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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第八話 切り絵と絵の具と写真たち
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第八話 切り絵と絵の具と写真たち②

 二日後の夕暮れ、とうとうお祭りの日がやってきた。川辺には屋台が並び、家族連れから旅人まで、多くの人で賑わっている。


「知ってるかい? 灯籠流しっていうのは死者への手向けだとか、願いを乗せて流すんだ」


 灯籠を売る屋台のおじさんがノッテに言う。買ったばかりの灯籠を眺めながら、ノッテは願いを考える。


「願い……」


 私はこれからも同じように旅ができたらそれでいい。シェリーやトトセ、ハクに迎えられて、それでいい、それがきっと……、

 いや、それじゃきっと駄目なんだ。なんのために母親に手紙を書くと決めたのか。今までと同じじゃ駄目なんだ。だから。


「家族とうまくいきますように、何事もありませんように」


 今更な願いかもしれない。叶わない願いかもしれない。叶うのを待つのではなく自分の手で叶えなければいけない願いなのかもしれない。それでも、どうかこの手紙が、祈りが届いたのなら。


 青い花が描かれた灯籠。その隅に願いを綴って、ノッテは灯籠を流した。水流に乗ってするすると流れていく、橙色の光と願いを乗せながら流れていくノッテの灯籠。川を見渡すと、見覚えのある切り絵の灯籠もあって。


「きれい……!」


 暗闇に青い花が輝く。誰かの願いを乗せ、数多くの灯籠は目の前を流れていく。まるで天の川を地に写したように。


「綺麗だね、ノッテ」

「キキョウさん。ええ、とても」


 川岸に座って眺めていたノッテの隣に立つキキョウはそう言ってノッテの隣に座った。


「この絵の具、あげるよ。もし良かったらトトセさんに届けてほしい。もしかしたら使わないかもしれないけれど、青い絵の具のちょっとしたお礼ってやつでさ」


 キキョウは自分のカバンからポーチを取り出し、その中の絵の具を何色かノッテへ手渡す。暗くてよく見えないが、黄色や橙色……といったところだろうか。


「知ってる? トトセさん、赤い絵の具を使わないんだ。なんでだろうね」

「えっ……?」


 それは初耳だった。確かに今思い返すと寒色系の絵が多かったし、暖色系にしても橙色や黄色、桃色などを使っているのは思い出せるが、赤がはっきりと使われている絵は思いつかない。ノッテが見ていないだけという可能性もあるが、五年も追っているキキョウが言うなら間違いないのかもしれない。


「苦手なのかな、赤色……うーん、血の色だからとか?」

「そういう理由で避けるんですかね……?」


 血の色。ふと彼の容姿が思い浮かぶ。髪の毛の先から爪先まで真っ白な姿に、一点だけ色を灯す真っ赤な左目。正真正銘のアルビノ。確か右目は義眼だから隠しているのだと言っていたような。

 ……もしそうなら。そうだとしたら。

 ……このことはキキョウに伝えるべきではないだろう。


「だから赤い絵の具はあえて渡さないけど……あとこの切り絵も渡しておくね。ノッテから貰った絵の具で色付けしたものだから。本当にありがとう」

「いえ、本当にたまたま手持ちにあっただけなので……彼に渡しておきますね」

「お願いしてから言うことじゃないと思うけどめっちゃ緊張してきた……うう……」

「大丈夫ですよ、トトセさんはいい人ですから」


 緊張でガチガチになってきているキキョウの背中をノッテは優しく撫でる。トトセのことだからきっと「素敵だ」と言って飾ってくれることだろう。シェリーも一緒に見るだろうし。


「あたしが切り絵を始めたきっかけ、トトセさんなんだ」

「えっ、そうなんですか?」


 てっきり切り絵制作が先だと思っていたノッテは驚きの声を上げる。


「意外? まぁ元々細かいことは好きだったしお遊びで切り絵をしたこともあったね、でも作家になるまでになったのはトトセさんのおかげなんだよ。初めてトトセさんの絵を見た時、自分も何か描きたい、描かなくちゃ! ってなったの。この気持ちを、感動を形にしたくてたまらなかった。でも私の印名ってただの〈固定〉でさ、トトセさんと真逆だし、トトセさんみたいな動く絵は描けなかった。当然だよね。絵は動かないのが当たり前だし」


 キキョウは一息ついて続ける。


「それでも気持ちは変わらなかった。誰かの心を動かさなくたっていい、この気持ちが形にできたらそれでいい。身近で感じたこと、気持ち、感動、そういうのを、トトセさんみたいに形にしたくてたまらなくなった。そうして切り絵を続けて、気付いた時には作家になってた」


 まだまだ遠く及ばないけどね、とキキョウは笑う。

 そこでノッテは気付く。キキョウの切り絵が、美しさだけでなく儚さを持った誰かに似た雰囲気だったのは、トトセの影響だったのだと。


「あ! 花火!」


 ひゅるひゅると音を立てて花火が上がっていく。キキョウは何か思いついたようにスケッチブックを取り出して、花火を描いていく。きっと次の図案だろう。


「夏だねぇ」

「そうですね」


 日も落ちた川辺は日中より涼しかったが、じっとりとした空気が人々に纏う。遠くでは風鈴が揺れ、りん、と何度も涼しい音色を響かせていた。


「ナダ地方の夏は湿度もあって蒸し蒸しするけど、風物詩の花火も、風鈴も、灯籠も、みんなが着ている浴衣(ユカタ)も、あたしは好きだなあ。どんどん描きたいものが増えてたまらなくなる」

「私も夏、好きです」


 賑わう露店通りと、緩やかに流れていく灯籠。そうだ、手紙の最初は風景にしよう。私が今までどんな旅をして、どんな人に出会って、どんなことを体験してきたのか、それを綴ろう。それが邪魔だと思う母親ではないと信じたい。きっと、きっと大丈夫。

 ノッテはふわりと舞った夏風に身を預けながら、祭りが終わるまで灯籠を眺めていた。


       ◇


 宿に戻ってロビーで待っていると、しばらくしてシノノメが宿へ戻ってきた。ノッテは立ち上がって手を上げる。


「シノノメさん」

「ん、約束の写真。こんなのはどうかな」


 そう言ってシノノメさんはカバンから何枚かの写真を見せてくれた。屋台に並ぶ人たち、青い花が描かれた橙色の灯籠流し、賑やかに色を散りばめた花火……。ノッテは手に取り、それぞれをじっくりと眺める。

 数日前にノッテとシノノメが交わした依頼——それはシノノメが撮ったこの祭りの写真を何枚か買い取らせてもらいたいという内容だ。


「これとこれがいいです。お願いできますか?」

「もちろん。ありがとう」


 ノッテが選んだのは灯籠が流れている風景の写真だった。やはり灯籠流しを見たという実感があり、ノッテが美しいと感じた風景はこれが一番だったから。

 代金を支払い、改めてその写真を見る。一枚はトトセたちへ、もう一枚は母親へ。


「よし」


 気合を入れるために、両の手を握る。

 今日の夜は長くなるだろう。何せ二人分の手紙を書くのだから。

 トトセやシェリーへの手紙はいつものように書けばいい。だから先に書くべきは母親だろう。


 父親との記憶を封印するために、母親との記憶にも蓋を閉ざしてしまった。

 優しい記憶、甘い記憶。叱られた記憶。けれどそれを上回る別の恐怖の記憶が、思い出という絵に黒のインクをぶちまけたようにこびりついて離れない。触れば触るほど汚れていくから、そのうちに触るのをやめた。見るのをやめた。常に目の前にある絵画から目を逸らした。けれどそれが目の前にあるのは同じ。何度も背中を通り抜ける悪寒は、度々ノッテを襲っていた。


 母は一度だってあの場面で助けてはくれなかった。その理由は父親への恐怖心からか、面倒だったからか、何もしないことが最善だと思ったからなのか、ノッテには分からない。

 けれど、何もかもが分からなくても、取り合える手はあるはずだ。


「拝啓、お母さん」


 ナダ地方の灯籠流しを見に行きました。とても美しかったので、そこで出会った切り絵作家さんの作品と写真家さんの写真を送ります——、


 明日は出発の日だ。しばらくは船上での野宿が続く。その間に手紙を兄に渡そう。

 ノッテは何度も下書きをして、書いては消した下書きを便箋に写し、もう一度読み返して青い花の模様が描かれた封筒へ入れる。シノノメの写真とキキョウの切り絵も封筒へ入れ、糊で封をした。


 同じ便箋のセットでもう一つ、手紙を綴る。トトセとシェリーにだ。出だしは似たような、ここで出会った人たちのことを書き連ねていく。そして最後に、写真と絵の具を入れて封をした。


「……寝なくちゃ」


 真夜中を過ぎ早朝に差し掛かる時間帯、ノッテはようやくベッドの中で目を瞑り、眠りへと落ちていった。




 次の日の夜、案の定、ノッテが念にも近い「願い」で兄のアルバはノッテの元にやって来た。彼によればこの不可解な感覚は「呼ばれている」のが何となく分かる、というものらしい。とはいえ強く念じなければ拾うこともないので、悶々と母親のことを考えていたノッテの思考までは伝わらないらしいが……。


「二通だね、任せて」

「よろしく……お願いします」

「早速緊張してるね」

「だ、だって……」


 手紙の内容はナダ地方の灯籠流しから始まり、切り絵と写真に触れた。そこまではいい。問題はそれからだ。印名のことを書いた。今はそれを仕事として旅をし続けていることも、その先でファルファラと出会えたことも。


「は、初めてだから……こうやってちゃんと伝えるの……」

「大丈夫だよ。なんたってこの僕が直接母さんに渡すんだから。何か不都合があったらその場で説明もするし、ちゃんと話をするから」

「…………うん」

「よく頑張ったね」


 そうしてアルバはノッテの頭をくしゃくしゃと撫でるのだ。


「本当によく頑張ったよ。偉いね」

「そんなに褒められるようなことは……」

「えらいえらい」


 ノッテの頭をアルバはくしゃりとまた撫でる。その度にノッテの中の罪悪感がチリチリと痛む。


 ノッテの罪悪感、それは家族の夢を切ってしまっていることだろう。シェリーと一緒に切ったあの日の朝よりもずっとずっと昔、家を出てからしばらく、家族の夢を見て(うな)された日が何日もあった。毎日ではなかったがいつ訪れるか分からないその夢たちに、いつしか現実までも疲弊していった。


 そうしてノッテは、その夢を切った。同時に、家族のことを考えないようにというもやもやした気持ちも切ってしまった。たまに怖い夢を見ることはあっても、今まで大きく落ち込むこともなく前に進むことができた。それは逆に言えば、後ろを振り返ることが一切なかったのだとも言える。


「私ね、この手紙を書くまで、向き合おうって気持ちすらも抱かないようにしてた。家族との記憶も切って、蓋をして、開けないように閉じ込めてた。酷い娘でしょう、私は。兄さんが好くような可愛い妹じゃないんだよ」


 ノッテは喉元にずっと引っかかっていたその気持ちを、言葉を吐き出した。


「それでも」

「……」

「それでも、僕にとっては妹なんだよ」


 そうして最後にまた「頑張ったね」と言ってくれる。その一言で、ノッテの中で何かが溢れた。つう、と頬を伝う涙を指先で拭う。しかしどうもそれは拭っても拭っても溢れてくるばかりで。

 ノッテは落ち着くまで、自分のテントで泣いていた。泣き止むまで兄はそばにいてくれた。

 家族のことで心の底から泣いたのは久しぶりのことだった。

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