第八話 切り絵と絵の具と写真たち①
ゆったりと揺れる船の中でノッテは母への手紙を考える。先に謝罪か、それとも「私にも印名ができました!」……いや印名発現から三年もあったのだからそれはおかしい。
うーんうーんと唸っていると、隣に座っている人もまた「うーん……」と唸っていた。彼女はいくつかの青の絵の具を手にし、あれやこれやと吟味しているようだ。
「足りない……」
「……何か、足りないんですか?」
失くし物かと思い、ノッテは問うた。失くしているなら探さなければ。最も、移動中のこの船で水中に落としたのなら諦める他ないのだが。
「いや、ちょうどいい青の絵の具がな……うわぁっ!?」
「わっ、すみません……!」
どうやら驚かせてしまったらしく、彼女はノッテの方を見て軽い叫び声を上げた。
「ごめんごめん、一人であれこれ考えてたから話しかけられたと思ってなくて……うん、これ! っていう青い絵の具が無いだけなんだ。気にしないで」
「それにしては深刻そうに見えましたけど……」
「えぇ、そんなに!? ごめんね、そこまで深刻じゃないよ、他の色で代用したり、混色したり、方法はいくらでもあるから……でもこれじゃないんだよなぁ……」
やっぱりなんとなく深刻そうに見える。理想の色がなくて困っているらしいのだが。
「絵描きさん、なんですか?」
「ううん、あたしは切り絵作家。そういえばあんたの名前は? あたしはキキョウ」
「ノッテ、といいます。〈夢切り〉が仕事です」
「夢切り……って言うと、夢を切るってことでいいのかな? 変わった印名だね」
「キキョウさんは切り絵作家さんなんですね。そういえば、青の絵の具がないっておっしゃってましたけど……この青は代わりになりますか?」
元々はトトセにお土産として渡す予定だった絵の具だが、他にもいくつか手持ちはあるし、ここで役に立つなら構わない。そう思ってノッテは彼女にいくつかの青い絵の具を差し出した。
「どれどれ……塗ってみてもいい? というかあんたも絵を描くの?」
「どうぞ。知り合いに絵描きさんがいるんです、その人へのお土産ですね」
「じゃあもしかしてこれ、その人にあげるやつ? じゃあ遠慮した方がいいよね……」
「いえ、まだいくつかあるので大丈夫です! もしここで使えて完成した絵が見れるなら私も嬉しいですし……」
あんなに真剣そうにうろたえていたら、きっと素敵な切り絵も生まれないだろう。それならここで使ってもらったほうがいい。
「どれどれ……え! うそぉ、これだよこれ! こういう色! 混色は……問題ない、グラデもバッチリ! ノッテあんたすごいよ、救世主だ……!」
「そ、そんな」
「これで納品間に合いそうだよ~助かった、本当にありがとう、感謝してもしきれない……あたしの作品でよかったらあげるけど……興味あるかな……?」
「ええ、もちろん」
そう言ってキキョウはその場で切り絵の材料を取り出し、カッターを手に取った。……ゆらゆらと揺れる船の中で。
「え、ここ、船の上……」
「まぁ見てなって」
キキョウはすっと口から息を吸うと、ピタリと刃先を固定した。すると驚くことに、刃先と紙が、船に乗っているとは思えないほど滑るように正確に切れていく。
「え……すごい……」
「印名で〈固定〉してるだけなんだけどね。もっといい使い方あるだろーってあたしも思う。でも意外と便利でさ、特に移動中の船や馬車の中じゃ物が滑り落ちたりしないし」
どうやらキキョウの印名は動いている物を思い通りに〈固定〉させる印名らしい。切り絵専門の印名ではないし、使い方によっては色々なことに使えそうだ。
そのままキキョウはすっ、すっ、と黒い紙を切っていく。そうして出来た切り絵に、今度は裏から絵の具で色を付けた和紙を貼っていく。あっという間に小さな切り絵の完成だ。
「綺麗……!」
「ネモフィラさ。栞か何かに使ってくれると嬉しいな。コーティングすればキーホルダーとかにもなるよ。そういえば、あんたの知り合いの絵描きっていうのはどんな絵を描くんだい? もし絵の具を使うのであれば私からもいくつか出せるんだけど……」
「そういえば、その人からもらった栞今使ってるんですけど……見ますか?」
ノッテが読みかけの本から栞を抜き取ると、キキョウは驚いて目を丸くしていた。抜き取ってしまったからだろうか。それなら心配しなくてもカバーを挟んだから大丈夫……なのだが。
しかしキキョウが驚いていたのはそれが理由ではなかったようだ。
「そ、それ、と、トトセさんの絵じゃ……!?」
「……そう、ですけど」
「あんた、トトセさんと知り合いなのか! うわーっ、えっ、どうしよう……!」
「……お知り合い……ですか?」
「……取り乱してごめんね? うーん、知り合いではないかな、憧れてるんだ。あの人の絵に」
キキョウはどうやら、トトセの絵のファンのようだった。
「中央都市で開催された個展がほんっとうに最高だった……飛び出す雨粒と水たまりに魚の群れ、イチョウ並木の葉っぱ……触れようとしたけど届かない儚さと美しさ……今回の作品も本当に良かった……」
「古くからご存知なんですか?」
「うーん、どうだろ。トトセさんが作品を公開し始めた時期も定かじゃないし、私は彼に会ったことないから実年齢とか知らないし。でも、ひぃふぅ……五年くらいは追ってるかも。五年前の作品集で初めて知ってそれからさ」
それはもう古くからでいいのではないだろうか? トトセはまだ若い。ノッテの兄とそう変わらないほどの年齢だろう。キキョウは知らないらしいし教えてもいいのだが。そう思ってノッテが口を開こうとすると、
「待って、確かに実年齢とか顔とかは気になるけど、知らなくていいことも……あるでしょ? だから知らないままでいたい。純粋に彼の作品を楽しみたいんだ」
そう言ってキキョウはノッテの口を塞いだ。確かにこうして美化されているのを見ると、本当のトトセを伝えるのは多少酷である気もする。いやトトセが悪いわけではないのだが。繊細で儚く優しい絵を描く画家が、実はおちゃらけていて楽観的で大雑把で放浪癖があるためみんなに迷惑をかけているなんて知ったら……少しキキョウが可哀想かもしれない。まぁそれがトトセという人物ではあるのだが〝画家〟トトセとしては違うのかもしれない。決してトトセが悪いわけではないのだが。
トトセから話題を逸らすべく、ノッテはあれこれ考えていると、ふとキキョウの言葉を思い出した。
「そういえば、先ほど納品っておっしゃってましたよね。次の町ですか?」
「そうそう。ノッテはもう聞いたかな、次の町の灯籠流しのこと。あたしの作品を流したいって言ってくれた人が何人もいるんだ。だからそれを作ってる」
そう言ってキキョウは、数々の切り絵を見せてくれた。その全てが縦長の長方形となっており、なるほど、四方を囲んで組み立てれば四角い灯籠になるというわけだ。
そこには様々な種類の青い花の切り絵が並んでいた。確か、次の町の灯籠流しは他の地域とは少し異なっていて、青い花を模した灯籠を流すという風習があったはずだ。ノッテもそれが見たくてこのキャラバンを選んだ。そうか、だからキキョウは青い絵の具を探していたのだ。
「きれい……」
「光が灯ればもっと綺麗になるさ」
「灯籠流しということは、キキョウさんの作品は……その……」
「あぁ、回収されて処分、だろうね。もちろんちゃんとした灯籠以外の作品も彼らに贈る予定だけど……別に気にしなくていいよ?」
そう。流された灯籠は川から海に出る前に回収され、その頃にはキキョウの灯籠は他の灯籠たちとごちゃ混ぜになっているだろう。ノッテはそれを想像して悲しくなった。こんなにも美しいものが、数日後にはなくなってしまうことに。
「そんなに悲しむことはないさ、あたしはこれが輝く姿が見られればそれで報われたようなもんなんだから。だから気にしなくていいんだよ」
キキョウが満足そうに笑うので、ノッテもそう思うことにした。灯が点ったキキョウの切り絵は一体どんなに美しいことだろう、それを考えるだけでワクワクしてくる。それがなくなってしまうことはやはり悲しいことではあるのだが。
川沿いに進んでいくと町が近づいてくる。ノッテはキキョウからもらった切り絵を眺め、これからの出来事に胸を弾ませた。渡した絵の具の青が日光に透けてふわりと光を纏う。母親への手紙の中にこの切り絵を入れようかなぁ、なんて考えながら。
◇
キャラバンが町に着いたのはちょうど夕暮れの時間帯で、明後日開催される灯籠流しの準備の真っ只中だった。準備や観光客で賑やかになってきた川沿いを進んでいると、頭上から「ぱしゃり」という音が降り注ぐ。聞き慣れないその音にノッテは音の聞こえた斜め上を見ると、桜貝色の髪をした青年が奇妙な小さい箱を手に取って覗いていた。それは万華鏡を覗くようにも見えて、その小さな箱から世界を見ているようにも見えた。
こちらの視線に気づいたのか、青年が箱から頭を離し、こちらを見る。花緑青色の透き通った瞳だった。そこでノッテは思い出す。以前シェリーたちから聞いた話を。星祭りの際にとある〈写真家〉と出会い、一枚の写真を渡してくれたこと。それがレジ横に飾ってある写真であること。トトセからは彼の写真集を見せてもらった。星空や夕焼け、人々の賑わいや静かな湖畔など、実に様々な写真が載せられていた。撮影者である青年の顔写真も載っており、桜貝の髪に澄んだ花緑青の瞳をしていた。名前は——確か、シノノメ。
〈写真家〉——それは風景を特殊な機械に通して彼がボタンを押すと『写真』が撮れる、のだとか。一枚一枚描いていく『絵』ではなく、その瞬間の現実を一枚の紙に閉じ込めてしまう印名。
「……こんにちは」
「こんにちは」
目が合ったことで会話せざるを得なくなったノッテとシノノメは軽い会釈と共に挨拶を交わす。
「それは……写真、ですか?」
ノッテの問いかけに、シノノメは「うん」と頷いた。
「君も知っているんだね。最近は知ってる人が多くて嬉しいな」
「知り合いがあなたに出会ったという話を聞きました。そこで写真のことを知ったんです」
「なるほど、人づてで……それなら、これは初めてかな」
シノノメはぱしゃり、と写真機のシャッターを切った。数瞬後、写真機が吐き出したのは真っ黒に染まった艶のある紙。やや困惑した表情を浮かべてノッテはそれを受け取った。それが『風景を切り取る』という写真には見えなかったからだ。
「これが……写真……?」
「もう少し待って。浮かび上がるには時間がかかるんだ」
未だ真っ黒なのは変わらない、が、この景色を既に知っているノッテにはその待ち時間が愛おしくも思えた。祭りの準備で賑やかな町並みは、和気あいあいとした感情が伝わってくる。それを、あのレジ横に飾られた〈写真〉のように映るのだとしたら、きっとどんなに素敵なものになるだろう。
そこでノッテはふと思いつく。「じゃあ、また」と他の場所へと移ろうとするシノノメを、ノッテは「あの!」と引き止め、
「お願いしたいことがあって……」
「うん、なに?」
「写真を、依頼したいんですけど……」




