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花紺青の結び目  作者: 待灯羊南
第六話 飛べない蝶
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第六話 飛べない蝶①

 ……その姿に、見覚えがあった。

 夜を閉じ込めたような柔らかな紺の髪、美しい装飾品のような羽の耳。他の人よりも一回りも二回りも小さい背丈。いつからか窓からしか眺められなかったあの夜のような瞳は、段々と色を失ったあの頃よりも温かい。


「私、ずっとあなたを探していたの。手紙も出したし、情報も集めた。けれど、返事は来ないし、あなたはすぐに移動してしまうから……あぁ、ようやく会えた…………」


 何もかもが月日を経て変わってしまった。八年だ。彼女と会えなくなって八年も経っていた。けれどここで諦める訳にはいかない。何の為にここまで来たのか。全てが水の泡になってしまう。


「ねぇ、ノッテ。お願いがあるの」


 ファルファラはすっと近づいて、ノッテを見下ろさないように腰を曲げて顔を覗いた。彼女と顔が並び、視線が交わる。改めてきちんと顔を見て、幼い頃の記憶が蘇った。私がまだ印名を持っていなかった、自由だったあの頃を。二人で花畑を走り回ったあの幼い頃を。

 忘れていなくて、覚えていてくれて、声をかけてくれて本当に嬉しかった。だって、私たちにとっての夢使いの村(故郷)は、ファルファラ()は、あまりいいものではなかったでしょう?

 あなたが忘れてしまったとしても、私はずっと覚えてるつもりだった。けれどあなたも覚えていてくれた。そんなあなただから、お願いがあるの。あなたにしか出来ないこと。私のことを知っている、()()()を切ってくれる、あなたにしか出来ないこと。


「——私の夢を、切ってほしいの」

「ファル、ファラ」

「…………なぁに?」

「ファルファラ……なんだよね」

「さっきからそう言ってるじゃない」


 ファルファラは少しむっとして頬を膨らませる。別に怒っている訳では無い。嬉しいのだ。それを、真っ直ぐ表に出せないだけで。

 顔を見て分かる。ノッテの表情が変わっているから。さっきよりも柔らかくなっている。


「八年……? ううん、違う、私達は、八歳の時に、だから十年——、」

「——いいの。あなたが村を出たのは十歳。だから八年でいいのよ」


 ファルファラの人差し指が、ノッテの唇の手前で止まる。そして、黙り込んだノッテの柔らかそうな頬をその指でつつく。


「さぁ、一緒に宿に入りましょう。部屋は隣で構わないわよね? 話したいことが沢山あるの」

「もちろん、私もだよ、ファル」


 八年——否、きちんと話すのは十年振り。

 あの赤い髪を見るまでは鍵のかかっていた記憶。閉めたままだった思い出。それでも、ノッテが思い出すことが出来たのは恐らく……。


「ファル、あのね、えっと、まず、私、謝らなくちゃいけなくて」

「……その気持ちだけで十分よ。それに、ノッテは悪くないわ」


 謝罪。それが貰えるだけで気にかけてくれていたことが分かって、ファルファラはきゅっと胸が苦しくなる。八歳の友人関係なんて、脆く崩れるものだから。それでも彼女は、心に留めていてくれたのだ。自分のことを。八歳で印名を持ち、無理矢理引き裂かれた私たちのことを。


「さぁ、湿気た話なんて後回しにしましょう。どうせすることになるのだから、先に楽しい話をしたいじゃない? まずは私が何故ここに居るのか、とか」

「……そう、そうだよ、だってファルはずっと村どころか家すら出られなくて……あ、あと体調は大丈夫なの……?」

「簡単な話よ。十六になって成人して、大人だって認められて、『この印名で他の人の役に立ちたい』とか適当に理由つけて出して貰ったの。あの人たちは自分の利益や、他人を自分たちの印名で助けてあげることが大好きだから。体調はまぁ、そこそこかしら」


 皮肉を含ませて、ファルファラは笑う。

 あんな窮屈な村、一刻も早く出ていきたかった。ノッテも出ていくことが出来て良かったとファルファラは思う。それがたとえ、自分を置いて行ったのだとしても。


「私の印名の事はもう知っているんだよね。夢を切って欲しいんでしょう? 私のことって、もう村には……」

「伝える訳ないでしょう。伝えてしまったらどうなるかなんて身に染みて分かっているもの。そんなに強い印名を持っているって知られたら、きっと道具にされてしまうわ。私は、ノッテに同じ目に遭って欲しくない。もしかして、私を見て何かを恐れているのはそれが理由かしら?」

「……うん、そうだよ。私は兄さん以外に印名のことを伝えていないから」


 父親はともかく母親にすら伝えていないのか。ファルファラは驚いて目を見開いた。優しそうな母親だったことをファルファラは覚えている。確かに、誰かに話せばその話は広がっていく。それが身内だとしても。

 ファルファラがノッテの夢切りを知ったのは偶然だった。


「旅をしている途中に、たまたま〈夢切り〉のノッテの話を聞いたの。毎晩(うな)されていた悪夢を切って貰えたんだ、って」

「どの悪夢だろう……色んな人の夢を切ってきたから……」

「確か、藤色の目をした人だったかしら。でも〈夢〉にまつわる印名を持った『ノッテ』だなんて知り合いに一人しかいないから、あなただって分かった。印名を持つことが出来たんだって分かって嬉しかったわ。それと同時に、あなたを探すことに決めたの」


 ねぇ、ノッテ。

 あなたは、どんな旅をしてきたの?

 どんな道を、村を、街を、歩いてきたの?

 私が家を出られなくなってから、あなたが村を出て行ってから、会えなくなってから、あなたはどんな人生を送ってきたの?


「私はね、あなたに依頼をするわ。今度は正式に」


 ファルファラはカバンから、手のひらで覆うような大きさの袋を取り出して、ノッテの前に置いた。がしゃん、という金属のようなやや大きな音が聞こえる。ノッテははっとする。硬貨の音。それもこんなに多くの。


「私の夢を切って欲しいの。正式には、」


 ファルファラは続けて言う。


「私の〈印名〉を、切って欲しいの」


       ◇


 ファルファラの印名、それは〈予知夢〉だ。彼女は眠りにつくと必ず身近な人の未来を視る。そしてその予知夢は何もしなければ必ず当たる。まだ見えぬ悪い未来に逆らうなら、ファルファラの〈予知夢〉に頼ることがその村では手っ取り早かった。


 それがいい予知夢だったのなら、まだ救われた話だったかもしれない。しかし、彼女が視るのはいつも決まって『悪い』予知夢だった。更にたちの悪いことに、その予知夢はファルファラ本人が当事者となって経験する。つまりファルファラが身近な人の予知夢を視る時、それが例えば死だった場合、ファルファラは夢の中で同じように死ぬ。怪我も、病気も、事故も、その全てをファルファラは経験する。毎晩、悪夢を視て、目を覚ましても再び眠りにつけば悪夢を視る。それの繰り返し。その苦痛は誰にも計り知ることはできない。ファルファラにしか理解出来ないだろう。


 食事や入浴を済ませて夜のひとときを過ごす時間になった頃、ファルファラはノッテの部屋へ訪れた。ベッドの上に横並びになって二人で座る。


「色々な人の予知夢を視てきたわ。手を怪我する人、仕事を無くして絶望する人、不治の病になる人……火事に遭って死ぬ夢も、刃物が偶然刺さる夢も視た。別に同情して欲しい訳じゃない、けれど、この印名に終止符を打って欲しいの。それをあなたに頼みたい。あなたにしか頼めない」


 ファルファラは、出来ることならなるべく早く切って欲しかった。今もなお襲ってくる睡魔と戦いながらノッテと話をしているのだから。今ここで切ってしまえば、キャラバンに〈予知夢〉が使えるとして乗せてもらえているという契約がなくなってしまうので降ろされる可能性はあるが、それでも。

 ファルファラはノッテの紺色の瞳を見ていた。ゆらゆらと迷いを宿した瞳。仕方がない、これは夢を切るのではない。〈印名〉を切る、消し去ってしまうのだから。


 この世界で一番大切にされているもの。それは印名だ。印名が仕事を、将来を、人生を決め、その人を作り上げ、名前として名乗るようになる、神様からの贈り物。どんな印名であれ家族との絆であり、自分にしか使えない力であり、そして自分自身の一部でもあるのだから。それを切って欲しいとファルファラは言っているのだ。


 無理なお願いなのは分かっている。重大な役目を押し付けてしまっているのだという自覚もある。自分達が逆であった場合も有り得るのだから。ファルファラが〈夢切り〉で、ノッテが〈予知夢〉。そんな世界もあったかもしれない。ファルファラはどうするだろう。迷うのだろうか、断るのだろうか。


 ——私だったら。私が、切る側だったのなら。私なら、ノッテの苦しみを切り取ってあげたい。私が出来ることなら、私にしか出来ないことなら、切ってしまいたい。けれどノッテは、ノッテはどうするのだろう。あぁ、これでは押し付けているようなものじゃないか。全部全部、私のエゴだ。私が勝手に印名に苦しんで、その苦しみを他人に摘み取って貰おうとしている。そんなことが、許されていいのだろうか。


「……無理なら無理と言って。あなたに全てを背負わせてしまう。印名を切るなんて、どこかの偉い人に見つかったらどうなるか……怒られるだけじゃ済まないかもしれないわ、禁忌に当たるかもしれない」


 ファルファラは後悔し始めていた。自分のために、人を使おうとして、お金で解決しようとして。自分のことしか考えていないそんな自分に嫌気が差して。

 俯いてノッテから目を逸らしたファルファラの手を、彼女は両手で優しく包み込んだ。温かな感覚が、じんわりとファルファラの手に広がっていく。顔を上げると、頬笑みを浮かべたノッテがそこにいた。


「ファルファラ。私、あなたの夢を、印名を、切ります」

「えっ……ほ、本当に……?」


 そこには決意を固めた真っ直ぐな表情に満ちた彼女がいた。


「もう二度と、悪夢は視させない。私が全部切るから」

「二度、と…………」

「私は夢を切るためにここにいるの。私は〈夢切り〉。〈夢切り〉のノッテだから」


 彼女はそう言って、ファルファラの頬に触れる。悪夢から遠のくために眠るのを拒んだ体。その頬には隈が出来、血色も悪い。これ以上続けていたら、ファルファラの体も、そして心も持たないだろう。むしろ印名発現から今までの十年間を生きてこられたのが奇跡のようにすら感じる。


「ファル、今まですっごく頑張ってきたよ、だからもう終わりにしよう。私が終わりにする。これからは、ゆっくり眠ろう。沢山寝た後の幸福感はなかなかいいものだよ」

「ノッテは昔から朝に弱かったものね。朝早くにドアを叩いても、まだ寝てますってあなたのお母さんに言われたことを思い出したわ。私が早すぎたこともあるだろうけれど。今はちゃんと起きれてる?」

「あはは、まだ無理……かな……ずっと弱いままだよ」


 ノッテは恥ずかしそうに、頬を紅潮させながら笑った。そうして、その手をポケットへと運び、相棒であるハサミを取り出す。


「準備はいい? 私はいつでも大丈夫。あとは、ファルが決めて」

「私の決意はとっくのとうに決まっているわ。……怖いから、目を瞑ってもいい?」


「うん、いいよ」


 ファルファラはそっと目を瞑った。真っ暗な視界の中で今まで視た悪夢を思い出す。夢使いの村の不幸な出来事も、村を出てからのキャラバンの出来事も、些細なことから大きなことまで、沢山視てきた。多すぎて全ては思い出せない。けれど、その中には——。


 しゃきん、という金属音が聞こえる。その音が聞こえた直後、ファルファラは体勢を崩し、ノッテに寄りかかった。


「私ね、あなたの夢を、一度だけ…………」

「ファル?」


 すうすうと寝息を立てるファルファラの、意識を失う前の最後の言葉。

 ファルファラは、ノッテの悪夢を一度だけ見たという。それが何だったのかは問えぬまま、ただ一人の少女が膝の上で眠っている。


 その悪夢が何だったのかも気になるが、今はそっと彼女を十分に眠らせてあげたい。


「母さんが昔歌ってくれた子守唄、まだ歌えるかな……」


 ノッテはそっと、ファルファラの熟れた林檎のような髪を撫でた。ぼさぼさな髪が、ノッテの指に絡んでいく。


「ら、らら、ら…………」


 眠れや眠れ、人の子よ。優しい優しい、愛のうた。温かなメロディーをノッテは口ずさむ。

 どうか、ゆっくりと眠れますように。

 一番を口ずさむのを終えると、ノッテにもぐらりと眠気が襲ってくる。ファルファラの印名は病気のシャルロッテを切った時以上に太い糸だった。それに耐えられたのは彼女が眠るのを見届けたかった、ただその一心だけで。


「おやすみ、ファル」


 その一声をかけると、ノッテも吸い込まれるように眠りへと落ちていった。

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