第九話 〈絵描き〉の青年⑥
からんころんとベルの音が耳に入り、トトセとハクは談笑を止めて「いらっしゃい」と声をかけた。
最初に入ってきたのはシェリーだ。次いで二人の男女……と女性に抱えられた赤ん坊が店に入ってくる。
「シェリーおかえり……って君たちもしかしてジャックとユキ? 二人揃ってどうしたの? 赤ちゃんも一緒だ」
「すぐそこでシェリーちゃんと会ってねぇ、ちょうどトトセに用事があったから一緒に来たの。ってそっちはハク君? 久しぶり、覚えてるかしら……」
「あぁ、小学校と中学校の時一緒だったよな。確か二人ともトトセと同じ孤児院出身だったか」
「うん、そのジャックとユキで間違いないよ。みんな久しぶり」
「久しぶりー、で、僕に用事って? あ、まずは座ってもらって……」
トトセとシェリーが奥から一つずつ椅子を追加で運んでくると、レジ前にジャックとユキは腰掛けた。
「実はトトセに絵を描いてもらいたいんだ。俺たち三人の」
「もしかして夫婦になってたり?」
「当たり! 子どもにも恵まれてね。だからそういう絵をトトセに描いてもらいたいなって。どうかな」
「もちろんいいよ! まさか頼ってくれるなんてね。嬉しいことだなあ、見積もりは……これくらいで」
とんとんと話が進んでいく。絵を描くならアトリエに来てもらった方がいいだろうと、ジャックとユキと赤ん坊はそのまま奥のアトリエへと入っていった。文房具屋側に残るのは椅子運びの手伝いをして戻ってきたシェリーとハクだけだ。
「良かったな、仕事が舞い込んで。しかも旧友じゃないか」
『ええ、本当に。久しぶりに会えて嬉しいです。二人とも、わたしたちの孤児院を離れてからはどうなっていたのか知りませんでしたから』
そうしてぽつぽつと思い出話に花を咲かせていると、再びからんころんとベルの音が店に響き渡る。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは老齢の男性だった。白髪に白い髭をたくわえ、いかにも「おじいさん」という雰囲気の男性だ。
店主であるトトセは奥で対応をしているため、唯一声を掛けられるハクが応対をする。しかし隣にいたシェリーは目を丸くしてぺこぺことお辞儀をした。どうやら知り合いらしい。
「トトセはおるかの?」
「あー……トトセは今奥で他のお客様の対応をしておりまして……ご用件でしたら後で伝えておきますが」
「……アトリエじゃな。少し覗いても?」
ここの店主と従業員はトトセとシェリーだけだ。ハクにその権限はない。ハクはシェリーの方を見ると、シェリーはにこやかに頷いた。これはいいよという合図だ。
「声はかけますか?」
「いいや、かけんでよい、今日わしが来たことは黙っておいてほしい。仕事の邪魔はしたくないからの」
そっとカーテンを数センチ開ける。部屋の中、あたたかい陽の光に包まれたジャックたち夫婦と赤ちゃんが、トトセのキャンバスに少しずつ色を付けていく。
「これが見られただけでも幸いじゃ、ありがとうな、シェリー、そしてお主も」
「俺は何もしてないですよ」
「トトセと付き合いが長そうに見えたが……そうじゃ、名前は?」
「俺はハクと言います」
「ふぉっふぉっ、何度か聞いたことがあるの。トトセがよく話しておった」
「おじいさん、何者なんですか?」
おじいさんはぱちりとウインクをすると「そろそろ帰るわい」とドアの向こうへ消えていった。
「一体誰だったんだ……あ、もしかして」
『この店の元店主、レイニーさんですよ』
「やっぱりか、トトセから何回か聞いたことがあるよ。店をおじいさんから引き継いだってな。にしても黙っててほしいって……」
『きっと仕事の邪魔をしたくなかったのでしょう。たまに遊びに来てくれますから、またきっと会えますよ』
いろんな人に出会えたんだな。
そうやってお前は変わっていったんだな。
ハクはそう思って、笑みを含ませたため息を小さくこぼした。
それからジャックとユキたちの絵も完成したらしく、二人と赤ん坊は楽しそうに帰っていった。絵の具の乾燥に時間がかかるからと受け取りは後日となったようだ。
「うぅ、お昼ご飯食べてないしぺこぺこだよぅ」
「確か焦がしてそれっきりだったか。もう夕食の時間だな、シェリー、俺はそろそろ帰るわ、邪魔になるだろうし」
それを聞いたシェリーはぶんぶんと首を振ってハクを引き留める。
『せっかくですから食べていきませんか?』
「い、いや、でもまだ仕事も残ってるし……」
帰ろうとするハクの左手をシェリーが掴んだ時だった。
「——触るな!! ……ぁ」
突然の叫び声に、シェリーは咄嗟にその手を引っ込める。しかし妙な違和感があった。人の手というよりもそれはまるで硬い石に触れたような感覚で。
「……ハク?」
「大丈夫だ、なんでもな————なっ!」
大丈夫だと言ったハクの左腕をトトセも掴み、手袋を奪って袖をめくる。そこには、
——キラリと鉱石のように光る左腕。まるで水晶のように透き通っており、所々には金箔のようなものがちらついている。さながらルチルクォーツ……といったところだろうか。
「ハク、それって……!」
よくよく考えればここ最近のハクは以前と少し変わった様子を見せていた。以前はしていなかった白手袋を両手にはめたり、妙にシェリーやトトセとの用事を早々に切り上げるように帰ってしまったり。きっとその行動の全てはこれを隠すためだったのだろう。
「なんでもない。なんでもないんだよ。痛くも痒くもなんともないさ。だから心配するもんじゃない、気にすんな」
そう言ってハクは左手を握ったり緩めたりしてきちんと動くことを見せつけた。動作に支障はないとでも言うように。
トトセはまず心の底から綺麗だと思った。しかし頭が警鐘を鳴らす。これは異常事態だ。正常じゃない、病気か何かだ。人が石になるなんて聞いたことがない。石になる印名なんてものも一瞬疑ったが、ハクは十六の時にはその左腕はそうなってなかった。となると印名という線は消える。
「ハク、それはいつから……」
「気にすんなよ、今のところ左腕だけだし」
「答えて、ハク」
いつもとは打って変わって神妙な面持ちのトトセに責められ、ハクはたじろぐ。シェリーは欺けなくてもトトセなら「綺麗だね!」で終わってくれると思っていた。けれど現実は真逆で。
ハクはいつもみたいにやれやれ、と長いため息を吐き出して呟き始める。
「……星祭りが終わってしばらく経った頃だった。最初は左の人差し指と親指が妙に透き通った光沢を帯び始めて、気づけばこのざまだ。印名研究所にはもう伝えてある」
ハクは左腕の袖をめくると、すでにそれは前腕半分、つまり手首と肘の間まで差し掛かっていた。ハクの言葉を信じるのであれば、これは進行する病気ということになる。
「リリアナさんや医者からの報告によれば他にも何人かはいるらしい。が、人数が片手で数えるほどしかいなくてな。いくつかの共通点はあるんだが、それも数が少なくて確証には至っていない」
「その……共通点って……?」
「一つ、人によって差はあるが俺のように体の端から、つまり手足あたりから発症しやすい。二つ、発症したのは全員が星祭り以降。そして三つ目は……」
ハクが言いかけて閉口し、ためらいをみせた。しかし、ごくりとつばを飲み込んだトトセやシェリーを見て息を整え、そして意を決したようにトトセとシェリーを見て言った。
「全員が、〈無印〉だということだ」
「無印——」
その事実は確かに、ハクも、ハクの心も、そして一緒に病気になった人も少なからずショックを受けるだろう。緩和されたとはいえ、完全に〈印名持ち〉と釣り合いが取れるようになったとは言えないから。後ろめたく思い、狼狽え、劣等感を味わう。ハクならなおさらだろう。
「まだこれは確証に至ったわけじゃない。もしかしたら〈印名持ち〉の人もかかる病気なのかもしれない。確認されていないだけで、中央都市外では星祭り以前からあった病気かもしれない。一応、俺たちはこの病気をこう呼んでいる」
シェリーとトトセは息を呑んでハクの言葉を待った。そして告げられる。
「透明硬化症、と」




