11話 AIに絵を奪われたので、人間を絵具にしました。1
AIイラストが憎い。
あんなものさえなければ、私は今も絵を描いていられた。
「ふふっ」
笑い声が漏れた。
目の前には、一枚の絵があった。
台所の白い壁いっぱいに描かれた、父と母の絵。
二人は食卓を囲み、穏やかに微笑んでいる。父は湯呑みを手にして、母はいつものように少し首を傾げていた。
懐かしい光景だった。
小さい頃、学校から帰ってくると、いつもこんなふうに二人が迎えてくれた。
絵を描いた日は、真っ先に見せに行った。
上手だね、と褒めてくれた。
次は何を描くの、と楽しそうに尋ねてくれた。
あの頃の、優しいパパとママ。
「ねえ、見て」
私は壁に向かって微笑んだ。
「AIにこんな絵、描けるの? ねぇ?」
返事はない。
けれど、二人は幸せそうに笑っている。
「ふふ。とっても優しいパパ、ママ」
そっと手を伸ばした。
母の頬に指先を触れる。
ぬるり、と柔らかな感触がした。
まだ乾いていない。
指を離すと、肌色と桃色の絵具がべったりと付着していた。母の頬には、指先で撫でた跡が残っている。
「あ……」
私は慌てて、指についた絵具を母の頬へ戻した。
指先で優しく均す。
少しだけ色が混ざってしまったけれど、それも悪くない。
「うん。綺麗」
父も母も、もう怒らない。
絵を描くのをやめなさいとも、大人になりなさいとも言わない。
ずっと、私の大好きなパパとママでいてくれる。
「……ありがとう」
私は二人に微笑みかけた。
それから、手にしていた大きな筆を見下ろす。
身の丈を超えるほど長い柄。その先には、たっぷりと絵具を含んだ巨大な穂先があった。
赤、青、黄色、緑。
色という色が混ざり合っているのに、不思議と濁っていない。
「そうだ」
私は筆を持ち直し、七色の絵具を含んだ穂先を胸元へ向けた。
「私も、描いちゃおう」
とん、と押しつける。
「ひゃっ」
冷たい毛先が服をすり抜け、肌の奥へ染み込んできた。
ぞくり、と背筋が震える。
「な、なに……これ……っ」
胸元から広がる色彩が、身体の奥をぞくぞくとくすぐった。
思わず身をよじると、筆先が滑り、肩から腕へと鮮やかな色が走った。
「んっ……ふ、ふふっ……」
指先が滲み、肌の輪郭がほどけていく。
痛みはない。それどころか、身体を描き替えられるたびに、甘い心地よさが込み上げてきた。
もっと。
私は自分から筆を滑らせた。
肩から腰へ、脚へ。筆が通るたびに身体が震え、膝から力が抜けそうになる。
髪は青や緑、桃色に染まり、瞳には鮮やかな橙色が灯った。服も肌も、すべてが色鮮やかな絵へと変わっていく。
そう。これは私が描いた、未完成の女の子。
その子が今、私自身になっている。
唇から赤い絵具がこぼれ、床に落ちた。
私は新しくなった手を見つめる。指を曲げると輪郭が滲み、肘から青い雫が滴った。
もう一度、筆先を頬に押し当てる。
柔らかな感触とともに、新しい色が広がった。
「キレイ」
私はようやく筆を離した。
もう一度、壁の絵を振り返る。
「パパ、ママ。私、行ってくるね」
二人は変わらず微笑んでいた。
「帰ったら、また絵を見せてあげる」
私は巨大な筆を抱え、台所を出た。
廊下に一歩踏み出す。
ぺたり。
床に七色の足跡が残った。
赤、青、黄色、緑。足跡は一つひとつ違う色に滲み、ところどころで絵具が垂れて小さな水たまりを作った。
階段を降りる。
手すりに触れると、そこにも鮮やかな指の跡がついた。
家の中が、少しずつ色づいていく。
私は何も考えず、ただ足を動かした。
玄関の扉を開ける。
冷たい夜風が頬を撫でた。
その風に吹かれ、髪の先から七色の雫が散った。
私は外へ出た。
行き先は、決めていなかった。
ただ、歩きたかった。




