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11話 長谷村と糸子

 金曜日の放課後。いつも通り推理部の活動が始まる。


「長谷村先輩、一緒に読みましょう!」


「そうだな! この『恋愛探偵と湯けむり温泉』とか面白そうじゃないか?」


「いいですね!」


 長谷村は本棚から恋愛探偵シリーズの第一巻を手に取ってしまった。

 その本、結構エッチなシーンがあるんだが……大丈夫だろうか。


「長谷村さんと糸子さん、仲いいですね」


 霧山さんの羨ましそうな声に相槌を返しながらも、不安が広がって行く。

 長谷村にも糸子にも、距離を取るようにレインで注意しているのだが……二人とも聞く耳を持たない。……大丈夫だろうか。

 長机に頬杖をついてぼんやり心配したりしていると、霧山さんが肩をツンツンと叩いて来る。


「もしよかったら私達も一緒に同じ本読みませんか?」


「いいね! 三人で一緒に読もうよ」


 霧山さんの提案に、明日香も同調している。


「そうだな。一回やってみようか」


 長谷村が持って来た海外の推理小説『港町の亡霊』を棚から取って開く。

 俺の右側に座る明日香と、左側に座る霧山さんの視線。

 二つの視線が、俺の広げた本に注がれているのが分かる。

 ……何か変な感じだ。三人で同じ本を読むというのは。

 変な感じになりながらも、何とか読み進めていく。

 む……これは……


「悟君、なんか一ページ目からいきなり殺人が起こっちゃったね。それに……犯人が主人公みたいな感じなんだけど」


「倒叙ものだな」


「なにそれ?」


「犯人側の始点で話が進むんですよ。犯人が捕まらないで逃げちゃう事もあります」

 俺の代わりに霧山さんがドヤ顔で解説してくれた。


「へぇ倒叙ものねぇ……どうなっちゃうんだろう……」


「まだ分かんないなあ。そろそろページめくっていい?」


 二人とも頷いたのでページをめくる。

 それにしても……霧山さんが身を乗り出して本を読んでいるので、ちょっと肩が触れ合ってしまっている。

 ……その上、二人とも甘い感じのいい匂いがするし、俺の事を好きかもしれない。

 何だこの状況は……頭がおかしくなりそうだ。

 いかん。内容に集中しないと。


 ◇


 両手に花に戸惑いながらも、壁時計の短針が六時をまわろうとしていた時だった。

 擦れるような音が、頭の中に響き出す。

 手繰り寄せるように、小さな声に意識を集中させる。

 その声は、咽ぶような悲痛な泣き声だった。

 そんな悲しみの思念が、俺の頭の中に重く響いていく。


「兄貴、私トイレ行って来るから」


 背を向けて扉を開いた糸子の顔色を伺う事は出来なかったが、いつもよりくぐもった声で嫌でも分かった。

 思念の送り主は、糸子だ。

 何か知っているとしたら……


「長谷村、糸子の様子おかしくなかったか?」


「……確かに、おかしかった。さっき手が触れてから急に元気がなくなって……」


「何か言ってなかったか?」


「小さな声で、ごめんなさいって……」

 やはり……


「ごめん、ちょっと急用ができたから早退する」


 言い残して部室を飛び出す。

 糸子は長谷村に触れて、「手の力」で思わず心を読んでしまったのだろう。

 ……そして長谷村が自分の事をどう思っているのか、思い知ってしまった。……という事か。


 文化部棟の端のトイレへと向かったが、悲しみの思念は既に途切れていた。

 やはり、糸子が向かったのはトイレでは無い。

 最悪の事態が頭をよぎった。

 冷や汗を拭いつつも、震える手で糸子へとレインを送る。


《大丈夫か?》

《助けて》


 考えるより先に、走り出していた。

 駆けながらも位置情報アプリで糸子の場所を探る。

 学校の敷地外に赤い糸子のマークがある。……もう帰っているらしい。

 校門を抜け、また位置を確認する。

 赤いマークは、池公園に移動していた。

 小学生の頃糸子とよく遊んだ、思い出の池公園。

 全速力で坂道を駆け降り、T字路を曲がって行く。

 そして……


 恋に傷ついた悲しみの思念が、また俺の心を揺さぶった。

 糸子の悲しみで、俺の胸も張り裂けそうになる。

 でも、俺にはそんな痛みが不思議と羨ましかった。

 糸子は本気で長谷村が好きだから、こんなに苦しんで、悲しんでいるんだ。

 小学生の時に大失恋して以来……俺は、こんなに傷つく程誰かを好きになった事は一度も無かった。


 ◇


 糸子は、噴水前のベンチに小さく座っていた。

 俺は息を整えながら、ゆっくりと糸子の隣に腰を下ろす。


「兄貴……」


「大丈夫か、糸子」


 赤く泣き腫らした糸子の顔に、横目でそっと微笑みかける。


「……ありがとう。兄貴なら来てくれると思ってた」


「当たり前だろ。俺はお前の兄貴的存在だからな」


「兄貴的存在って……何」


「俺も知らないけど、お前を大事に思ってる存在なのは間違いない」


 糸子は少しだけ微笑み返してくれた。


「長谷村先輩の気持ち、ずっと分かってた。勝手に心を読んだりするのも……駄目だって分かってた……でも……手が触れ合った時……どうしても抑えきれなくて……」


「……そっか」

 それから堰を切った様に糸子は泣きだしてしまった。

 小さな呻き声が、薄闇の公園に響いていく。


「頭撫でていいか?」


 泣きじゃくりながらも小さく頷いた糸子。柔らかな髪の感触が、堪らなく懐かしかった。


「俺はそうやって誰かを真っ直ぐ好きになれる糸子の事、すごいと思うぞ」


「でも……私……先輩の心を勝手に……」


「気にするな。長谷村ならきっと許してくれるって」


「……兄貴」


「辛いときはたっぷり泣くといい」


 俺の肩に二つ結びの髪と顔を埋めて、むせび泣く糸子。

 小学生の時、俺がこっぴどく失恋した時も、糸子に見守られながら、きっとこんな風に泣いていたんだろう。

 ……あの時は、随分と糸子に助けられたな。

 俺は穏やかな悲しみを感じながら、小さな背中をそっと撫で続けた。


 ◇


 三十分ほどそうしていただろうか。やっと糸子は泣き止んだようだった。

 見渡すと、すっかり暗くなった公園を街灯が温かく照らしていた。


「ほら、顔洗ってこい。そろそろ帰るぞ」


「……うん」


 やがて戻った糸子は、大分平静を取り戻したらしかった。


「兄貴は、どう? Xガールの事、上手く行きそう?」


「こんな時に人の心配か」


「……いいから」


「まあ、ぼちぼちって感じかな」


「そう。頑張ってね」


「糸子はもう大丈夫か?」


「全然、大丈夫じゃない」


 そう言って無邪気に微笑んだので、俺は少しだけ安心した。


「俺はずっと糸子の味方だから。何でも相談しろよ」


「……ありがとう。長谷村先輩には、全部説明して謝っておくから……」


「そうか」


 糸子と隣り合って歩いていく。公園を抜けて、小さな坂を降って、二車線の県道を進んでいく。

 行き交う車のヘッドライトがやけに綺麗だ。


「活動には無理に来なくていいからな」


「大丈夫。兄貴のお陰で吹っ切れたし。それに……みんなと活動するの楽しいし、推理小説も好きかも。私ね、モンゴメリさんの『青い城』みたいな、恋愛ミステリーが好きだな」


「おお! それ面白いよな。後半からの勢いがすごいんだよ」


「だよねー」


 弾む会話に、俺は感無量だった。

 まさか糸子と小説の話で盛り上がれる時が来るとは。

 小説に込められた想いが、俺たちの絆をきっと深めてくれている。


「私、推理部辞めないから。少しの間は休むけど……」


「そっか。お前のやりたいようにすればいいよ」


「……そうする」


 糸子が、俺の手を柔らかく握り直してくる。


「幼稚園の時以来だね。こうやって手を繋いで帰るの」


「ああ」


 悪戯に微笑んだのは、いつもの糸子だった。


「兄貴、ありがとね。さよなら」


 そして手がほどけた。


 糸子の背中を見送って、俺は自然と駆け出していた。

 燃え上がるような気力が全身から溢れてくる。

 薄闇を照らす街灯の輝きが、いつになく美しく流れて行く。

 糸子の真っ直ぐな気持ちに触れて、俺はやっと気付いた。

 例え哀しい結末が待っているとしても、それでも俺は恋がしたい。

 

 そうだ……俺は多分、霧山さんが好きだ。

 ちょっと変わっていてミステリアスな所が好きだし、好きな事に夢中になって、いつも一生懸命な所が好きだ。

 霧山さんの事がもっと知りたい。もっと会いたい。

 もっと喉ぼとけを触られたい。もっと話したい。

 そして、俺はもっと霧山さんを好きになりたい。霧山さんと恋をしたい。

 金曜日のアスファルトを蹴る度に、そんな想いが強くなっていく気がした。


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