2-2 報告会2
前のエピソードが短かったので本日二度目の投稿です。
「以上が、令息が屋敷を抜け出したと判断した理由です」
翌日、近衛騎士団の会議室では、前日までに判明した事実がリゼリアーナに報告されていた。
「その後、我々は令息の行き先と、恋人の身元を追いました」
長卓の一端に立つセリアの前には、集められた書き付けが幾つも重ねられている。アルベルトの左右にはビオンとヴァルシークが座り、向かい側にはリゼリアーナと、相変わらず表情の乏しい護衛が控えていた。
「相手はリディアという女性で、下町で家族と暮らしながら服飾の仕事をしています。また、ユリディス令息が彼女と会うために用意していた別邸も見つかりました。しかし、本人はどちらにもいませんでした」
報告を終えたセリアは、冷ややかな視線をリゼリアーナに向けた。アルベルトも憮然とした表情のまま、報告を引き継ぐ。
「家族の話では、婚約破棄のあった八日の夜、数人の者が家を訪れ、事情を聞く必要があると言ってリディアを連れていったそうだ。その際、王家の紋章が記された書状を見せられたという」
言い終える頃には、アルベルトたちの視線が一斉にリゼリアーナに向けられていた。
「はい。彼女は私たちが保護していました」
当のリゼリアーナは、まるで当然のことのように、涼しい顔で答えた。
「やはりお前たちか! なぜ、それを黙っていた!」
アルベルトの声が会議室に響き、卓上の紙がわずかに震えた。
しかしリゼリアーナは眉一つ動かさず、その怒りを受け流す。隣に控える護衛も、何事もなかったように立ち続けていた。
「理由は二つあります。まず、彼女の保護は王太子殿下から直接命じられたものでした。これは今回の捜査とは別の命令ですから、許可なく口外することはできません」
理屈は分かる。別任務で得た情報を勝手に明かせないのは当然だ。とはいえ、彼女の保護が今回の捜査と無関係とは言い難い。少しは融通を利かせろという思いもある。
だが、今はそれよりも聞き捨てならないことがあった。
「殿下が? なぜだ。騒動の渦中にいるとはいえ、彼女は平民だぞ」
「王太子殿下は婚約破棄の一件を耳にされ、大変おもしろ……重要な事柄であると考えられました」
言い直したところで、途中まで口にした言葉は誰の耳にも明らかだった。もっとも、リゼリアーナにも隠すつもりはないようだ。
「そこで自ら事情を聞くために、先に彼女を保護しておくよう命じられたのです。さすがにこのような命を王宮から正式に出すわけにはいかないということで、私たちに直接」
「当たり前だ! というか、王太子府にも出すな、そんな命令を! まったくあの方は……」
怒鳴ったあと、アルベルトは額に手を当てた。だが、ふと何かに気づき、再びリゼリアーナに視線を戻す。
「待て、ということはその命令が出たのは婚約破棄後だろう? 彼女を保護したというのは何時だ」
「二十二時ごろです」
「わずか三時間ほどで相手の身元と住まいを突き止め、保護までしたのか?」
「はい。調べました」
「調べた、で済ませるな」
怒鳴りつけたいところだったが、特務調査局ならば本当にやりかねない。その思いが、アルベルトを辛うじて押しとどめた。
先ほどまでの張り詰めた空気は急速に緩んでいく。セリアだけは疑わしげに眉を寄せたままだったが、ビオンは笑いを堪えるように口元に手をやった。ヴァルシークは王太子の名が出た時点ですべてを諦めたらしく、深い溜息を一つ吐いている。
そんな周囲の反応とは関係なく、リゼリアーナは少し間を置いて言葉を足した。
「もっとも、彼女の身に危険が及ぶ可能性があったことも確かです。目的はともかく、保護という手段そのものには理がありましたから、命には従いました」
「目的はともかく、か」
「はい。そして保護した時点で、あの夜のことも一通り聞いています」
アルベルトの目つきが再び鋭くなる。
「二人が使っていた別邸は、普段から暮らしていた場所ではなく、食べ物の備えもほとんどなかったそうです。置かれていたのは、日持ちする野菜と酒、その程度でした。あと、ユリディス令息とあの夜に会う約束をしていたそうです」
「約束だと?」
身を乗り出すアルベルトに、リゼリアーナは小さく頷いた。
「令息は事前に、こう伝えていたそうです。『私はこれから婚約を破棄する。そんなことをすれば、叱責だけでは済まないだろう。下手をすれば家を追われ、平民同然の身で放り出されるかもしれない。それでも私と共に生きてくれるというなら、八日の二十三時、いつもの別邸に来てほしい』と」
言い終えるとリゼリアーナは、少しだけ口元を緩めた。
「随分とロマンティックな方だったようですね」
その話が真実ならば、ユリディスが謹慎を破って屋敷を抜け出した理由は分かる。
王宮の夜会で婚約破棄を宣言するような男なら、いかにも口にしそうな言葉でもあった。謹慎中に屋敷を抜け出すという行動も、非常識ではあるが、これまでに集めた事実とは矛盾しない。
問題は、その約束が意味するところだった。
「ならば、令息が屋敷を抜け出す可能性を、お前は最初から知っていただろう!」
アルベルトが再び声を荒らげると、リゼリアーナはわずかに首を傾げた。
「もちろんです。ですから、そう伝えましたよ?」
「なに?」
「『本当にずっと屋敷にいたのですか』と」
「なっ……」
「私もその時点では、令息が実際に外へ出ていたことまでは知りませんでした。令息が屋敷から出られなかった可能性も十分あります」
「それは……そうだろうが、しかし!」
「そして、理由の二つ目です」
アルベルトの反論を待たず、リゼリアーナは続けた。
「私が先にその約束を伝えていたとしても、あなた方は結局、確かめたでしょう?」
「何を……」
「令息が本当に屋敷を出たのか。どの道を通り、誰かに見られていないか。その途中で何をしていたのか。やることは、変わらなかったはずです」
アルベルトは反論しかけたまま、口を閉じた。
もしグレナート家で事情を聞いた時点で、二十三時に別邸で会う約束があったと知っていたなら、どうしていただろう。
真っ先にリディアの所在を確かめ、別邸に人を向かわせたのは間違いない。しかし、それと並行して屋敷の者たちから話を聞き、令息の姿を見た者がいないかも探したはずだった。結局、必要なことの大半は変わらない。
結果だけを見れば、彼女の言うとおりだった。先に行き先を知っていれば、そこに至る途中まで丹念に辿らず、オルディナ宝石店への立ち寄りを拾い損ねていた可能性すらある。
彼女の言い分には一応の筋が通っていた。もちろん、それで肝心な事実を伏せていたことまで納得できるわけではないが。
「くそっ、もういい!」
アルベルトは苛立ちを振り払うように卓に掌をつき、考えを切り替えた。
「それで、彼女は何と?」
「ええと、私たちが保護した時、彼女はまだ自宅にいました」
リゼリアーナは、どこまで話したかを思い返すように続けた。
「事情を説明すると、最初は『令息との約束を破ることはできない』と渋りました。どうやら彼女は、令息のプロポーズを受けるつもりだったようですね」
それまで呆れや苛立ちを浮かべていた面々も、その言葉には口を挟まなかった。
リゼリアーナたちは、令息が謹慎中のため今夜は約束の場所に来られないこと、翌朝には王太子から呼び出しを受ける予定であることを説明した。何事もなければその後すぐに会えるだろう、とも。
「最後には彼女も納得して、私たちに従ってくれましたが……」
リゼリアーナはわずかに視線を落とし、卓上で指先を重ねた。
「結果として、彼女には悪いことをしました」
「……それは、殿下のせいではないだろう。もちろん、お前たちのせいでもない」
アルベルトは、少し間を置いて答えた。
王太子の命によって保護されたために、リディアはユリディスと最後に会う機会を失ったことになる。約束の時刻に別邸に赴いた令息は、恋人が現れないことに落胆したに違いない。
実際には彼女も約束を守るつもりでいたのだから、彼女の意思がひと言でも伝わっていれば、少なくともその苦しみだけは避けられただろう。
だが伝言を許せば、二人に口裏を合わせる余地を与えることにもなる。事情を聞くために身柄を預かった以上、接触を断った判断そのものは誤りではなかったはずだ。
「そうでしょうか?」
リゼリアーナは少し意外そうに目を瞬かせたものの、それ以上感情を見せることなく、すぐに表情を戻した。
「まあ、ありがとうございます。それで、別邸の方はどうでした?」
「ああ。中はすでに確かめた」
アルベルトもそれ以上は触れず、手元の書き付けに目を落とした。
別邸は、貴族が用意したとは思えないほど小さな家だった。邸内はすぐに調べ終えたが、怪しいものは何も見つからなかった。
リディアの話どおり、普段から人が暮らす場所ではないらしく、令息が口にできそうなものも、水と酒、保存の利く野菜が少しある程度だった。何かを飲み食いした形跡も残っていない。
「残された水や酒に毒が含まれていないかは、これから詳しく確かめるが……」
「何も出ないでしょうね」
「そうだな」
アルベルトがさほど迷わず頷いたため、セリアが意外そうに二人を見比べた。
「なぜですか?」
「自分が令息だったとして、別邸で何かを飲んだとしましょう」
答えたのはリゼリアーナだった。セリアに顔を向け、考えさせるようにゆっくりと問いかける。
「そのあと、杯や瓶を綺麗に片付けますか?」
「そんなことは……なるほど。本人がそこで飲んだのなら、使った器が残る。犯人が痕跡を消したのなら、毒の付いた器ごと持ち去る。どちらにせよ、今残っている水や酒が、令息の口にしたものとは考えにくいということですか」
納得しながらも悔しそうに口を結んだセリアだったが、アルベルトは咎める色を見せずに付け加えた。
「もちろん、確かめはするがな」
「それがよいでしょう」
リゼリアーナも素直に頷き、少し考えるように卓上に視線を落とした。
「ところで、ほかに変わったものはありませんでしたか?」
「だから、何もなかったと言っている」
「プレゼントは見つかりました?」
問いの意味がすぐには分からず、アルベルトは眉を寄せた。その反応を見て、リゼリアーナが説明を足す。
「令息が別邸に向かう途中、宝石店で受け取っていたのでしょう? それも、わざわざ夜に店を開けさせてまで。リディアさんは別邸には来ていないはずですが」
「あれ?」
最初に声を漏らしたのはセリアだった。
「そういえば……それらしいものは、別邸にはなかったと思います」
ビオンも、別邸の様子を思い返すように天井に目を向けた。
「令息が持ち帰ったのでは?」
「んー」
リゼリアーナはすぐには同意せず、指先で卓を軽く撫でながら、独り言のように問いを重ねた。
「そもそも令息はなぜプレゼントを宝石店で受け取ったのでしょう?」
「リディアさんに贈るためでしょう?」
セリアが即座に答えると、リゼリアーナは彼女に視線を移した。
「では、なぜ令息はそれまで受け取らずにいたのでしょう? 彼はあの夜、リディアさんと会う約束をしていました。贈り物もその時に渡すつもりだったと考えられます。前もって店に頼んでいたそうですし、急に思いついたわけではないでしょう。その日の令息の行動を思い返してみてください」
リゼリアーナはそこで言葉を切り、急かすことなくセリアの答えを待った。
「あの夜の令息は夜会で婚約破棄を宣言しました。そのあとは当主に連れ戻され、部屋で謹慎……」
口にしながら、セリアの表情が次第に変わっていく。
「確かに、これでは事前に受け取り自室に置いておくことなどできません。令息は婚約破棄のあと、勘当されることまで覚悟していた。贈り物を自室に置いておけば、家の者に見つかってどう扱われるか分からない。それ以前に、自分が自室に戻れるかどうかも……」
「そういうことです。だから店に預けておいて、屋敷を抜け出したあとで受け取った。そこまでは筋が通っています」
セリアの言葉を聞き、リゼリアーナは満足そうに微笑んだ。
そこで一度言葉を切り、彼女は卓を囲む者たちに視線を巡らせた。
「なのに、令息はそれを持って帰ったのですか? 恋人に渡すための物なのに? 本人に会えなかったとしても、別邸に置いて帰ればよかったではありませんか」
彼女が投げかけた問いに、すぐに答えられる者はいなかった。
令息は、家の者に取り上げられることを警戒して、贈り物を婚約破棄のあとに受け取る手筈にしていたのだろう。
それなのに、恋人に渡せなかった贈り物をそのまま家に持ち帰り、そこで取り上げられる可能性は考えなかったというのか。
宝石店で贈り物を受け取ったという事実は誰もが知っていた。しかし、それはあくまで令息の足取りを示す情報の一つにすぎなかった。別邸にそれらしい品が見当たらなかったことと結びつけて考える者は、誰もいなかったのだ。
答えの出ない疑問だけが卓上に残り、皆が困ったように互いの顔を見合わせる。
「そこまで気にすることか?」
少し間を置いて、アルベルトが口を開いた。
「そこまで考えが回らなかっただけかもしれない。そのまま持ち帰り、家の者に没収されたとも考えられる。まさか誰か別の人間に会っていたとでも言うつもりか?」
「そうは言ってません。彼があそこを訪れることを知っていた人間は限られるでしょう。高価な贈り物を持っていると知っていた者も。偶然の空き巣というのも都合が良すぎる。多分、あなたの言う通りだと思います」
リゼリアーナはわずかに肩をすくめ、あっさりと話を収めた。
「では、その辺りも聞いておいてください」
そして、何でもないことのように続けた。
「今度こそ、あの夜、令息の家で本当は何が起きたのかを」




