てが消えてしまえば、みんなは自由になれるのでしょうか。わたしが生まれた頃には既に、特に男手が足りないことで村には暗雲が立ち込めていました。
村の話をしたところで、そろそろ核心とも言うべきことに触れなければいけません。この村は十年に一度、十歳の女性をナイトメアに捧げる儀式が行われていました。人身御供、つまりは生贄です。
わたしが十歳になる年、それはちょうどその年にあたっていました。わたしは村長の娘ということで生贄には選ばれず、選ばれた少女に後ろめたさを思いながらも暮らしていました。
しかしわたしは出会ってしまっていたのです。それはちょうど五歳の頃。自分がまだ「生贄から外れた側の女の子」だとは知らない、まだ何もかも分かっていなかった時代に。わたしが、その子がわたしの代わりに選ばれた生贄の子だと知ったのは、十歳の、儀式直前のことでした。
村長の娘として生まれた〝十年の子〟のわたしは、あまりいいようには思われていませんでした。村長の子どもは問答無用で生贄から外されます。わたしには自覚してなくてもその特権があり、生まれながらに行使していたのでした。
ですから特に同じ〝十年の子〟の子どもたち——特に女の子たちからはあまりよく思われていませんでした。八歳の頃のわたしは、いつも誰かに嫌がらせされていたものです。
「お母様から頂いたリボン、またなくなってる……」
クスクスと笑う同い年の子どもたち。隠し場所は分かっています。いつもの場所です。大人たちからは絶対に近づかないようにと言われている建物のあの場所——儀式の本殿。
けれどあの場所の近くの家にはあの子がいます。姿形は見えないけれど、いつも優しい声をかけてくれるあの子が。……その子自身が「選ばれた生贄の子」だったのですが、当時八歳のわたしはそれを知らず、ただ「病気で外に出られない」のだと思い込んでいました。今思えば愚かなことをしたものだと思います。彼女のことを男の子だと思っていたのですから。
「こんにちは、シリウス」
「その声はカノープス? また来てくれたんだ!」
わたしは彼女がいる部屋の壁にもたれかかり、窓を叩くとそう呼びかけました。返ってくるのはわたしを待っていたのを予感させる嬉々とした声。彼——シリウスと話す時間は、わたし——カノープスにとってもかけがえのない時間でした。
「今日はどんな天気? 晴れてるの?」
「えぇ、とっても晴れているわ。ようやく春が来たみたい」
暦の上では春を示す三月上旬、しかしまだ二月の残り香が潜んでいるようで、時々冷たい日々がありました。しかもここは中央都市から遠く離れた結界付近。年中肌寒さは続く場所でした。そんな中で訪れた小さな春を、わたしは窓から投げ入れます。
「わ、花だ……! ありがとう、カノープス」
「よかった……喜んでもらえて」
「君からの贈り物で嫌いなものなんて一つもないよ」
彼はもう一度「ありがとう」と愛おしそうに言いました。
◇
彼 (彼女)とカノープスが出会ったのは二人が五歳の時だった。いじめられて迷い込んだ先にあった建物。そこから聞こえてくる泣き声に、カノープスは「……どうしたの?」と問うたのだ。
「一人が寂しいんだ」
「なら、今日からわたしがここに通うわ、お友だちになってくれたら……嬉しいのだけれど……」
「本当!? 僕シリウス! 君の名前は?」
「わたしはカノープス」
それからカノープスは通える日はほぼ毎日通い、その日の天気や、外や村の様子をシリウスに話して聞かせた。ここにいる間は誰も邪魔をしてこない。嫌がらせをしてくる同い年の子どもたちもいない。カノープスにとっても、そして外を知らないシリウスにとっても楽しいひとときだった。
それでも時は進む。自分自身が生贄に選ばれ生まれながらにそう育てられたシリウスと、生贄の子から逃れ後ろめたさを感じているカノープス。二人の関係性は少しずつ変化していった。否、変化したのはシリウスの方で、シリウスのことを何も知らない無邪気なカノープスは相変わらず毎日のように通っていたのだが。
「ねぇ、カノープス」
「どうしたの?」
それがいつもよりも暗い声をしていて、その次に発せられる言葉がより暗くなるのは幼いカノープスでも理解できていた。
「僕はこんな風に僕を育てた母さんや父さんを、そしてナイトメアを恨んでる。恨んで何も変わらないかもしれないけれど、自滅するよりはマシだ。ねぇ、カノープスは、恨まないの?」
「……ぇ」
それは予想外の言葉だった。まるで斜め右から鈍器で殴られたかのような感覚がカノープスを襲った。恨んでいる? 誰が? 何を?
「……シリウス?」
情けなく名前を呼ぶ。いつもの優しい彼はどこに行ったんだろう。
「先日君の兄が亡くなったんだろ? 外にいる魔物、ナイトメアのせいで。つらいだろ、苦しいだろ、違うの?」
「そ、そんなの……」
辛いに決まっている。朝起きた時、最初に母親から聞いたのは兄の訃報で、あまりにも遺体の損傷が激しかったから最期は会えなくて。
言葉に困ってしまった。生まれてきてしまった以上仕方がないと諦め、誰かを責めたことは一度も無かったのだ。けれど、その気持ちは自覚していないだけでどこかにあったのかもしれない。心の中からどろどろと、何かが湧き出てくるような、不思議な感覚にカノープスはふと気付く。それは生まれて初めて持つ感情で。
「カノープスは受け身すぎるんだよ、悪いのは自分じゃなくて、ナイトメア。そしてそれに振り回される大人たちだ」
「他の村も、そうなのかな、みんなナイトメアに襲われてるのかな……」
「わかんないね。誰も教えてくれない。大人に訪ねたことはあるよ。でも、教えてくれなかった。教えたら逃げ出すとでも思っているのかな」
「……他の村は幸せだといいね」
カノープスがそう言うとシリウスはやや呆れたような、そして苛立った様子で、
「——カノープスは優しすぎる。もっと怒っていいんだよ」
その憤りの言葉にカノープスは「……うん」と返すだけで精一杯だった。
シリウスは「もう帰りなよ、夕方が迫ってるんだろ?」と、カノープスの帰宅を促す。カノープスは、
「じ、じゃあね」
とだけ返すと、自宅への帰路についた。
カノープスは帰りながら小さく呟く。
「できないよ、だって、誰も悪くない、みんな生きるために頑張ってるだけなのに…………」




