第九話 〈絵描き〉の青年④
幼少期のトトセを語る上で、避けては通れない事件がある。——目玉事件、と後に呼ぼれるようになったその事件は、孤児院だけではなく学校全体や子どもを持つ世帯全員、そして周辺地域の人々を震え上がらせることとなる。
十歳になるまでにトトセが起こした事件といえば、印名が暴走したことで絵が止まらなくなったりだとか、孤児院で働いていたシェリーを驚かせようと大きな蜘蛛を描いて孤児院中を這い回したりだとか、要するに「幼少期から印名を持ってしまったために制御できなかった子ども」に該当するものが多かった。
それでも絵を描けばみんなが喜んでくれたし、何よりトトセは誰かが喜ぶ顔を見るのが楽しかったから、印名や絵に関しての上達は早かった。トトセはめきめきと力をつけ、同い年の中ではかなり絵が上手な部類に入っていた。目玉事件はだからこそ起きた事件とも言えるのかもしれないが。
トトセが孤児院へと戻ってきたのは誘拐された日の次の朝のことだった。
当然、孤児院は警察へ通報し行方不明届を出しており、トトセが帰らなかった晩から捜索が続いていた。そんな中、
「ただいまー! って……あれ……?」
「トトセ君……トトセ君!? 先生、トトセ君が!」
「無事に帰ってきた……良かった……本当に良かった……っ」
呑気な顔をして帰ってきた彼に事情を、と思ったところで施設長はトトセの身に起きていたとある異変に気付く。
「トトセ君、右目の包帯はどうしたの?」
「あ、これ? 欲しいって言ってくれた人がいたからあげたんだ! ほら!」
しゅるしゅると包帯を外すトトセ。そしてその先にはその場の全員が絶句する光景があった。
右眼球のあった部分が、ぽっかりと埋まらない穴となってそこに在ったのだから。
「と、トトセ君、あげたって、それは、」
「だから見て、お金貰えたよ! これでたくさん絵が描けるね!」
「とりあえず何が起きたのか聞かなくちゃ、いいえその前に病院にも行ったほうが、あぁどうしましょう……」
「いいい院長先生おお落ち着いてください落ち着けないのもむむ無理はないですけども……!」
慌てふためく大人たちとは対照的に、朝食を食べ終わった子どもたちが騒動の中心であるトトセに集まり、「どうしたの?」「右目なくなってるー!」「すごーい、お金だ!」などといった会話が広がっていく。
院長先生はそれを見てパン! と手を叩いてその場を鎮め、輪の中心だったトトセを引っ張り出して外へと向かう。
「まず病院に行ってそこで聞きます。トトセ君、いいわね?」
「……? はぁい……」
トトセは分からなかった。なぜ院長先生が怒っているのか。なぜ大人たちが慌てふためいていたのか。絵がたくさん描けるようになればみんな笑ってくれると思っていたのに。気味の悪い目が一つなくなったからみんな喜んでくれると思っていたのに。
連れられた病院はハクの父が院長を務める中央都市の病院だった。学校がお休みだったことでハクともその場で出会う。
「トトセ! 見つかったのか、良かった……」
「みんな僕のこと心配してたの? 大丈夫だよ! ほら!」
「ほらってお前、右目は……」
「やっぱりみんな喜んでくれないんだね、君も」
「トトセ、お前……!」
ハクはまさか、と思う。今まで確かにトトセには危ない部分があった。頭の回転がやけに早いくせに、その回転は正常には機能せず、別の方向へと回っていく。本質的に何かが『欠けている』のだ。
トトセは感覚が鈍い。痛覚や触覚などといった物理的なものではなく、感情などの中身の方だ。いわゆる空気を読むだとか、相手の心象を察するだとか、そういったことに鈍かった。
だからトトセは、周りが自分にどれだけ振り回されて、それこそ苦労をしているのかを知覚することに頭が回らないのだ。自分が何も感じていないのだから、周りも感じていない。そんなふうに思っているのだから。
いつか何かしらやらかすと思っていた。それがまさかこんな形で、最悪にも近い形で訪れるとは。いや、これが悪化すればトトセは平気で命すらも差し出すだろう。「気味の悪い僕がいなければみんな嬉しいと思って」「お金が足りなくて」「絵がもっと描けるようになればみんな喜んでくれると思って」……そんな理由で。
「トトセ……」
「……? なんだい、ハク」
止められなかった。止める機会は、諭す機会はいくらでもあった。それほど小さな問題は山積みにあった。それをその場の注意で終わらせて、なぜそうなったのかに目を向けて注意する大人はいなかった。だからこんな事態になってしまった。
ハクは後悔とやるせなさでいっぱいになって処置室を離れた。……自分のせいだ。トトセの異質さに薄々気付いていながらも、「自分もトトセもまだ子どもだから」「あいつは特別だから」「そういう奴なんだ」そんな理由で毎回目を瞑っていた。
誰かが止めなくてはいけなかった。きっと院長先生では駄目だ。きっと毎回のことで手を焼いて精一杯になって先のことまで見れていない。
だけど、
「俺、は……」
多分それは自分でも無理だ、ともハクは思った。どうやって止める? 暴走機関車の手綱をどうやって握ればいい? いや、握って離れないようにするんじゃない、俺はトトセに自由に生きてほしい。決してがんじがらめに縛り付けられて生きてほしくはない。トトセにはハクが持ち合わせていない『自由さ』がある。それを殺すわけにはいかない、殺したくない。
処置室から出てきたトトセがハクに言う。
「ハクのお父さんに「これをした人は腕がいい」って言われちゃった! 僕って見る目あるのかな?」
ハクの息が一瞬止まる。ありえない、という表情を向けようとしてはっと見開いた目を伏せ、閉じる。
「……冗談でもそういうこと言うのやめろ」
こんな化物と、どうやって一緒に過ごせばいいんだ?
◇
目の処置も終わり孤児院へと戻ったトトセは早速院長先生から叱りを受け、懺悔室へと放り込まれた。今までにも何度かあったことだ。でも今回はきっと長くなるだろうなぁと、トトセはつまらなさそうにあくびをする。お絵かき帳もクレヨンも筆記用具も全て取り上げられたトトセは今身一つだ。仕方がないから床の染みでも数えて耐えるしかない。
染みと染みを繋げて星座のように新しい絵を考えていた時だった。こんこんこん、と、小さくノックが響いたのは。
「はーい、もう出ていいの?」
しかし呼び掛けたトトセの声に反応はない。その代わりに、ドアの下から画用紙がするりと入ってきた。
「わぁ、紙だ! ……あれ、何か書いてある。君、もしかしてシェリー?」
筆跡も名乗りもシェリーのものだった。シェリーといえば、院長含めた大人たちのお手伝いをしている子どもの女の子じゃないか。見た目はトトセと変わらないくらいの十歳で……そういえば、ここに来た五歳の時から姿形が変わってないな、と、トトセはようやくここで気が付いたのだった。
「それで? 『お話しませんか』って何?」
シェリーは喉に傷があって声が出せないが、耳は聞こえる。だからトトセは書かなくてもシェリーへ声と紙を返すだけで会話は成り立っていく。
『トトセさんも気付いたはずです。今回の騒ぎがみんなにとっては良くなかったということに』
「そうだね。みんな嫌な顔してた。僕もうこりごりだよ。みんな喜ぶと思ったのに全然分かんないよ……」
『どうして、みんな悲しんだんだと思いますか』
「分かんない。みんな他人じゃん! どうして他人なのに怒られるんだろう、関係ないのに。それに僕はみんな喜ぶと思ったんだよ。みんな僕のこと気持ち悪いって言ってたんだもん、気持ち悪い部分が一個なくなったのにどうして喜んでくれないの?」
トトセには分からないことだらけだった。気持ち悪い部分が一つ減ってお金が増えた。お金が増えたから画材も増える。画材が増えれば絵も上達していく。みんな絵を描けば喜んでくれた。だから今回もそう思って目玉を交換こしたのに。
『関係、あるんですよ。わたしも含めて、みんなトトセさんのことが大切で、失ってほしくないんです』
「気持ち悪いって言ったのに?」
『言っても、です。それにわたしは、トトセさんのことを気持ち悪いだなんて思っていません』
「……それ、本当?」
『本当ですよ。世の中にはたくさんの人がいます。親と色が違う人も、親がいない人も、わたしはたくさん見てきましたから』
それには何故か納得感があった。シェリーはトトセや、トトセたちを育てる大人たちよりずっとずっと大人で、色んなものを見てきているような。だから何があっても冷静でいられて、こんな自分に話しかけてくれているんだと。
「ねぇ、シェリー。シェリーはここに来る前何をしてたの?」
『旅を、していました』
「旅!? すごいね、一人で?」
『いいえ、知り合いがいました』
そしてシェリーは語る。旅で出会った人たちの話を。中にはトトセが読めない文字も多かったが、なるべく分かりやすく、簡潔に教えてくれた。
「ねぇ、シェリー。僕はこれから、どうしたらいいと思う?」
『行動を起こす前に、誰かに訊いてみるのはどうでしょうか』
「例えば、シェリーとかでもいいの?」
『ええ、もちろん。行動を起こす前に誰かに相談するんです。こういうことをしたいんだけど、どう? って』
「毎回きいてたら怒られない?」
『怒りませんよ。少なくとも、今回よりは。でも忘れないで。その時に、自分の考えも伝えることを』
「どうして?」
『トトセさんの考え方も大事にしたいから、ですよ』
今まで大事にされたことなんてなかったのに。トトセはシェリーの言葉を理解した途端拍子抜けしてしまった。自分は大切にされない子だから。自分の考え方も、体も、何も大切なものはなくて、どれも駄目だと言われ続けてきたのに。なのにシェリーは……。
「ねぇ、シェリー。お願いがあるんだ」
『はい、なんですか?』
トトセは懺悔室の扉に背中を預けて、いつものおちゃらけた表情からは想像もつかないような優しい声色でシェリーに乞うた。
「僕の……先生になってほしいんだ。人間ってやつのさ」




