5話 夜這いに残業手当はつかんぞ。1
国道沿いに建つ、庭付き二階建ての木造住宅。それが、株式会社悪魔災害110番の事務所だった。中古で買った家を改装し、一階のリビングを応接間兼仕事場として使っている。
明かりは、ついていない。
窓から差し込む斜陽が、応接用のテーブルを横切り、床に長く伸びていた。
守は仕事机の社長椅子にふんぞり返り、足も手も組んでいた。スーツには、現場の砂埃がこびりついたまま。
その足元で、ユキが土下座している。
白い髪も耳も灰色にくすみ、夕陽に照らされた尻尾が、床の上で力なく広がっていた。
「電柱三本」
守は天井へ向けて呟いた。
「一本で足りるかと思ったんですがね。三本も必要でしたか。次から持参しようか? 君専用の電柱を」
ユキは顔を上げなかった。
「抜いた穴。電線。舗装。君が持ち歩きながら削ったビルの壁。投げた先で壊したものは、これから調べてもらう。楽しみだなあ。まだ請求されるものが増える余地がある」
窓の外を大型トラックが通り過ぎ、その走行音が遠ざかる。
「最後に倒れたビルまで全部うちに来るとは思いたくないがね。災害対処中だ。いくらかは免除されるでしょう。担当者にはぜひ、君が三本目を抜く前の私くらい必死に考えていただきたい」
「……はい」
「八千五百万の仕事を取ったんだぞ、私は。君のおかげで使い道まで決まった。貯金しようか、車を買い直そうか、そんなつまらんことで悩まずに済む。ありがとう」
「……申し訳、ありません」
床すれすれのところで、弱々しい声がした。
守はわざと顔を横へ向ける。
「えー? 聞こえないなー?」
白い耳がへこたれる。
「街を壊すときは、あんなにいい声が出ていたのになー?」
「申し訳ありませんでした!」
ゴン、と床が鳴った。
守は組んだ足を少し引いた。
「事務所まで壊すな。ここは免除してもらえんぞ」
「す、すみません……」
ユキは額を床につけたまま、動かなくなった。夕陽が背中を照らし、長い影を椅子の下へ落としている。
守は背もたれに身を預けた。
「あーあ。このままだと倒産するかもなー。原因者は捕まえたのに、そのあと会社が潰れるとはな。向こうも留置場で喜んでくれるだろう」
「……倒産」
「社用車はない。請求書は来る。次から現場まで電車か? 君たち三人、救護バッグと銃を持って? 遅延証明をもらっている間に、他社が仕事を終わらせるんだ。経費が浮くなあ。給料を払う必要もなくなる」
「旦那様……」
顔を上げたユキの目に、涙がたまっていた。
ようやく堪えたらしい。守は組んでいた足をほどき、少しだけ口元を緩めた。
まあ、結果として原因者は確保した。救助も済ませた。行政が馬鹿みたいな額を請求してきたら、その二点を何度でも説明してやればいい。そもそも、寄越した資料からして間違っていたではないか。
反論の順序を頭の中で組み替えながら、ユキの言葉を待つ。今後は気をつけます。その一言で、ひとまずは解放してやるつもりだった。
「旦那様となら……どこまでもついていきます!」
守の足が床を滑った。
肘掛けをつかみ損ね、体を立て直そうとしたところでキャスターが逆へ走る。椅子だけが机の下へ逃げ込み、守は尻から床に落ちた。
「違う、そうじゃない。私はここにいたいんだ。せっかく買った家だからな」
「この家を出ることになっても、ユキはおそばに!」
「追い出されるところだけ、そんな素直に受け入れるな。会社が潰れちまうぞって話をしているんだ」
「たとえ地獄の果てでも! たとえ借金取りが来ても、私が蹴散らします!」
「だから違う、そうじゃない。請求額を増やす話はもう結構だ」
ユキは膝をついたまま、守へにじり寄った。
「旦那様が働かなくてもいいように、ユキが何とかします。いかなる手段でも!」
涙の残る瞳で、ユキが守を見上げる。頬には砂埃がつき、白い髪も乱れているが、小さな口をきゅっと結び、返事を待っている。
見た目だけなら、随分と可愛げがある。あの馬鹿力も、もう少し控えめなら。
守は開きかけた口を閉じた。
駄目だ。この女狐、何とかしないと。
ため息をつき、床に手をついて立ち上がる。尻の埃を払う気にもなれず、窓際へ歩いてブラインドの隙間を指で広げた。
大型トラックが一台、国道を走り抜けていく。路肩の砂煙がようやく薄れかけたところへ、次の一台。巻き上がる埃を眺めながら、守は背後で待つユキへの言葉を探した。
「あ、ああ。その時は頼むぞ」
「はい!」
尻尾がぶんぶん左右に振られ、床の埃を巻き上げる。
「おい、やめろ。埃が立つだろう」
守はブラインドから指を抜き、考えるのをやめた。
その横から、すっと書類が差し出される。
ハナが立っていた。砂埃を落とした黒い髪は、もういつもどおりに整っている。
「今日の分」
守は書類を受け取り、窓明かりにかざした。
使用銃器、弾薬の種類、消費弾数。発射位置と射撃方向に加え、狙った車体の接合部まで図で示してある。救出対象との位置関係も、細かい字で書き込まれていた。
「明日、警察に報告しておく」
「よろしく」
ハナはそれだけ答え、床に膝をついたままのユキと、守の間に立った。
守が書類をめくっても、動かない。
「まだ何か?」
「ボス、リーダーをいじめすぎ」
「いじめてない。文句を言っているだけだ。電柱三本分くらいは言わせてもらいたいね」
「土下座させてたじゃん」
「帰るなり、ユキがいきなりやったんだよ。私は椅子に座っただけだ。社長が座ると社員が土下座する。たいへん立派な会社になりましたな」
ハナは無表情に守を見つめていた。
守は書類の角をそろえた。
「何だ、その目は。私が床に印でもつけて、ここへ額を置けと指示したと思ってるのか」
返事はない。黒い耳も動かず、視線だけが顔に居座っている。
「報告書に書いてないぞ。社長への威嚇射撃。使用弾薬、両目」
「当たってる?」
「不愉快なくらいには」
「はいはい、そのへんで」
ツキが二人の間へ顔を出した。
「ハナ、そんなに睨んだって、この人が素直に謝ると思う?」
ハナの肩を軽く叩き、その隣からユキへ手を差し伸べる。
「リーダーも、もう立って。床のお掃除は明日にしましょ」
「ですが、私はまだ……」
「そのままじゃ話しにくいでしょう。ほら」
ユキが差し出された手を取り、ようやく立ち上がった。ツキはその膝についた埃を払いながら、守へ横目を向ける。
「しかし社長の器って、ずいぶん浅いのね。お水を入れても、おちょこ一杯であふれそう」
「結構。あふれた分で君たちの給料を払おう。今月は水だ」
「やだ、現物支給?」
「好きなだけ持って帰れ。容器は持参で」
ツキは声を立てて笑い、ユキのスカートの裾を整えた。
「そんなに怒ってると、せっかく助けてもらった人たちが聞いたらびっくりするよ。現場じゃ頼れる社長さんだったのに」
「聞かせてやりたいね。助けたあと、うちがどうなったか。感謝のお手紙には、ぜひ現金を同封していただきたいねぇ」
「まだ取る気なんだ」
「手紙の保管にも場所代がかかる」
「ツキ」
ユキが顔を上げた。
「旦那様は、私のためにおっしゃってくださっているんです。私がご迷惑をおかけしたのですから」
ツキの手が止まる。
ハナがユキを見た。次いで守へ目を向け、短く息を吐く。
「かばって損した」
「聞いたか。本人の証言だ。取り調べは終わりにしていただこう」
守は口の端を吊り上げ、ハナとツキを見渡した。
そのまま書類を脇へ挟もうとすると、ユキがその腕を両手でつかんだ。
柔らかな重みが寄り添い、白い髪が肩に触れる。
「旦那様♡」
謝っていたときとはまるで違う、甘い声だった。
守は腕に絡んだ両手を見下ろした。
「その切り替えの早さを、電柱二本目のところで見せてほしかったね」
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