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流浪少女と非行青年のオークワードライフ ~Awkward Life of a Lost Girl and a Lonely Boy~  作者: 二核
もう一度、ここから

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これからの彼と

【春香由紀】

 涙は乾いていたが、目はすっかり赤く腫れていた。

 これ以上、待たせてしまうと怪しまれるので、どう言い訳をしようかと考えながら、私はリビングに戻る。

「お待たせしました」

 すると、彼は早速私の異変に気づき、椅子から立ち上がる。

「どうかしましたか?」

 案ずる彼に、私は何でもないと手で制し、椅子に座った。

「手を洗ってたときに、水が跳ねて目に入っちゃって」

 私はそんな風にそんな風に誤魔化し、平然を装って温くなった紅茶を口に含んだ。

 ストレートティーの苦味が私の舌を強く突き刺す。

 私は渋い顔をしながらティーカップを置くと、一部始終を見ていた彼がお菓子を乗せたお皿を私の前に置いた。

「顔が沈んでる。やっぱり、何かあったんですね?」

 自分の態度であっさりと彼に見破られ、私はどう答えようか戸惑う。

「紅茶、入れ直してきますね。ハチミツも入れましょうか?」

 私に考える時間を与えてくれているのか、彼はティーポットを片手に立ち上がった。

「……ハチミツたっぷりで、お願いします」

 私の要望を承った彼はコンロの火をつけ、棚からハチミツの瓶を取り出す。

 彼がキッチンに背を向けている間、私は頬杖をついて、与えられた時間を愁思の中で費やしていた。

 もしも、今の想いを真っ直ぐ伝えたら、彼はどう思うのだろうか。

 そもそも、彼にとって私といたあの日々はどう映っていたのだろう。

 お世辞にもまともとは言えなかった私との時間は、苦痛だったんじゃないだろうか。

 今はもう、彼の真意を知る術はどこにもない。

 それどころか、この事実を無理に話してしまえば、混乱させてしまうかもしれない。

 もっと言えば、新手の口説きだと思われて、拒絶されてしまうかも。

 青ざめた私はそんな不安な想像を断ち切ろうと、思いっきり自分の頬をつねった。

「いたっ!」

 思わず声をあげてしまうと、彼が振り返って私を案じる。

「大丈夫ですか?」

「足の小指ぶつけちゃっただけです」

 そう言って、私は咄嗟に右足の小指を抑える。

「そう、ですか……」

 彼も納得してくれたようで、再び視線をキッチンに戻した。

 少しすると、ティーポットから湯気が立ち、熱々の紅茶はティーカップに注がれていく。

 ハチミツを付けたスプーンでかき混ぜ、上品な甘い香りを漂わせた紅茶がテーブルに出された。

「熱いうちにどうぞ」

「ありがとうございます」

 私は熱くなったカップの取っ手を持ち、慎重に口を付ける。

 ハチミツの上品な甘さのおかげで苦味は薄まり、凍り付いた心が溶かされていくように体の芯が温まっていく。

「落ち着きましたか?」

「はい、おかげさまで」

 ティーカップを受け皿に置き、笑顔で彼に答える。

「それは良かったです」

 しかし、私の心に再び陰りが落ちる。

 もし、ここで全てを打ち明けたら、思い出してくれるのではないかと期待している自分がいるのだ。

 私の気持ちはさっきのネガティブな想像だけでは、まだ懲りていないようだ。

 話すことへの期待感――。

 話してはいけない義務感――。

 この二つの間で、天秤の針は激しく揺れ動いている。

 さっきみたいな分かりやすい顔をしていないからなのか、今度は彼に気づかれていない様子だ。

 彼は自分のカップに紅茶を注ぎ、ストレートのまま一口飲む。

 そして、深みのある味わいに浸るように、はぁと息を吐いた。

「落ち着きましたか?」

 私は悪ふざけで彼の言葉をそのまま返す。

「ええ、とても」

 しかし、私の意図に気づいていないのか、彼は素直に返した。

 そんな良くも悪くも真っ直ぐな彼を見ていると、熟考している自分が馬鹿らしく思えてきた。

「……実は、昔の友達のことを思い出していたんです。この場所が友達の家とすごく似ていたから」

 そのせいか、私の口からつい本音が零れてしまう。

 そして、お菓子を口に入れようとしていた彼の手が止まった。

「その子とは、夜の公園で出会ったんです。不思議そうに私を見る目は、今でもよく思い出します」

 私は紅茶を飲んで喉を潤し、再び口を開く。

「私の家は何というか……関係が歪で、自分でも何が正しい形なのか分からなかったんです。でも、あの子と一緒にいると、こんな形もあったんだ、なんて思えてきて。正直、あの時間が、とても愛おしかった」

 私はカップの側面を指でなぞり、あの日々の追憶を映し出す。

「その子はとても料理が上手で、オムライスの作り方とか教えてもらいました。家事も完璧で、将来は良いお嫁さんになりそうだな。でも、歌はすっごい下手なんですよ」

 その後も、私は彼ではない架空の誰かとの思い出として、しまったはずの心のアルバムをまた開いて、一ページ一ページめくっていく。

 そんな嵐のように語り続ける私を、彼は静かに見守ってくれた。

「それで、周りの主婦の人たちと野菜の袋詰め大会に参加してたんですけど、あの子はボコボコにされちゃって……」

 そして、この時になってようやく自分が一方的に喋っていたことに気づいた。

「ごめんなさい。私ばっかりになっちゃって……」

 私は恥ずかしさで彼から目を逸らす。

「楽しそうに話すことは、悪いことじゃないと思いますよ」

 彼は委縮した私を、親のような目で見る。

「とにかく、私はあの子のおかげでこれまでと違った景色が見られた。さっき、友達って言いましたけど、あの子は私にとって、それとは違う特別な関係だったようにも思うんです」

 私はもう一度紅茶を啜って、乱れた心を落ち着かせた。

「たとえば、私は母親をすぐに亡くしてしまって。それが理由なのかもしれませんけど、時々その子のことが母親のように見えていたこともあったりとか……って何言ってるんだろう、私」

 私は変なことを言う自分を、照れ笑いで隠そうとする。

「素敵な人なんですね」

 しかし、彼から引いている様子はなく、素直に受け止めてくれているようだ。

「そう……ですね。本当に優しいんですよ。その子は……」

 顔だけじゃ、何を考えているか分からないけれど、してくれることはいつだって誰かのため。

 それは、下心しかない笑みよりも、よほど純粋なものに見えていた。

 その純粋さに触れたとき、私は初めて “探し物”を見つけられるような気がした。

 もっと一緒にいれば、形となって見えて、抱きしめることができたかもしれない。

 そんな風に期待していた。

 でも……。

「今はもう……会えないんです。その子とは、一生……」

 私が重い現実を零すと、彼の目がわずかに開く。

「少し前に事故に遭ったみたいで。あの子はもう、私のところに、戻ってくることはない」

 言葉にすると、また感情が溢れそうになり、私は唇を噛み締めて堪える。

「急に重い話をしてしまってごめんなさい」

「いえ……何というか、大変でしたね」

 彼も動揺しているのか、歯切れが悪くなる。

 薄いとはいえ、表情が揺らぐ彼を、私は初めて見たかもしれない。

 そんな彼にこれ以上心配をかけさせまいと、私は深呼吸して出そうになった感情を押し殺す。

「もう、随分前の話ですから、私はもう大丈夫ですよ。それよりも、私はこれからの自分に期待したいんです」

 私は飾り気のない純粋な笑顔で応えてみせる。

 たとえ、もう二度と会えなかったとしても、私は前を向いて自分の足で歩きたい。

 だって、あの頃の彼はいなくても、これからの彼は目の前にいるのだから。

「でも、さすがに一人暮らしは初めてなので、時間があれば手ほどきとか……なんて」

 私は目を逸らして、両方の人差し指をツンツンと突く。

 さっきまでの強気な姿勢からだと、こうした頼みごとは少し気まずくなる。

 あんな勢いで言わなければよかった……。

「俺にできることなら、何でも頼んでいいですよ」

「それじゃ、早速最初のお願いを聞いてもらってもいいですか?」

「……どうぞ」

 私は少しの合間、彼の目を真っ直ぐ見つめ、勇気を奮い立たせて言った。


「私とお友達になってください」


 私はただ導かれるように、ここまで辿り着いた。

 だから、今度は自分の足で、本物の“探し物”を見つけ出したい。

 私はそんな意思を眼差しに乗せて、彼に伝える。

「……ええ、俺でよければ」

 彼はあの頃のような優しい目で、私の想いに応えてくれた。

 その目を見た私は、懐かしさと受け入れてくれた喜びが入り混じり、涙と共に言葉が零れ落ちる。

「ありがとう。……海斗君」

 こうして、居場所を手にした流浪少女《私》と清廉な非行青年《彼》の奇妙な生活《オークワードライフ》は、新たな形で始まりを告げるのだった。

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