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4話 愛してるぞ、ユキ。だから電柱を置け。4

 無線機が鳴った。


『ユキ、中の反応、確認できた。胸の奥に本人だけ』


 ユキは道端の進入禁止の標識へ歩み寄り、片手で支柱をつかんだ。引き上げると舗装が持ち上がり、根元のコンクリートごとするりと抜ける。


「ユキ?」


 持ち上げた標識が、ぎ、と鳴った。握った鋼管が潰れ、赤い円板が横へ倒れる。握り直すと支柱まで折れて、円板の縁が地面についた。


 ユキは曲がった標識を歩道へ置き、隣の電柱に手をかける。


 守の視線が、その手から電柱の先まで上がった。


「おい」


 電柱が浮いた。


 根元を覆っていた舗装が割れ、地中から長いコンクリートの柱が抜けてくる。引き絞られた電線が頭上で跳ね、白い火花を散らした。


 丸太でも担ぐように、ユキはそれを肩へ載せた。


「おい、お前、それ――」


 ユキが一歩、踏み込んだ。その視線が、巨人の胸の片側へ定まった。


 電柱が消えた。


 次の瞬間、巨人の胸が陥没した。


 青い乗用車が縦に折れ、左右の車体が押しのけられる。コンクリートの柱が何台もの車を貫き、巨人の背から突き出した。


 巨体が一歩、二歩と後ずさる。その重みで、踵の軽トラックが潰れた。


『ガッ、ア、アア――』


 いくつものスピーカーが同時に鳴り、何台かは途中で音を失った。


 守の頭上で、切れた電線が揺れていた。根元には大穴。電柱の行き先は、巨人の胸だ。


「……ハナ」


『本人には当たってない』


「そっちは聞いてない。いや、大事だが……」


 ユキが、次の電柱へ歩いていた。


「待て待て、ユキ」


 呼び止めても、白い尻尾がゆっくり揺れるばかり。


「ど、どうした、急に。な? いったん、その電柱から手を離そうか。話なら聞くから」


 ユキは電柱の前で足を止めた。


「……いま、ポンコツって言いましたか?」


 守は口を開きかけた。ユキの視線は、巨人に向いたままだった。


「旦那様のことを?」


 返事を待つように小首をかしげる。その手の下で、電柱にひびが入った。


「お、おい。返事をさせたいなら、スピーカーは残しておこうな?」


 ユキが、二本目を引き抜いた。


「残せと言ったぞ!」


 ユキは電柱を肩まで持ち上げ、そのまま踏み込んだ。


 巨人の腹に、穴が開いた。


 重なっていた車が内側へひしゃげ、背中から電柱が抜けていった。そのあとを、潰れたドアとタイヤが追った。


 向こうの道路で、何かがまとめて砕ける音がした。


 降ってきたボンネットが道路へ突き刺さり、外れた座席が跳ねる。足元に落ちたサイドミラーには、口を開けた守の顔が映っていた。


 顔を上げると、巨人の腹を通して向こう側の信号が見えた。


「……Wow」


 ユキが歩き出した。


 三本目の電柱へ。


「いやいやいや、待て! もういい! 十分だ!」


 守の制止も聞かず、ユキは電柱に手をかけた。


「ユキ、一本抜くたびに見通しがよくなってるぞ! あいつの交通政策に協力してどうする!」


 ユキの指が電柱へ食い込み、剥がれたコンクリートの下から鉄筋が覗いた。


「分かった、腹が立ったんだな! 私も立った! だが、電柱はあいつの所有物じゃない! そこをいったん整理しよう!」


 足元の舗装が盛り上がり、守の靴まで浮いた。腕をつかんでいても、まるで止まらない。

 三本目が、抜けた。

 ユキは電柱を抱えたまま、守を振り向こうともしなかった。

 助けを求めて目をやると、ツキが片眉を上げる。守は唇を引き結び、ユキに向き直った。

 電柱三本。舗装。電線。向こうの道路に突き刺さった二本目は、あと何を壊した。

 あとで行政から届く書類が、頭をよぎった。受け取る金額より、払う金額のほうが多い。そんな仕事があってたまるか。

 ユキが電柱を握り直した。

 次を投げてからでは遅い。

 だが、本当にあれを言うのか。ツキも見ている、この場で。

 ユキの腕に力が入った。

 守は目を閉じた。請求書を思った。威厳は諦めた。

「……愛してるぞ、ユキ」

 尻尾が止まった。

 電柱も止まった。

「本当に言った!」

 ツキが口元を押さえた。

「セクハラ」

 足元の影から、ハナの声がした。

 守は影を睨んだ。言わずに済む方法があるなら、先に教えてほしかった。

 ユキはまだ、電柱から手を離していなかった。

 守は額に汗を浮かべたまま、もう一度、口を開いた。

「私には君が必要だ。そばにいてくれ」

 ぴんと耳が立ち、ユキがゆっくり振り向いた。守と目が合うなり、頬がみるみる赤くなる。

「……だ」

 ユキが息を吸った。

「い、今、なんておっしゃられましたか!!?」

「まず、それを置こうか」

 ユキが一歩近づくと、抱えた電柱の先が、ごり、と隣のビルへ食い込んだ。

「私に、今、旦那様が、あ、愛……」

「そうだ。聞こえているなら、その長いのを」

 もう一歩。外壁をごりごり削りながら、潤んだ目で守に返事をねだる。剥がれたタイルが歩道へ落ちても、気づく様子はなかった。

「も、もう一度、お願いできますか。私、ちゃんと、お聞きしたくて」

「聞く姿勢は大変よろしい。だから、いったん手荷物を――」


 背後で、耳をつんざく声が上がった。


『オ、オマエエエエエエエエエエエエ!!』


 腹に穴の開いた巨人が、こちらへ向き直っていた。


 胸から突き出した一本目の電柱が、車体の間で軋んだ。何台ものヘッドライトが明滅し、割れたスピーカーから甲高い雑音が噴き出す。


 守の表情が引きつっても、ユキの頬は緩んだまま。そばでツキが小さく呟いた。


「これ、やばいわ」


 救護バッグを抱え直し、通りの角へ駆けていった。


 足元の影から、ハナが顔を出した。


「撤退」


 黒い耳が沈んだ。


「おい、君たち」


「旦那様!」


 また一歩迫られ、ビルの角が電柱に削り取られる。


「続きを!」


「今それどころじゃないだろう! 後ろ! 私への気持ちはそのままで、顔だけ後ろ!」


 守は両手を上げ、背後を指した。


 腹の穴から破片をこぼしながら、巨人が迫ってくる。路面を踏み砕くたび、潰れたクラクションが短く鳴った。


 ユキの目が、指先を追った。


 そのまま、守の顔へ戻ってきた。


『ツブレロオオオオオオオオ!!』


 巨人の左足が頭上を覆い、底に埋まった車が軋んだ。


 ユキの眉が、ぴくりと動く。ようやく肩越しに振り向いた。


「旦那様のお言葉がッ!! 聞こえないでしょうがァァァッ!!!」


 電柱が横へ走り、巨人の左足を吹き飛ばした。弾けた車体の塊が右足にも叩き込まれ、両脚が膝の下から砕け散る。


 守の目の前を、タイヤが横切った。


 その先で、ビルの窓が一列、消えた。


 遅れて、ガラスの割れる音が降ってきた。


 飛び散ったドアが外壁へ刺さり、エンジンが看板ごと向かいのビルへめり込む。


 ユキは短くなった電柱を抱え直すと、頬を赤く染めたまま守へ向き直った。


「旦那様! 続きをお願いします♡」


 守の口が、半ば開いた。


 足元の影から、男が一人、転がり出た。


 右手には、車のハンドルがついていた。


 握っているのではなかった。指が黒い樹脂に埋まり、手の甲から伸びた金属の軸が、ハンドルの中央につながっていた。


 男は左手を路面につき、起き上がろうとした。右手のハンドルが地面に当たり、体が横へ傾いた。


 続いて顔を出したハナが、男の襟首を引き寄せる。


「ハッピーマン、回収。生きてる」


 男が咳き込んだ。


 その向こうで、巨人が沈んだ。


『ア、アガ、ガガガガガ、ピギィイイイイイ――』


 奇声を途切れさせながら巨体が路面へ落ち、腰の車が重みで潰れた。横倒しになった肩のバスがビルへ突っ込み、その階を押し潰す。屋上の看板ごと崩れてくる建物の下で、今度は頭が隣のビルの角を折った。


 守は口を閉じた。


 まだ倒れる。腕が向かいの建物を薙ぎ、壁も床も車も、大通りへなだれ込んでくる。重なる轟音に、交差点が粉塵でかすんだ。


 ユキは耳を守へ向けたまま、返事を待っていた。


 その肩越しに、また一つ、屋上の看板が沈んだ。


 守は最後の一棟が崩れるまで待ってから、一つうなずいた。腹いっぱいに息を吸う。


「街を壊すなァァァ!!! 請求されるだろうがァァァ!!!」


お読みいただきありがとうございます。


感想などいただけると嬉しいです。

気に入っていただけたら、次のお話もぜひお楽しみください。

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