表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第七話 〈夢切り〉の少女
14/44

第七話 〈夢切り〉の少女②

 ずぶ濡れになって帰れば更に迷惑をかけてしまうから、ノッテは雨が止むのを待っていた。けれど一向に雨が止む気配はなく、雨はしとしととノッテの心までも濡らしていく。これは長引くなあ。そう思った頃、買い物帰りだろうか、一人の少女が話しかけてきた。正確にはスケッチブックを見せてきた、のだが。


『家にある傘を貸すので、一度わたしの家に寄りませんか?』

「あ……ありがとう……」


 誰かを待っているわけでもなく他に用事もなかったノッテは、彼女の優しさに甘えることにした。彼女が少し強引に袖を引っ張るのも理由の一つではあったのだが。あぁきっとこんな素敵なお嬢さんの家には素敵なご両親がいるんだろうな……そう思って、心を継ぎ接ぎの鋼で守りながら。


 そうしてノッテは、シェリーの住む家にお邪魔することになったのだった。

 簡単な自己紹介を済ませた後、中央都市の外れの方、住宅地が広がる道へとシェリーは進む。ノッテはそれを追い、たどり着いたのはとある文房具屋だった。


「レイニー文具店……?」


 シェリーはドアの鍵穴に鍵を差し込み、ガチャリと開けた。CLOSEと書かれた看板がかかっているが、鍵を持っているということはここが目的地なのだろう。


「シェリーちゃんの家は文房具屋さんだったんだ」


 ノッテの呟きに、シェリーは微かに笑みを浮かべて入っていく。ノッテもその後を追う。

 中へ入ると、棚に様々な文房具が並んでいた。鉛筆、消しゴム、万年筆、ガラスペン、ボトルインク、紙類、絵の具……見るだけで、小さな心がわくわくしてしまう。部屋が暗いのはもう店が閉店しているからだろう。シェリーは部屋の明かりを付け、照明が暗かった文房具達を照らした。

 ノッテが文房具に見とれていると、奥の方から二人ほど人が現れた。どちらもノッテより背は高く、片方は真っ白の髪と肌で赤い瞳だけが色を灯したような男性、もう片方は瞳も髪も夕焼け色の男性だった。


「やぁシェリー、おかえり。おやお客さんかな、悪いけど今日はもう閉店してるよ」

「邪魔してる俺もいるけどな」


 店長であろう白髪の方の彼はそう言ってノッテの方へ近づいてくる。その気迫に、ノッテはじりじりと後退りをした。何も怖くない、優しそうな男性だ。顔はやや女性寄りだが声は男性。少し笑顔は嘘くさい。大人の男性はノッテにとって怖いものの一つだった。歳は兄に近いように見えるとしても。


『わたしが傘を貸そうと思って声をかけました。だからお客さんではありますが、文房具ではないです』


 シェリーがメモ帳から棚に置かれていたスケッチブックに持ち替えて、ノッテがここに来た経緯を書き記す。


「あ、そうなんだ、ビニール傘なら何本もあるからね。使うといいよ」

「本当にいいんですか……? あ、ありがとうございます……」


 辿り着いたのは文房具屋で。

 誰かの両親なんてどこにもいなくて。

 そこには、店番をしていたトトセと、休日を文房具屋で過ごしていたハクと、買い物帰りのシェリーの三人がいる家だった。


『ホットココア、お出ししますね』

「あ、いえ、そんなに気を遣わなくても……すぐ……帰ります……から……」


 我ながら声が段々と小さくなっていくのが恥ずかしい。帰りたくないと言っているのと同義じゃないか。


「遠慮する場所を間違えるな。シェリーのココアは美味しいし、しばらくゆっくりしていけばいい」

「今日雨予報バッチリ出てたけど、天気予報見てなかった感じかな? 僕もそういう日あるよ~、ずぶ濡れになって帰ってシェリーに怒られるんだ」

「……あの、みなさんはどういうご関係で……?」 


 不躾ながらにも聞いてみる。この三人、あまりにも似ていないのだ。茶髪に翡翠の目を持つシェリーに、真っ白な髪と赤い目を持つトトセ、夕焼け色の瞳と髪を持つハク。髪色や目の色も違えば顔の形や骨格なども全く似ていない。彼らはどういう関係で、ここにいるんだろうか。客として訪れているハクはともかく、トトセとシェリーは一緒に住んでいるようだし……ただの友人関係には見えなかったのだ。


「それより名前を聞きたいかな。僕はこの店の店長の、〈絵描き〉のトトセ。君は?」


 彼の問いに、ノッテは戸惑い、そして口の中を噛んだ。慣れている。今までだって何度も言ってきた。名前と同時に話さなければいけないものを、私たちは知っている。


「……ノッテ、です」

「ノッテ、ノッテね。名乗らないということは……」

「……まだ、印名は持っていません」


 喉から絞り出すように口から零したその言葉は、トトセの鼓膜を震わせた。きっとまた嫌な顔をされる。そう思うと、ノッテはきゅっと胃が縮んだような、押さえつけていないと何かが爆発してしまうような、どうしようもない感覚に陥ってしまった。


 そんなノッテに、トトセはそっと手を伸ばす。反射的にぎゅっと目を瞑って体を強ばらせるが、ぽんぽん、という感覚がノッテの頭に響く。

 ノッテがゆっくり目を開けると、優しい笑みを浮かべたトトセが、ノッテの頭を撫でていた。


「……かなり印名に固執してるみたいだけど、全然気にしてないから大丈夫だよ? 印名を持っていようが無かろうが、僕にとってはお客さんで、他の人間と何にも変わらない。ゆっくりくつろぐといい。そうだなぁ、家、みたいに?」


 トトセはちょっと首を傾げてそう言った。

 家みたいに。そうやってくつろげたらどんなに……。


「で、さっきの関係性の話だけどね。僕とシェリーは孤児院出身なんだ。数年前に出てきて今は二人で文房具屋やってる」

「それは……すみません……」

「どうして謝るんだい? 気を遣わなくていいのに」


 やっぱり家族と暮らさなくちゃいけないことに負い目を感じている自分がこの場に来てはいけなかった。場違いだった。何もかもが嫌になって涙が出てくる。またみんなを困らせてしまう。


「……なにか、あった?」


 ノッテの継ぎ接ぎだらけの心を剥がすには、その言葉だけで十分だった。


 幼い頃から父親の機嫌が読めなくて怖かったこと。兄に負い目を感じていたこと。母親からは愛されていないんじゃないかと思っていること。母親の機嫌を読むのが怖いこと。印名が未だになくて焦りを感じていること。明日からまた四人で暮らすことになっているということ。それが不安でたまらないこと。ぼろぼろ、ぼろぼろ、大粒の涙と共に口から溢れてくるのが止められなかった。


 三人は一通り聞いてから「そっか……」とこぼし、トトセは次いで、


「まぁ、家族みんながうまくいくわけないよ。僕らだってみんな家族とうまくいかなかったわけで。でもそれで、我慢する必要なんてないんじゃないかなぁ」


 と、言う。今までよく耐えたな、とハクの言葉が心にじんわりと熱を灯す。また涙が止まらなくなる。と、その時、


「そうだ! 旅に出てみるのはどうだい? 女の子一人に旅を勧めるのはちょっと不安かもだけど、キャラバンって言ってね、護衛もいるんだ。そういう世界を渡る人たちがたくさんいる。そして僕らの家を帰る家にすればいい! すごいアイデア! よくないシェリー?」


 あまりにも唐突で突拍子もない発想にその場全員が一瞬固まってしまう。ハクはおいおい、とトトセを止めようとする、が、ただ一人ノッテだけが涙が引っ込むほどに目を丸くして、「いいん、ですか?」と問うた。問うてしまった。


「もちろんさ! 今すぐというのは難しいかもしれないけれど、ぜひ候補の一つとして、ね。親御さんが許してくれるかどうか分からないしさ」


 でももし、あの家からも郵便局からも、どこにも縛られない生活ができたのなら……それは、自分が求めていることじゃないのだろうか?


 過保護な兄と、腫れ物に触れるように扱う母親と、傷をえぐる父親。自分のせいで閉じ込められてしまった友人。劣等感ばかりの子どもたち。

 誰が悪かったとか、誰のせいだとか、そういうのじゃなくて。ただノッテは、距離を起きたくてたまらなくなった。自分のことを一人でしなくてはならなくなる不安はあるけれど、自分に過干渉なのも嫌だったから。家族じゃない他人なら、ほんの少しの時間を共にする人たちならば、深入りされることもなく、数日取り繕えばいい。だめなら他を当たればいい。

 誰の大事な人にもならなくていい。誰も私のことを深く知らなくていい。それはきっと寂しいことだけれど、それもきっと一つの選択なんじゃないだろうか。


「ココア、ごちそうさまでした」

「また遊びにおいでね、待ってる!」

「俺が送っていくよ」


 そう言ったのはハクだった。確か……印名研究所で働いているという。

 ハクはその日、〈無印〉についていくつかのことを教えてくれた。自分自身が〈無印〉であること。印名研究所では〈無印〉のサポートも行っていること。今さっき乗ってたゴンドラは実は〈無印〉の人たちの手によるものだということ。そして……〈無印〉でも生きていけるということ。


「大丈夫……なんて気安くは言えないが、それでも、家に縛られなくてもいいんだ、ってことは、知っててほしい……かな」


 たどたどしく発せられた言葉は、まだ信じられないけれど。それでも、少しは信じてみようと思ったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ