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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第六話 飛べない蝶
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第六話 飛べない蝶②

 その日ノッテは不思議な夢を見た。

 ずっと何かに呼ばれている。名前ではない、けれど自分のことを呼んでいる。「こっちへ、」と、何度も。


 戦場であったり廃村であったり焼かれた街だったり、場面はくるくると切り替わる。それのどれもが、今の自然のどかな風景とはかけ離れているものばかりで。


 最後に「助けて」という声をノッテの意識にこだまさせて、その夢はぱちんと弾けた。


 ノッテが目を覚ますとちょうどお昼時であった。明らかな寝坊である。


「あ、わ、わ……」


 たまにやらかしてしまう己の朝の弱さをノッテは反省する。とにかくキャラバンの人たちになんて弁解しよう。シャルロッテの時のように現実の夢を切ったことによる疲労が原因だとは思うが、そのまま伝えてしまえばファルファラの印名を切ったことがバレてしまうかもしれない。当のファルファラはまだ眠ったままだ。何度揺り起こしても起きないのである。


「とりあえずキャラバンの人に伝えなくちゃ……」


 ノッテは急いで身支度を済ませるために立ち上がり、ファルファラに毛布をかけ直す。とりあえず着替えて髪を整えて……そう無意識に頭に触れた時だった。


 ごつ、とした硬い手触りのものが頭についている。耳の延長線上、こめかみの上後ろあたりの側頭部。普段なら編み込みをしている部分だ。慌てて鏡の前に立つ。そこには……。


「——え?」


 コロンとした羊の角を二本生やした青い髪の少女が、唖然とした顔でそこに立っていた。


 しかしここで呆然としている暇はない、キャラバンの人たちは待ってくれやしない。ノッテはいつもの編み込みの髪型を少し変えてキャラバンの人が集まる広場へと向かった。そうして今もまだファルファラが寝ていることを伝えると、


「えぇ、〈予知夢〉を視ているのね。仕事中なら怒れないわ」


 キャラバンの長がそんなことを言うのでノッテは誤魔化すのに必死になってしまった。今はまだ彼女が〈無印〉になったことは言わない方がいいだろう。そして、ノッテ自身が彼女の印名を切り取ってしまったことも口外しない方がいい。印名を捨てて無印になるなんて聞いたことがない。糾弾されるのは想像に容易い。


 ファルファラの様子も知りたいというキャラバンの長を連れて、ノッテは宿へと戻った。ノッテのベッドの上で眠る彼女は、すぅ、すぅ、と規則的に呼吸を繰り返して眠っている。苦しい様子はなさそうだ。顔色も大分良くなった気がする。隈が消えるのは時間がかかるだろうが、彼女の顔立ちを見るに、きっと綺麗な人になる。それがたとえ〈無印〉になったとしても。


「それじゃあノッテちゃんは〈夢切り〉の仕事の方を。ファルファラちゃんは起きてからにしましょうか」

「すみません、ありがとうございます」

「いい予知夢だといいわね。あんなにいい表情をして眠るなんて、悪い予知夢じゃない気がするもの」

「……そう、ですね」


 ファルファラはどうやら、悪い予知夢しか視られないことは伝えていなかったらしい。

 彼女はどんな夢を見ているのだろう。何も見ずに深く深く眠っている、なんてこともあるけれど。


「さて、私は私の仕事をしなくちゃ、ね」


 ノッテは思い出す。ファルファラの夢を、印名を。流れ込んでくる、悲痛な叫びも。

 私だったら耐えられなかった。毎夜、いや、毎時間悪夢に(うな)されて、起きる度に大人たちに報告をして、そして悪夢の結末を防ぐために精一杯足掻いて。

 強制的に眠らされることもあったかもしれない。ファルファラの家がどんな家だったかは分からないが、悪夢続きでは満足に眠ることもできなかっただろう。そうしたとしても〈視て〉しまうものは〈視て〉しまっていただろうに。


 それでも、ファルファラは生きていた。生きて、ノッテを探して、見つけてくれた。それがファルファラのエゴだったとしても、ノッテにとって、頼ってくれたことは何よりも嬉しかった。嫌いにならないでいてくれて、嬉しかった。ノッテはそれだけの事をしてしまったのだから。子どもだったとはいえ、挨拶もできずに立ち去ってしまったのはずっと心残りだったのだ。


「起きたらまた、話がしたいな」


 これまでのことも、これからのことも。

 ファルファラはきっと、この先旅をすることは出来ない。ノッテがまだ印名を持っていなかった時に旅に出られなかったように。中央都市に戻って仕事を探すのもありだろうが、その前に体調を直すのが先だ。彼女は立っているのですらしんどそうで、眠らないように必死に目を擦っていた。眠れば悪夢が襲ってくるから。悪いことを、視てしまうから。


 ハクに手紙を書こう。印名が無くなったという前例は無いだろうから研究対象にされるかもしれないが、印名研究所は人体実験をするような危険なところではない。(むし)ろ、無印をフォローしサポートしてくれる温かい場所だ。きっと助けになってくれる。

 ノッテは村人の相談に乗り夢を切りながら、ファルファラの事を考えていた。


       ◇


 夕方になって、ノッテはぐっと伸びをした。日が傾き、橙が広がっているのを眺めるために宿の部屋から出ようと振り返ると、ノッテの背中側でそっと近づこうとしていた彼女と目が合った。


「おはよう、ファル。調子はどう?」

「なぁんだ、驚かそうと思ったのに。バレてしまったわ」

「その様子だと良さそうだね。良かった……」

「あら、おはようファルファラちゃん。夢の中身を聞いてもいいかしら?」


 ちょうど廊下を通りかかったキャラバンの長がファルファラに挨拶する。けれど、その期待にはもう、彼女は応えられない。


「どうやらぐっすり寝すぎて夢が見られなかったみたいです……また見られたらお伝えしますね」


 さらりと嘘を()き、にこやかに応対する。ノッテはその演技に息を呑んだ。ノッテはすぐに顔に出てしまうから、自分には出来ないことだ。確かに昔から、ファルファラは嘘を上手に吐くのが得意だった気がする。


「そう、それは残念ね……。まぁ、そういうこともあるでしょう、私も夢を見ない日もあるわけだし」


 キャラバンの長がおおらかな人で助かった。こうして少しずつ、視られなくなって、印名が無くなってしまったことにしてしまえば、きっと丸く収まるだろう。そうであってほしい。


 そう、これは、ノッテとファルファラだけの秘密なのだ。誰にも気付かれない、気付かれてはいけない、二人だけの秘密。ハクにだけは手紙で正直に話すとしよう。口が堅い彼のことだ、黙っていてくれるだろうから。


「ノッテ、これから夕食の準備かしら? 私も手伝うわ。今すっごく気分がいいの。こんなにすっきりしたことなんて、記憶にないくらいだわ」


 当たり前だ。彼女は八歳からぐっすりと眠れなかったのだから。しっかりと眠っていた時期よりも、眠れなかった時間の方が圧倒的に長いのだから。


「病み上がりに近いから、あまり無理しないでね」

「料理もしたことないわ、まずは何をすればいいのかしら…………」


 ノッテの忠告も程々に、ファルファラはキャラバンの輪の中に入っていってしまった。今朝出会った時よりも遥かに元気そうで、ふらつくこともなくて、まるで昔の花畑で走り回ったような、真っ赤な毛のあの子。


 忘れていない。まだ覚えている。あの村の思い出がどれだけ辛いことでも、出ていったとしても、覚えている。それが何よりも嬉しかった。記憶というものは曖昧で、嫌なことは蓋をしてしまうから。ファルファラの記憶も、蓋をしてしまっていたから。その蓋を開けた時、中に入っている保証は無かったから。


 あなたに出会えてよかった。ありがとうファルファラ、私を見つけてくれて。


 夕食ができると、ノッテとファルファラはノッテの部屋で、机を挟む形で椅子を向かい合わせにして座った。


「調子は……もう大丈夫なんだっけ」

「ええ、とっても」


 印名を切るという最初の約束を果たした今、十年ぶりに会話をする幼馴染には沈黙が流れていた。


「……あのさ、」


 その沈黙を破ったのはノッテで。


「ファル、ファルはさ、怖くなかったの? 印名を失うこと、……自分の名前を失うこと」

「……怖かった。それがなくなったら、私、なんて名乗ればいいか分からないし、失った私はもう私じゃないんじゃないかって。仕事もなくなるし。でもそれ以上にね、誰かの暗い未来を、何度も何度も見る方が、ずっとずっと怖かった」


 印名は、神様がくれた贈り物。自分を示す、家名より強い名前。それを失うという決断を下すのはそう簡単じゃなかったはずだ。それが、ファルファラのように健康を害するものであったとしても。


「でも、印名を失ってもね、案外そんなに困ることはなかったわ。みんなが言うほど、無くて困るものじゃなかった。この先仕事がなくて困るかもしれないけれど……でもほら、料理はできたわ!」


 そう言ってファルファラは空になった皿を満面の笑みで自信満々に見せびらかした。確かに一つ一つの作業は難しいものではあったけれど、火の扱い以外では誰一人印名を使う人はいなかった。印名がなくても料理はできるのだ。ハクに聞けばもっと沢山の〈無印〉の職について教えてくれることだろう。


 そんなことを考えていると、ファルファラはずっと抱いていた疑問をノッテへ投げかけた。


「ねぇ、今日ずっと聞きたかったのだけれど、それは新しい髪飾り……なのかしら」

「えっ、あ、これは……その……」


 今朝——正確には昼だが——に生えていた角である。


「今日目が覚めたらは、生えてて……」

「生えた」

「生えました……」

「……触ってもいい?」

「いいよ」


 恐る恐る、ファルファラはノッテの角に触れる。それは紛れもなくそこにあって、ノッテの頭からしっかりと生えていた。


「そういえば、こんな話を知ってる? ユメヒツジっていう羊の話」

「……ユメヒツジ?」

「そう。私たちの、夢使いの村で語られている話でね、妖精みたいな存在なんだって。見た目は普通の羊とあまり変わらないんだけど、背中に翅が生えてて空が飛べる……っていう」

「まるで空想上の生き物みたいだね」

「そうよね、私もそう思うわ。でもたまに、姿を現してくれる時があるらしいの。もしかしたらいずれノッテには見えるようになるかもしれないわね、なーんて……」


 ユメヒツジ。背中に翅を生やした羊の妖精。そんな生き物が本当に存在するのかは定かではないが、羊の角が生えてきてしまった以上、無視できる話でもないだろう。


 ごくまれに、ノッテのように別の生き物の部分を持って生まれる人がいる。ノッテの羽耳や、羽耳族の腰の翼もそのうちの一つだ。動物の耳や尻尾、手足、昆虫の触角や翅、魚の鱗やヒレなど、そのバリエーションは多岐にわたる。ノッテ自身も、旅先で何人かのそういった獣人に出会ったことがある。しかし途中から生えてくる例など存在するのだろうか……これも、ハクの手紙に軽く添えておこう。

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