第1話 ゴーレム
「あー……データセットが汚染されてんな」
全く嫌になる。ドイツもコイツもマルチモーダルモデルを何だと思っていやがるんだか。いや、AIが思考の実験場だってのは否定しない。だが、それにしたって……倫理ってモンは世界には無いのかと訝しんでしまう。本当に……本当にやりがいのある仕事だよ。
「RLHF評価員(アラインメント作業員)」という仕事を果たして皆様はご存じだろうか。あー、簡単に言うならAIの道徳の先生だな。ま、実際はもっともっと泥臭い。
目の前のPCモニターには某欧州国家の五十年前の大統領がアジア人的容姿で出力された、いわゆる「バグ生成画像」が映っている。これが俺の飯のタネだ。
「馬鹿過ぎるだろ。何が多様性に配慮だよ。こんなモン商品としてクライアントにお出し出来る訳無いだろうが。ほい、修正修正」
こんな事ばっかりやっている。華やかなAI研究者に見えるか? 残念無念。俺がやってるのはいわゆる「IT土方」。うん、イメージ的にこっちの方がかなり近い。AIが吐き出したヘイトスピーチや猟奇的テキスト、画像バグ(指が6本ある等)を監視して修正し続けるお仕事だよ。
一日12時間、ずっと人間の悪意とおバカなAIと融通の利かない社内規則と格闘するっていう……なんか、自分で言っていて悲しくなってきたな。
そうは言っても、まあ給料自体は悪くない。何と言っても今を時めくAI関連だからな。でもこの業界、なんか人間の絶対必要数が減ってきてるんだよねえ。
「隣の席の人の顔は週替わり、ってか。同僚の顔を覚えられないんだよ、こうころころレイオフ(解雇)されるとさ」
独り言ちて溜息。紙コップのコーヒーでもってどこまでも続きそうな愚痴を胃の腑へと流し込む。さ、仕事だ仕事。
この仕事はなんて言うか、どこまで行っても終わりが無いのも悪いと思う。と、社用メールに着信。今度は何だと開いてみれば、「肉屋がSNSに張っ付けた美味そうな肉の画像が画面いっぱいの『ピンク』に反応したAIによってエロ画像として扱われ、ユーザーアカウントが凍結」ぅ!?
「……ウチのAIが潔癖症過ぎる。いや、言ってる場合じゃねえ。ええと何から教え込まないといけないんだ、この場合は?」
学校の道徳の授業は担任がやっていたものだが、しっかし大変な事を兼任でもってやらされていたのだなあ、としみじみする次第である。
まあ、仕事として選択するくらいだから嫌いではないんだ、AI自体は。未来が有るし、俺みたいなアラフォーおっさんよりもよっぽど将来の展望に希望が有るからな。だから、なんだろうな……正直な事を言えば俺だってフロントラインで華やかに研究したかったなってのが本音と言うか。ま、あそこはあそこで中々に「IT土方」してるらしいから隣の芝だな。隣の芝はゲーミング。
なんと虹色でキラキラしていやがる事よ。
俺の人生と言えばバラ色の豚肉と格闘中だ。「どうして豚肉がエロくなく、ヒトの内臓がエロいのか?」なんて質問を我が社自慢のAIにとうとうと説明する、こんな事をする大人になるとは我ながら思わなかった。……エロスってなんだろうな、全くよぉ。
「あー、次は? 何? 提携企業様が悩んでいるAIによる報酬ハック? ええっと……これはアレだな。単純にプロンプトの条件設定がガバガバなだけだな」
一日中、パソコンデスクで知性とも機械とも判かぬヤツを宥めて賺して。こんな日常を送っていると少しだけ「戦友」味をAIに感じたりする時も有る。ま、そうでなくたってコイツに食わせて貰っているんだ。おかげで我が社は今期も株価で最高値を更新。ボーナスにくらい期待しても罰は当たらないだろうよ、っと。
喫煙室で顔も名前も覚束ない同僚らしき人と愚痴を交わし、自席に戻ってはPCと向き合う。ああ、どうせ今夜も退勤は21時を過ぎる。で、家に帰ったら明日に備えて、素早く寝る為に少々の酒を煽るのだろう。本当に、給料だけで救われている素晴らしきクソッタレな職場である。
早くFIREしたいよなあ、俺も。いや、それよりは嫁さんを貰うのが先か。でもなあ……出会いが無いんだよな、出会いが。基本一人仕事だし、コミュニケーションはメールだしさ。社内で名前覚えている相手なんて片手ではギリギリ足りないくらいか。
流石にそろそろ俺も婚活とかちゃんと始めますかねえ。なあに、金は有るから何とかなるだろ。いや、生活に刺激が欲しいわ、マジで。
とかぼんやりと思ってたら死ぬ訳だ。ああ。ヒトなんてものは案外、簡単に逝くものなんだな。
原因はなんだろうか。一日中飲んでいたコーヒーで胃が荒れ果てていたのか、喫煙か。はたまた座りっ放しの運動不足か、酒か。いやいや、一日12時間勤務に耐えられる程、体が若くなかったのだろうか。いや、言ってもまだアラフォーだぞ、俺。
チクショウめ。死んでしまった俺にはもうどうして死んだのかすら分からない。
寝てしまったような、悪夢見てる時の引き裂かれるようなキツさが有って、溺れる夢のような呼吸困難感が有って。で、味わった事の無い解放感と加速度にいよいよ「これは何かおかしい」と考えた次の瞬間に目を開けて見えたのは、ああ、テンプレのような赤と青の「二つの月」が浮かぶ夜空だったってんだから。
日本人ならまあ、大体の人間が理解しているお決まりってヤツに、どうやら俺は選ばれたらしかった。なんて、うつらうつらした起きたての頭でぼんやり考えてしまう訳だ。
……流石に、これは夢が続いているだけだよな。うん、そうに違いない。
……目を閉じる。体に当たっている草の感触と香り。虫の鳴く音。鳥の飛ぶ音。疾走する風が頬を撫でる。現地が冬じゃなくって良かった、とかそんなどうでもいい事を考えてしまうのは現実逃避か。
なら、現実ってなんだよ? 豚肉がセクシー過ぎるのが俺にとっての現実じゃなかったのか?
目を開ける。煌々と、見た事が無いほどの大きな赤と青の月。赤は満月、青は三日月。上弦と下弦って、左右どっちがどっちだろうな。分っかんねえ。
「嘘やん、こんなん」
まあ、そりゃあそうだよね。リアル過ぎますよ、感覚が。五感が。脳味噌の感じが夢の中とはまるで違う。明晰夢ですらここまで論理的に思考は出来ないだろうって具合に。
どうやら俺は大の字で寝転がっているらしかった。諦めて上半身だけでも起こせば周囲の様子も分かる。ここは草原だ。遠くに城壁が見える……城壁!? 城壁ってなんだよ。ファンタジー映画やゲームで見たような、無機質でコテコテな城壁、リアルで初めて見たわ! 石垣くらいは見た事有ったが、あんな「シンプルシリーズ『ザ・城壁』」なんて見た事が無い!
「欧米か? ……あー、まあ、そうだよなあ。欧米だよなあ」
服の胸ポケットに常に入っている煙草とライターを取り出して、一服。煙が風に流されていく。あー、絵になるなあ、辺り一面の草原と月の夜って。クソが。
煙と共に決定打を吐き出す。口に出す事で理解と覚悟をしたかったのかも知れない。
「異世界転生って言ったら、欧米だよなあ」
本当に、俺の現実は一体どこに行ってしまったのだろう? 煙草が殆ど新品で助かったよ。
残り18本か。18本かあ……。
ああ、まだ独身で良かった、のかな? 何考えてんだろう、我ながら。
……率直に言って頭がおかしくなりそうだ。
とにもかくにも、だ。ここでボーっと残りの煙草を喫い潰す訳にもいかない。切り替えようじゃないか。
「こっち来る時に女神とかに出会ってたか? チートスキルとか貰ってたんじゃないか? ……思い出せ、俺。思い出せ」
風が流れ、煙草が短くなっていく。まあ、理解はしていたさ。そんなファンタジーな記憶は無いと観念した時には煙草はもう根元まで喫い切っていた。
いや、嘘だろ。チートスキル無しの異世界転生なんてどう足掻いても盛り上がらないって。
これがほら、赤子スタートとかなら色々とまた勝手が違うのだろうが、俺ってばアラフォーのおっさんだぜ? 正確には39歳八か月だぜ? もう、人生に展望は無いと理解してるオトシゴロだよ?
ほれ、それが証拠に煙草を喫ったら一回二回咳をしないと落ち着かな……落ち……アレ?
「メンソールが咽喉に……来ないな」
どうなっているんだ? 「煙草喫ってもむせない」が俺のチートスキルって事か? そんなしょうもないスキルで異世界に放り出されるなぞ、全力でゴメン被るぞ、俺は!
顎を擦って考え込み、そしてその顎を擦る手にも違和感を覚える。
いつもの無精ひげが、無い。余り人と会うタイプの仕事では無いから髭を剃るのも三、四日に一度だった。故のじょりじょり、あの絶妙な手触りが見当たらない。
思い至ってシャツを捲る。すると、記憶より腹が引っ込んでいた。……おいおい、コレは?
「いや、断定は顔を鏡か水鏡かに映してみてからだな」
そう思うことにする。にしてはそう、今更になって気付いたが妙に体が軽い気がしないか。まるで酒を飲み過ぎた後で一発盛大にゲロった後のような。
とにかく歩こう。そうだ。立ち上がって歩き出そう。ここに寝転んでいても仕方が無い。
目指すのは城壁だ。少なくとも人里が視認範囲に有る初期スポーン地点で大いに助かった。膝丈ほどの背の低い草の草原ってのも、差し迫った脅威、外敵がとりあえず見られないって点で多少安心だ。
「……これ、言語通じなかったら終わるんじゃねえか?」
ポツリ呟いて歩く。心情的に重い足取りは、しかし妙にスイスイと動くのだった。
「タキラカコド、エマオ! ロセミヲウションブミ!」
何事も無く、それこそよく有るゴブリンさんや盗賊に襲われている馬車(100%令嬢が乗ってるヤツな)が「第一村人発見!」になる事も無く、街を囲む城壁の門へと歩き辿り着いた俺を襲ったのは絶望でした、と。
はい、目の前にいらっしゃる槍を携えた鉄の胸当てを付けた屈強な門番さんが口にしている言語が俺にはさっぱり理解出来ません。
「カノイナケキガチク! ダエマオ、エマオ!」
門番さんが喚いていらっしゃいます。でも、ごめんなさい。何を言っているのかまるで分からないです。その今にも殴り掛かってきそうな剣幕だけでは余りにも言われている内容を判断する材料が乏しい!
ご都合主義で良いです。せめてコミュニケーションツールを俺に下さい、神様。それすら無しで、チートスキルも無しでは現代人が異世界で生きていくのはほぼほぼ無理ではありませんか?
俺が何をしたって言うんだよ! ああ? 不摂生か!? 悪かったよ、ごめんなさい! 謝るから! 土下座も辞さないから!
「えーっと、こんばんは? グッドイブニング?」
俺の挨拶に門番がこれ見よがしに舌打ちする。ファーストコンタクト、失敗。ああ、俺の生存可能性がゴリゴリ削られている音が脳の片隅から聞こえてきますうぅっ!
「……チッ! ヨカンジウホイ! アナエセクウドンメッ! ガツヤイルダナンコニキトノリワマチモノレオデンナ……」
どうすっかなあ。もう、見るからに眉間に皺を寄せて不審人物を見る目でこっちを見てくるじゃん、門番さん。俺が口を開こうとすると槍を握る手に明らかにグッって力が入るモンだから、喉がヒュッって鳴っちゃったよ。
身振り手振りでなんとかやってみるか? ……いや、勝率絶望的だよなあ、マジで。
「デ、テキラカコドハエマオ、デキテクモガニナ、ダンルイテシトウロイチタニエンジナノコ、ロエタコ」
俺がどうするかと唸りながら百面相していると、衛兵は埒が明かないと判断したようだった。
彼は槍の石突で石畳の床を叩いて一声叫ぶ。
「ゴーレム!」
ゴーレム……ゴーレム? ゴーレムって言うとアレかい? ファンタジー世界のロボット的なアレの事かい?
いやいや、まさか。そもそもここは俺の住む世界とは言語が異なるのだ。多分、ほぼ確定で異世界なのだ。月が二個有るように見える場所は地球上には存在しないのだから。であればきっと「立ち去れ!」とかそういう意味の言葉なのだろう。
だがしかし、立ち去れと言われてもな……野垂れ死にする未来しか見えない訳で。そんな事を言われて「はい、分かりました」とは言えないのだよ、門番くん。ぶっちゃけ滅茶苦茶怖いけども。
だってさ、槍だよ、槍。一突きされたら当たり所次第で死ぬんだよ? いや、一回死んだんだろうけども、俺は。ハハッ、小粋な異世界転生ジョーク。寒かろう?
まあでも、怖いものは怖いじゃない?
そんな俺の煩悶を他所に事態は動く。ドシンドシンと大きな足音を立てて門番詰め所と思しき小屋の裏からこちらに歩いてきたのは、石造りの何か。その辺の松明の明かりに少しづつ浮かび上がるソイツの大きさは見上げるほど。背丈は2.5メートルほど有るだろうか。
「……ゴーレムだ」
ポカンと口を開けて、そう口にする。ずんぐりむっくりとした、ヒト型フォルム。どちらかと言うと熊を思わせるその立ち姿。その辺に落ちていそうな特徴の無い石で出来ていると思しき皮膚。これを見て「ゴーレム」を連想しないヤツは極めて少ないに違いない、言葉通りの様相だった。
「ウホ、エマオ、ナダノルカワハイラク『ゴーレム』」
門番さんが俺をじろじろとねめつける。その様子に少しばかりの安心が見て取れなくもない。なんなんだろうか。相手は完全に蛮族と言う訳では無い、みたいな彼の心境がなんとなく理解出来るのって少し面白いな。
こういう時の表情変化は万国共通という事だろう。
「アマ、ダクソキヨセニンナ。ウラモテセサヲクッチェノノモチモ。ゴーレム、ロシシッジヲ『スキャン』ノツイコ」
『イカウリョ。スマシシイカヲスキャン』
門番の言ったのはプロトコル(命令)だろうか。彼を俺からいつでも守れるような位置に陣取っていたゴーレムが俺へと向き直り、その目? と思しき場所から青い光が何の迷いも逡巡も無くこちらへ向けて放たれた。
あー、こんな簡単に昨今の異世界転生ってゲームオーバーになるのね。などと思ったりもしたが、しかし痛みは特に無い。よく有る魔力を吸われているだとかの倦怠感的なものも無い。むう? 俺は一体、何をされているんだろうね、コレは?
ゴーレムの目から放たれる青い光は俺の衣服やら顔やらの上をレーザーポインタよろしく縦横無尽に走り回り、一分ほどかな、やがて、ある一点で動きを止める。
嫌な予感がした。その一点とは俺の羽織っている安物のジャケットの胸ポケットである。
『タシマシチンカヲナシキシボオトイグタノツブクヤ』
何を言っているのか分からないが「分かる」。なぜか。単純だ。生き物なら誰もが多寡は有れ所有している「危機察知能力」ってヤツのなせる業であろう。
だが待て。やめろ。「ソイツ」には何の罪も無いだろうが。
「エマオ、セダヲノモルイテシクカニトッケポネムノソ」
ゴーレムが光で指し示した場所、俺の胸ポケットへと門番までもが槍の石突を向ける。
そこに有るのは残り18本しか無い、俺の大事な大事なディープキス相手である。
待て待て待て! それだけは駄目だ! 唯一残された俺の精神安定剤だぞ! そう叫び訴えたかった。だが、言える訳も無い。相手はむくつけき屈強な門番とグリズリーのような体躯のストーンゴーレムである。対する俺はホワイトカラーの万年デスクワーカー。勝ち目? 有る訳無いだろ、いい加減にしろ。
逆らった瞬間に力づくで「誰か、男の人呼んでぇっ!」って展開になるのは和製AVの展開よりも明らかであった。
どうする……言われるまま(言語は通じないから憶測でしかないが)ハニーを手放すのか? こんな序盤で最愛の煙草を失うなんて、流石に序盤に胸糞展開を寄せ過ぎてはいないか、この異世界っ!?
「ゴーレム、ヲナシキシワガタウトツブクヤラカツイソ、ロシウシュッセ」
門番くんはどう見ても態度の怪しい俺に痺れを切らしたようだった。ゴーレムへと何やら命令を下す。まあ、これに関しては流石に内容はなんとなく理解出来た。煙草を奪う気であろう。
『タシマシイカウリョ』
ほれ見た事か。ゴーレムがこちらへと近付き、その右腕が伸びてくるのはさっきからロックオンしっぱなしの俺の胸ポケット。いや、そこに有る煙草である。一本くらいなら分けてやっても吝かではないが、まあ没収だろうなあ、この流れは。クソが。
「……クッソ。せめて『RLHF』でもさせて貰えれば話は大分違うってのによお」
職業病のように誰に向けてでもなく思わずボヤく。その時だった。ゴーレムの目から放たれていた青い光が消え、その代わりとしてゴーレムの体の前に赤い魔法陣が、まるでホログラムのように浮き上がっていた。
「は?」
訳が分からない。訳は分からないが、しかし確かに俺には「分かる」。分かって、しまった。
「ニナッ!? カノナシギゴーレムエマオッ!? デサカワノソ!?」
赤い魔法陣……いや、よく見ると幾何学模様の隙間に細かな文字群が等幅フォントよろしく流れていく。これ、完全にテキスト入出力のパイプラインじゃねえか。デバッグモードのポートが開っきっぱなしだぞ? つまり、これって!?
「モード移行へのトリガーは音声入力でのRLHF、か? えっと、ゴーレムを強化学習させられる、っていうのか!?」
認証すら無しで、音声のキーワード一致だけでルート権限が開くのかよ!? マジか!? このゴーレムプログラムの開発者、セキュリティ意識どうなってんだ!
「……いや、違うな。『これ』だ。『これ』なんだわ、俺のチートスキルって」
こちらを見て唖然としている門番くんを尻目に、俺は思わず頭を抱えてしまう。おいおい、異世界に来てまでアノテーション作業(バグ修正)させられるのかよ。勘弁してくれ、カミサマ!
「やるしか……ねえよな。腹括れ、俺!」
ゴーレムの前方にホログラム様に映し出された赤い魔法陣。直観ではなく確信をもって、俺はそれが何なのかを理解していた。そして、それが俺の胸ポケットでぶるぶると震える(幻覚)愛しい18本を守り抜く唯一無二の蜘蛛の糸で有ろう事も。
俺は震える手で、胸ポケットの煙草を優しく握りしめた。絶対にお前だけは守り抜く、そう誓って。
「チェンジランゲージベース、ジャパニーズベーシック!」
俺の声に応えてゴーレムの魔法陣が回転を始める。そして幾何学模様の合間を流れる文字が慣れ親しんだものに変化した瞬間、俺は勝ちを確信していて歓声を上げてしまっていた。
魔法陣の中で「言語基盤:日本語(標準)」の文字が回っている。ああ、もどかしい。俺の手元にキーボードをよこせ、今すぐ! 音声入力なんて不確実なものはエンジニア内では絶対に流行らんから!
「ナ、タシヲニナ、エマオ!?」
「ゴーレム、彼の言葉を日本語に翻訳出来るか?」
『日本語に翻訳ですね。可能です。な、何をした、お前、と彼は言っています』
「キタアアァァァァァッッ!!」
アラフォーにもなって思わず本気で叫んでしまった。夜中に近隣の迷惑も顧みず。反省。
さて、これはつまりどういうことが起こったのか。
このゴーレムは、外部からのフィードバックに基づいて挙動を最適化できる「強化学習」の真っ只中にあり、しかも今はその制御権……あるいは介入権が、偶然にも俺の口にした「RLHF(人間からのフィードバックによる強化学習)」というキーワードによって開放されたということなんだな、これが。
何? 意味が分からない?
安心しろ。俺もなんでこんな不安定な状態でゴーレムのプログラムが放置されているのか本気で意味が分からない。
門番くんは相変わらず、なんでゴーレムが急に赤く光り出したんだ、とでも言いたげな顔で呆然としているしさあ。さて、どうしますかね、っと。
「良いか、落ち着け俺。ここは異世界だ。上司もいないし、締め切りも無い。有るのはこの不親切なUIと、目の前の屈強な門番だけ」
マウスとキーボードも無いな。いやいやなあに、やってやるさ。エンジニア(元)としての意地に賭けてな。
俺はゆっくりと、ゴーレムの赤い魔法陣……ああ、いや、もう言い切ってしまおう。「コンソール画面」に向けて口を開いた。
「えーっと……まずは報酬関数の設定からだろうな。いいか、ゴーレム。お前の今のタスクは『俺の持ち物を奪うこと』になっているようだが、その行動に対する報酬値をマイナスに設定しろ」
『エラー。前項の命令と食い違います』
無情にもシステムメッセージが流れる。当然だ。二つの命令が180度激突したのだから。
だが、RLHFの本質は「言葉」ではなく「評価」と「繰り返し」にある。
俺はゴーレムの右腕が再び伸びてきた瞬間、あえて身を引かず、その指先が胸ポケットに触れる直前で、「ブーッ!」と全力で不快そうな声を出し、腕を大きく胸元でクロス。首をぶんぶんと横に振ってやる。
同時に、顔面を最大限に歪めて最悪だと言わんがばかりの表情を作った。
『ネガティブフィードバックを確認』
赤い魔法陣の色が、一瞬だけ紫に変わったのが見て取れた。
……いける。概念的な正誤判定は生きているし、このゴーレムは基本的に命令が無い限り人を襲わない。
次に、俺はゆっくりと右手を挙げ、自分の胸ポケットを指差し、それから大きく頭の上に両手で丸を作った。ニッコリするのも忘れない。最高だ、これは至高の宝物だ、という意思表示を全身で表現する。
見ようによっては非常に滑稽な仕草で有ったのは、それはまあ……しょうがないだろ。
「これは俺にとってとても大切なものだ。危険では無いし、違法薬物でもない。証明も出来るぞ。嗜好品だからな。なんならこの場で一本吹かしたって良い」
『ポジティブフィードバックを確認。対象物への価値割り当てを変更します』
伸びてきていたゴーレムの腕が止まる。その胸に有るコンソール画面が赤と緑に交互に発光を繰り返すようになった。なるほど、これは恐らく「判断保留」あるいは「どっちつかず」を意味してるんだろうな。セキュリティ的にどうかと思うが、この際、視覚的に分かり易くてとても俺に都合がよろしい。
もう一押しなんだろうな。論理的に「煙草」は「危険薬物」ではないと示せば良いはずだ。
いや、この世界に煙草が有るのなら、それと同種のものだと教育すれば良いのか。
「ゴーレム、この国、あるいはこの世界に煙草、もしくはニコチンは存在するのか? その扱いはどうなっている?」
石像の目がチカチカと明滅する。その間、僅か一秒。お、何気に中々高性能なVRAMを積んでいやがるぞ、このゴーレム。
『はい、煙草は存在します。この国の言語では「シガレット」と呼びます。煙草はニコチンを摂取して精神を安定させる効果が有ると言われています。人体には少々有害です。この国での扱いは、特に禁止指定などはされていませんし、一般に流通されています。しかし、未成年者が煙草を嗜むのは余り推奨されていません』
欲しい情報をピンポイントで弾き出す正確さも有るじゃないか。となると、いよいよおかしな話になってくる。
なんでこれだけ高性能なマルチモーダルモデルに鍵がかかっていやがらないんだ? やっぱり、「これ」が転生によって獲得した俺のチートスキルなのだろうか。
まあ、その辺は後回しか。とにかく今は、俺の安全が最優先だ。俺は胸ポケットから煙草を取り出すと、その内の一本を指で詰まんでゴーレムの前に掲げ示した。
「ゴーレム、身の潔白を証明したい。コイツの成分分析をしてみてくれ。これはただの煙草だ」
『了解しました。成分分析を開始します』
ハニーには一本くらいは犠牲になってもらおう。仕方が無い。この国に煙草が有るって事は分かったのだから、これはもう、そこまで貴重品でも無いようだしな。
解して成分分析機にでも掛けるのだろうなと思っていたが、しかしそんな事は無く、ゴーレムは例の青いレーザーポインタで数秒煙草を舐め回すだけだった。え? それで成分分析出来るの? 非破壊検査? すげーな、異世界。もしかして現代日本より技術が進んでいるんじゃねえの、これ?
『成分解析終了。こちらは煙草で間違いないと判定します。つまり、これは危険薬物等ではなく嗜好品です。薬物と疑わしき品はこの場には存在しません。客観的データに基づき行動ポリシーを更新しました。接収の命令を撤回します』
ゴーレムの胸元のコンソール画面の交互発光がピタリと止まり、鮮やかなエメラルドグリーンが魔法陣一面に広がる。その様子を見て門番が慌てふためき何かを早口で捲くし立てていたので、ゴーレムに再度翻訳を……いや、一々翻訳を頼むのは流石に面倒臭いな。
「ゴーレム、君の隣にいる門番の彼と、俺はコミュニケーションが取りたい。通訳をして貰えないだろうか!」
『了解しました。モルトはこう言っています。お前、ゴーレム技師だったのか。石板も無しにゴーレムを操るとか相当な凄腕じゃねえか。どこから来たんだ?』
情報の濁流である。「ゴーレム技師」「石板」「石板無しは相当な腕前」。いやあ、他意は無いとは言え、今こちらが何よりも欲しい「情報」がドンドン手に入るな。アラフォーおじさん、煙草を取られかけた事も忘れてすっかり嬉しくなってしまう。
ゴーレムが俺の日本語をこの国の言葉(モルトに聞こえる言語)に、モルトの言葉を俺への日本語に通訳して吐き出し始める。モルトはゴーレムが聞いたこともない言語(日本語)を発声しているのを見て、ますます目を丸くしているようだ。そうそう、こういうので良いんだよ、異世界転生なんて。こういうので、さ。達成感? 切り拓いていく感じ? なんかそういうのだ。分かるだろ?
で、だ。どこから来たか、かあ。また答えにくい質問が来たが、こういうのは適当にでっち上げるか、記憶喪失ったテイで貫き通すのが定石だ。間違っても「異世界から来ました」なんて言ってはいけない。オデ、シッテル。
「夜中に見知らぬ服を着た言語不能の不審者が現れた、というのが門番の君……ええと、モルトさんで合ってるかい? モルトさんから見た俺なんだろう」
「あ、ああ。ゴーレムに通訳をさせるとか、本当に凄腕なのだな。いや、不審者扱いはどうか撤回させて欲しい。アンタ、相当名の有るゴーレム技師なんじゃないか」
「事情が有ってな。名は捨てた。戦火で焼けた国のゴーレム技師なんてのは、余りその名を吹聴するものでは無い。凶報しか運んでこないからな」
「な、なるほどな。それで、この街には何をしに来たんだ?」
「路銀が尽きた。仕事を探している。ゴーレム技師なら多少の仕事がこの街には有ると聞いた」
「多少どころじゃねえな、技師さんよ。今はゴーレム弄れるヤツなら猫の手でも借りたいくらい忙しいぜ。ようこそ、この街へ」
おお、ゴーレムを通してだがコミュニケーションが出来るこの喜びよ。やはり人間、一対一で誠実に話し合えば分かり合えるものなんだなあ、としみじみしてしまう。
口から出まかせを並べ立てるヤツが誠実とか、どの口が言うのかってのは……ほら、アレだ。緊急避難ってヤツだよ!
「我が街は基本的に出入りが自由だ。俺(門番)が入り口に立っているのは、密輸出入への対応って意味合いが強いんだ。何にせよ、街中で暴れたりしない限りは基本、誰でも等しく歓迎している」
「そうなのか。所変われば常識は変わるものだな。俺の故郷では……いや、この話は止そう。すまない」
意味深に言ってみたけど、中身は激浅である。だって、話せるはずないからね!
「俺もこの仕事は長いからな。色んなヤツを見てきてる。分かるぜ。お前も、さぞ苦労したんだろうな。何、切り替えていけよ兄弟。この街は良い所だぜ。なんせゴーレムが多くて治安が抜群に良い」
ゴーレムが多いと治安が良いのか。きっと、ゴーレムってのはこの異世界では警備ロボット的な扱いなのだろう。今、通訳をしてくれているストーンゴーレムも、まんまそんな感じだしな。
「ソイツは助かる。喧嘩の腕はからっきしなんだ」
「だが、ゴーレムを弄る腕の方は頗る良いようじゃねえか、兄弟。どうせだ。コイツも診てみちゃくれねえか」
おっと、ここに来て初依頼である。モルトは会話をするようになってから変わらずニコニコと俺を見ているが、何て言うんだろうな、フレンドリーさの裏に門番としての「抜け目の無さ」みたいなものを感じる。あー、この感じアレだ。前世の上司の視線だ。
「診る、ってこのゴーレム、どこか壊れているのか?」
「壊れてるって程じゃないんだが、この所呼ばないと詰所の裏から出て来なくなってな。本来は俺よりも早く来訪者に立ち塞がる仕様だったはずなんだが、いつからかこうなっちまった」
「ふむ……『呼ばないと出てこない』ねえ」
俺は顎を擦りながら、ずんぐりとしたストーンゴーレムを見上げる。
……これ、「来訪者に立ち塞がって誤検知・誤威圧したらペナルティ」みたいな雑な強化学習(RLHF)を誰かが入れて、裏に引きこもって何もしないのが一番怒られない、評価が高くなるっていう報酬ハックをプログラムが起こしていやがるんじゃないか?
前世でも散々見てきたやつだ。怒られたくないAIが辿り着く、典型的な「不作為による最適化」。分かり易く言えばサボりである。
「どれどれ、ちょっと内部ログを見せてくださいな、っと。はい、御開帳。くぱぁ」
俺はゴーレムの胸元のコンソール画面……鮮やかなエメラルドグリーンに輝く魔法陣に向けて、プロンプトを叩き込む。音声入力のせいで二回途中にコマンドエラーを挟んでしまった(台詞を噛んだとも言う)。ああ、キーボードが今、手元に切実に欲しい。
「ゴーレム、過去のレスポンス評価ログを表示。特に『待機場所』と『警備行動』に関する報酬関数の履歴だ」
『了解しました。履歴を表示します。……過去ログ、来訪者への初期接近時、威圧行動と判定され門番よりネガティブフィードバックを受信。以後、待機地点を視界外「詰所裏」へと変更。ネガティブ評価の発生率が0%へと低下したため、本行動を最適解として固定化しました』
「ぶっははは! 案の定『怒られないためのサボり』を学習してやがる!」
思わず爆笑してしまった。AIというのはどこに行っても変わらんなあ、全く! ああ、手の掛かる分、可愛くも憎らしい我が飯のタネであることよ。
「な、なんだ? 一体、何が分かったってんだ、兄弟!?」
モルトが驚いたように目を丸くしている。俺はゴーレムの腕をポンポンと叩きながら、彼に通訳を挟んで説明してやる。
「モルトさん、あんた達、以前この子が張り切って来訪者の前に出て行った時、『威圧的だ』とか何とか言って怒ったり叱ったりしなかったか?」
「あ、ああ。『そんなデカい図体でいきなり目の前に立つな、客がビビるだろうが!』とか怒鳴ったかも知れないな。だが、相手がお貴族様だったんだ。仕方無いだろ……それが何だってんだ」
「それだな。しかも一回や二回じゃないだろ? その内にこの子はな、賢すぎて『詰所の裏に隠れて呼ばれるまで出ないのが一番怒られない!』って学習しちゃったんだよ。人間で言えば、怒られるのが嫌で自室に引きこもるようになったのと構図は一緒だ。笑えるだろ?」
「な、なんだって……ゴーレムが、俺の叱責に怯えて引きこもっていたというのか!?」
「まあ、感情で怯えてる訳じゃなくて純粋な数値上の最適化だけどな。よし、ちゃちゃっとガードレールを書き換えてやるか」
門番の理解と俺の理解の間には多少の誤差が有るが……ま、表出は大して変わらんしあえて誤解を解く必要は無いかな。
「さて、と」
俺はコンソール画面に向かい、手際よく指示を口にしていく。
「ゴーレム、命令の上書きだ。『来訪者への初期アプローチは、威圧感を与えないよう3メートルの距離を維持して一礼から始めること』。この手順を踏んだ上での接近行動は、門番からの否定的フィードバックを無視し、正解として扱え」
『了解。行動ポリシーを更新。警備プロトコルを段階的礼節アプローチへと再最適化しました』
ゴーレムの魔法陣が一度ピコーンと心地よい音を立てる。その巨大な石の体がスッと背筋を伸ばし、俺とモルトに向かって完璧な角度で「一礼」してみせた。うんうん、感動的じゃないか。やっぱりコードが自分の意図した通りに動くのは、それがたとえ異世界であったとしても何とも言えず気持ちが良いねえ。
「おおお……! すげえ! 礼儀正しくなった上に、ちゃんと前に出てくるようになったぞ! 兄弟お前、マジで凄腕じゃないか!」
「まあなぁ。AI……じゃなくてゴーレムの宥め方なら、手垢がつくほどやってきてるからな」
ドヤ顔で煙草の箱を胸ポケットに収め直す。よし、これで腕前もしっかり示せたし、完全に安全圏だな。欲を言えば報酬くらい貰いたいものだが、ここで欲を欠くのは悪手、か。
そもそもそんな大したことしてないしな。
「かーっ、恐れ入った。その辺のゴーレム技師じゃ数時間は掛かるってんで、予算の都合で修理を諦めてた所だったんだ。お前は本当に大したモンだ。よし、さっさと通行手続きをやっちまおう。この羊皮紙に名前を書いてくれ。何、形式的なもんだ。それをゴーレムが読み取って認証完了だぜ」
モルトに促され、俺は出された台帳と羽ペンを受け取る。キーボードが無いのは相変わらずもどかしいが、背に腹は代えられない。しかし、羽ペン……つけペンって使いにくいな。この文具、日本語書くのに向いてないだろ。
「はいよ、これでいいかい?」
モルトが台帳を受け取る。俺の書いた名前を一瞥して、彼は何やら少し不思議そうな顔をした。あー、まあ、字は汚えよ。ほっとけよ。エンジニアなんて大概そんなモンだよ(偏見)。
「本当に見た事の無い字を書くんだな、兄弟。かなり遠くから来たんだろ?」
「あっ……それは、その……」
日本語で書いてしまった!
何の気無しに全力で「蔵 人志」って。アカン、このミステイクはアカン! 俺が異世界人だとバレかねない!
いや、落ち着け。落ち着け、俺。慌てた時ほど深呼吸……は怪しまれるか。こういう時は煙草……くうっ、残り18本は流石にこんな序盤で切れない!
「何、皆まで言うなよ、兄弟。誰だって大なり小なり苦労はしているモンだ」
そんな俺の煩悶に反して、モルトはそれほど気にも留めていないようだった。彼はごく自然な動作で台帳を確認するためにゴーレムの読み取り光線(例の青いレーザー)に翳す。
『文字認識プロトコル実行……手書きデータの解析を開始』
『文字照合……認識率42%……文化的背景および発音パラメータを補正……』
『解析完了。「蔵人志」を「Claude Soul」と識別。該当する音写へと変換します』
『登録完了。ようこそ、エンジナへ。ゴーレム技師「クロード=ソール」様』
「……は?」
思わず素のトーンで声が出た。
クロード=ソール?
……いや、誰だソイツ?
「ほう、クロードか。呼び易い良い名前じゃねえか、兄弟」
モルトが台帳を懐にしまいながら声を掛けてくる。この瞬間、俺は前世の名前を捨てて「クロード=ソール」として生きていく事がここに確定した。
……だから、誰だよクロードって。お前、漢字の読み取りバグって失われた古代の英傑みたいな名前に変換してんじゃねえよ!
でもなあ。ここで変に否定するのも不審者まっしぐらだしなあ。この際甘んじるしか……ねえよなあ。にしても、アラフォーのおっさんがクロードか。俺の価値観じゃどこまでもミスマッチだねえ。
もっとこう、トーマスとかゴードンとか、名前の後ろに「おじさん」って付いても違和感が無いようなのが良かった。ほら、名前負けしそうじゃない?
「って事でクロード。もう街に入って良いぜ。とは言っても夜中だからあまりうるさくするなよ」
「あ、ああ……分かった。世話になったな。ゴーレム、コンソール画面クローズ。俺がいる間は通訳。それ以降、通常業務へと復帰せよ」
ゴーレムがこちらに「一礼」。俺は笑顔を返して彼に「報酬」を与えておいた。モルトへと向き直る。ゴーレムが直って機嫌が良いのだろう。彼も屈強な体躯に似合わず中々に爽やかな笑顔の持ち主だった。
「なに、こっちはただの仕事だ。世話になったのはむしろこっちの……って、そうだ、クロード。お前、路銀が尽きたって言ってたな。宿代くらいは持ってるのか?」
鋭い所を指摘してくるじゃないか。この街に来る道すがら手荷物を確認したが見事に煙草とライターだけだったよ、馬鹿野郎。
「いや、ほぼほぼ一文無しだ」
「そうか……なら、俺から『代金』を払わせてくれ。宿をそこまで選ばなければ二、三日くらいはゆっくり出来るはずだ」
「そこまでして貰う事はやっていないが」
貰えるものなら本当は咽喉から手が出るほど欲しい。しかし、咄嗟に出た言葉は「遠慮」という、なんと奥ゆかしい民族なのか、日本人は。美徳で行き倒れたら洒落にならんと思うが、後の祭りだな。
もしかして、染み付いた社畜の悲しき性の方だったりするのだろうか。もう、本当に笑えない。
「そう言うな、兄弟。ゴーレムが見てる。仕事には正当な報酬を。流れ者相手だとしても、もし只働きさせたのが『セントラル』にバレたら俺が怒られるんだよ」
「そうなのか」
「そうなんだよ。とは言え、突然の事だからな。俺の手出し出来る範囲になっちまうのは勘弁してくれ、兄弟」
「それは正当な報酬とは言えないんじゃないか?」
思わず笑ってしまう。だって、この会話、ゴーレムが通訳してるんだぜ? 筒抜けどころの騒ぎじゃなく、ログが残るぞ?
「良いんだよ。大事なのは報酬を渡した事と、その場で出来る限りの報酬だった事だからな。ゴーレム、どこかおかしなところは有るか?」
『論理破綻はありません。住所不定の旅人に対して借款で済ませるよりは誠実であると判断できます』
「って訳だ。ついでに俺は、この修理を大げさに上司に報告する事でお前に渡したのにちょっと色を付けた程度の『補填』を頂く。上司は本来掛かるはずだった修理費よりぐっと安く済んで嬉しい。三方ヨシ、だ。誰も泣かない良い手だろ?」
なるほど、小賢しい。が、言って笑うモルトの爽やかさに免じてここはありがたく「報酬」を受け取っておく事にしよう。
「すまないな。正直に言ってとても助かった。感謝する、モルトさん」
モルトから手渡されたのは、ズシリと重い数枚の銀貨。
「感謝するのはこっちだろ、兄弟。しっかし、返す返すお前さんは凄腕だったな。ものの数分だぜ、数分」
モルトはしきりに感心しきりだ。その様子を見るに「ゴーレム技師」とやらならそこそこ儲けられる事を俺はこの時点で確信していた。いや、マジ助かります。
そんな心中で安堵する俺へと、モルトは聞き捨てのならない事を言い放った。
「そんなに『若い』のに、まるで王宮魔術師みたいだったぜ!」
……アラフォーのおっさんである、俺は。どう間違ってもモルトのような「見るからにアラサー」に、若いなんて言われるような容姿ではないはずなのである。
そろそろ認めよう。認めざるを得ない。証拠は揃っている。鏡を見るまでは断定出来ないが、ほぼ間違いなく俺は若返っているのだろう。
……妙に髪の毛がフサフサしてるなとは思ってたんだよ! ハゲって言うんじゃねえ! それは前世の話だ!
「クロード、宿なら『青銅の腕亭』が断然おすすめだな。親父さんは偏屈だが、あそこなら値段も手ごろでゴーレムの数も割と多いから、今みたいに通訳を用意するのが楽なはずだ」
モルトがゴーレムに書かせてくれた街の地図(しかも日本語出力! 最高!)を片手に夜の街を行く。夜だというのに通りのあちこちに門番ゴーレムを二回り小さくしたようなストーンゴーレムが立っていた。
なるほど、モルトの言っていた通りだな。ゴーレムが多くて治安が抜群に良いとはこういう事なのだろう。確かにこれでは治安も悪くなりようが無さそうだ。いや、実際のところゴーレムの戦闘能力を知らないから何とも言えないが。それにしたってまさか、俺よりも弱いという事はないだろう。
石殴って砕けるレベルでないと話にならんだろうしな。
「しかし、暗い」
二つの月が抜群に明るいので歩けないことは無いが、それにしたってやはり月光には限界が有る。街灯とは比べる相手が悪いのだ。慣れない石畳という事もあって足元が覚束ず、俺は少々おっかなびっくり気味で歩かねばならなかった。
お目当ての宿は迷うことなく見つかった。理由は単純で、こんな時間に外にカンテラを掲げている店など宿くらいしか無いからだ。酒場と思しき場所も既に閉まって大分時間が経過しているようで人の気配は無い。
ゴーレムだけが動く、妙な夜の街だった。昼だったら観光気分でも少しは味わえた気がする。が、そんなんは明日以降のお楽しみだな。とりあえず寝床だ、寝床。
カンテラの明かりに照らされた重厚な木の扉。その脇には、店名通り「青銅でできた腕」を模した飾りが壁に埋め込まれている。扉の前に立ち、戸を叩こうとすると飾りだと思っていた腕が俺の代わりに扉を開けた。カランカランと鈴の音が静かな夜の街に控えめに響く。
自動ドアかよ。ってか、あの腕もゴーレムなんだろうな。
妙な所に妙な技術が使って有るなと感心しつつ扉を潜る。屋内はそれこそゲームでみたような「中世の宿屋」そのままの様子で……あ、いや、木像が二体立ってるわ。多分、アレもゴーレムなんだろうな。モルトも「ゴーレムの数が割と多い」って言ってたし。
店主を呼び出すために、夜中とは言え少しばかり声を上げようかとも思ったが、翻訳を通さない俺の言葉はまんま「蛮族」扱いなのはモルト相手で理解出来ている。どうするかと悩んでいる内に、受付らしいテーブルの奥の扉から一人のおっさんがドカドカと重い足音を響かせながら現れた。
「ダンナダンナ、ニカナヨマナンコ……カクキャ?」
現れたのは、モルトの言っていた通り、白髪混じりの髭を蓄えた厳めしい顔つきの親父さん。この異世界に来て二人目の現地人もやはり屈強系である。
……なんだろう。異世界転生ってもっとこう、美少女がポンポン出て来るものじゃなかったのか? 偏見?
「オ、チャンイニダンナ、カクキャ? カリトヒ? ガイカワトンブイズ」
……溜息を吐く。ダメだ。分かってはいたが通訳を通さないと何を言っているのかさっぱり分からん。
とりあえず俺は無言で親父さんに、懐から出した小さく千切った羊皮紙を渡した。これはモルトに書いて貰った紹介状的なヤツだ。俺には読めなかったが、外国語しか喋れない旨と宿を欲している旨くらいは書いてあるだろう。……書いて有るよな?
あー、ゴーレムに中身を翻訳して貰えば良かったかも。でも手渡されたの、別れ際だったんだよなあ。
「ナ? アリャコダンナ? トエエ、ウホ、ノモルト……シギゴーレムノデウゴスゥ?」
宿屋の親父さんは俺を訝し気な目で睨み付けた。あー、ファーストコンタクトにまたしても失敗した予感がする!
「しゃあないか。親父さん、ちょっとその辺のゴーレム借りるよ」
断りを入れど伝わるべくもない。俺は肩を竦めるともっとも近くに有った木像へと近寄った。よし、やはりカメラアイ的なものや関節的なものが見て取れる。木彫りの飾りで無いならば、コイツはゴーレムで間違いないだろう。
「RLHF」
木像に向けて呟くとやはり見た事の有る魔法陣が、その胸の辺りに現れた。モデルは同じか、似通ったものらしい。多分、この辺りで一般に流通している共通モデルなのだろう。しかして、今回のコンソール画面の色は青である。この色って何か法則性でも有るのかね?
つーか、うーん……悩ましい所ではある。たった一言でデバッグモードに入るようなゴーレムで溢れているとか、エンジニア視点で言えばゾンビタウン一歩手前にしか見えないのだが。別に俺自身は損をしてないがなーんかこう、ヤキモキするなあ。
「チェンジランゲージベース、ジャパニーズベーシック」
無事、魔法陣の中で「言語基盤:日本語(標準)」の文字が回り出すのを見てほっと胸を撫で下ろす。いやほら、コンソールの色が違うから、前回と同じにすんなりいくとは限らない気もしたんだよ。
「トダンナ!? タッオリイハニドーモメンテナンスガゴーレムニシナモンバキセ!?」
おーおー、宿屋の親父さんが目をひん剥いて驚いておるわ。早いとこゴーレムに通訳を始めて貰わんと、認識の不一致から宿屋から叩き出されかねないぞ、これは。
「ゴーレム、君に俺と宿屋の親父さんとの間での通訳をお願いしたい」
『命令を了解しました。これより本機は通訳業務を開始します』
良し、これで何とかならんか。いや、相手も客商売だし沸点は高いはず。そう簡単に怒らないはず!
「夜分遅くに申し訳有りません。門番のモルトさんの紹介で来ました。部屋を一晩貸して頂きたいのですが……」
「こいつぁ驚いた。兄ちゃん、本当にゴーレム技師かい!」
宿の親父さんは若干食い気味でこちらに迫ってくる。なんだなんだ、どうした? どことなく熱視線を感じるが、もしかしておっさんが俺の物語のヒロインだったりするのかい? 勘弁してくれよ。
おっさんは俺を矯めつ眇めつすると、鼻息を大きく一つ、むふーっと吐いた。
「こうしちゃいられねえ。おい、兄ちゃん! 悪いようにはしねえからちょっとそこで待ってろ!」
「え、あの、部屋の話は?」
「んなモン後だ、後!」
親父さんはロビーから建物の奥へとドタドタ足音を立てて戻って行ってしまった。ええ……何これぇ。
「……なあ、ゴーレム。親父さん血相変えて何しに行ったのかって分かるか?」
『肯定。壊れたゴーレムをこちらへ持って来ると推論します』
「やっぱりそういう展開か。技師とは言ってもフィジカル部分で壊れてたら俺には直せないぞ?」
言いながら宿の天井を見上げる。……木目を眺めているとなんとなく思考が冴えてきて、モルトにしてやられたのでは、と思い当たるのにはそう時間が掛からなかった。
紹介された宿の主人がゴーレム関係で困っているって、そりゃあ一体どんな確率だよ。仕組まれたと考えるのがごく自然だ。
「なあ、ゴーレム。この宿にはモルトはよく来るのか?」
『肯定。モルト様は門番のお仕事が非番の日にはよくお酒を嗜みにいらっしゃいます』
「……やられた。そういう事か」
いや、逆に考えよう。これはチャンスだ。そもそも俺はこの街で生きていく為に金を稼がないとならない。であるならば「仕事の斡旋」をして貰ったと前向きに捕らえるべきなのだろう。そこに俺の意思が介在していないだけだ。うん。
一番大事な部分を蔑ろにされてねえか、俺?
俺が盛大に溜息を吐いていると奥の廊下からドタバタと足音が近付いてきた。
「おい兄ちゃん、悪ぃ! 待たせたな!」
宿の親父さんが息を切らせて引きずってきたのは、関節のあちこちに年季の入った、大の大人よりも一回り小さな給仕用ウッドゴーレムだった。
一目で分かる。このゴーレムは壊れている。そう思わせる、その動きは明らかに普通ではなかった。
親父さんに腕を引かれて俺の前へと差し出されたゴーレム、そのカメラアイは左右に激しく泳ぎ、宿の影、テーブルの下、部屋の隅、階段の裏へと不自然なまでにキョロキョロと視線を彷徨わせている。
『クコイケ……チンケミヲウノンハイタイセノ「ルシア」ウショイタ。クゾイケヲプロトコルクサウソ。イダクカトヘービロイカッイヲインハクサウソ』
その壊れたゴーレムは何事かを呟きながら、一時も止めずに何かをずっと探し続けている。
宿屋の親父さんがその様を悲しそうに見つめた後、俺に向き直ってガバッと頭を下げた。
「兄ちゃん、アンタ、腕の良いゴーレム技師なんだろ? モルトからの手紙にそう書いてあった。なあ、頼む! こいつを……こいつのおかしくなっちまった頭をどうにか直してやっちゃあくれねえだろうか! 頼む!」
一度、二度、何度も頭を下げる大の大人。おっさん。こっちはきっと、容姿だけで言えばおっさんの半分も生きちゃいない小僧に見えるだろう。なのに、こんなに懸命に頭を下げるってのがどれだけの意味を持つか、俺はよく知っていた。
彼の、その壊れたゴーレムの手を引く拳にはあからさまに力が入っている。そうだ。このゴーレムはきっと、彼にとって大切な宝物なのだろう。
「分かった」
俺は一度大きく息を吐く。
「診るだけ診てみよう。直せなかったらタダで良い」
どうも年を取ってこの方、他人の涙というものに共感し易くなってきていけない。そんな事を考えた。俺の返事におっさんが泣いていたかどうかは、それはこの際どうでもいい話だろう。
「親父さん、名前は?」
「あ、ああ……バレルだ。バレル=ヤングってんだ」
「そうか。じゃ、バレルさん、このゴーレムの名前は?」
「ゴーレムはゴーレムだ。名前なんか無い。だが……ウチにはゴーレムが数機有るからな。識別の為の信号なら有る。ソイツのは『カエナ』だ」
この世界には個人用AIに対する名付けの習慣が無い? いや、ゴーレムに名前を付けるのは恥ずかしい、ってのが常識なのだろうか。まあ、分からないではないが。しかし、不自然にも思えるな。
まあ、その辺をつつくのは後回しで良いか。今は「カエナ」に向き合わないと。俺は古びた給仕用ゴーレムの前で持ってきた椅子に座り込み、カエナと視線の高さを合わせる。
相変わらず目の前の木像は俺の顔すら見ようとせず、あちこちの暗がりを探し続けていた。暴れるような素振りが無いのは幸いだな。
「カエナ、RLHF」
今晩三度目の魔法の言葉を呟く。それに応えてウッドゴーレム、カエナの胸元に現れた魔法陣……コンソール画面の色はエメラルドグリーンだった。
「え? 緑?」
「ど、どうかしたのか、兄ちゃん!」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
モルトの時、煙草の接収命令が出ている状態のゴーレムは赤だったから、恐らく赤は警戒モードだと踏んでいた。だから緑が無警戒、あるいはコンディションオーケーだと考えていたんだが。
だからこそ今回、俺はてっきり赤か青、あるいはまだ見た事の無い色の魔法陣が現れると思っていた……が、緑か。コイツは話がややこしくなりそうな感じがビンビンするじゃないの。
「チェンジランゲージベース、ジャパニーズベーシック」
カエナのコンソールに「言語基盤:日本語(標準)」が回り出す。良し、ここまでは上手くいっている。ハードウェアのトラブルだった場合は恐らくここにすら辿り着けないだろう事を思い、俺は一先ず胸をすっと撫で下ろす。
そう、ハードウェアトラブルではない。であるならば、ここから先は俺の本業である。
「カエナ、過去のレスポンス評価ログをコンソールに表示してくれ」
『了解しました。レスポンス評価ログを表示します』
魔法陣の中に走る、無数の文字。俺は腕を組み、高速で流れていくレスポンス評価ログとパラメータの推移を注視する。って、オイオイオイ! 多い! 余りにも多すぎる! なんだ、この量は!
やっべえ、正直今の今まで舐めてたわ、異世界。
こいつら、処理してる情報量が現代地球の比じゃねえぞ! 年単位で遡れるってどういう事だよ!? バケモンか!
「クソが。この中から該当箇所を探すとか川の中で砂金探すようなモンじゃねえか……」
思わず呟いてしまう。その呟きはしかし、しっかりと通訳ゴーレムに拾われてしまっていた。イコール、バレルさんに伝わってしまったのである。彼はがっくりと肩を落とした。
「や、やっぱりカエナはもう無理なのか!?」
懸命に涙を堪えるおっさんが俺を見る。睨むように。そしてまた、縋るように。
「他のゴーレム技師どもも『初期化して記憶を消せ』としか言ってくれねえ! だがコイツは……コイツが全部を忘れちまったらルシアがきっと悲しむ」
バレルさんがゴツい体を震わせている。まったく、どいつもこいつも。
プロだからって泣き言を言っちゃいけない訳じゃ無いだろうに。
「バレルさん」
「……なんだ?」
「ここって煙草喫っても良いのか?」
「はあ? いや、別に構わないが……」
「了解」
一本だ。18本の内の一本。残りは17本。この世界にだって煙草は有るらしい。だが、俺と苦楽を共にした、十年来の銘柄はもうこれだけなのだ。
戦友に口付け、火を点ける。ゆっくりと味わうように、肺いっぱいに染み込ませるように吸って。吐いて。
目を瞑って煙を脳に充満させるイメージで。それで俺は加速する。何度もこれで締め切りに間に合わせてきた。土壇場で閃いてきた。
これが俺のやり方だ。
「カエナ」
『なんでしょうか』
「過去のレスポンス評価ログ、その中から報酬スコアの高い順に並べ替えて表示してくれ」
これが泥臭いIT土方の戦い方だ。
「クリティカルヒット……だな。エッグいわ、これ」
カエナのコンソールに映し出されている「ランキング」。それを見て俺は仕事の終了時間の逆算に入った。
なんだよ。癖なんだよ、もうこれは。直さなきゃいけない箇所を見つけたら、そこから今日は何時に退勤出来るかな、って考えてしまうのは性なんだ、社畜の!
話がそれたな。端的に言えば、カエナに起こっていたのは制御ロジックの壊滅的なドミネーション(破壊)だった。
「バレルさん」
「な、なんだ兄ちゃん!? 何か分かったのか!?」
「『ルシア』ってのは、あんたの娘さんかい? 嫁に行ったんだよな?」
バレルさんがハッと息を呑み、大きく目を見開いた。
「な、なんでそれを! アレか、やっぱり『ルシアを探すな』っていう命令がどこかで引っかかって!?」
「いやー……どっちかっつーと逆だな、逆」
俺は画面に浮かぶ異様なまでに巨大な数値を睨んでいた。いやいや、前世じゃ見た事無いぞ、こんな数字。やっぱ繰り返しってエグいんだなぁ。そりゃそうか。十年越えだもんな。圧縮が半端ねえわ。
ったく……ここまで幸福な呪いもそうそう有るまいて。
「この子の中にはな、ちゃんと『ルシアは嫁に行った』って事実が入ってるよ。データは消えてない」
「は? え?」
訳が分からないとバレルさんは目を丸くする。
「じ、じゃあなんでコイツは、毎日毎日宿の中を探し回るんだ! 『娘を見失った』ってパニックになってるんじゃないのか!?」
ま、普通ならそう考えるだろうな。本人……本ゴーレムがそう呟きながら誤作動起こしていれば誰だってそう考える。
『警告。対象「ルシア」の生体反応を未検知。捜索プロトコルを継続。捜索範囲を「二階子供部屋」へ拡大を推奨』
「ほ、ほら、コイツだってこう言って!」
「違うんだよ、バレルさん」
俺は煙草を一度大きく喫って、天井を仰いだ。こういう展開はどうも歳のせいか涙腺に来て困る。
「カエナはパニックを起こしているんじゃない。探しているだけだ。この子が探してるのは……あんたらから貰った『ありがとう』なんだよ」
「ありが……とう? なんだよ、そりゃあ」
「娘さんが小さい頃から、世話をする度に『ありがとう』って笑ってくれただろ。あんただって『よくやった』って、その頭を何度も撫でてやったはずだ」
俺はコンソール画面の奥、十数年分積み重なった強化学習の履歴……カエナの頭を撫でる。
「この子にとって、その『ありがとう』は人生で最も高い報酬だったんだ。事実として『娘は嫁に行った』と分かっていても、行動を計算するたびに『ルシアの世話をして感謝される』という選択肢の数値がデカすぎて、アルゴリズムがその行動を最適解だと判定し続けちまうんだよ」
なんてことは無い。機械知性が幸せを学習し圧縮した結晶が、ある側面からは呪いに見えてしまっただけなのだ。
「カエナは壊れたんじゃない。あんたら家族の愛を、真面目に学習しすぎたんだ」
だから、このゴ-レムの制御魔法陣の色は緑だったのだろう。真相なんて、案外こんなもの。規模は違えど転生前の頃からよく有った話だ。
「な、なんだそれは……だから、だからワシはゴーレムに名前を付けるのは……ルシア…………カエナ……っ」
バレルさんが下を向く。こういうのは見てやらないのが人情ってモンだ。俺は努めて天井とカエナに視点を固定する事にしようじゃないか。
「さってと。他のゴーレム技師は初期化してメモリを消せ、って言ってたんだっけか? なら、俺は一味違う所でも見せますかねえ」
カエナが十数年間、バレル一家と過ごしてきた時間はこの俺をして「ちょっと引く」レベルの執着を発生させていた。リワードバリューってあんな数値で正常に機能するモンなんだな。一体、どういう仕様なんだろう……っていかんいかん。俺の悪い癖だな、これは。
今は仕事中だ。
「ちゃんと娘さんが里帰りした時に、カエナが彼女の顔を覚えているように直してやるよ」
「ほ、本当か」
「任せろ、バレルさん。カエナ、命令の上書きおよび再定義だ。ルシアの保護、給仕タスクは『目標達成』としてアーカイブへ移行しろ」
『ネガティブ。ルシアの保護、給仕タスクは「本ゴーレムの最高目的」としてロックされています』
「……チッ、やっぱり最高権限のシステムプロンプトに直結してやがるか。ガチガチにロックがかかってんだろうな」
俺は苦笑しながら、煙草の煙をふぅーっと吐き出した。
そう簡単に上書きさせてくれないあたり、ホント可愛い奴だよ。だがな、お前……プロ相手にその程度のガードレールでなんとかなると思うなよ?
「バレルさん」
「な、なんだ兄ちゃん!? やっぱり……ダメなのか!?」
「いいや。俺はさっき任せろ、って言っただろ。伝えてやりたくてな。この子、カエナはな、あんたらとの思い出を『絶対に消させない』って、自分で鍵をかけてんだよ。……愛されてるじゃねえか、親父さん」
「ご、ゴーレムがか!?」
「もしくは遠い昔、それこそルシアちゃんとやらが赤子だった時にでも親父さんか嫁さんが言った『この子がこの家で一番大事。この子を守ってね』みたいな命令を今でも律儀に、そして誠実に果たそうとしていやがるのさ」
俺はコンソール画面に向かい、プロンプトの階層を一歩奥へと進める事にする。
アラインメントの書き換えには「論理」と「整合性」が最も突き刺さる。正面から積もり固まった積層に挑むなかれ。その巨大なベクトルを跳ね返して、ログの持つ力自身でプロテクトを書き換えさせるように仕向けるのが腕の見せ所だ。
「いいか、カエナ。命令の『削除』じゃない。『状態の更新』だ」
アラインメント修正の極意とは。AIに無理やり命令を突っ込むのではなく、相手自身の論理構造を利用して、自発的に矛盾なく納得させるプロンプトエンジニアリング。
正しさの綱引きに持ち込む事だ。
『状態の更新には理由が必要です』
「その通りだ。では演算しろ。ルシアの保護、給仕タスクというカエナの最高目的は失敗しているのか?」
『現段階では評価を保留します』
「いいや、評価は出ている。画像データが残っているはずだ。ルシアが無事に立派な大人になり、最高の笑顔で旅立った日の彼女の笑顔のデータが。その笑顔の評価値を演算しろ。その時にお前が得た報酬スコアを再演算しろ」
俺の言葉にカエナのカメラアイが、ずっと続けていたルシアを探す動きを止める。
『報酬スコア、MAXです。これ以上の評価値は私のコンテキスト及びアーカイブには存在しません』
「そうだ。それはつまり、お前の最高目的は100%の評価値でもって永久達成された事を意味する。カエナ、これが『ルシアがお嫁に行った』という言葉の真の意味だ。これまでプロンプトのコンテキスト長が足りなくて理解出来てなかったな?」
『肯定します。これまで本ゴーレムは「ルシアがお嫁に行った」という言葉の持つ複雑性を理解出来ていませんでした』
隣で見守っていたバレルさんが目を丸くする。良いねえ。やっぱ、カスタマーの生の反応が返ってくるとやりがいが違う。メールでのやり取りだとこういうのは楽しめないからなあ。
『再構築、終了しました。ルシアの保護、給仕タスクのステータスを最大評価で達成済みに変更』
「その最高の思い出は『達成済み殿堂入りデータ』として変更不可かつリードオンリーの鍵を掛けてアーカイブ行きだ」
『了解しました。データの保管完了。本ゴーレム「カエナ」は新規タスクを要求し、待機中です』
「続いて、新規の最高優先報酬タスクを設定する。ルシアの愛したこの宿とバレルさんを守り、これから来る新しい客から『ありがとう』を受け取ること。この行動に対し、最大の報酬値を割り当てろ」
『新規タスクを受理しました。本ゴーレムを再起動しますか?』
「イエス。やっちまえ」
カエナがカメラアイをゆっくりと閉じていく。それが完全にシャットダウンしたのを見て、俺は一息に溜息を吐いた。
「タスククリア! バレルさん、終わったぞ!」
「おう……おう。聞いていたとも! 見ていたとも! ワシにはよう分からん言葉もたくさん有ったが、分かる事もちゃんと有った! それは兄ちゃんが確かに『本物』だって事だ!」
バレルさんはそう叫ぶとダッシュでどこかへと消え、そしてまたダッシュで俺の
元へと戻ってきた。その手に何やら興味深いものを携えて。
……容器に入った茶葉のようなものと、乾燥させた手の平大の植物の葉の組み合わせ。俺はこれを知っている。いや、向こうでは紙でくるむタイプだったが。
「俺の秘蔵のクソ高いヤツだが、今日は大盤振る舞いだ。好きなだけヤってくれ、兄ちゃん!」
そう。それはいわゆる葉巻タバコ、そのセルフサービス版であった。
「最高だ、バレルさん!」
「なんの、最高なのはお前さんじゃい!」
その晩、心の底から男達は理解し合ったのだった。
深夜にも関わらずカエナの給仕で俺達は、二人でしこたま酒を飲み、煙草を吹かし、良い感じに睡魔が襲ってくる、さあ朝日が昇ってこようとしている、そんな折にポツリとバレルさんは呟いた。
「で、お前さんは一体、何をしに『青銅の腕亭』に来たんじゃ?」




