第六話 飛べない蝶③
宿の主と交渉して二人で一つの部屋にしてもらったので、夜は長くなりそうだ。同郷であり、偶然出会ったのだと話をしたら、快く了承してくれたのだった。
ノッテがふわ、と欠伸をすると、ファルファラは「もう眠いの?」と茶化す。
「夕方まで沢山眠れて良かったですね」
「ふふ、それもあなたのおかげよ。本当にありがとう、これでぐっすり眠れるわ……本当に」
ファルファラはそう口にして、黙ったままのノッテを見る。何か言いたそうな顔をしながら、それを舌の上で転がしているような感覚。そうしてノッテはようやく口を開いたのだった。
「ずっと、ずっと会いたかった。ごめんって、言いたかった。でも、記憶に蓋をして忘れてしまって、会いに行けなかった、怖かったの、本当にごめんね」
「いいの。気にしていないのよ。私達はあまりにも長く間を空けすぎてしまった。だから、思い出してくれただけで本当に嬉しいの。私も、本当はずっと会いたかった。私の印名が発現して、閉じ込められて、ずっと会えなくて、辛くて、寂しくて、眠りたくなくて朦朧とした意識で窓の外を眺めても、来るのは大人たちだけ。あなたは外に出なくなった」
「止められていたの。もう会っちゃダメって、言われたの。大人たちは私たち子どもを、ファルファラの元へ近づけさせなかった。けれど、そう、目を盗んで会いに行けば良かったんだ。独りはすごく辛いって、分かってたのに」
堰を切ったように、昔の話がお互いの口からぽろぽろと零れていく。それは止まることはなく、十年の隙間を埋めていくように。けれど、その隙間はあまりにも大き過ぎた。
「ずっと、ずっと、謝りたかった、別れも言えずに村を出ていって、ごめん、ごめんね、会いに行かなくてごめんね、もっと遊びたかったし、もっと、一緒に、居たかったのに」
「…………そう、ね。今はもう、仕方が無いって諦められるけれど、会いに来てくれないのが辛かった。ある日、窓の外を眺めていたら、あなたは荷物を抱えてお母さんとお兄さんと出ていったのが見えた」
「見てたの?」
「たまたま見えたのよ。それだけ。……本当はね、あなたも印名を持っているって知って嬉しかったなんて嘘なの。本当は苦しかった。同じ目に遭って欲しくなくて、本当はこっち側になんて来て欲しくなかった。〈無印〉でいて欲しかった……。こんなこと思って、ごめんね、印名は、大切なものなのに。そして、それを断ち切ることを、あなたに押し付けてしまった」
「いいの。私は、ファルの苦しみが切れて、それを取り除くことが出来たのが私でとっても嬉しい。私もね、印名を持った時は複雑だった。父親と血が繋がってるんだって思い知らされたから。でも今なら言えるよ、〈夢切り〉で良かったって。ファル、あなたのおかげなんだよ」
ファルファラは柘榴の瞳をぱちぱちと何度も瞬かせた。ファルファラは一度だって、〈予知夢〉であって良かったなんて思ったことがなかった。それどころか、切ってもらったことでようやく開放されたのだと、夢使いから外されたのだと、喜びに漬かっている。そんな自分が嫌いになってしまいそうだ。
「ノッテは、いいの? 夢切りで。夢使いの一族で、いいの?」
「……ファル。私はもう、二度とあの村に戻らない。母さんにも、印名のことは伝えてない。だからもう夢使いじゃない。それはファルも同じでしょう? だから大丈夫だよ」
「もし、もしも、あなたが〈夢切り〉だってバレてしまったら」
「その時はその時、かな。一応成人してるから大丈夫だとは思うけれど……。そうしたら、私は父さんの夢を全部切って廃人にする」
そう言ってしゃきしゃきとハサミを取り出すノッテの顔は少し自信に満ちていて、微かな殺意をも感じられた。幼かった頃の、純粋無垢なあの頃とは違う、強くなったあの子が、目の前にいた。
そしてノッテは、「あ、そうだ」と呟いて、ファルファラの赤毛へ手を伸ばした。指先が絡まり、くるくると渦を巻く。
「ファル、髪を切ったらどうかな。伸ばしっぱなしだったんでしょう。きちんと休みも取れなかっただろうから、凄く、ぼさぼさだよ」
「ふふ、そうね。手入れする暇なんて無かった。ずっと眠りたくないと思いながら起きていて、でも仕事の為に眠って、キャラバンに予知夢の事を伝えて、お金を貰って。元々くせっ毛だから、ピンで留めるのが精一杯なの。ねぇノッテ、あなたが髪を切ってよ。ハサミの扱いなら得意でしょう?」
「えぇ……!? 夢は切るけど髪の毛は切ったことないんだけどな……そんな私でもいいの?」
「いいのいいの。そうね、バッサリ、顎くらいがいいな。あと前髪も作りたい」
「責任重大……」
髪を切ろうだなんて言った事をノッテは少し後悔した。キャラバンに美容師はいない。ここで切るとしたら、ファルファラ自身が切るか、ノッテが切るかの二択だ。
「では、よろしくお願いするわ」
「……本当にいいの? 左右非対称になるかも」
「それはそれでお洒落と思えばいいんじゃない?」
ファルファラは鏡をカバンから取り出して、自分の顔を眺めた。隈はまだ残っているし、顔色もあまり良くない。何より髪がぼさぼさで、みすぼらしい。けれどこれが精一杯の私だった。けれど、これからは。これからの私は——。
ノッテはハサミをファルファラの髪へと差し込み、持ち手に力を入れた。しゃきん、という音がして、ばさりと毛の束が落ちる。しゃきん、しゃきん、しゃきん。
一通り切り終えて、ノッテは裁縫で使うハサミを取り出した。こちらの方が小回りが利くため、切りそろえるのに使おうと思ったのだ。
「そういえば、その金色の蝶の髪飾り、凄く綺麗だなぁって思ったんだけど、どこで買ったの?」
切りながら、ノッテが問う。
ファルファラは少し考えた後、ぽつりと小さく呟いた。
「誕生日プレゼントなの。母さんからの、十六歳のお祝いに。旅に出る時にもらったの」
「……そっか」
「ごめんねって言いながらくれたの。ずっと閉じ込めてごめんねって。今更、遅いのにね」
籠に閉じ込められた、赤い蝶。飼い殺された、一匹の蝶。
翅を毟られた蝶は、もう飛ぶことは出来ない。
——否。彼女は自分の足で、地面を歩き始める。迷いながらも、一歩一歩踏み締めながら。
◇
翌朝、キャラバンの長に叩き起される二人。
元々朝の弱いノッテに、今まで眠ることを拒んでいたファルファラの二人は、ぴしゃりと怒られたことで一瞬で眠気が吹っ飛んでしまった。
キャラバンの長は説教は程々にすると、ファルファラの髪を見てくしゃりと頭を撫でた。
「ファルファラちゃん、髪切ったのねぇ、とっても似合っているわ」
「ありがとうございます」
前髪を作り顎までバッサリ切り落とした、真っ赤に熟れた林檎はそう言って微笑んだ。横髪に金の蝶の髪飾りを身に付けたのは変わらず、しかし髪は丁寧に整えられるようになった。しっかり寝たおかげか、髪だけでなく肌も艶が出て、綺麗だ。
数日村に滞在した後に、次の村へと向かう。
船の個室に二人で乗り、ノッテは水筒に口をつけた。
「ファルファラはどこへ行くの? 中央都市?」
「そうね、決めてないわ。印名も無くなってしまったことだし、中央都市へ戻った方がいいのだろうけれど」
「中央都市なら、〈無印〉の知り合いがいるよ、紹介しようか? 〈無印〉のための施設で働いてて……」
「本当? それは嬉しいわ。でもどうしてそんなに詳しいの? お兄さんからの情報?」
ノッテは兄のことを思い出しながら、ううん、と首を振った。これは、たった一人だった私を助けて貰った私の話なのだから。
「そういえば……私、あなたに手紙を出したのよね。一緒に旅をしませんか、って。直接お兄さんに渡したわよ。不躾だったかもしれないけれど、もし良ければ……なんて思って。まぁ、私の印名を切ってもらう為だった訳だけれど」
「……手紙? 届いてないけれど……兄さん手紙紛失してるのかな」
「郵便配達員でしょう? 配達員失格じゃない! ねぇノッテ、村に戻る気は無いのでしょう? なら、私と旅をしない? 何でも手伝うわ、キャラバンのことも、料理も、荷物運びも……」
「それは嬉しいけれど…………」
ノッテの旅はキャラバンを乗り継ぎながら、一人分のお金でやりくりしている。ファルファラを雇う隙間は残念ながらどこにも無い。彼女が仕事を持って働けるのであればいいのだが、印名を失ったばかりで、更に今まで全てを印名に頼ってきた彼女にとって、仕事探しは簡単ではないだろう。
「分かったわ。中央都市で待ってる」
「うん、分かった……って、え?」
「あなた、中央都市に家があるのでしょう? 私はアパートでも何でも借りるから、あなたの知り合いを紹介してもらって、仕事を探すことにするわ。それで、あなたがたまに戻ってくるのを待ってる」
「どこまで知って……?」
「お兄さんがそう言ってたのよ」
ファルファラは本当に、世渡り上手であり、いい子だ。もし〈予知夢〉だなんて印名でなかったのなら、別の印名であったのなら、彼女はもっと平凡で、温かくて優しい生活を送っていたのかもしれない。
けれど、それはこれからの話かもしれない。これから彼女は緩やかな生活に落ち着いて、穏やかに暮らすのだ。今まで人一倍、二倍も苦労したのだから、幸せになるべきなのだ。
「……待って兄さんと話したの?」
ノッテの肩がぴっと上がり、手が震える。慌てるノッテを見て、ファルファラはくすくすと楽しそうに笑った。
「あなたのお兄さん、変わっているけれどいい人ね。あなた思いで、優しいひと」
「……そうかなぁ」
「あなたのことを思って、私には話してくれなかったのよ。羽耳族なのだから、あなたの居場所くらい知っていてもおかしくないでしょうに」
羽耳族は確かに、勘が鋭い所がある。知りたい相手の居場所が分かることで、荷物を届けることが出来るのだとか。〈風の声を聞く〉なんて噂もある。ノッテには無い力だから、兄本人——アルバに聞く他無いのだが。しかし彼も感覚で動いているのだろう。生まれ持ったものというものは、持っていない者には説明し難いものがある。
「そういえば覚えてる? 一緒にシロツメクサの花を摘んで花冠を作ったこと。隠れんぼも、鬼ごっこも、おままごとも。私は楽しかった。あなたと居られて幸せだった」
「覚えてるよ。すっごく朧気だけど。これから幸せになろう。ファルファラはうんと苦しんだんだから、その分幸せになるの、ならなくちゃ」
「それはノッテもよ。あなたも幸せになりなさいね」
「……え?」
「苦しかったでしょう、辛かったでしょう、けれど私は、何も知らないの。こんなに大切に感じているのに、何も知らないのよ、私。でも、教えてなんて言わないわ。人の過去を詮索するのは私の趣味じゃない。私が知りたかったのは、あなたが『今』『どこで』『何をしているか』だったのだから、それはもう達成されたもの」
ファルファラは優しく微笑む。ファルファラは八歳の時に印名を持ってから十六になるまで、一度も外に出られなかった。その間に、ノッテに何があったのか。何故ノッテが村を出ていったのか、なぜ旅をしているのかをファルファラは知らない。
「私のこととファルのことを書いた手紙を中央都市の知り合いに出すね。ファルはこのまま中央都市に行って『印名研究所』っていう所に行って。私の知り合いはそこで働いている『ハク』っていう、橙髪の人。目つきはちょっと悪いけど、いい人だから大丈夫。私が印名を切ったことはハクさんには一応伝えるけれど、あの人は他の人には言わないと思う」
「随分信頼しているのね、その人のこと」
「そう……かな。うん、そうかも」
「ノッテが信頼しているのなら、私も信じてみるわ、ハクさんのこと」
それから、ファルファラはキャラバンの長にキャラバンを抜けることを交渉し(体調が不安定になったという理由で中央都市で安静にすると伝えたらしい)、ファルファラは中央都市へ向かうキャラバンへと乗り移ることになった。
「またね、ノッテ。中央都市で待ってるわ。感謝してもしきれないことをして貰ったのだから、お礼はちゃんと準備するわ」
「お礼だなんてそんな……お金は受け取ったし、十分だよ。でも、そうだなぁ……帰ったら、一緒にパンケーキ食べよう。それから、私が住まわせてもらっている家も紹介する」
「いい人達に、巡り会えたのね」
ノッテはその言葉に目を細め、自然と口角が上がった。それはファルファラが今回ノッテに出会ってから一番温かくて柔らかい、陽だまりのような笑顔。
「そんな幸せな顔されたら羨ましくて堪らないわ」
「いてててて……」
ふにゃふにゃのノッテの頬をファルファラは摘んで伸ばす。
「じゃあね、ノッテ。元気でね」
「ファルファラも、元気で」
お互いに違う船に乗り込み、遠ざかる互いに笑顔で手を振る。ノッテは次の村へ、ファルファラは中央都市へ。交差し、別れていく二人の旅路。けれどそれは決して悲しいことではなくて。
会いに来てくれてありがとう。忘れないでいてくれてありがとう。私を、頼ってくれてありがとう。
会いに行けなくてごめんね。忘れてしまってごめんね。助けに行けなくて、ごめんね。
私は逃げてしまった。窮屈だった夢使いの村を、愛してくれた母の元を。
後悔はしていない。ノッテがあのまま夢使いの村にいれば、完全に潰されていただろう。母の元にいれば、平穏に過ごしていたかもしれないが、今印名を持っていることを考えるなら、母を余計に苦しめただろう。
ノッテにとっての過去は、「あったこと」であって「同情して欲しいこと」ではない。言葉はいらない。だからファルファラにも伝えなかった。過去を語ることは同情を誘うようなものだ。それはノッテにとって、実際どうでもいいことであった。
蓋をしながらもどこか頭の片隅にある、幼い頃からの記憶。十八年生きてきた記憶。
ファルファラと再会したことで、その蓋は完全に開かれた。開かれてしまった。良かった事も、悪かった事も、その全てがぼろぼろとこぼれ落ちていく。
誰にも話していない、私のこと。




