普通の外側
~old memories~
【寂しい少女】
突如現れたお姉さんは私以外の子どもたちの心を掌握すると、親の迎えが来るまで遊び続けていた。
お姉さんは何度も子どもたちの輪から抜け出そうとしていたらしいのだが、子どもたちがそれを許してくれなかったのだ。
でも、親のお迎えとなっては子どもたちが必死の抵抗を続けようとも、留まることはできなかった。
「じゃーねー」
まだ遊び足りないと泣きわめく子どもに、お姉さんは心底嬉しそうに手を振る。
「ぜってー、明日も来いよー!」
「うーん! 気が向いたらねー!」
そうして一人、また一人と子どもたちを見送り、残った子どもは私だけになった。
「はぁ~、今日は楽しかったな~」
お姉さんは凝った肩をほぐしながら、私の隣に座る。
絵本を読んでいた私は、お姉さんから逃げるように横にズレた。
しかし、お姉さんは離れる私を見るや、さりげなくお尻を動かして私に近づこうとする。
私が再びお姉さんから少しだけ離れると、お姉さんは鬼ごっこのように私の横まで追いかけ、頬杖をついて私のことをニコニコしながら見ていた。
「あの……何ですか?」
耐えられなくなった私は、絵本を閉じてお姉さんに話しかける。
「読み終わったの? お話してもいい?」
なんだ、私が読み終わるのを待ってただけか……。
本当に何から何まで変な人だ。
「用事があるなら、声かけてください。あと、絵本は読み終わってないです」
「えー、わざわざ口で用事がありますって言っちゃったら、その困った可愛い顔が見られなくなっちゃうじゃーん」
お姉さんは心底楽しそうにいたずらな笑みを浮かべて、私のほっぺをツンツンと突いた。
お姉さんの言動に小馬鹿にされたような感覚を覚えた私は、手に持っていた絵本でお姉さんの頭を叩く。
「アハハッ! イテテッ。ごめんごめん、ちょっと意地悪が過ぎた」
お姉さんは全く反省の色が見えない笑い声をあげ、叩く私から身を守った。
笑いが落ち着くと、お姉さんは息を整えて態勢を体育座りに変える。
「それで、今日は楽しかった?」
「……」
お姉さんはごく普通なことを訊いてきたが、私は何も答えられなかった。
あの時、お姉さんに手を引かれてみんなの輪に入った私は、確かに笑っていた。
お姉さんを囲うみんなはとても楽しそうで、それを見ていたら私も笑わずにはいられなくて、何よりそんな私を誰も否定しなかった。
みんな楽しくなった自分自身に夢中で、私も憑りつかれたように楽しむ自分に必死になっていた。
誰からも咎められることなく、自分の意思で心が浮き立つような感覚になったのは生まれて初めてで、同時に私が思い描いていた自分になれたような気がした。
周りのみんなと仲良く笑い合えて、誰も独りにならない空間――。
私がずっと居たくて、ずっと守りたいと思えるたった一つの居場所――。
きっと、これが私の求めていた“普通”だったんだ。
みんなが、ずっと当たり前のように持っていたものだったんだ。
――でも、あのひと時が私にとって“普通”の時間なのだとしたら、私が今まで独りやってきた“普通”が間違っていたということになってしまう。
それは、みんなから置いてけぼりにされているようなもので、自分はみんなよりも“下”なのだと認めてしまうことが恥ずかしくてとても怖かった。
「……どうしたの?」
無言の私を見たお姉さんは首をかしげる。
「……どうして……どうして、私だけこんなに遅いの?」
本音を言葉にするのがとても辛くて、涙がポロポロと零れ落ちる。
「みんなはずっと前からできてたのに、何で私だけ今日までできなかったの?」
みんなのようにできなかった自分がただ恥ずかしい。
自分の力でみんなのようになれなかったことが、とても悔しい。
目を何度も手でこすって溢れる涙を拭き取ろうとすると、滲む視界からすらりとした手が私の代わりに拭ってくれた。
「……それはきっと、あなたが“特別”になるためじゃないかな?」
「とく……べつ?」
「そう。周りが普通じゃないと思うことを“特別”っていうの」
「それって、独りぼっちになるってこと?」
「いいえ、周りを引き寄せる可能性があるってこと」
「でも……」
その言葉が喉の奥でつかえた。
父は普通が一番だって教えてくれた。
みんなと同じであることが間違いないって。
だから、父は私が普通の子になれるよう頑張ってくれているのに……。
私も父も間違っていたの?
「……たしかに普通であることは分かり合うことができるから、自然とその輪に人が集まってくる」
お姉さんは私を心の声を聞きとったかのようにこう答えた。
「でも、普通じゃないことが、人を遠ざけるとは限らない」
お姉さんは両手を後ろについて足を伸ばし、リラックスした態勢で話を続けた。
「みんなと違っていてもそれに魅力を感じれば、おのずと人は近くに来てくれる。例えば、今日の私とかね」
お姉さんは誇ったように、首を後ろに傾けて笑った。
私は初めて会った時のお姉さんを知っている。
塀から侵入した怪しい人なのに、中心になってみんなを引き寄せるお姉さんという存在は私にはこの上ない例えだ。
「それじゃあ、私もいつか“とくべつ”になれば、お姉さんみたいになれる?」
私は期待の眼差しを向けて、お姉さんに訊ねた。
すると、お姉さんは表情を少し曇らせてこう答える。
「どうだろう。“特別”は間違った使い方をしてしまうと、周りだけじゃなくて自分も傷つけちゃうことだってある。だから、人が持つ“特別”は正しく使わないと、人を幸せにすることはできないの」
「でも、使い方なんて……そんなの、分かんないよ」
お姉さんの答えに膨らんでいた期待が一気にしぼみ、いつの間にか止まっていた涙がまた潤んで視界をぼやけさせる。
「あなたの正しい“特別”の使い方は、私にも分からない。こればっかりは大人でも間違えるものだから」
「でも、使い方が分からなかったら、私のせいで誰かを傷つけちゃうんでしょ? そんなの……怖いよ」
不安で怯えていると、お姉さんは何故か安心したようににんまりと笑っていた。
「どうして、笑うの?」
「ん? だって、すごく安心したんだもの」
「何も安心できないよ。こんなにも怖いのに……」
「それでいい。人を傷つけることを怖いと思うのは、優しさの証なんだから。その気持ちさえ大切にしてれば、きっと使いこなせる」
お姉さんの言葉の意味も、安心している理由も、子どもである私には分からなかった。
“特別”なんて、私にとっては誰かと生きていくうえでは重荷でしかなくて、正しい使い方なんて考えても分からなかった。
間違った使い方なら、あんなにも簡単にできてしまったのに……。




