10話 恋愛感情と犬事件
家に帰ってからも、俺はずっと霧山さんの事ばかり考えていた。
彼女の大人びた微笑みが、はにかんだような無邪気な笑みが、吸い込まれるような灰色の瞳が……喉ぼとけに触れた、柔らかな感触が頭から離れない。
俺は霧山さんを好きになりつつあるのかも知れない。
そんな漠然とした恋の予感に漂いながらも、心の奥底には後ろ暗い気持ちがずっと渦巻いている。
……俺が感知できる感情は、激しい感情だけ。つまりXガールは俺の事を好きで仕方ないのだ。それこそ、狂おしいほどに。
一方で俺は、誰に対しても冷めた恋愛感情しか持ち合わせていない
確かに霧山さんの事は好きだ。でも……
もし、霧山さんがXガールで無かったら、俺の事を好きで無かったら……俺はどうする?
分からない。
それに……もし俺が霧山さん以外に告白されたとして、俺はその告白を受け入れてしまうのかも知れない。俺の霧山さんへの想いは……その程度の消極的好意でしかないのだろう。
霧山さんに返した自分の言葉が、呪詛返しのように胸に突き刺さる。
『人の心を勝手に読むなんて、ちょっとズルいかも』
その通りだ。……俺はズルい。
焦燥のような申し訳なさと劣等感。怪盗事件。霧山さんの部屋での出来事。Xガールの暖かな声。
……靄のように浮かび上がっては、走馬灯のように駆けまわって行く。
その日は結局、一睡もできなかった。
◇
『――サトル君、大好き』
次の日。水曜日の朝。
重いまぶたをこすっていると、久しぶりにXガールの声が俺の心を揺らした。
しかし……昨晩から抱えていた胸のわだかまりは、晴れる所か深まってしまっている。
以前は飛び上がりたくなる程喜んでいた筈なのに。
頬杖で授業を聞きながら、ため息を一つ。黄土色の校庭を眺める。
何故こんなに辛いんだろう。胸が締め付けられるんだろう。
俺のけったいな特殊体質が、やっと自分の人生の役に立ったと喜んでいたのに。
今はこの力がただただ嫌で仕方ない。
Xガール候補達と親交を深めてきたというのもあるかもしれない。見ず知らずの他人の心を読むより、見知った人の心を読む方が罪悪感は大きい。
それに……やはり俺はこんな力で恋愛を優位に進めるのは嫌だ。
俺は……不安や切なさを抱えながら、明日香や霧山さんと真正面から向き合っていきたい。自分の想いに気付いていきたい。
俺も霧山さんと同じだ。普通になりたいんだ。普通の恋愛がしたいんだ。
誰と恋愛したいかは、まだ分からないけど。
――Xガールさん。勝手にあなたの想いを覗いてしまってごめんなさい。
届く筈も無い想いを言い訳するように飛ばしながら、俺はぼんやりと黒板を眺めていた。
◇
やりきれない思いを拭いきれないまま、昼休みのチャイムが響いた。
顔を落としながら、味気ない固形栄養食をコーヒーで流し込んでいると、長谷村が黒い背表紙の本を突き出してくる。
「里島、これ面白かったぜ。ありがとなー」
「おう」
受け取った警察小説を鞄にしまい込む。長谷村はいまだ興奮冷めやらぬといった感じだ。
「借りて良かったぜ。最後の展開は読めなかったなー」
「ああ。伏線が全部繋がる怒涛の推理だったな」
「推理といえば……Xガールの件は上手く行ってるか?」
行っていると言えば、行っているのかもしれない。
「俺、昨日霧山さんの家にお邪魔したんだ」
「マジかよ……すげえじゃん」
肩を叩いて来る長谷村だったが、俺の様子に気付いたのかすぐに大人しくなった。
「何かあったのか?」
「俺は……霧山さんも明日香も好きだけど、『この人じゃないとダメだ』って感じじゃないんだ。俺は、本気で人を好きになる事が出来ないのかも知れない。多分、サトリ能力とかトラウマのせいだ」
「それはあんまり関係ないと思うぜ」
「関係ない?」
「俺だって最初は絵美の事そんなに好きじゃなかったぞ。でも、会ってる内に段々好きになっていった。恋愛なんて大抵がそういうもんじゃないかな」
彼女持ちが言うと説得力がある気がするが、
「でもなあ……彼氏彼女の関係になったりするかもしれないんだぞ? あまりにも責任感が……」
「お前は重く考えすぎなんだよ。何もすぐ結婚する訳じゃないんだから、『ちょっといいな』程度で付き合ってもバチは当たらないって」
「そんなもんなのかなあ……」
「そんなもんだろ」
確かに、霧山さんにしても明日香にしても……今よりもっと好きになっていくイメージはぼんやりとだが持てなくはない。
「まあ、俺はちょっと重く考え過ぎてたかも知れない」
「……ただし、あんまり軽すぎてもダメだからな。霧山さんや明日香を傷つけるような事だけはするなよ」
「分かってる」
「なら良し!」
なんか照れ臭くなったので、腕を軽く叩いてやった。
「なにすんだよー」
「ありがとな長谷村。少し気が楽になった。お礼に今度カレーパン奢るよ」
「前もそう言って結局奢らなかっただろ」
「今回はマジで奢るって」
「あっそ。ま、頑張れよ」
俺が落ち込んでいる時にはいつも励ましてくれる。一歩踏み出そうとしているときは背中を押してくれる。……こいつが親友で良かった。
「長谷村。お前も絵美さんを大切にしろよ」
「もちろんよ」
軽く伸びをして、椅子から立ち上がった。
「さて、気分転換がてらに図書室にでも行ってくるかな」
「気を付けろよ。今日学校に魔獣が出たらしいから」
「魔獣?」
「佐伯がレインで言ってた」
「あいつ、また根も葉もない噂を……」
「でも火の無い所に煙は立たないって言うだろ?」
「はいはい。気を付けるよ」
軽い苦笑を残して教室を出た。
◇
図書館に向かって人気のない廊下を歩く。何の気なしに中庭に顔を向けた時だった。
「――!」
窓の向こうで何かが光った。
黄金のシルエットが不気味に蠢いている。魔獣の噂を思い出し、思わず身構える。
「……なんだ、犬か」
木陰に隠れてしまったが、フサフサの尻尾と垂れ耳はどう見ても犬のものだ。金色の毛並みと大きな体つき。犬種は恐らくゴールデンレトリバーか何かだろう。
赤い首輪をつけていたので、野良犬という訳でも無さそうだ。迷い犬だろうか。
――さて、どうするか。
少し考えた後、俺は犬を捕まえる事にした。
今の俺は、自分の力を誰かの為に役立てたくて仕方がなかった。
かのホームズも「仕事それ自体、自分の能力を発揮する場を得る喜びこそが、最高の報酬」みたいな事を言っていたが……その通りだと思う。
Xガールの想いを勝手に読み取っている事に対する罪滅ぼしをしたいという意識もあるのかも知れない。
何にせよ、やると決めたら行動だ。
保健所に連絡してみたが、立て込んでいて到達には時間がかかるとの事。
今のうちに捕まえておくに越したことはないだろう。
……そうだ、推理部のみんなにも協力を呼び掛けてみるか。
グループレインで号令を掛けようとスマホのスリープを解除した時、
「おお! 兄貴じゃん! 兄貴も図書室いくの?」
トイレから出て来た糸子とばったり出くわした。
「糸子か。説明の時間が惜しい。ハイタッチだ」
「オッケー」
軽やかな音が廊下に響き渡る。
糸子のサトリ能力を生かした高速暗号通信。何かと便利である。
「ちゃんと伝わったか?」
「うんバッチシ! 兄上の昨日のオカズは……」
「おい! セクハラは止めろ!」
「冗談だってー」
イラッと来て頬をつねりたくなかったが、時間が無いので我慢しておく。
「そんな事より、ミッションの方は頼まれてくれるか?」
「はいはい。『犬を捕まえるから学食でチーズ買って来い』ってでしょ。後で三倍返しだからねー」
「なんて暴利だ」
「じゃあいってくるから」
早歩きの糸子の背中を苦々しく見送りながらも、グループレインで長谷村と明日香に連絡を入れる。後はスマホを持っていない霧山さんを誘いに行こう。おそらく図書室にいる筈だ。
◇
「……ワンちゃんですか? いいですよ、みんなで捕まえましょう!」
快く引き受けてくれた霧山さんと図書室を出ると、糸子と長谷村と明日香の立ち姿。
推理部メンバー、全員集合だ。
「ほら、持って来ましたよ」
糸子が6Pチーズを皆に配っていく。誰もが真剣な表情だが、特に明日香は拳を固く握っては張り切っている。
「明日香、なんかやる気満々だね」
「うん! 私犬が大好きだから!」
そう言えば、明日香は犬を飼っていた。最近は散歩している所を見ないので、もう死んでしまったのかもしれない。感傷に浸りかけながらも、スマホで学校のサイトにあった学内マップを表示。皆へと差し出す
「今回のミッションは犬の確保だ! 俺が犬を見たのは中庭だが、今どこにいるかは不明だ。校舎を四方から囲むようにそれぞれ配置につき、少しずつ包囲網を狭めて、挟み撃ちにしよう」
「西門は昼の間は閉まってるから、犬が校外に逃げられる場所は正門だけだな」
長谷村の声に大きく頷いた。
「正門の警備は厳重にしておいた方がいいな。俺と、スマホを持っていない霧山さんで正門側を請け負う事にしよう。残りの三方は一人ずつで頼む」
全員の配置が決まった所で、霧山さんが小さく手を上げていた。
「あの……もし犬が噛もうとしてきたら……」
「見た感じは大丈夫そうだったけど、犬が狂暴そうだったら作戦は中断しよう。安全が第一だし」
「……わかりました」
改めて、部員たちを見渡して行く。スマホの時刻を確認する。
「タイムリミットは昼休みの予鈴まで……あと二十分。各員の健闘を祈る。作戦開始!」
◇
辺りの様子を伺いながら、霧山さんと正門へと向かっていく。
不審者対策だろうか、正門は閉まっている。
よし。これで逃げられる心配は減った筈だ。
「霧山さん。まずは聞き込みをしていこう」
「はいっ! 行きましょう!」
気のせいか、霧山さんの声が擦れ気味でカラ元気に感じられる。
……大丈夫だろうか。
心配しながらも連れ立って校庭に向かうと、霧山さんがのんびり散歩している女子へと駆け寄って行く。
「あの……ワンちゃん見ませんでしたか?」
「いや、知らないです」
「ご協力ありがとうございました!」
その間も周囲を見渡しながら、中庭に向かってじわじわと包囲網を狭めていく。
「聞き込みって、こんな感じでいいんですかね?」
知らないけど。
「合ってると思うよ。多分」
「よかった……それにしても……なんかすごく楽しくなってきました! 怪盗を追い詰めてるみたいです!」
無邪気に張り切る霧山さんに、思わず気が緩みそうになる。
「絶対に捕まえようね。でも、無理しないでよ」
「はい! 気を付けます!」
意気込み新たに辺りを見渡してみるが、
「どこにもいないなあ……霧山さんは見える?」
「見当たらないですね……」
「影に隠れちゃったのかも知れないね」
「私、一応確認してきます!」
「頼んだよ」
俺は駐輪場の方を調べて行ったが……いないようだ。
大の犬嫌いの人が、何か思念を飛ばしたりしていないだろうか。
一応意識を集中させてみたが、やはり思念は少しも響く気配がない。
……この力、何でいつも肝心な時に役に立たないんだろう。
気落ちしそうになった時、
「里島さん! こっちにはいませんでした!」
困り顔で駆け寄って来る霧山さん。その姿に、暗い気分が吹き飛ばされていく。
どうも俺は、霧山さんと一緒だと前向きになれる体質らしい。
「はぁ……はぁ……疲れました……」
「…………!」
肩で息をしているせいで、大きな胸がゆさゆさと上下運動している。
荒れる息もどことなく色っぽい。
「里島さん。どうしたんですか?」
「……なんでもない」
首を振って、何とか煩悩を弾き飛ばしていると、影がよぎった。
「あ! いたよ! 中庭のベンチの方に走って行った!」
「ベンチですか……」
「もう木陰に隠れちゃったけど」
時間もあまりないし、そろそろ確保しなければ。
《犬を発見! 総員、中庭に突入だ!》
グループレインで号令を掛け、中庭に突入する。
「植木が多いから、影に隠れてるかも知れない。気を付けてね」
「は……はい。あの……里島さん……」
目が泳いでいる。明らかに様子がおかしい。
「……実は私――あっ! ああああああああああ!」
霧山さんが指し示す先にいたのは、ゴールデンレトリバーみたいな大型犬。呑気に植木に片足を上げてはションベンを引っかけている。
《中庭東寄りにターゲット発見》
すぐさま情報共有しておく。
……それにしても、さっきから霧山さんは俺の後ろに隠れてしまっているが、
「どうしたの霧山さん」
「ごめんなさい……実は私、大きい犬が苦手なんです!」
そういう事か……。
「ごめん、気付かずに誘っちゃって」
「いえ、私が悪いんです! こんな大きいと思ってなくて――ヒッ! ああああ!」
背中に霧山さんと思しき柔らかい感触がある……。
なんか……すごく柔らかいけど、どこが当たっているんだろう。
「ごめんなさい! ひいいい!」
言葉とハミングするように、霧山さんが発したと思しき恐怖の思念まで軽く飛んでくる。……浮かれてる場合じゃ無い。
「大丈夫。俺が守るから」
「……ごめんなさい」
霧山さんを庇うように仁王立ちしながら、犬に見せつけるようにチーズを振り振り、山なりに投げ付けてやる。
犬はチーズを追って飛ぶように駆けて行く。……あの方向は明日香がいるはずだ。
《明日香、中庭のベンチの方に行った。頼んだ》
《任せて!》
校舎の影からチーズを握った明日香の姿が飛び出す。
犬は落ちているチーズを食べ尽くし、尻尾を振って明日香へと向かって行った。
「よしよし、いい子だからじっとしててね」
犬は明日香からチーズを受け取って嬉しそうに尻尾を振っている。すかさず明日香が犬の首輪を掴む。
……慣れてるなあ。
「よしよし」
「ナイスだ明日香! 後は任せろ!」
犬がチーズを食べている隙に、探偵袋からビニール紐を取り出して首輪に通す。
……標的確保。ミッションコンプリートだ。
一度犬を明日香に預け、へたり込んでいる霧山さんの手を取って起こしてやった。
「ごめん霧山さん。犬が苦手だとは知らなくて」
「いえ、私の方こそごめんなさい。……ホームズさんの……『バスカヴィル家の犬』を読んでから、大きな犬が怖くなっちゃって」
……あの火を噴く魔犬が出て来る話か。
「ちょっとわかるかも。俺も初めて読んだ夜はトイレに行けなくなったよ」
苦笑交じりに同調していると、
「おお! 捕まってるじゃん!」
「里島! ミッションコンプリートだな。どうやって捕まえたんだ?」
糸子と長谷村が駆け寄ってくる。
「明日香が捕まえてくれたよ。みんな拍手!」
鳴り響く拍手の中、照れ臭そうに微笑む明日香。
「ありがとう! 良かった……捕まえられて」
今回の事件解決のMVPは、間違いなく明日香だろう。
「この犬……もし飼い主が見つからなかったら、私の家で飼いたいな」
「保健所にはそう伝えておくよ。優しいね明日香は」
「そんなことないよ……私犬好きだから」
火照ったように赤らむ顔を、そっと伏せる明日香。思わずドキドキしていると、予鈴が響き渡る。
「よし、作戦終了だ。犬は俺が頼んで預かってもらうから、皆教室に戻ってくれ」
「了解。ワンちゃんをよろしくね、悟君」
「お役に立てなくてごめんなさい……」
明日香と霧山さんは、いそいそと下駄箱へと駆けて行った。
「おい。お前らも戻れよ」
「長谷村先輩、あーん……」
「お、ありがと」
長谷村と糸子は俺を無視して、イチャイチャとチーズを食べさせあっている。
こいつらどんどん仲が良くなっている気がするが、大丈夫だろうか。
長谷村は相変わらず絵里さん一筋だし、糸子の事は妹としか見ていないようだ。
糸子もそんな長谷村の気持ちを知っている筈だが。
……まあ気にしても仕方ないか。
用務員の方に頼んで犬を預かってもらい、急いで教室に戻った。
◇
放課後、教室を出ようとすると
「知ってたか? 推理部の奴らが犬を捕まえたらしいぞ」
「推理部? 何だよそれ」
「知らねーけど」
推理部が噂されているらしい……聞き耳を立ててみるか。
「でもすげえな推理部。魔獣みたいに狂暴な犬だったって話だろ?」
「ああ。トリックとか使って捕まえたらしいぜ」
「相当頭が切れる奴らなんだろうなあ」
うむ……何だか鼻が高い。
大分噂に尾ひれが付いている気がするが。
いい気分で探偵袋と革鞄を引っ提げて教室を出ようとすると、
「里島、一緒に帰ろうぜ」
長谷村が寄って来た。
「いつもみたいに絵美さんと帰るんじゃないのか?」
「今日は美術部の活動があるらしいからな」
「そっか」
せっかくなので一緒に帰る事にした。
「里島は推理部の噂聞いたか?」
「長谷村も聞いたか。……大分尾ひれが付いてたな」
「IQ500の天才集団だって持ち切りだったぜ」
「それはちょっと飛躍しすぎだな……」
「探偵機関のエリート候補生の集まりって話もあったぞ」
「それいいな!」
「それなー」
話しながら、靴に履き替えて正門へ向かっていくと、
『――キナコちゃん……』
焦燥しきった思念が頭に入り込んでくる。
「キナコ……ちゃん?」
「どうした、里島」
「キナコちゃんって知ってるか?」
「知らねえけど。そういや婆ちゃんが飼ってる犬がキナコって名前だな」
「それだ! でかしたぞ長谷村」
「どうした? 何かひらめいたのか?」
「さっき思念が飛んできた。恐らく近くにいるはずだ。キナコちゃん……俺達が捕まえた犬の飼い主が」
「ああ、そういう事ね」
◇
手分けして暫く探していると、植え込みでキョロキョロと辺りを伺う人影を見つけた。
「あの……もしかして、犬探してたりします?」
ショートヘアーで背の高い女子生徒へと、恐る恐る声を掛けてみる。
「見ましたか!?」
うお……詰め寄ってきた。
「落ち着いて! 今日学校に逃げ込んだゴールデンレトリバーのキナコちゃんですよね?」
「はい!」
「今は無事に捕まえて、用務員の方に預かって貰ってます」
「……良かった」
「ずっと探してたんですか?」
「はい。キナコちゃんが逃げたってお母さんが電話してきて心配してたら、学校でキナコちゃんを見かけて……夢中で探してたんです」
安心したのか、その場に崩れ落ちて泣き出してしまった。
「見つかって良かったです」
「本当に……ありがとうございます」
「待っていてください。キナコちゃんを友達に頼んで連れて来てもらいます」
「あっ……お願いします。何から何まで……なんとお礼を言っていいか……」
こんなに誰かに感謝された経験は身に覚えがなかった。
心が奥底から温かくなっていくような……悪くない感覚だ。
レインを送ってしばらく待っていると、長谷村が大きな犬に引っ張られてくる。
「キナコちゃん!」
犬は女子に飛びつくと、顔をぺろぺろ舐め出した。
……全く、飼い主の気持ちも知らないで呑気な奴だ。
「ありがとうございます! ……良かった」
心底嬉しそうな彼女の泣き笑いに、俺は心から救われた気がした。
◇
長谷村と横ならびに、いつもの学校前の坂を降っていく。
胸を張って深く息を吸い込むと、一筋の飛行機雲が青空に伸びていた。
「いいな。人に感謝されるって。まあ、ほとんど明日香のお手柄だったけどな」
「里島も活躍しただろ。さっきの女子、里島が気付かなければ夕暮れまで一人で犬を探し回ってたかもな」
「……まあ、そうかも知れないけど」
「事件を未然に防いだりもしてるだろ? 推理部を立ち上げて軌道に乗せたり……なんだかんだすごい奴だよ、里島は」
「……そうかなあ」
「お前はもう少し自分に自信持っていいんじゃないか?」
「事件を未然に防いでも、誰かに感謝されたりとかはあんまりないし。そんなに実感湧かなくてな」
「そういうもんかあ。でもお前はよくやってるよ。俺も活動楽しいし、糸子ちゃんと仲良くなれたし、感謝してるぜ。推理部のみんなもきっと同じ気持ちだろうよ」
「ありがとな。長谷村」
「おう」
赤信号に立ち止まると、飛行機雲が青空に滲んでぼやけていく。
見上げていると飛行機の音と重なる様に、頭を震わせる小さな雑音があった。
……またどこかで、誰かの心が揺れているのだろう。
俺の意志と無関係に、生まれ持ってしまったこのサトリ体質。
トラウマのフラッシュバック……加えてXガールの思念を勝手に覗く申し訳なさも相まって、俺はこの力に本格的に嫌気が差しつつあった。
でも、誰かの助けになれるなら……誰かの笑顔を守れるなら、この力も悪くないかも知れない。
「長谷村、新しくできたパン屋寄ってくか」
「そうだなー」
「約束通りカレーパン奢ってやるぞ」
「よっしゃ! じゃあマキシマムカレーパン奢ってくれ!」
「……何だそりゃ」
青く切り替わる信号。踏み出した足取りは、いつになく軽かった。
どうやら長谷村のお陰で大分気分が晴れたらしい。
しかし……マキシマムカレーパンか。あんまり高くなければいいんだが。




