第2話 ルキナ
「……知らない天井だ」
木板の天井を見ながら、俺は呟いた。目を覚ました俺が見たのはいつもの自室の面白みの無い白い壁紙ではない。
頭が痛い。昨夜は飲み過ぎた。色々な事が有ってテンションも大層上がっていたのだろう。何がどうなってベッドに寝ているのか、本当に覚えていない。
「えっと……バレルの親父と朝までしこたま飲んで」
そう。カエナが「ありがとう」と言う度にお酒を給仕してくれるもので、二人して動作確認替わりに「ありがとう」を言いまくったのだ。それはもう「おかわり!」くらいの勢いで。
……あんな勢いで酒を出したらこの宿屋潰れるんじゃないか? いや、昨日がただ酒だっただけで、平常営業なら酒が売れに売れるようになって儲かるのか?
押し売りにならないか心配だな。その辺りのカエナの塩梅はもしかしたらアフターサービスが必要かも知れない。
「で、夜が明けてきた頃に、青銅の腕亭の女将さん、バレルさんの奥さんが二階から降りてきて」
あー、段々思い出してきたかも。一階の夜通し酒盛りを見つけた奥さんがバレルの親父を引っ叩き、返す刀で俺に詰め寄ろうとした所を、
「そうだ、カエナに庇われたんだ」
怒り心頭の女将さんと俺の間に入り込んで「奥様、この方はお客様です。お客様には喜んで頂かなければなりません」って。で、女将さんが……あ、ダメだ。思い出せねえ。
これはアレだ。多分、この辺で意識を手放してるな、俺。飲み過ぎて記憶を無くす、って経験は前世ではした事が無いから、恐らく潰れたんだろう。まあ、異世界初日って事でテンションも相当上がっていたし、多少はね?
記憶の断片を手繰り寄せていると、唐突に個室の扉がノックされた。はーい、起きてますよー。
『おはようございます、クロード様』
部屋にやってきたのはウッドゴーレムのカエナだ。カエナは右手にタオルを、左手に水桶を持って部屋へと入ってきた。どうでもいいが、両手が塞がっているのにどうやって扉を開けたのだろう? 宿屋の玄関と同じく自動ドアなのだろうか?
「カエナが居る、って事はここは『青銅の腕亭』か? なら、俺は昨晩、客室の一つを使わせて貰った……んだろうな。申し訳ない」
『肯定します。ここは青銅の腕亭です。そして、二つ訂正を。クロード様が眠りについたのは昨晩ではなく明朝で、現在は昼下がりです。そして、クロード様が客室を利用されることは当然の権利であると店主夫婦は納得している為、クロード様が恐縮する必要は全く有りません』
店主夫婦。バレルさんの女将さんの容姿を思い出す。肝っ玉母さんを絵に描いたような、豊満で力強い体つきの女性だった。顔も結構な美人さん。素敵な人を奥さんに貰ってるじゃん、あの髭親父。どうやって知り合ったんだろう。ちょっと気になるな。
前世では終ぞ出会いに恵まれなかったもので。バレルさん、マジ羨ましいです。師匠って呼べば素敵な女性との出会い方を教えてくれるでしょうか?
閑話休題。
『クロード様、お湯と布をお持ちしました。良ければ全身を拭かせて頂きますが、いかがでしょうか?』
「あえ? あー、そうか」
異世界だもんな。こっちには風呂とか無いのかも知れない。お湯に浸したタオルで体を拭くのが昔のヨーロッパでは実質的な「入浴」だったってのは俺も知識として知っている。
で、その介助にゴーレムを使うのは確かに変な話ではない。ないが……これ、現代人にはハードル高くないか? いや、見た目で人間と誤認する事は絶対に無いとは言え、二足歩行でヒト語を話す相手の前で全裸、しかもタオルで拭いて貰うってのは。
……なぜだろう。なぜ悪い事をやらせてしまうような気になってしまうのか。これがアナザーディメンションギャップ!?
「あー……いや、カエナ。気持ちはありがたいんだが、自分でやるよ。道具だけ貸してくれ」
『非推奨です。クロード様は現在、極度のアルコール代謝負荷および脱水症状の兆候を示されています。動作の正確性に懸念があるため、本ゴーレムが介助を行うことが最も安全かつ効率的であると判断します』
あれ? これ、この流れ。論理の一貫性、正しさの綱引きで俺負けるんじゃねえか?
「いや効率の問題じゃなくてだな! 男の矜持というか、倫理観というか……!」
『ゴーレムに性別は有りません。以上、クロード様がここで仰る男の矜持、倫理観というものの概念の照合において該当のデータは参照出来ませんでした』
くっ……昨晩より百倍手強い!?
『翻って、クロード様の体表面の清拭は「顧客の満足度および衛生環境の維持」タスクに含まれます。これを行うのは当ゴーレム「カエナ」にとっての通常業務となります。通常業務が満足に行えないゴーレムは廃棄となります』
な、泣き落とし、だと!? 冗談だろ! 昨日の今日で、一体何が起こっているってんだ? ポケ〇ンの進化じゃねえんだぞ?
……いや、プロだからこそ理解出来る。カエナの中で何がどうなっているのかを。理解出来るからこそ厄介だ。下手に否定したら、それもまた面倒臭い事になりかねないのは俺の気のせいではあるまい。
俺(お客様)から「ありがとう」を笑顔で引き出したい→奉仕をすれば「ありがとう」が言って貰える→奉仕をしなければならない(New!)→もっとも俺が断り難いと思われるベクトルで奉仕を提案する……こんな論理ツリーが形成されてしまっているのだろう。
カエナはどこまでも命令を愚直に遂行するタスク指向型AI……もとい、タスク思考型ゴーレムなのだ。なぁんか恥ずかしがっている俺の方が、かえって自意識過剰でカッコ悪い気がしてきたなあ。
「じゃあ、背中だけ頼む。そこは自分の手じゃ届かないからカエナの言う通り、助かるよ」
アラインメント作業員奥義、自他の要求の擦り合わせ! この際、相手を褒めると尚こちらの提案に乗ってきやすいのである、当社比! あくまで当社比(個人の感想です。効果には個人差が有ります)!
『了解しました。背中のみの清拭にタスクを更新します』
そう言ってカエナは、先ほどまでの「廃棄」云々の脅迫めいた空気など微塵も残さず、カメラアイを少し揺らした。ほんの少し。人間の動作に翻訳すると「鼻を鳴らす」であろうか。「ふふん♪」って感じのアレだ、アレ。
ダメだ、完全にこちらの「折れやすいポイント」を学習されてる。そんな気がして仕方が無い。
手際よく湯気立つ布を絞り、椅子に座ってシャツを脱いだ俺の背中にそっと当てるカエナ。温かい手つき(物理的には温められた木製だが)で丁寧に背中を拭われていく感覚は、悔しいが素直に気持ちいい。
「ふぅ……。なるほど、確かに背中を拭いて貰えるのは悪くないな。カエナ、丁寧な仕事だ。助かるよ」
『クロード様、「ありがとう」です。「助かるよ」よりも「ありがとう」の方が本ゴーレムにとって評価スコアが高いです』
言いながら催促のように俺の脇腹を濡れタオルで拭うカエナ。……あれ? これ、RLHFに微妙に失敗したんじゃね、俺? 昨日の「ありがとう」≒「おかわり!」連呼で味を占めた感が……まあ、別に悪い話でもないか。カエナの言う事ももっともだ。
「あー……ありがとう」
『ポジティブ。クロード様からの「肯定的なフィードバック」を受信しました。本タスクの満足度評価値を引き上げます。引き続き前面、及び下半身の清掃も行いましょうか?』
「い、いやそれは結構だ」
『結構……どちらの意味でしょうか? 素晴らしい提案だ、という意味にも取れますが』
論理構築の手際が良すぎてぐうの音も出ない。これ、絶対に俺の「押しに弱い」パラメータを急速に学習してやがるな?
「必要無い、という意味だ。ヒトの男性として気恥ずかしさが勝つ。カエナ、学習したか?」
『学習しました。背中の清掃がお望みの時はいつでもお呼び付け下さいませ、クロード様』
正直に白状するのが結局一番通るんだよなあ、AIって。異世界でもこの辺りは変わらない普遍的性質らしい。
背中を拭き終えたカエナが、テキパキと水桶と布を片付ける。そして部屋を出る前に俺に向けて口を開いた。
『当宿女将より、クロード様への伝言がございます。「目が覚めたらなるべく早く一階の食堂へ降りてきて欲しい」とのことです。昨夜から明朝にかけての「清算」について、女将は話し合いを希望しています』
清算。これまで生きてきて俺にとってポジティブだった事の無い単語である。考える。
俺がやった事はちょっとカエナの「混線」を解いてやっただけ。対してバレル夫妻(主に奥さん)の損失は大の男二人分の浴びる程の酒と秘蔵の高級葉巻タバコ十数本である。
……冷静に考えたらこれ、ちょっとマズい事になるかも知れない。この世界の酒と葉巻とゴーレム修理費の相場がどれ一つ分からん!
だってここ、異世界だぞ? 流石に無いとは思うが、極論、奴隷落ちとか臓器抜き取って売られたりしてもおかしくないじゃないか。……いや、流石に無いか。だって、バレルの親父が「ヤっていい」って言ったんだし。責任は全力で彼に擦り付けようそうしよう。
いつ宿の女将さんに出くわしても瞬間土下座出来るように構えつつ、覚悟を決めておっかなびっくり一階ロビーへ降りると、二日酔いの脳味噌の端に辛うじて引っ掛かった美人肝っ玉お母さんことルキナさんが受付のカウンターに肘を突いて待ち構えていた。
「オ、ネタキテキオトッヤウヨ」
ニヤリとチェシャ猫じみた三日月眼をしてこちらに笑いかける彼女は……ごめんなさい、俺、何を語りかけられているか分からないです。
そう言えばディスコミュニケーションがデフォルトの異世界だったと再認識したのが大分胃に響いたのか、俺はエンカウント即土下座の精神もすっかり忘れてしまっていた。
「すいません、女将さん、カエナ辺りに通訳を頼めませんか?」
俺がそう言うと女将さんは驚いたような表情をして、そしてその後一つ頷き、宿中に伝わるであろう大きな声で「カエナ!」と言った。おお、流石美人肝っ玉奥さん。想像と違わぬ気風の良さよ。39年生きてきた俺の人生の教訓「人は見た目が八割」の根拠がまた一つ増えたな。
少しして、カエナがモップとバケツを携えて二階から降りて来た。どうやら、客室の清掃をしていたらしい。
「ウトガリア、カエナ。ドケダンイルワデクソッサ、ウロダンルカワラナタンアカノルイテッイヲニナガンサクキャオ? イカルレクテシクヤウツ?」
『タシマシイカウリョ。スマシジウジュニムウギョクヤウツリヨレコ』
カエナのカメラアイが点滅する。それを満足そうに見た女将さん、ルキナは再度俺に向き直ると改めて口を開いた。
「おはよう、クロードさん。まあ、おはようなんて言う時間ではもう無いがね。ウチのベッドはよく眠れたかい?」
お、想定よりかなりフレンドリーな開幕だな。これはワンチャンを期待して良いのではないだろうか。それとも上げて落す、落差を利用した攻撃の予備動作か?
「あ、はい。おかげさまで。かなりしっかりと寝てしまいました」
「そりゃあ何よりだ。二日酔いとかは無いかい?」
その確認はなんだ? 借用書を書かせるのに素面でないと効力が無いからねえ、って続くんじゃないだろうな?
いかんいかん。異世界二日目、生存本能から過度に人間不信を起こしている自覚は有る。クールにいこう、俺。クールに。何も今すぐ取って食われる訳でもあるまいし。
「多少、ですね。アルコールが抜け切っているとは言えませんが、頭痛がするってほどでもないので。……明朝まで飲んでいて、その日の内であっても『二日酔い』って言葉で合ってるんですかね?」
小粋な冗談を端々に混ぜ込んでしまうのは俺の悪癖だったが、しかし、ルキナさんは大層受けて笑ってくれた。この手の発言が滑らないのはコミュニケーションがやり易くて、俺にとって本当にありがたい。
「面白い子だね、本当に。あの酔っ払い髭親父から聞いた通りだ」
ルキナさんはよく笑う。終始笑顔だ。こうなってくると朝に不動明王じみた憤怒の形相でバレルの親父を引っ叩いたのは、アレは多分別人だな。うん。間違いない。
今のルキナさんを見ていると、朝のアレは親父さんの不倫相手か何かが脈絡も無く乱入してきた現場に偶然居合わせただけ、って方がよほど説得力が有る。そう俺に錯覚させるほどに彼女はニコニコである。この人が不動明王? いやいや、完全に弥勒菩薩だろ。
「アンタがやってくれたんだってね」
あれ? 仏様? その口振りはなんか違いますよ?
「……ナンノコトデスカネ」
一本云十万するボトルなんぞを空けていた可能性は否定出来ないので思わず目を泳がせてしまう俺である。
「しらばっくれるんじゃないよ」
「イエ、ホントウニナンノオハナシヲサレテイラッシャルノヤラ」
ルキナさんが真正面からこちらを見つめてくる。目だけで大海原へと大航海を始めようとする俺。その背筋につうっと嫌な汗が流れるか流れないか、そんなタイミングでルキナさんが立ち上がって俺に近付き……唐突に抱き締められた。
え? 何これ? 容疑者確保? いや、胸部に押し当てられた「ぐにんぐにん」はとても幸せな感触なのですが。
「ありがとうね。カエナを直してくれて、本当にありがとう」
俺の心配もどこへやら。ルキナさんはたっぷり二、三分、俺を抱擁し続けた。そして気が済んだのか、ついに俺を離した彼女の眦は少し潤んでいるように見えた。
……あ、感謝されるターンだったの、今?
それならそうと早く言ってくれれば、何も考えず「ぐにんぐにん」に集中出来たのによぉ! やり直しを、やり直しを要求します! 裁判長! 頭真っ白だったんで正直よく覚えてません!
「いや、そんな大した事をした訳じゃないですし」
「馬鹿な子だね。アタシら夫婦の一番の悩みの種を吹き飛ばしておいて、大した事が無い、って」
彼女は朗らかに、豪快に笑った。笑った顔はどこか、旦那さんとよく似て見えた。夫婦は似る、って本当なのかもしれない。
「恩に着せるんだよ、こういう時は。世渡りが上手になりな、坊や。ほら、練習だ。アタシに昨晩の仕事料を請求してごらん。カエナは大事なゴーレムだ。幾ら吹っ掛けられても構いやしないよ」
いや、言われてもなあ……俺、この世界のゴーレム技師とやらの仕事料の相場が分からないし。
モルトの時は銀貨が七枚だったけど、これも日本円にして幾ら換算なのかよく分からない。普通の宿なら二、三日泊まれるくらい、ってモルトは言ってたから、単純に七万円くらい? ……ファンタジー世界の銀貨って一枚千円程度が相場じゃなかったっけ?
よく分からないからモルトの時と同じで良いか。
「なら、銀貨七枚で」
俺が言うとルキナさんはなぜか頭を抱えた。
「……アタシの言った事が、どうやらちゃんと伝わっていなかったらしいねえ」
アレ? ……おかしいな。コミュニケーションは出来ていると思ったのだが。となると通訳のミスだろうか。
「金貨にしな」
「は?」
「金貨で七枚。他の技師からは『初期化するしかない』って言われていたゴーレムを、記憶も消さずに完治させた技術にたったの銀貨七枚じゃアタシらが『セントラル』にしょっ引かれちまう! それに若い内からあんまり自分の腕を安売りするんじゃないよ! 癖になっちまうからね!」
「あ……ハイ」
ヘコヘコ頭を下げつつ考える。銀貨が金貨にランクアップである。素直に嬉しい。が、マジで相場が分からん。
「えーと、女将さん」
「なんだい?」
「出来れば一週間宿泊費無料、とかの方が助かるのですが。生憎根無し草なものでして、ええ。この街で腰を据えられる場所が有ったらありがたいんです」
へへ、とヘラヘラ笑いながら言ってみる。いや、この感じなら一週間くらいは……もし、この流れで十日分とか宿が確保出来れば最高だ。
女将、ルキナさんは俺の提案に最初驚き、その後ニッコリと笑った後で俺に向けてピースサインをした。よっしゃ、とりあえず一週間分の宿の確保に成功! モルトのくれた金が有ればその間の食事代なんかも賄えそうじゃないか。異世界二日目にしてはかなり幸先の良いスタートを切れたんじゃないか!
心の中の虹背景に「ボーナス確定」の金文字を浮かべて喜んでいる俺へと、ルキナさんははっきりと言った。
「二か月。その間、うちの食堂で良ければ飯も酒も付けてやる。クロードさん、カエナを直してくれた報酬はそれでどうだい?」
幸せ過ぎて夢だと思った。




