2話 愛してるぞ、ユキ。だから電柱を置け。2
スマートフォンから、事務的な声が漏れた。
『では、奴銭様。よろしくお願いします』
守はユキの腕の中で電話を握り直したが、すでに通話は切れていた。
「社用車代請求したろかボケがァ! 切りやがったな!!! このバァァアアアアカアアアアア!!!!」
返事の代わりに、頭上でクラクションが鳴った。
一台ではない。何十台もの警笛が重なり、駅前に響き渡る。
ユキが守を抱き直した。
「旦那様、耳を」
「塞いでる暇があるか。下ろせ。ハナ、聞こえるか!」
ユキの腕から降りた守は、襟元の無線機を押した。
『うるさいくらいには』
「うちの車、どこに入った」
『左の脇腹に。でも、ボス。その上にある白いワンボックスを見て』
守は目を細めた。
潰れた車体の隙間に、白いドアが見えた。窓の内側を、何かが叩いている。
手だった。
『大人が一人、子供が一人。隣のトラックに挟まれているのを確認』
巨人が身をよじった。
白いドアが歪み、窓いっぱいに亀裂が走る。
「ハナ、白い車の接合部を探して。ツキ、受け入れ場所を!」
『了解。ユキ、右腕が来る』
「私が引き受ける。二人は準備を!」
ユキが地面を蹴った。
その姿を、巨人の腕が追った。何台もの乗用車を束ねた拳が、道路を薙ぐ。
ユキは足を止め、飛び出していたバンパーを両手で受け止めた。
靴が路面を削った。
アスファルトに二本の溝を刻みながらも、ユキは踏みとどまった。白い尻尾が大きく広がる。
ユキは拳の向こうのビルへ目を走らせた。
「このまま押し返すと、あの車が潰れますね。ハナ、下を抜けます。射線を空けて!」
『もう空けてる。どうぞ、リーダー』
ユキは腰を落とした。拳を下から持ち上げ、その下へ体を滑り込ませる。
頭上を通過した腕が、空を切った。
『あの白い車、外せそう』
ハナの声がした。
『ドアの下と、屋根の後ろ。二か所。ユキ、受けられる?』
「受けます。私が下に入ってから撃って」
『了解。落としたら怒るからね』
「落としません」
守は周囲の建物へ目を走らせた。ハナの姿は見えない。
足元で、金属が擦れる音がした。
守の影から、銃口が伸びていた。
続いて、銃身を支える手。黒い狐耳。ハナが影の中から上半身をせり上げ、守の隣に膝をついた。
「二発だな? 弾の使用報告は私が書くんだから、どこを狙ってなぜ撃ったか、あとでちゃんと跳弾も気を付けて――」
ハナは頬を銃床につけたまま、守へ横目を向けた。眉が寄り、狐耳が左右に伏せられる。
「……うるさい」
ハナは再び照準を覗いた。
『位置につきました。ハナ、撃って!』
乾いた銃声が二度、響いた。
「おいこら!」
白い車の下で火花が散った。屋根に絡みついていた金属片が弾け、車体が外へ傾く。
ハナは銃を引き寄せ、守の影へ沈んだ。
白い車が落ちた。
ユキがその下へ駆け込んだ。
両腕で受け止めた瞬間、足元の舗装が陥没した。車内で悲鳴が上がる。
「大丈夫です! もう落ちません!」
ユキは車体を水平に戻し、胸の高さに抱えたまま振り返った。
「ツキ、親子二人! 先に運転席を開けます!」
「了解。車はそっとね。リーダーの『そっと』、たまに地面がへこむから」
ツキは軽口を叩きながら、すでに救護バッグを開き、白い車の進路を空けていた。
ユキは駆け寄り、白い車を地面へ下ろした。運転席には男が一人。後部座席では、子供がシートベルトを握り締めていた。
ツキがドアに手をかけた。
開かない。
「ユキ、ここだけ外して」
「はい」
ユキはドアの縁をつかんだ。金属が軋み、蝶番が抜けた。
外したドアを脇へ置く。その横からツキが車内へ身を入れた。
「助けに来ました。痛いところ、教えてください」
男の返答を聞きながら、ツキは額の傷に手を添えた。
指先に緑の光が灯った。細い光の筋が傷口に沿って走り、裂けた皮膚をつないでいく。
男が息を呑んだ。額を伝う血は止まっていた。
「お子さんは?」
「うしろ、娘が、足を――」
「分かりました。ユキ、後ろもお願い」
ユキが後部のドアへ回った。
後部のドアを外すと、ユキは襟元の無線機を押した。
「ハナ、次の位置は?」
『右肩のタクシーに一人。胸の中央、青い乗用車にも反応あり』
「タクシーから救出します。私が届くまで撃たないで」
『了解。合図、待ってる』
守は親子が車外へ運び出されるのを見届け、再び巨人を見上げた。
左の脇腹に、見覚えのある白い車体が埋まっている。折れた社名の下で、まだ使えそうなタイヤが一つ、むなしく回っていた。
「他人の車でずいぶん立派な体になったな。うちのローンも残さず食えよ」
『ボス?』
「旦那様、残る二台も救出します。ツキ、こちらは任せました!」
「任された。行ってらっしゃい、リーダー」
タクシーを下ろし、青い乗用車から最後の一人を引き出したところで、巨人の胸が鳴った。
電子音だった。
短い旋律が途中で潰れ、耳障りな雑音に変わった。
『ジャマヲ、スルナ!』
守が顔を上げた。
胸に埋まった車のスピーカーが震えていた。隣の車からも同じ声が出る。わずかにずれた音声が重なり、割れた窓をびりびりと鳴らした。
『マダ、オワッテ、イナイ!』
「こっちもだ。まだ一円も振り込まれてない」
『クルマヲ、モドスナ! ミチニ、モドスナ!』
ユキが下ろしたタクシーが、路面を滑った。
運転手を避難させていたツキが振り返る。ユキはすぐにタクシーのバンパーをつかみ、引き留めた。
「ハナ、中に残っている人は?」
『確認できた人は全員出した。もう一度調べる』
「お願い。ツキ、負傷者を規制線の外へ。終わったら、そこの通りの避難を確認して!」
『了解。そっちも無茶しないでね。車は治せないんだから』
「人を守れれば十分です。旦那様、救出した車がまた引かれています」
「車はあとだ。まずは原因者と話をつける」
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