第5話 マーケット(前)
あれだけ飲み、騒いだというのに、翌朝はカエナに頼んでいたモーニングコールよりも早く、ごく自然に目が覚めた。
今日、初めて見る事になるだろう異世界の「日中の街並み」に、俺は柄にもなく興奮していたのかもしれない。異世界初日、この街「エンジナ」に着いたのはもう夜更けだったし、昨日は結局、青銅の腕亭から一歩も外に出なかったのだから。
実質的な「異世界ファンタジー初日」と言っても、決して過言ではあるまい。
「おや、クロード、早いねえ。朝ごはんはもう少し待っておくれよ。今、厨房でゴーレムが作ってる最中だからさ」
一階に下りると、受付の帳台には既にルキナさんが座っていた。頬杖をついて、いかにも暇そうに外を眺めている。
彼女はこちらの姿を認めると、例のチェシャ猫じみた三日月眼を作ってニンマリと微笑んだ。
「へえ、その服、なかなか様になってるじゃないか。裾上げは必要かい?」
「いえ、ぴったりです。……ルキナさん、この服、本当に頂いてしまっても良いんですか?」
「アンタが着てくれなきゃ、ソイツは未だにクローゼットの肥やしさ。まさか、この先バレルが痩せるわけもないだろうしねえ」
確かに、あの見事なドラム缶体型がスリムな筒に戻る未来はちょっと想像できない。なら、お言葉に甘えて遠慮なく頂いておくことにしよう。
貰い受けたのは、丈夫な麻の上下に、使い込まれた革のジャケット。ズボンはベルトを通す穴すらなく、腰の紐でギュッと縛るタイプだ。現代の服に比べれば洗練されてはいないが、ポケットが多くて機能的だし、どこか無骨で俺はかなり気に入っていた。
「ふふ、なんだか若い頃のあの人を見ているようだよ」
「……それ、本当に止めてくれません?」
このまま順調に加齢を重ねると、最終的にあの「樽型」へと進化を遂げてしまうと予言されている気分になる。
「さあて、着替えも済んだことだし……朝飯を食ったら、いよいよエンジナの街へ繰り出してみるか」
俺はジャケットの袖を軽く捲り上げながら、木漏れ日の差し込む宿屋の窓外へと視線を向けた。
「いってらっしゃい。買い出しなら大市がお薦めだよ。面白いモノがたくさん並んでるからねえ」
ルキナさんの見送りの声を背に、俺は青銅の腕亭の重厚な木造ドアへ手を伸ばす(実際には手を触れる前にゴーレム自動ドアなので勝手に開いたのだが)。
途端に眩いばかりの陽光と、耳を覆いつくすような環境音の奔流が視界ごと俺を殴りつけてくる。
「……うわ」
思わず漏れたのは、感嘆とも呆れともつかない溜息だった。
前世で見慣れていたのは、灰色のコンクリートとアスファルトで固められた幾何学的な街並みだ。無機質なビル群に囲まれ、排気ガスの匂いと電車の走行音、誰もがスマートフォンの画面を見つめて無表情にすれ違う冷たい都市。大型電光掲示板にどこか感じる虚しさ。
だが、いま目の前に広がっているのは、まるで真逆の世界だった。
一個一個が重そうな石畳がどこまでも続く緩やかな坂道。その両脇には、年月の刻まれた重厚な木骨造りの店やアパルトメントがぎっしりと連なっている。乾いた風に乗って運ばれてくるのは、朝だからだろう、焼き立てパンの香ばしい匂い。ツンと鼻を刺す見知らぬ香辛料の刺激臭もする。そしてどことなく煤けた鉱物油の臭い。生々しいまでの「たくさんの人の営み」が香りと共にそこにはあった。
中世のヨーロッパを思わせる絵本の中のようなノスタルジックな街並み。訪れた事は一度も無いのになぜか感じる懐かしさ。
だが、そこを往来する「群衆」の光景は、俺の持つ前世の知識とファンタジーの常識を等しく木っ端微塵に粉砕していた。
歩道を流れる歩行者の割合が、綺麗に人間とゴーレムで「一対一」なのだ。
重い荷台を淡々と引いて歩く巨大な石造りの搬送ゴーレム。屋台の店先で、一定の速度で焼き串をひっくり返し続ける青銅製の調理ゴーレム。紳士風の身なりをした人間の後ろを、寸分狂わぬ歩幅で追従する給仕用と思しき木細工のゴーレム。
擦れ違う人々に視線をやれば、誰もがゴーレムの存在を道端の街灯か雑草かのように気にも留めず、当たり前の顔で横を通り過ぎていく。
無機質なコンクリートの現代地球ではロボットはまだどこか「異物」だった。しかしここでは、人と自律型AI端末……もとい、ゴーレムが、まるで昔からの当たり前のように完璧に溶け込んでいる。いや「ように」ではないのだろう。ここではこれが当たり前、日常や常識というヤツなのだ。
……これは慣れるのに時間が掛かりそうだ。俺にとってゴーレムはまだまだテーマパークで見る着ぐるみに近いからな。
石と木と泥臭い人間味が混ざり合った異質な日常景観。その中央に立ち尽くす俺の胸に、じわじわと「本当に異世界に来たんだ」という妙に生々しい興奮が湧き上がってくるのを感じた。
どうやらここまででは、まだまだ実感が不足していたらしい。胸がいっぱいになる、という比喩表現の意味を真に理解した気がした。
『クロード様、外気温および湿度は良好です。歩行に支障はありません』
思考の海に沈みかけていた俺の右斜め後ろから、カチャリと関節音を立ててウッドゴーレムのカエナが並び立った。一歩引いた絶妙な位置取り。相変わらず無駄のない、完璧なアテンダント動作だ。今日のカエナは翻訳兼解説役である。ルキナさんが俺一人では何かと不便だろうと一日貸してくれたのだった。
『ルキナ様の助言に従い、クロード様ご希望のマーケットはこちらの区画になります。これより先導を開始します。現地では密な人流が予想されますので、当ゴーレムから二メートル以上の離脱を行わないよう推奨いたします』
「頼むよ、カエナ。迷子になってけいさ……衛兵のお世話になるのだけは勘弁だからな」
『肯定。当機はルシア様の小さい頃の相手も経験が御座います。迷子防止プロトコルもその頃より消去せず実装しておりますのでクロード様の心配は不要です。こちらへどうぞ』
カエナの抑揚の無い合成音声と、カタカタ鳴る木製関節の足音。俺はその背中を追いかけるように、熱気とバグと技術革新が混ざり合うエンジナの街へと一歩を踏み出した。
「ゴーレムが物を売って、ゴーレムが物を買う……なんだ、この光景」
大市に足を踏み入れた途端、俺は思わず立ち止まり、まじまじとその異様すぎる光景を注視してしまった。
屋台の店先に立っているのは無機質な石造りの販売ゴーレム。その前に並び、果物や木箱を受け取っているのもまた、荷揚げ用と思われる木製の搬送ゴーレムだ。
売り手と買い手が互いに一切の言葉を交わさず、無言で商品をやり取りし、次々と右から左に品物が流れていく。まるで無人の全自動物流倉庫を外から眺めているような感覚だった。
『何がでしょうか? 目立って変わった所も確認出来ない、いつものエンジナのマーケットですが、クロード様』
「あ……ああ、そうなんだね。でもさ、カエナ。一つ聞くけど、あのゴーレム達お金を払っていないんじゃないかい?」
ジャラジャラとしたコインの音もなければ、請求書や納品書等のやり取りもない。商品だけが淡々と手渡されている。
『いいえ、ちゃんと払っています。ゴーレム間での商取引はデータでやり取りされています』
「……ああ、なるほど。って事は貨幣は人間専用という事なのか」
それって要するにキャッシュレス決済……いや、端末同士のAPI連携による自動電子決済か。前世のWeb3や暗号通貨決済どころか、システム同士がバックグラウンドで瞬時に通信処理を終わらせているわけだ。この世界、変なところだけハイテクすぎるだろ……。
何でやり取りしているんだ? 電波、赤外線……いや、魔力や精霊とかであってもこの世界なら不思議じゃないな。
『ゴーレムと人間とのやり取りであれば貨幣が利用される事はあります』
「そっか。でも、となると困ったな。物価の感覚を掴みに来たのに実物のお金が使われていないのでは、あまり参考にならない」
どれだけデータで経済が回っていようと、俺の手元にあるのはモルトに貰った七枚の銀貨。デジタルなデータ処理を眺めているだけでは、この街の生身の相場感がさっぱり分からない。
『でしたら、あちらはいかがでしょうか?』
カエナがすっと細い木製の指を向けたのは、大市の中でも少し雰囲気の異なる一角だった。
「ん? 服とかアクセサリーとか……あっちはファッションの並びかな?」
『肯定。ああいったものはゴーレムではなく、人間が直接買い付けに来ます。必然、貨幣が利用されるタイミングも多くなります』
「確かにそうか。デザインの好みや着心地、装飾の美しさなんて千差万別でデータ化しにくい個人的価値観は、ユーザー本人が直接選ぶしかないものな。良い着眼点だ、カエナ。なら、あの辺りを見てみよう」
データ決済で機械的に処理される食料品や日用品と、人間が趣味嗜好で金を払う娯楽品・装飾品。経済の二重構造がこんな形で見られるとはな……よし、まずは人間がいくらで何を買ってるのか、じっくり観察させてもらうとするか!
今日の最大の目的は銀貨七枚が俺の感覚で言う所の「幾ら」相当なのかを知る事だ。
「銀貨や銅貨の利用が多いんだな、この辺は」
『はい。個人客がマーケットで金貨が使うのは稀です。業者間取引や高級服飾店などが金貨の使われる主な市場です』
「銀貨は何枚で金貨一枚と交換出来るのかな? いや、ついでだし全ての貨幣の交換レートを教えてくれないか?」
『はい。帝国での通貨は十進法で整理されています。黄銅貨十枚で青銅貨一枚。青銅貨十枚で銅貨一枚。銅貨十枚で銀貨一枚、』
「なら、銀貨十枚で金貨一枚なのか。それは頗る分かりやすいな。ちなみに金貨の上や黄銅貨の下は有るのかい?」
『黄銅貨の下は有りません。金貨の上には大金貨が有ります。こちらは金貨十枚と互換性が有ります』
「なるほど、勉強になります。カエナ、説明ありがとう」
俺の肩口に有るカエナの頭を撫でる。背丈のせいで、なんか頭を撫でたくなるんだよなあ、カエナって。
『ポジティブフィードバックを確認しました。クロード様、他にご質問はございますか?』
……ポジティブフィードバックって! しかも質問を要求する事で「ありがとう」を間接的に要求してやがるぞ、コイツ。
カエナの相変わらずAIっぽい返しに内心でツッコミを入れつつ、俺は脳内で通貨の計算を整理した。
十進法で完全に統一されてるのは本気でありがたい。まともな為政者か御用学者が政府に居る証拠だ。
これがファンタジー世界にありがちな「銀貨1枚=銅貨12枚」みたいな複雑な非十進法であってみろ。アレは本気で悪夢だぞ。それが元で飛行機が落ちた事例も有るくらい最悪に計算しにくいからな。
この帝国、絶対に『かつて優秀な経済システムエンジニアが通貨単位を標準化した形跡』がある。素晴らしい話ではないか。ヤード・ポンド法はマジでクソだから! 一刻も早く消えろ!
いかんいかん、変な所で前世のトラウマスイッチが入ってしまった。
「ちなみにさ、カエナ。一番下の黄銅貨って、一般的な感覚で言うとどれくらいの価値なんだ? 例えばパン一個買うのにどれくらい必要? 」
ちなみに昨晩の情報ではリンゴは青銅貨二枚から青銅貨一枚と黄銅貨六枚が相場である。黄銅貨だけで言えば20から16枚換算だな。
『基準となる麦パン一個の価格は、概ね黄銅貨二枚から三枚です』
んん? 聞き間違いか? 黄銅貨って最小単位通貨だよな?
「パン7個と林檎が大体等価……? ちょっと待ってくれ、そうなると逆にリンゴが高すぎないか?」
『リンゴは小麦ほどの生産効率となりません。小麦、塩、油といった生活必需品に効率的に生産力を割り振った結果であるとされています』
「生きるだけなら、そこまで出費しない設計になっている、という事?」
『その通りです。人頭給付しか収入のない層に政府は最大限配慮しています』
何それ、えっぐい。
最低限の炭水化物や脂質といったカロリー源はゴーレムによる超効率化農業で価格を徹底的に破壊。人頭給付ってのは、それはつまりベーシックインカムの事だろ? この二種を最低限のライフネットとして市民に供給しているわけだ。
だから仕事がなくて金がなくても極論、餓死することはない。
一見すると福祉の行き届いた楽園だが、見方を変えれば『国民を飢えさせず、最低限の飼育状態に置くことで暴動を防ぐ』ための恐ろしいまでに合理的な社会設計じゃないか……!
「なるほどね……勉強になるよ、カエナ。帝国は思っていた以上に『計算された国』なんだな」
『肯定。帝国の社会システムは洗練、最適化されています。他にご質問はございますか?』
「もしかして、お酒も安いのかな」
『肯定します。酒類はもっとも手軽な娯楽である為、帝国によって安価に製造販売されています』
「うわあ……アル中どもが泣いて喜びそうな話だな」
『肯定。アルコール依存症および関連疾患を患う市民の割合は増加傾向にあります。酒類の価格引き上げ案は定期的に議論されていますが、民意の猛反発を受け、現在も実施される見通しはありません』
絶対に実施されないだろうな、その状況じゃ。依存症の患者自身が有権者なのだから。
「とは言え医療崩壊待った無しな話じゃないか?」
『医療診断はゴーレムが無料で提供しています。ただし、治療に必要な薬剤は経済レベルの低い層には手が出しづらいのが実情です』
「医療とは薬の提供を含まない、ということか?」
『肯定します。しかし、薬価が高すぎるという統計的評価はありません。政府は常に適正価格で販売するよう指導、監視しています』
「働かないアル中は……まあ、自業自得と言われればそれまでだが」
『その判断に対し、当ゴーレムは回答を保留します。帝国中央議会においても『自己責任論』と『国家による静かな犯罪』とする論の双方が存在しています』
……思わず背筋に冷たいものが走った。ゾッとするほど「完成された管理社会」の闇が見えてきたじゃないか。
安価なパンで餓死を防ぎ、安価な酒で不満と理性を麻痺させ、病気になればゴーレムが無料で診断をしてくれる。だが、病気を治す薬や健康的な食生活は最底辺には手が出ない。
これ、民衆を暴動させないための完璧なディストピアシステムじゃないか。
前世の知識があるからこそ、この社会設計の恐ろしいまでの「合理性」が透けて見える。
「パンとサーカス」どころか、「安パンと安酒と無料ホスピス」で無害化された市民たち。モルトが「仕事がないなら夜は子供を作るくらいしかやることがない」と言っていたのも納得だ。国家が静かに、そして親切に、人間から「野心」や「生きる牙」を奪い去っているのだから。
帝国がやっている事は劣勢淘汰と暴力性の去勢だ。
「自己責任か、はたまた国家による静かな犯罪か」なんて議論が成り立つ時点で、この帝国の倫理観は浸食されすぎている。
『クロード様、心拍数の上昇を感知しました。体調に変化はございますか?』
「いや……大丈夫だ、カエナ。ちょっとこの国の『優しさ』に、ゾクッとしただけさ」
俺は息を深く吐き出し、気を取り直すように首を振った。
「よし! 重苦しい考察はこれくらいにしよう。切り替え、切り替え。むしろ生身の人間がどんな熱量で買い物をしているのか自分の目で確かめたくてたまらなくなってきた」




