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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第九話 〈絵描き〉の青年
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第九話 〈絵描き〉の青年③

 セリカがとある子どもを置いていった場所、それは中央都市にある孤児院の一つだった。

 夕暮れ時からずっと建物の外にいる男の子に、孤児院の人が声をかけたのは夜に差し掛かった頃。それまでは様子見をして母親が帰ってくるのを観察していたのだが、数時間もの間この時間帯に置いていくということは、ここが孤児院だと知って置いていった可能性が高い。孤児院の長はそう判断して、その幼子に声をかけたのだった。


「もしもしぼく、おかあさんは?」

「ここで待っててねって言われたから待ってる、僕いい子だから」


 ますます捨てられた可能性が高い。施設長は続けて彼の名前を問うた。


「……あなた、名前は?」

「……なま、え?」

「そう、名前。あなたの名前」


 幼子は名前を問われ、うーん? と上半身を右に傾ける。これはもしかすると。


「トッド……とセリカ?」

「……それは……おかあさんたちの名前じゃないかしら……?」


 施設長は推測する。トッドとセリカといえば、子どもがいるという噂はあるものの一度もその姿を見たことがないとのことで、少しばかり有名だったのだ。いつも喧嘩ばかりしていて、やれ浮気だの子育てだのの喧嘩が夜中に響く。騒音が警察沙汰になったことも何度もある。けれど子どもの姿はほとんど見たことがないのだとか。


 そもそも、トッドとセリカはこんな真っ白な髪や赤い目を持つ夫婦だっただろうか……?


「あなたの、名前は?」

「……? じゃあ、それで」

「えっ?」

「トッド……セリカ……トト、セ? うん、トトセ。僕の名前は、トトセ」

「そんな、そんな決め方って……」

「だって、二人の子どもだからそれで認識できる、そうでしょ?」


 唖然とする施設長をよそに、トトセという幼子は「名前もらっちゃった!」と嬉しそうにしている。施設長はその喜び様が、親の名前を繋げただけで自分の名前として名付けてしまった目の前の子どもの無邪気さが恐ろしくなって、その恐ろしさを紛れさせようと彼を抱きしめた。


「おいで。おかあさんが来るまで建物の中にいようか。お絵描きして待っていましょう」

「うん! そうする!」


 クレヨンは布できれいに拭いて、紙を用意して。印名も披露させてもらって。


「絵が動くなんて珍しい印名ね、素敵だわ」

「上手ねぇ」


 トトセはここで初めて、自分の印名を褒められたのだった。そして容姿を責められることも、怒鳴られることもなかった。


 そうして孤児院で何日か過ごしたが、セリカがトトセの元へ戻ってくることはなかった。一週間が経った頃トトセもそれを察したのか、孤児院の仲間になることを受け入れた。その受け入れはあまりにも滞りがなく、子ども特有の駄々をこねることも、疑問視をすることもなく、ただただ「うん!」とトトセは受け入れたのだった。


「ずっと、ずーっと待ってるね。セリカ」


 それは『捨てられた』という現実を理解していなかったのかもしれない。けれどトトセは一度も「家に帰りたい」と駄々をこねることもなく、孤児院での暮らしをすんなりと受け入れてしまった。孤児院で働く大人の誰もが、齢五つの子どもの成すことではないと思い、彼の薄気味悪さを味わうこととなった。


       ◇


 六つか七つになった頃、トトセは学校に通うことになった。中央都市では学校に通うことが推奨されており、年齢を満たした子どもたちは無償で基本的には学校に通うようになっている。


 入学初日、周囲はトトセについての話で持ちきりとなっていた。トトセの髪色や瞳の色は親と似ていない以前に珍しい色だし、なにより数年経っていたとしても噂というものはなかなか消えてくれてはいなかったのだ。


「あいつ、見た目が気持ち悪くて親に捨てられたんだってママが言ってたぜ。見ろよあの髪、オバケみたい」

「親とも一切似てなかったんでしょ? きもちわるーい」


 そうしてトトセの噂は一瞬で広まった。元々小さな規模の学校だし、芽を出していた噂はどんどん根を這って広がり悪化していくばかり。が、


「お前、アルビノだろ。眩しくないか」


 そう、トトセに話しかけた子どもが一人いたのだ。


 誰一人トトセに話しかけてくれなかったのに。誰もがトトセのことを気持ち悪いと遠ざけていたのに。そう話しかけたその瞳は橙色で、まるで秋の夕暮れをビー玉に閉じ込めたような澄んだ瞳。でもそんな綺麗な目も、釣り上がった目尻と眉が雰囲気を半分くらい氷のように鋭くしていた。


 アルビノ、と呼ばれて、その場の全員が首を傾げた。誰もその単語を知らないのだ。ただ、トトセは「眩しくないか」と聞かれて、


「うん、実は明るいところが苦手なんだ。どうして分かるの?」

「お前のその髪や皮膚、瞳の色は全部『アルビノ』という体質に当てはまる。父さんが言ってたんだ。アルビノの人は日光が苦手で日焼けがしやすくて、目も眩しさを人よりも感じやすいんだって。文字が読みづらいとかも言ってたっけな……」


 その少年はペラペラとアルビノについて語った。言われたことは全てトトセが感じていた、苦手だなぁと思うことに合致している。


「明日にでもサングラスを持ってきてやるよ、トトセ」

「あの、君は……」

「あぁ、俺はハク。同じクラスだし、これからよろしくな」


 自分のことを知っている人に出会えたのは生まれて初めてだった。それにしては、周囲の目がなんだか冷たい。トトセへではない、ハクへの目線だ。


「またうんちく語ってるよ」

「どうせ医者の息子だから」

「頭がいいって自慢してるみたい」


 トトセはそんな陰口を聞いて一言、


「君も嫌われてるんだね!」


 と、それはきらきらとした目でハクを見た。


「嫌われてるとか言うな……俺だって気にしてるんだよ……」

「え?」

「……なんでもない」


 それが、トトセとハクの出会いだった。


       ◇


 からんころん、とベルの音が降り注ぐ。レジにいたおじいさんはドアの先を見て「いらっしゃい、トトセ」と声をかけた。


「こんにちは、おじいさん!」

「ゆっくりしていくといい、今飲み物を出そう」


 ここは中央都市の外れにある文房具屋で、名前をレイニー文具店と言う。当時はおじいさんが一人で運営をしていて、絵描きのトトセは孤児院に入って以降何年もの間その文房具屋の常連だった。ここに通うのももう五年になる。つまりトトセが孤児院に入ってから五年にもなり、トトセは十の歳になっていた。


「今日は何が必要かね?」

「紙! あとクレヨン! 黒色がなくなっちゃって……」

「ほっほっ、今出してこよう」


 おじいさんがトトセに合う子ども用のお絵かき道具を持ってくると、トトセは少ないお小遣いを全て出して「これで足りる?」と問うた。


「ふむ……ギリギリ、といったところかの。もう一色で足りなくなっておったな」

「そうなんだ……やっぱりこれじゃ足りないんだ……」

「今回は足りたじゃろ? 何が足りんのだ?」


 トトセは唇を尖らせてうつむいた。


「あのね、僕の印名って『描いた絵が動く』なんだ。だから元の絵が変わっちゃうと動く絵も変わっちゃう。砂場で描いた絵、すぐに変わっちゃうんだ。だから本当は紙にたくさん描いて練習したくて……」

「なるほど……わしも商売上タダで渡すわけにはいかんしなぁ……そうじゃ、絵を売ってみてはどうかの。お前さん、文字はどれくらい読める?」

「うーん、全然。だって絵を描いてた方がずっとずっと楽しいもん。……おかげで学校では怒られてばっかりだけど」

「文字が読めれば知識が付く。知識が付けば絵を売ったり、あとはもっと魅力的な絵が描けるようになるかもしれないぞ」

「……どうして?」


 おじいさんは手招きしてトトセを膝に座らせた。レジ横に置いてあった図鑑を取り出してトトセの前に広げる。


「これは鳥の図鑑なんじゃがの、ここに文字が書いてあろう? これはこの鳥の生態が書かれておるんじゃ」

「せいたい?」

「どうやって生きておるか、じゃな。例えばカワセミは……」


 トトセはおじいさんの説明に耳を傾け、どんどんのめり込んでいく。


「すごい、鳥だけでもこんなに生き方が違うの? みんな空を飛んでるだけだと思ってたのに」

「空を飛べない鳥もおるぞ。じゃから文字を読むのは大事なことなんじゃ。トトセ、勉強はできるときにできるだけやっておきなさい」

「はぁい。……でもやっぱり勉強は嫌いだなぁ」


 古時計が五時の時報を鳴らす。トトセは帰る時間だ。名残惜しいが門限があるので帰らなくてはいけない。


「気を付けて帰るんじゃぞ。不審者にはついていかないようにな」

「それせんせーにも言われたよ、大丈夫だってば。じゃあねおじいさん!」


 トトセは両腕で新しい画材を抱えながら、スキップして孤児院へと帰っていった。


 その頃中央都市では奇妙な噂がたっていて、不審者がうろついているから気を付けろとよく言われていた。願いを叶えてあげる代わりに何かを差し出さなければいけない印名を持った男の人がふらりふらりとしているとかいう噂で、子どもはもちろんのこと、大人にも注意喚起が回るほどだった。そしてそれは孤児院でも散々言い聞かせられていた……はずだった。


「こんにちは、ぼく」

「ぼく……って僕のこと?」


 帰路についていたはずのトトセは、顔も名前も知らない黒い服を着た男に話しかけられた。つい先ほどされたばかりの注意喚起などとうに忘れたトトセは立ち止まる。


「そうだよ。はじめまして。それは……画材かな? ぼく、絵を描くのかい?」

「僕はトトセだよおじさん。おじさんは?」

「……おじさんはおじさんのままでいいかな。ところでトトセ君、何か困ってることはないかな? 例えば……お金が足りなくて画材が買えない、だとか」


 それを聞いてトトセは、名乗らない男性を少しばかり怪しんでいた心を完全に失ってしまった。


「どどど、どうして分かったの!? すごい! そうだよ。お小遣いだけじゃたりないんだ……」

「なるほどなるほど……そういえば、君の瞳は本当に綺麗な色をしているね。こんな真っ赤で綺麗なビー玉、見たことがないよ」

「……え?」


 それは、生まれて初めてのことだった。

 生まれて初めて、容姿を褒められた。生まれてからこれまで容姿はいつも悪い噂や悪口になって、自分が嫌われる一番の理由になっていた。気味悪がられ、遠ざけられ、どなられて。当然ながら褒められたことは一切なかった。それなのに、目の前のおじさんは。


「僕の目、ほんとうに、きれい?」

「あぁ綺麗だとも。そこでトトセ君、一つ、取引をしないかい?」

「とりひき?」

「そうだね、交換だ。お互いにほしいものを交換こしよう。私は君にお金を渡そう。そうすれば、好きな画材がめいいっぱい買えるようになる。だからトトセ君、君は——」


 おじさんは目を三日月のように細め微笑んで言った。


「——その瞳を一つ、おじさんにくれないかな?」


 瞳を一つ。それは……、


「痛く、ない?」

「痛くないさ。眠っている間にすっかり終わってしまうよ。それに目は二つもあるんだから、一つくらいなくなったって平気さ。ほら、おじさんも」

「あっ、めかくししてる! 海賊みたい!」

「でも全然大丈夫さ! 一つくらいなくなったってみんなと同じように生きていける。その上お金も手に入って画材もゲットだ。そうすれば……」

「みんなに褒めてもらえる……よね?」


 画材の入手、すなわち絵の上達。

 この頃のトトセは常に評価を欲していた。容姿も頭脳もダメダメな自分でも、絵を描けばみんなが喜ぶ。この間シェリーという少女を驚かせようとしたのには失敗したが、それでもみんながトトセを褒めてくれるのは絵だけだった。だから、


「分かった! おじさん、とりひきせーりつだね!」


 トトセは差し伸べられた手を握ると、男性に導かれるまま、中央都市の町中へ消えていった。

 その晩トトセは門限を破り、そしてその日、トトセが孤児院に帰ることはなかった。

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