第七話 〈夢切り〉の少女⑤
「それで、キャラバン見てきたんだろ、どうだったんだ」
「経験が浅い理由で断られました……」
ノッテはコーヒーに口をつける。飲んでみたいと言って出してもらったのだ。
目の前のハクは、ノッテが今朝印名が発現したことを伝えると、素直に「おめでとう」と言ってくれた。そうして頭を撫でられた。
辛くないのだろうか。無印になると思っていた人が印名を持ち、それを仕事としてやっていこうとしている。嫉妬も恨みもあってもおかしくは無い。
「余計なことは考えるな。印名が持てて良かったじゃないか。どうせ俺の事を気にしているんだろう。気にしているなら一つ、頼みがある。お前はこれから旅をするんだろう。だったら、無印に対して悪く思う人達にも会うはずだ。そうしてそれに苦しんでいる子どもたちもいるはずだ。そんな子どもたちや無印に、中央都市のこの研究所を紹介して欲しい。そして、中央都市なら差別はしないとも伝えて欲しい」
ハクはコーヒーを一口飲んでから言った。心を読まれているのかと思いノッテは焦ったが、顔に出ていたのだろう。
ノッテも、彼によって救われた一人だ。無印に対しての偏見や差別、悪いイメージが払拭されたのも事実。なら、彼の言葉に倣って、同じように誰かを救えたら。
「分かりました。旅に出てみて、困ってる人や子どもがいたら伝えてみます」
「おう」
旅に出られたら。今回は経験不足で断られたなら、経験を積まなくてはならない。あと半年で十六になる。十六になれば、印名を持つ人として大人に近い扱いを受ける。いわゆる成人だ。
「半年……」
「中央都市で経験を積めばいい。トトセのとこならいくらでも住まわせてくれるだろう。シェリーもいる。十六になるまでここにいればいい。無論、嫌々旅に出る必要も無い。ゆっくり考えるんだな」
ハクはふぅと息を吐き出して、ぐっと伸びをした。立ち上がり、ノッテのマグカップを受け取る。苦すぎて飲めなかった中身がちゃぷりと揺れた。
「そろそろ休憩も終わりだし俺は仕事に戻る。お前はトトセの家に帰るんだろう。時間はたっぷりあるんだ、ゆっくり悩めばいい。悩みの種が減って視野が広がっただろ。頼れる大人もいる」
だから、安心して住んでいい。とハクは最後に告げる。
孤独だった一つの芽。種から顔を出しても、誰も見向きしなかった一つの芽。花も咲くか分からない小さな芽。雑草だと踏まれ、要らないと捨てられそうになった芽。その芽は、少しずつ、大きくなっていく。
見つけてくれた人がいる。見ていてくれる人がいる。受け入れてくれる人がいる。
「私、狭い世界で生きてきたんですね」
「中央都市は広いぞ。来てよかったな」
「はい、本当に、良かったです」
ノッテは目を細め、頬を赤らめる。
研究所を出て、その壁面が橙に染まっているのを見て、ハクの瞳を思い出す。彼も綺麗な橙色の目をしていた。そして、無愛想でも時折見せる優しい表情があった。
空は橙と紫を織り交ぜ、頭上には紺の夜が少しずつ滲んでいた。
ノッテがトトセとシェリーの家に戻ると、シェリーが夕飯の支度をしている所だった。二階からいい匂いがする。店番をしていたトトセが「いらっしゃいま……」と言いかけ、帰ってきたノッテを見て「おかえり」と返してくれる。
「ただいま、です」
「キャラバンを探しに行ったんだろう、収穫はあったかい?」
そう問われたのでノッテは、経験不足で断られたこと、半年から一年ほど経験を積んでからまた探そうと思うこと、その間この家に居させてもらいたいことを話した。トトセはそれを了承し、ご飯が出来たと伝えに来たシェリーも、喜んで受け入れてくれた。
そして、看板が出来た。『夢切り承ります』と書かれた看板は、レイニー文具店の扉の横の窓に掛けられるようになった。
大々的に宣伝をしている訳では無いので客数は少なかったが、一年ほど、その仕事を続けた。続けた中で、夢の切り方や夢の見方、切るコツや切れないものの判断が出来るようになってきた。経験を積んだことで上達したということだろう。
それからノッテは十六歳と半分になるまでトトセたちの家に下宿していた。
そうして過ごしていたある日、ノッテはキャラバンを探した。あったらいいな、そんな感覚で。そうして、自分の印名のこと、分け前のこと、何が出来るのかなどを話した末に、一つのキャラバンに同行できるようになったのだった。
二人はおめでとうと、ノッテの旅路を祝福した。
「少し寂しくなるね」
「あの、また戻ってきてもいいですか?」
「勿論! 家だと思ってくつろいでくれて構わないのだから。それに、二階のあの部屋は既に君の部屋だよ。そのままにしておくから、いつでも戻っておいで。ずっと帰ってこないのも寂しいからさ」
『ノッテさんの無理のない範囲でここに帰ってきたらいいと思います。勿論、旅を優先したいのであれば構わないのですが……』
「そうする……そうします。帰ってきてもいいなら、帰る場所があるなら、私は、帰りたいです。旅のお土産とかも買ってきます、帰ってきたら家事も店番も手伝います」
ノッテは願う。それは前の何かを失ったら何も無くなるような崖っぷちではなく、確信した願いだ。きっとこの人たちなら、温かく出迎えてくれる。一年間がその答えだ。そうして、彼と彼女はうんと笑顔で頷いてくれた。
あぁ、人は帰れるところがあるだけで、こんなにも強くなれるんだって、思えたんだ。
◇
私は夢使いの村で生まれ育った、羽耳の人間だ。
何もかも中途半端な私は、印名すらろくに神様に与えられずに一生生きていく——そう本気で思っていた。それなのに、神様はとんでもないことをしてくれるものだ。神様がいるとかいないとか、そんなことは分からないけれど。
この印名がもし夢使いの一族に知られたらどうなるかなんて決まっている。私も、ファルや他の子どもたちのように利用され、こき使われ、道具のような毎日がやってくる。そんなの、死んだってごめんだ。今こうして自由に旅をしていることが、何よりも楽しいのだから。
だから私はこの印名を兄さん以外には誰にも言わないことにした。勿論、旅をして夢を切っていく上で広がっていく可能性もある。実際ファルにはバレてしまっていた。それでも、兄さんには黙っておいてもらうようにお願いしてあるし、イアンさんも黙っていてくれていると思う。〈夢切り〉のノッテは、ただの少女として、夢を切る私で居続ける。
兄さんに話したのは、唯一話をしてもいいと、兄さんなら喜んでくれると思ったからだ。私を父親から守ってくれた、そして縁を切ってくれた、唯一のきょうだい。誰よりも信頼出来る人。
「やぁノッテ、久しぶりだね。元気にしてたかな?」
「……兄さん」
こうして彼はたまに、空の上からなんの前触れもなくやってくる。空を飛ぶことが出来ない私の元へ。
私と同じ紺色の髪。瞳は曙色。母親譲りの、真っ直ぐで腰ほどまで長い髪はひとまとめに結われ、風に吹かれて柔らかく揺れている。
赤を基調とした制服を身にまとい、帽子とカバンには郵便のマーク。仕事の途中にたまたま近くを通ったのだろう……と思いたい。この人は仕事中でも用がなくても私の居場所をピンポイントで当て、ふらりと会いに来るのだから。
「私宛の手紙……とか」
「用がなくても会ってもいいんじゃないかと僕は思うね。だって兄妹じゃないか。たとえその血が半分だとしても、ね」
兄さんはそう言って、私の頭をくしゃくしゃと撫で回し、両手をぱっと広げたかと思うと次は私の体をぎゅっと抱きしめる。毎度毎度思う。スキンシップが激し過ぎるのだ、この人は。
「いい歳してるんだからそろそろ外でやるのは……私は十八だし兄さんは二十三でしょう? いい大人が……」
「大人になっても妹は可愛いものだよ」
「それとこれは今は別の話だよ」
だけど、今日だけは。
「ごめんごめん! でもほら、お互いに世界中を回ってるからなかなか会えないしさぁ……って、えっ?」
離れようとした兄さんの背中に、私は手を回して引き寄せる。
「……久しぶり、兄さん。元気にしてたよ」
今日だけは、もう少しぎゅっとしてもいいかなって思ったんだ。




