第七話 〈夢切り〉の少女④
ハクは白衣の襟を正し、髪を結び直した。所々髪の毛が跳ねているのは癖だろうか。
「じゃあ、ノッテ。復習も兼ねて話を進めよう」
「復習……」
そうしてハクは、人差し指を天へ向けて指し、こう言い放つ。
「まず、〈無印〉になることは悪いことじゃない」
「……はい」
「今まで研究してきて分かっているのは、印名持ちも無印もどちらも体に異常はないこと。だから、どちらも人間であり、同じ生き物だ。言われるまで印名持ちか無印か分からないこともよくある。早期発見をすることは出来ないが、受け入れる覚悟はした方がいい」
「……ハクさんは、〈無印〉なんですよね……」
「あぁそうだ。そうだとも。だけど、トトセや他の人間と何か違ったものはあるか? この世界は種族も多種多様であり、獣耳や尻尾の生えた者や耳が長い者、そしてお前のように羽耳の者もいる。それと同じで、〈無印〉もその一つじゃないかと俺は思う。正確には突然変異だろうか」
ハクはノッテとは違って羽耳ではないし、俗に言う獣族、翼を持つ者ではない。街中に溶け込んだら分からなくなるような、普通の人間に見える。
「他の地域では差別も、偏見も、悪質な嫌がらせも、排除もあるかもしれない。だけどノッテ、中央都市ではほとんど無いと言っていい。こうして専門的に研究する機関もある訳だしな。
もし旅をしたいなら止めない。だが、中央都市を離れれば、印名を持たないお前はまず、乗せてくれるキャラバンを探すのに苦労するだろう。事務仕事や荷物持ち、調理補佐などからなら雇ってくれるかもしれないが……」
「難しい、でしょうね」
ノッテは俯いて、ココアに口をつけた。まろやかな甘さが口の中に広がっていく。
「お前は十五と言ったな。だから、十六の誕生日までこの街にいて、本当に無印になった時、無印として仕事を探せばいい。印名が無くても、働くことは出来る。この街なら」
——印名が欲しい。ずっとずっとそう思って生きてきた。
持っていることが当たり前の世界で、でもいつからか置いていかれて、そして持たぬまま残り一年を切った。残りの半年にかける希望は少ない。これまでの十五年間がそうであったのなら、その先何十年も、きっと持たぬまま生きていくのだろう。
「ここの研究所は〈無印〉に対してのサポートもしている。就職やアルバイトなど、働き口の相談もだな。だから存分に頼るといい」
「ありがとう、ございます」
「飲み物のおかわりいるか?」
「……お願いします」
気づくとノッテのマグカップは空っぽだった。ハクが手を伸ばし、ノッテのマグカップを受け取る。
「子どもに見えたが、そうでも無いみたいだな」
「母が羽耳族なので背が小さくて、本当は腰にも翼が生えていて、空が、飛べるはずで…………」
そこまで言葉を零した途端、目頭がきゅっと熱くなって、ぽろぽろと温かい液体が目から溢れてくる。鼻をすすり、カバンからハンカチを取り出して涙を拭う。けれどそれは、どう我慢しても止まらなかった。
「母親が、ということはハーフか……羽耳族の印名は〈飛翔〉と聞いたことがある。郵便局もほとんどの者が羽を持った者達だから……つまりお前は…………」
生まれつき翼が小さいために〈無印〉の母親。受け継ぐはずだった羽耳族の印名は生まれた時にはなく、父親からの印名の血が薄まった、一人の少女。十五の小娘。〈無印〉と確定するまで、あと半年。
大丈夫だ、なんて言えない。彼女はきっと、どこにも居場所がなく、そして、この世界で一番大きな都市と呼ばれる中央都市に来てくれたのだ。それは、彼女の幸運だと言えるだろう。
「無印になったとしても、暗い道ばかりじゃないんだ。散々嫌なことを言われてきたかもしれないが、〈無印〉だって一人の人間なんだ。それを、俺が、証明する……証明してみせる」
ハクの強い言葉に、ノッテは息を呑んだ。
——無印は悪い人。前世で何か悪い事をしたから罰が当たったのよ。無印は何も持たない。人間じゃない。印名を持つことこそが、当たり前。
ずっと言われてきた言葉。ノッテも悪者になるのだと、逆らえないのだと薄々思っていた。抗いたくて、抗えなくて、私のせいじゃないのに。私だって望んでこんな人生を歩みたい訳じゃないのに。
ハクはノッテが泣き終わるまで、待っていてくれた。撫でることも、抱きしめることもせず、ただ黙って、待っていてくれた。
ノッテが帰る頃、トトセは研究所には来ていなかった。そもそも帰る時間が分からない時点で、約束をしても無駄な話だったようだ。ハクはいつものことだから気にするな、とノッテを文房具屋まで送ってくれた。信用するならトトセよりもシェリーの方が良いとも忠告してくれた。幼馴染のはずだが全く信用されていないのだろうか。
「ありがとうございました、泣いてしまってすみません」
「いいんだ。無印が悪いことじゃないと、そう思ってくれるだけで、それだけで俺がやったことは意味を持つのだから」
ハクは踵を返し、研究所へと戻る。研究所には寮があり、そこで彼は暮らしているらしい。ノッテも研究したいと言えば雇ってくれるだろうか。いや、自分には研究が出来るような頭脳はないな、そう思って苦笑いをする。それは決して嫌な笑い方ではなく…………。
心から、久しぶりに笑えた気がした。
◇
それは急に訪れた。
ハクとの会話のおかげだろうか焦りもほとんどなくなって、〈無印〉であることを受け入れかけていた次の日。ノッテの印名が発現した。
シェリー達の家に来て二日目の朝のことだった。
「えっとつまり、店長がトトセさんで、シェリーちゃんは住み込みで下働きをしているってこと?」
朝食を摂りながら、ノッテはシェリーに、トトセとの関係について聞いてみると意外な言葉が返ってきたのだった。
シェリーはノッテの言葉に、こくりと頷いた。てっきり血の繋がりを持たない家族か何かかと思っていた。シェリーは家族としてではなく働く人としてここにいる、という訳らしいのだ。とはいえ、家族とあまり違いはないらしい。トトセが店長をし、シェリーが家事全般をこなす。シェリーの方が仕事量が多いのは気のせいだろうか。
「おはよう」
「おはようございます、トトセさん」
「聞いてよ〜ちょっと怖い夢を見ちゃってさ」
「夢……ですか」
起きて早々愚痴をこぼすトトセ。夢にはあまりいい思い出がないノッテ。しかし、ノッテは起きてきたトトセを見て、ふと気がつく。
昨晩の夢が体に絡んでいるのが〈視えた〉のだ。その糸が切れるものだと〈分かった〉。そしてそれが〈印名〉であるということも。
「トトセさん、糸が巻きついています……」
「えっ?」
トトセは慌てて体中をぺたぺたと触るが、それらしきものは見つからないらしい。シェリーも首を傾げている。
「えっと、その、糸のようなものが、ふわりと……」
洗面台に三人で向かうが、どうやらノッテ以外には見えていないらしい。
「多分、夢……だと思うんです。トトセさんが夢の話をした時にはっきりと見えたので」
「ほんと!? じゃあ、今朝見た夢の話をしてみるよ」
トトセはそう言って、今朝見た夢の話を始めた。自分がスランプに陥り、沢山の画材や絵に追われる夢……だそうだ。聞いた限りでは怖くなさそうだが、トトセはスランプに陥ることや自分が描いた絵に襲われるのが怖いのかもしれない。トトセの印名は〈絵描き〉。描いた絵が動く印名だ。襲われるのも有り得る。
そしてその話をしている間、ノッテの視界には彼の体の周囲に糸が見えるのだ。ノッテは本能で感じた。これは〈切れるもの〉だと。ノッテにしか出来ない、夢にまつわる印名。
「トトセさん、その夢、切ってもいいですか」
「……夢を、切る?」
「私の目には夢の糸が見えています。トトセさんが見た夢です。分からないですが、なんだか、むずむずするんです。この糸は切れるもので、私にしか出来ないような」
「それは……」
トトセはぱちぱちと瞬きをし、数瞬後、彼は何か考えが浮かんだように笑みを含みながら一階へ降りていった。
戻ってきたトトセが持ってきたのは様々な形の切る道具だった。普段使いするハサミから、やや古びたアンティーク物、カッターナイフ、持ち運ぶために折りたたまれたものなど、様々な「切るための道具」がそこにはあった。
「好きなのを選んでいいよ。そして、それで僕の夢を切って欲しい。君の初仕事だ。お代はハサミ代ということで」
「……分かり、ました」
ノッテは一つ一つ手に取り、右手に馴染ませていく。シンプルなものから可愛らしいものまで、実に様々な切る道具がそこにあった。その中から、花の模様が付いているアンティークなハサミを取り出す。他のハサミとは違う、何かに惹かれる感覚。
「これにします」
「じゃあ、僕はここに座るから、切ってみて」
トトセは椅子に座り、ノッテを見た。身長差が埋まり、丁度よく糸にハサミの刃が届く。そして――。
しゃきん。
鉄の音が、部屋に響いた。
「どう、ですか……?」
トトセはしばらく考えた後、感想を述べる。
「軽くなった、が正しいかな。悪い夢はいずれ薄まるものだけど、それが早まった感覚。気分がいい」
「体の異常は無いですか?」
「ないない。五体満足、ちょっと空腹、あと夢のせいで睡眠不足はあるけど、元気だよ」
思たよりも、あっけなかった。あっけなかったけれど…………。
「おめでとう、ノッテ。それはれっきとした印名だ。名前はどうしようか。……〈夢切り〉なんてどうだろう」
「〈夢切り〉…………」
夢にまつわる印名。父親の一族の印名。
ノッテは無印にならなかった。印名を持った。それでも心の底から喜べなのは。安堵と、喜びと、やるせなさが混ざっているのは。罪悪感があるのは。
『良かった、無印にならなくて』。そう心の隅で思ってしまったから。
夢にまつわる印名は、父親と同じ『夢使い』の血が流れていることの決定的証拠だから。
そう思った時に、背筋がぞっとする感覚に襲われた。切っても切れない縁は、この手の中にあるのだ。血筋は、受け継がれていく印名は、切れないのだから。
「ノッテ、顔色が悪いよ。しばらく休んだら?」
「そう……します……」
夢を切った反動と突然の印名の発現に、頭も体も追いついていないのだ。
ノッテは部屋に戻り、ベッドに横になった。
「〈夢切り〉だなんて、父さんの一族には言えないな、言いたくないな……」
〈無印〉同然で離れた故郷。印名が発現したとしても戻るつもりは毛頭なかった。そして、手紙を出すこともない。母親に伝えて……いや、話さなくていい。誰にも話さずに、このまま抱えて生きていこう。話したところで、夢使いの村に利用されるのは分かっている。公開する情報は少ない方がいい。
待ち焦がれた印名なのに、どうしてこんなに心がもやもやするんだろうか。
ノッテは布団を被り、手に持ったハサミを見つめた。印名は仕事になるのだから、キャラバンにも乗せてもらえる。〈夢切り〉で稼いだお金をキャラバンに渡せば、どこへだって行けるだろう。
昼を過ぎた頃に、ノッテはシェリー達の前に姿を見せた。
「もういいのかい?」
「大丈夫、です。少し、キャラバンを探してみようと思って……」
「旅をすることは変わらないんだね。応援するよ」
キッチンの奥からシェリーが顔を出す。手に持っているのは小さいサンドイッチだ。
『お昼ご飯に、どうぞ』
「ありがとう。じゃあ、少し、出かけてきます」
ノッテはサンドイッチを頬張りながら、ポケットにハサミを忍ばせて、外へと出た。
「ハクさんに伝えた方がいいのかな」
ふと、彼の顔を思い浮かべる。道順的に、とりあえず先にキャラバンに声をかけてから、帰りに研究所に寄ることにした。彼はどんな顔をするのだろうか。嬉しく思ってくれるだろうか、それとも落胆して、残念に、悲しく思うのだろうか。
ノッテはキャラバンの一覧がある案内所へ足を運び、扉をくぐった。




