自分で選んだ場所
【春香由紀】
「お願いします!」
広い院長室で、私は机越しに向かい合う院長に深く頭を下げる。
「……」
彼女は口を開こうとせず、腕と足を組んで私の頭頂部を見ていた。
海斗君との二度目の邂逅を経た私は、逃げることをやめて、歩み寄るための一歩目の道を作ろうと、美奈さんに向き合い方を相談しているのだ。
「使わせてもらうお金は、働いてお返しします。だから、自立するために住む場所をお借りできませんでしょうか?」
今の私の力では足りないこと――それは財力だ。
着るのも、食べるのも、住むのも、全てのものにはお金がかかる。
でも、私のようなただの高校生に、それら全てを面倒見るのは何とも非現実的な話だ。
だから、私は自立した大人である美奈さんを頼ることを決めた。
“依存”ではなく、“頼る”ことに……。
私の突拍子もない要求に、美奈さんは思案するように頬杖をついた手で口元を塞ぎ、その人差し指でツンツンとこめかみをつついた。
とんでもないことをお願いしているのだから、思慮深くなるのは当然だろう。
私は誠意を示すために、美奈さんから言葉を発せられるまで頭は下げたままにする。
「……分かりました。ちょうど空きの部屋が一つあるから、そこを使ってください」
「ほ、本当ですか!?」
まさかすんなりと受け入れてくれるとは思わず、私はつい顔を上げてしまった。
「……ですが、あなたとこういった形で関わる以上、私も責任をもって管理させていただきます。そこで、今から私が言う条件は必ず呑んでください」
「……はい」
喜んだのも束の間、どんな条件が提示されるのだろうと緊張が走る。
「まず一つ、働くときは必ず私に相談してください。危ないと判断した場合、やめるように言います」
「分かりました」
「ちなみに、勉強の方はどれくらいできますか?」
「……一応、首席で高校に入りました」
「あなた……やるわね」
「まぁ、優秀には見えませんよね……」
意外な一面に思わず素に戻る美奈さんを、私は苦笑いで受け流す。
「働くのなら、私の知り合いであなたのような人材を欲しがる人がいるのだけれど、どうかしら?」
「まだ何も決めてなかったので、紹介してくださると嬉しいです」
バイト先については美奈さんを通して面接を用意してくれるという形で話が終わり、次の条件についての話が始まった。
「二つ目、家事全般は自分でやること。入居者はあなた一人なので、お願いしますね」
「はい。家事はよくやっていたので、習慣はついてます!」
これは海斗君といたときに、唯一できるようになったことだ。
自信はある。
「あなた……やるわね」
しかし、美奈さんはさっきとは違った面持ちで、再度私に称賛の言葉を送った。
「……? 家事くらいなら、私でもできますよ?」
すると、美奈さんは心臓に何かが突き刺さったように、胸の部分を痛そうに抑えていた。
「大丈夫ですか!?」
「お、お構いなく。話を続けましょう」
美奈さんはテーブルに置いてあったお茶を飲んで、元の姿勢に戻った。
「そして、最後……。あなたはこれから私に借金をする。だから、いつかは必ずこの私に全て返さなければならない。状況的には、これが自然かな?」
美奈さんは丁寧に今の私の状況を伝えてくれた。
「……はい。期限までには、必ず返すつもりです」
私は無責任にそう言うが、正直なところすぐに返せる見通しなんて全くなかった。
大人でも難しいことを学生である自分が責任をもってできるのか、私の想像する未来にはそんな暗闇の道もあるかもしれない。
そんなプレッシャーを感じていると、美奈さんが飲んでいた湯呑を置いて私に質問を投げかけた。
「一つ訊きたいのだけれど、借金はこれが初めて?」
「はい……あ、いいえ、海斗君からよく借りてました」
私は即座に否定しようとしたが、思い返せば海斗君と一緒にいたときの費用負担は全て彼だった。
私は何も返すことができなかったのだ。
「海斗君にも返さなくちゃ……」
たとえ、向こうが憶えていなくても、事実は変わらないのだから、恩返しはどうなろうともしたい。
「……それは、返済完了までに当分時間がかかりそうですね」
「……すみません」
美奈さんに返済の見込みがないことを見透かされたような気がして、私は縮こまってしまう。
「……だから、返済期限は設けません。というより、こちらから返してもらおうなんてつもりはありません。返済は自分の意思で決めてください」
美奈さんの口から思いもよらぬ答えを聞かされ、私は返す言葉を失った。
「その代わり、これから始まる日常を通して、生きていく力を付けてください。返済内容はそれだけで充分です」
美奈さんがかけてくれた言葉に、私の目から自然と涙が浮かんでくる。
私はそんなつもりではなかったと、自身の情けなさを隠すように両手で顔を覆った。
「あなたはきっと、形が違っていただけの頑張り屋さんだと思います。だから、今度は間違えないように頑張ってください」
美奈さんは席を離れ、泣いている私を抱きしめて綿で包むように、そっと言葉を置いた。
「はい……。ありがとう……ございます」
そのとき、涙でぼやけた視界からは、美奈さんの頬が少し綻んだように見えた。




