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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第二話 夜明けの歌
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第二話 夜明けの歌

「——そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。今でもまだ燃えています」


 ノッテは最後の文章を口にし、ゆっくりと本を閉じた。

 『よだかの星』。作者、宮沢賢治。しかしこの話は子どもに読み聞かせるには長い話だ。絵本ではないから情景を見ることができず、ただ発せられた言葉だけが耳に流れていく。読み手と聞き手に大きく委ねられると言ってもいいだろう。だからこの読み聞かせを聞いている人も、その本をリクエストした少女一人だけであった。


 人々に声をかけて読み聞かせをする時間は元々決まっており、人が集まりやすいきりのいい時間に数冊、それ以外の時間帯はノッテの自由時間とされている。読みかけの本を読んでもいいし、日用品の手入れもしてもいい。夢切りの仕事をしても構わない。そうしてそんな時間帯にとある少女から本をリクエストされてそれに応えることも、ノッテにとっては自由時間に与えられた嬉しいことの一つだった。


「あたしね、文字が読めなくて絵本くらいしか分かんないんだけど、たまたまこの本を教えてくれたキャラバンの人が素敵な話だよって勧めてくれたの。でもあたし、文字、読めないから……」


 そう言って、少女はノッテに本を読むことを依頼した。読み聞かせにしては長く迷惑じゃないだろうかと罪悪感を募らせた少女はあの、えっと、と言葉を詰まらせながら。けれどノッテは二つ返事で了承した。それが好きな話だったからこそ引きずられて、というのもあるかもしれないが、それでも頼んでくれているということに変わりはないのだから、期待には応えたい。

 そうして読み聞かせが終わった直後に贈られたのは、一人分の、しかし精一杯の拍手。


「すごく、すごく、すっごく良かった……!! 胸がきゅっと苦しくなって、悲しくて、でも、きれいなお話だったの、ノッテさんの語りもうまくて……」


 ノッテはその言葉が聞けただけでもう十分だった。胸に明かりが灯ったようにぽかぽかと温かい心地に包まれる。


「私もね、このお話すごく好きなの。だから、ハルちゃんに伝えられてよかった。私もね、すごく嬉しい」


 自由時間が終わるまでにはまだ余裕がある。それに、ハルが持ってきていた本はよだかの星含めて二冊であった。


「じゃあ、次のお話も、お願いしてもいい?」

「もちろん」


 次の本は絵のある本だった。絵の具で描かれたその本には顔料が落ちないようカバーがかけられており、恐らく最近の作品なのだろう。ノッテは表紙が見えるよう腿に本を置き、タイトルを告げる。


「……『夜明けの歌』」


 あるところにとある少女がおりました。彼女は歌を歌い、朝に星空のカーテンを開く仕事をしていました。橙色、夕闇色、紺色、星空柄……そして、あけぼの色、紫色、薄桃色……淡く光る星空と月に照らされながら、彼女は毎朝歌を歌っておりました。しかし彼女は、毎日同じ仕事をしていたせいかつまらないと感じていました。橙色に染まる雲の夕焼けを眺めることも、星空の幕を開けて朝日を浴びることも。


 ある日の夜、彼女はふらりととある村に舞い降りました。その村は朝になっても誰一人顔を出さず、夜になってこっそりと動き始める不思議な村でした。彼女は普通の人間とは正反対な活動をする彼らに興味を持ち、代わり映えしない日々を変えようとその日舞い降りたのでした。


 そこで少女は同い年くらいの少年が、ぼーっと東を眺めていることに気が付きました。彼女は彼の隣へ行くと「どうしたの?」と聞きました。彼は初めて見る少女の姿に驚きましたが、一言ぽつりと呟きます。


「朝が、怖いんだ」


 今度は少女が驚く番でした。朝を呼ぶことはつまらない仕事です。でもそれは毎日やっていたから。仕事を受け継いた当初は、本当に素敵な仕事だと思っていました。夜明けほど素敵なものはないと思っていたほどに。それをふと思い出し、だから彼女は朝の美しさを彼に説くことにしました。ゆっくりと空を泳ぐ星空、ぼんやりと照らすお月様。新しい朝、移り変わる空模様。カーテンから溢れる光が少しずつ明るくなっていくこと。そしてカーテンの隙間から昇っていく朝日が顔を出した瞬間のことを。


 そうして毎日話しているうちに、彼がなぜ朝日を怖がっているのかも教えてくれるようになりました。両親や親戚、村の人たち全員が、朝日は恐ろしいものだから見てはいけないのだと彼に教えていたのでした。それを信じている彼は、朝日というのは見たことがないから怖いものであると認識していたようでした。けれど、彼女と話をした彼はもう違うのだとも言いました。


「朝日が、見たい」


 ある日彼はそう言いました。朝について伝えるだけで怖くて震えていた彼から発されたとは思えない言葉でした。少女は願いが叶ったことが嬉しくてつい今すぐにでもカーテンを開けたくなりました、が、まだその時間ではありません。

 しん、とした冬の空気を吸いながら、その時間を待ちます。「本当に、いいのね?」彼女が最後に問うと、彼はこくりと頷きました。


 そうして彼女は歌を歌いはじめました。空がほどけ、カーテンが緩み始めます。彼女は歌いながらそれを摘むと、彼の方を振り向きました。「ねぇ、見て。夜が明けるよ」


 しかし少女は少年を見てはっと息を呑んで口をつぐみました。朝日を浴びた彼の体は少しずつ透き通っていき、まるで空気に溶けてしまうようで。

「ずっと黙っててごめんね。本当は、朝が怖かったのは体が溶けてしまうからなんだ」と彼は言いました。


 少女は激しい後悔に襲われました。あぁ、このことを知っていたのなら、彼に朝日を見ようなんて言わなかったし見せようともしなかったのに。私のせいで、彼は消えてしまう。涙でいっぱいになって滲む視界の中で、目の前の彼は言います。

「どうか悲しまないで。あなたが夜を連れてきてくれたから、僕は生きてこれたんだ。だからやめないで。あなたの連れてくる夜は、あなたがいたから、たとえ凍えるような冬の寒空でも心が温まる優しい夜だったんだ」と。


 少年はその言葉を最後に、朝日に溶けて消えてしまいました。

 少女はつまんでいたカーテンの端を手放そうとし、けれど彼の言葉を思い出して、歌の続きを紡ぎます。帳は緩み、世界は朝を迎えました。


 夜と朝の節目には、耳を澄ますと、今でも少女の歌が聞こえるそうです。


       ◇


 定期開催の読み聞かせも終わり、店じまいになった夕暮れ。明日はこの村から出発する日であり、移動本屋から本を買える日も今日で最後だ。

 そんな中、息を切らしながら走ってくる少女が一人。数日前に二冊の本の読み聞かせをお願いした少女だ。


「ノッテさん、ノッテさん! まだ、あの本、あるかな……!」

「よだかの星? それとも、夜明けの歌? 今、取ってくるからそこで待ってて」

「ありがとう……!」


 全速力で走ってきたのだろう少女はひどく息切れし、頬も紅潮していた。ノッテが二冊の本を取って戻ってくると、息を整えた少女がお金を差し出して、片方の本を指差した。


「これ、ください。本当はどっちも欲しかったんだけど、お小遣い足りないから……悲しい話だったからお母さんたちには反対されちゃうかもしれなくて。ても、私がほしいの」


 少女が指差したのは夜明けの歌だった。夕闇の中、朝焼けの表紙がきらりと瞬く。


「これ読んで、字の勉強も頑張るね、ノッテさんみたいに本を読める人になりたいから」


 それを聞いたノッテはどきりとした。嬉しくて、恥ずかしくて、そしてどこかに後ろめたさがあって。それを表に出さないようにノッテは微笑んで会計した。


「ちょうどだね。ありがとう。あなたに素敵な夜が訪れますように」

「ノッテさんも! おやすみなさい!」


 少女がにこやかにスキップして帰るのを、ノッテは手を振りながらしばらくの間見送っていた。


 この世界での識字は全員ではない。この広い世界で学校が普及している所は限られているし、読むことはできても書けない人はかなりの割合を占める。ノッテはたまたま親が読めて書ける人だったから教わった、ただそれだけだ。それだけなのに、その記憶がチクリと胸を刺す。自分は恵まれているのだという後ろめたさが背中を撫で続ける。


 とてもいいキャラバンだった。字の読み書きができるからと最初は事務担当として契約したが、その仕事の真面目さを買われ、挑戦の意味も込めて読み聞かせの契約も交わした。本を読むのは楽しかった。褒められるのも悪くなかった。だけど、本が読めない人たちが少なからずいるという現実から目を離すことができなくなった。


 この結界堺の村ではキャラバンが訪れることも珍しいのだろう。だから学校もなければ教師もいない。しかしそんな村だからこそキャラバン長のパトリックはこの村を選んだ。文字になかなか触れられないこの村だから。結界を抜けるという多少の危険を冒してまで。


 ……結界。結界をまたいたあの日から、ノッテの頭の隅から離れないことがある。「助けて」という声を聞いたことだ。ただのうわ言だとも捉えられるが、頭にふとよぎったその声をノッテはただのうわ言だと片付けられそうもなかった。結界の外には何があるのだろう。誰が助けを求めているのだろう。そんなこと、結界を出るまで考えたこともなかったのに。


 けれどそれ以上に恐怖心が勝る。生きた心地のしない凍えた世界。冷たい空気が肌を刺し、凍りつくような冷たい空気を吸うと、肺の奥まで凍ってしまったような感覚に陥る。息を吸わなくてはいけないのに、肺が呼吸を拒絶する。もう一度入るにはやはり護衛が必要だし、できることなら避けたい。まぁ帰りも同じ道を通るのだが。


 周囲で気絶していた人にも、護衛の人にも話をしてみたが、誰も助けを呼ぶ声など聞いていないと言う。もし、帰りに通った時にもう一度聞けたら。そうしたら、思い込みなんかじゃないと確信が持てる。


 ……それを知ったところで、助けを差し伸べられるほどの力を、私は持っていないのに。


 夢なんて寝て起きたらすぐに忘れていく。だから切る必要はない。現に今、幼い頃に見た怖い夢を、夢を見たことを覚えていても、もう怖くはない。夢というものは確実にある。しかしその手では触れることはできない。掴もうとしても記憶から薄れ、忘れていく。書き換わっていく。

 もしも自分の印名が即戦力のある強い力だったのなら。護衛のように誰かを守り、助けられる力だったのなら。悪夢も恋煩いも、きっと時間が癒やしてくれる。印名に頼らないで、自分の力で解決させるべきなのかもしれない。


 それでも……私にはこの力しかない。たとえ弱くても、私に授けられた印名は〈夢切り〉というただそれだけなのだ。ノッテは息を吸って吐き出した。深く考えなくていいように。だってこれは、何度も答えに辿り着かなかった問いの一つなのだから。


 船がゆったりと流れるように揺れる。もうすぐ結界を出る。もしまたあの声を聞いたとしても、私には、きっとその人を助けることはできないだろう。ノッテはそう結論づけて、世界からの拒絶に身構えた。


       ◇


「ゆ……は……つかさ……る……」

「だから……っと……」

「助けて……ひと……いつ……おと……れ……よう……」

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