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1話 愛してるぞ、ユキ。だから電柱を置け。1

駅前の立体駐車場から、車が一台、抜け落ちた。

 その日、駅前の渋滞は空から解消されはじめた。


 駅前の立体駐車場から、車が一台、抜け落ちた。


 三階の柵を突き破った赤い軽自動車は、しかし、道路には落ちなかった。腹を上にして宙に浮かび、そのまま交差点の向こうへ飛んでいった。


 あとを追うように、白いセダンが飛んだ。宅配便のトラックが飛んだ。路肩のタクシーが、開け放したドアを羽ばたかせながら飛んだ。


 それらを受け止めたものが、ビルの谷間で身じろぎした。


 車だった。


 数える気も失せるほどの車が、押し潰され、絡み合い、人の形に積み上がっている。片膝に路線バスが埋まり、胸には何台もの乗用車が折り重なっていた。右肩で、タクシーの空車灯が赤く光っていた。


 信号機が、その腰ほどの高さにあった。


 駅前へ続く大通りを、ハイエースが走っていた。


 助手席の奴銭守(どぜにまもる)は、窓の外へ目をやった。いつもなら一つ先の信号まで車が詰まり、青になってもろくに進まない道だ。今日は、さっきから一度もブレーキを踏んでいない。


 歩道では、警察官が駅とは反対の方向へ人を誘導していた。守はその先の規制線を見て、ようやく合点がいった。


 災害で車が入ってこないのだ。


「ユキ。あれ、いけるか」


 守はフロントガラスの向こうを指した。


「はい! 旦那様となら、どこへでも!」


 後部座席から身を乗り出したユキが、守の顔を覗き込んだ。白い狐耳が、返事を待つようにこちらを向いている。


「その熱意を仕事に向けてくれたら、私も君を好きになれそうだ」


 守はスマートフォンへ目を落とした。画面の災害情報には、推定全高八メートルとある。被害範囲を確かめ、通話を再開する。


「八千万。避難誘導、救助、原因者の確保。全部込みで八千万だ。ただし道路の片づけは別。あんなもん、うちのゴミ捨て場に入りませんからね」


 守は画面を切り替え、作業項目を上から順に確認した。


 巨人が一歩、踏み出した。


 足の裏で潰れたガードレールが、甲高い音を立てた。


『他社様から六千五百万円の提示が出ております』


「じゃ、そっちに頼めばいいでしょう」


 守は即答した。


 運転席にいたツキが、金色のポニーテールを揺らして、ちらりと横目を向けた。髪の間から覗く狐耳の片方が、受話音声を拾うように動く。腰から伸びる尻尾は、座席の脇に収められていた。


「帰る気なんてないくせに」


 通話に入らない声で呟いた。守は口元に人差し指を立て、電話の返答を待った。


『ただ、到着まで四十分ほど――』


「四十分? ここの渋滞をご存じない? 普段からろくに進まない道に、今は規制と迂回と避難の車までついてくるんですよ。ずいぶん景気のいい到着予定ですな! ようやく着いた頃に駅前が残っていればいいですね!」


「旦那様! 前、まえ!」


 ユキが座席の間から手を伸ばし、フロントガラスを指した。守はスマートフォンから目を離さず、片手でそれを制した。


「今、お金の話してるから、メッ」


 ユキの耳がぴんと立った。伸ばしていた手を胸元に引っ込め、頬を染める。


「はい♡」


 返事はやけに甘かった。尻尾が座席をぱたぱたと叩き始めたが、守は画面に目を落としたままだった。


「九千万。私たちが次の角を曲がって帰るまで有効ですよ」


『先ほどは八千万円と――』


「今のは先ほどのお値段です」


 数秒、保留音が流れた。


 守はその間に、空調の風量を一段落とした。


 ツキはセンターコンソールに手を伸ばし、サイドブレーキのレバーを引き直した。


「で、でも、旦那様、ですから、前を――」


『八千五百万円で、お願いできませんか』


「……仕方ないですね~~! 八千五百万。道路の片づけは別ですよ」


『では、その条件で。これより受託確認を送信します』


 画面に通知が出た。


 守は親指でそれを開き、作業範囲と金額を確かめると、承諾を押した。


「よし。君たち、仕事――」


 顔を上げた守は、言いかけたまま止まった。


 フロントガラスいっぱいに、車の壁があった。


 さっきまで見えていた頭がない。守はフロントガラスに手をつき、身をかがめて上を覗き込んだ。絡み合った車体を視線でたどり、駅前ビルの看板より高いところに、ようやく頭を見つけた。


「な、なんじゃ、ありゃああああああああ!?」


 信号機は腰の高さにあったはずだ。今は膝にも届いていない。


 守はこほんと咳払いを一つして、座り直した。ユキを振り返った顔には、もう先ほどの狼狽はなかった。


「さっきより、でかくなってないか?」


「だから、さっきからお伝えしようと!」


 市営バスが一台、宙を横切った。巨人の胸に突き刺さり、轟音とともにひしゃげる。そのぶん、車の壁がまた膨らんだ。


 守は承諾済みの画面を見た。もう一度、巨人を見た。


 スマートフォンを耳に戻した。


「おい」


『はい』


「資料には全高八メートルって書いてあるぞ」


『その、現場の状況は随時変化しておりまして』


「ああ、してるな。私が契約してる間に倍になっているんですよ」


 後部座席のユキが、窓に顔を寄せた。


「旦那様。中に人の気配がします」


「救助を優先する。ユキ、現場は任せた。私は契約を直させる」


「了解ッ! ハナ、中の人数と位置を確認。ツキ、救護の準備!」


「はいはい。リーダーは先に殴らないでね」


「分かっています。報告は私に」


 ユキは窓の外から目を離さずに答えた。最後列でハナが小さく笑い、スライドドアを開ける。黒いショートヘアから覗く狐耳が、外の音を拾うように動いた。


「了解。すぐ戻る」


 尻尾をドアに挟まないよう手で押さえ、ハナは音もなく車外へ降りた。ツキは救護バッグの留め具を外し、肩紐を腕に通していた。


 守は再び電話へ怒鳴った。


「聞きましたか。要救助者ありですよ。規模も違う。契約変更だ、変更。あとシルバーパラベ……ああ! 言いにくい! すぐに仁丹を寄越せ。なるはやで!」


『そちらについては担当部署と協議のうえ、上の判断を仰いでから……』


 車体が、ぎしりと鳴った。


 守の肩が助手席のドアにぶつかった。


「……おい、ツキ。サイド引いたか?」


「引いてますよ。さっき確認しました」


 タイヤが路面を擦る音がした。


 ハイエースが、横向きに滑り始めていた。


 交差点へ。


 車の巨人へ。


 ツキはブレーキを踏み込んでいた。ペダルの奥で何かが軋み、足元の領収書が散らばった。


『もしもし、奴銭様?』


「ツキ、降りて! 旦那様は私が!」


「お願い!」


 運転席のドアが開いた。ツキが救護バッグを抱えて飛び降りた。


「旦那様、逃げますよ!」


 背後から腕が伸びた。


 シートベルトが千切れた。


 ユキは守を抱き上げると、フロントガラスを蹴り破り、そのまま車外へ飛び出した。


 冷たい外気が顔を叩く。


 上下が入れ替わり、胃が浮いた。


 ユキは守を胸に抱いたまま空中で身をひねり、規制線の外へ着地した。靴底の下で舗装が砕けたが、守の体にはほとんど衝撃が来なかった。


「お怪我はありませんか?」


 見上げると、ユキが微笑んでいた。


 その肩越しに、ハイエースが飛んでいった。


 開いた運転席のドアから、工具箱が落ちた。落ちかけた工具箱も、すぐに車のあとを追った。


 車体は巨人の脇腹へ吸い込まれた。


 馴染みのある『悪魔災害110番』の文字が、青いトラックと銀色のセダンの間で、くしゃりと折れた。


 守は口を開けた。


 声が出なかった。


「旦那様?」


「……まだ」


「はい?」


「ローン、十九回残ってんだぞぉおおおお!!!!!!」


お読みいただきありがとうございます。


感想などいただけると嬉しいです。

気に入っていただけたら、次のお話もぜひお楽しみください。

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