二人だけの名字
~side story~
日々の営みを紡ぐ人々が行き交う、烈日が容赦なく降り注ぐ街――。
海斗と別れた陽炎たちは強烈なまでの熱を避けるように、ゲームセンターに転がり込んでいた。
「はぁ~、生き返るなぁ」
汗だくになっていた陽炎は、天井から降り注ぐ冷気を全身に浴びていた。
一方、理由無く海斗に逃げられたと勘違いした七生と彩葉は、すっかりご機嫌斜めになっていた。
「……はぁ」
その様子を面倒くさそうに見ていた陽炎は二人の機嫌をどうにかしようと、周囲を見渡すと、偶然にも一つのホッケー台が空いていた。
「ホッケーでもやるか?」
指を指して訊くと、七生と彩葉は何も言わず陽炎の背中と正面にそれぞれ飛び乗った。
「おい、待て、どういうつもりだ?」
「あたしたちは足を動かす気力も湧かないくらい機嫌が悪いんだ」
「最初に言い出したのは、陽炎さんですよ。早くその足で連れてってください」
二人の上から目線な態度に、陽炎の額には血管が浮いてくる。
「お前ら、人の親切心を何だと思ってやがる……」
と言いつつも、陽炎は二人を背負いながら、遠くにあるホッケー台へと歩くのだった。
「「はーやーくー。はーやーくー」」
「うるせーっ! 二人分担がされる身にもなってみろってんだよっ!!」
重い足取りながらもホッケー台に到着した陽炎タクシー。
しかし、時間がかかり過ぎたのか、中学生くらいの男子たちが一足先にホッケー台を陣取ろうとしていたところだった。
「ホッケー空いてるぞー! 遊ぼうぜー!」
一人の少年が皆を呼んで、ホッケー台に集める。
そして、お金を入れようとポケットから財布を出すと、彼の背後に大きな影が突然現れた。
殺気を感じた少年は恐る恐る後ろを振り向くと、そこには二人の女を抱え背負っていた大男が、鼻息を荒くして鬼のような形相で少年を見ている。
「どうしたガキんちょ。一緒にやらねぇのか」
大男にしがみつく女たちも、食べてやろうかと言わんばかりに舌をなめずり回し、少年を獲物のような目つきで見る。
「ひぃ……」
少年は恐怖のあまり言葉を失う。
「おーい、ホッケーやりたいのかぁ」
すると、少年が先程呼んだ友達が、ホッケー台に駆けつけてきた。
「や、やっぱ、違うゲームに……格ゲー! 格ゲーやろうよ!!」
そして、少年は声を震わせながら、友達の下へと去っていくのだった。
「どうしたんだ? あの坊主」
逃げるようにしてホッケー台を離れた少年を、遠くから疑問の眼差しを向ける陽炎。
「随分と震えてましたね」
陽炎の正面にしがみついていた彩葉が、ピョンと飛び降りる。
「冷房でも浴び過ぎたんだろ」
七生も陽炎の背中から降りて、うんと背筋を伸ばした。
三人とも少年の真意は分からなかったが、気にせずホッケーを始めるのだった。
「大体、今日は海斗のために日取りを組んだんじゃねぇか。主役がいきなりいなくなるなんて、物語として許されるのか?」
まず最初にパックを強く打って、陽炎のゴールを急襲するのは七生だ。
「その前に、いつからこれが物語になってんだよ」
対して、七生が放ったストレートを、陽炎は斜めに当てて反対側へと返す。
「私は物語じゃなかろうと、許せませんよ! せっかくお気に入りの服を着てきたのに……。これじゃ、まるで陽炎さんに見せるために、張り切ったみたいになるじゃないですか!?」
今度は彩葉が怒りをそのままに力いっぱい陽炎サイドに打ち返した。
「俺のために頑張るのは、そんなに許せねぇのか!?」
陽炎は彩葉が打ったパックを打ち返そうとするが、綺麗に空振って七生と彩葉チームに得点が入る。
「イェーイ。ナイス彩葉―」
七生と彩葉はハイタッチをして、陽炎は足から崩れ落ちる。
すると、彩葉の小さなお腹から、怒号のように虫が騒いだ。
「うぅ……お腹が空いて力が出ない……」
彩葉はお腹を抑えて膝を折る。
「何かどっかで聞いた言い回しだな」
崩れ落ちていた陽炎はホッケー台に手をついて起き上がる。
「そういやぁ、昼飯まだだったなー」
七生も自分のお腹をさすって、壁にかかった時計を見た。
「どうする? どこか店に入って、海斗の悪口大会でもするか?」
「何で兄貴の悪口までセットなんだよ」
七生の悪ノリに一言物申す陽炎。
「いいね、そうしようお姉ちゃん!」
しかし、彩葉は七生の提案に大賛成のようだ。
「お前ら、ほんと容赦ねぇな……」
こうして、陽炎たちは昼御飯にありつくため、ゲームセンターを出て灼熱の地を歩くのだった。
少し歩いたところでファミレスを見つけると、三人は阿吽の呼吸で店に入った。
ところが、店はすでに満席となっており、待合席も丁度埋まってしまっていた。
しかし、そんな状況でも三人は言葉を交わさず、待つことを選んだ。
日差しの下をずっと歩いていたくはない。
三人はその考えで軌を一にしているのだ。
「いらっしゃいませ〜。何名様でしょうか〜」
店員さんがフロアから張りのある声で伺う。
「三人でーす!」
「かしこまりました。お名前を書いてお待ちください」
ホールの対応で忙しそうな店員さんはそれだけ言ったら、慌ただしくキッチンへと戻っていった。
「えーっと……」
代表して七生がペンを持つと、名簿に名前を記載した。
そこに書かれた名前は夏生。
陽炎の名字だ。
陽炎は自分の名字が書かれた名簿を見ると、不可解な面持ちで七生を見た。
「何で俺の名前を使うんだよ」
「別に誰でもいいだろ?」
「それじゃあ、自分の……」
陽炎はあることに気づき、咄嗟に言葉を呑み込んだ。
陽炎は七生の名字を知らないのだ。
それだけではない。
七生ちゃん――。
七生さん――。
七生ねぇちゃん――。
入院している老人。
病院で働いている看護師。
七生を敬愛する子どもたち。
陽炎は自分の記憶をあさるが、七生の名字を口にした人は誰もいなかった。
七生はいつの間にか空いた待合席に座り、彩葉と楽しく会話をしている。
それから、ほどなくして席が空き、店員は名簿に書かれた俺の名前を呼んで客席を案内するのだった。
食事が始まっても七生と彩葉の会話は止まらず、陽炎はパスタを食べながら二人を静観していた。
七生の謎に気づいてから直接訊こうとしたのだが、本人は事あるごとに細い手で陽炎の体を軽く押して拒否するのだ。
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
彩葉が席を離席すると、七生はトイレに入るまで彼女を見届けた。
そして、ドリンクバーで注いだオレンジジュースを口に含み、外の景色を一望する。
「……なぁ、おい」
二人きりの状況を好機とみた陽炎は、落ち着いた声で七生に語り掛ける。
七生は先程までの拒絶はせず、横目でちらりと俺の顔を見る。
「お前、上の名前はなんていうんだ?」
すると、七生は外の景色から目を離し、頭の後ろで手を組んで背にもたれた。
「そういやぁ、言ったことなかったなぁ」
「下の名前が定着し過ぎなんだよ。おかげで完全に忘れちまってた」
「下の名前を言い訳にするのか。単に僕が鈍かっただけです。申し訳ございません、七生様と何故素直に言えないのか……」
「素直になってもそこまでは卑屈にはならねぇよ!」
陽炎はテーブルを叩くと、その拍子に浮いたお冷のグラスを横からかっささらい、口に含んで喉を潤した。
「それで、何ていうんだよ」
陽炎が再度訊くと、七生はいつになく厳粛な面持ちで彼の目を見る。
「……お前、あたしの名前を聞いても、口にしないと約束できるか?」
滅多に見ない七生の真剣な顔に、陽炎の心には緊張が走る。
「どうして、そんなことを訊くんだよ?」
「できるのか、できないのか、どっちなんだ?」
七生の言葉は平静なトーンでありながら、刃物を心臓の寸前まで突き付けられたような感覚だった。
「……お、おう。分かったよ」
陽炎は七生の圧力に屈し、約束を締結させる。
そして、七生の顔はいつものいたずらな笑みに戻ると、スマホを取り出し陽炎の間の抜けた顔をパシャリと撮影した。
「お、おいっ!」
「うわぁ~、すっげぇダセえ顔。彩葉にも送ろうっと」
七生は嬉しそうにスマホの画面をタップした。
「今すぐ消しやがれっ!」
しかし、七生は聞く耳を持たず、体を陽炎から横に向けて操作に集中する。
言ってダメなら、力づく。
陽炎はテーブル越しに七生の手を止めようとすると、逆に七生の方から陽炎の顔面にスマホの画面を近づけてきた。
どういう風の吹き回しなのか。
七生の行動に理解が数歩出遅れている陽炎は、スマホに映る画面を見て言葉を一滴ずつ零した。
「おい……これって……」
スマホ越しに目を丸くする陽炎を見た七生は、柔和な笑みで包み込むようにこう言った。
「……これがあたしの名前。約束、ちゃんと守ってくれよな」




