1-3 特務調査局
「リゼリアーナ、何故ここに?」
「特務調査局の任務です。はい、こちらが命令書」
リゼリアーナはセリアの驚きなど意に介さず、そう言いながらアルベルトの前まで歩み寄り、手にしていた一枚の書状を差し出した。アルベルトがそれを受け取り、書状に目を走らせると、すぐに眉間に皺が寄った。そのまま目を上げず、しばし黙り込む。
その様子を見たビオンは、脇から文面に視線を滑らせ、首をかしげた。
「近衛騎士団副団長、アルベルト・グランツに、特務調査局への協力を要請する……?」
「副団長、拝見しても?」
年嵩の騎士、ヴァルシークの言葉に、アルベルトは無言で書状を傾けた。ヴァルシークは半歩寄り、その末尾を確かめる。
「王太子殿下の署名と印章がある。形式は要請でも、実質的には命令だな。しかも副団長を名指ししている。これでは上と協議するという名目で持ち帰ることも難しい」
「では、特務調査局の指揮に従うのですか?」
「そこまでは書かれていない。共同で調査し、情報を渡せということだ」
部下たちが書状を確かめ、小声で話し合っている間にも、リゼリアーナはアルベルトの脇から寝台を覗き込んでいた。
「これが被害者ですか?」
書状に目を落としていたアルベルトは、その言葉にはっと顔を上げた。
「ああ……いや、まだ事件と決まったわけではない。ユリディス・グレナート伯爵令息だ」
だが、リゼリアーナはその訂正を気にした様子もなく、背後に控えていた二人を振り返った。
一人は痩せた身体つきで、どこか落ち着きのない目をした男。もう一人は武装した護衛らしい、無表情な男だった。
「どうです。分かりますか?」
問いかけられた痩せた男は、返事をする代わりに寝台に歩み寄った。遺体をひと目見ただけで、ほとんど間を置かずに口を開く。
「これは明らかにローデン中毒ですな」
「ローデン?」
侯爵令嬢がこのような場所へ自ら足を運んだことを、ひと言たしなめようとしたアルベルトだったが、男のあまりに早い断言に意識を引かれた。
「なぜ、見ただけで分かる?」
しかし男は、なぜそのようなことを尋ねるのか理解できないとでもいうように、きょとんと目を瞬かせた。
「おかしなことを。この苦悶の表情を見れば、自明ではありませんか」
「……」
アルベルトがその言葉を理解するまでには、数瞬を要した。
死体の表情から使われた毒物が分かる。男はどうやら、本気でそう言っているらしい。
「リゼリアーナ、お前の部下は、何を言っている?」
男本人に聞くことを早々に諦め、アルベルトが彼女に顔を向けると、リゼリアーナは澄ました顔で見返した。
「遺体は、多くのことを語るものです。顔や顎のこわばり、口内や眼の状態、皮膚の色から身体の姿勢に至るまで、死の前後に起きたことは様々な形で残ります。彼はそれらを観察し、自らの知識と経験に照らし合わせることで答えを導き出せるのです。表情というのは、そうした徴候から得た全体の印象を、彼なりにそう呼んでいるのでしょう」
それは一見すれば、もっともらしい説明だった。
「本当か?」
しかしアルベルトが重ねて問うと、リゼリアーナの視線が泳ぐ。
「ええと……おそらく。そういうことなのだと思います。ただ、腕が確かなことだけは保証しますよ」
どうやって答えを出しているのかまでは、彼女にも分かっていないらしい。
当の男は、周囲の当惑など気にも留めていなかった。寝台に顔を寄せ、遺体の瞼を持ち上げたかと思えば、今度は顎に手を添え、口内を覗き込む。
「こうして実物を見ると、やはり素晴らしい。これほど見事に徴候が揃ったものは、そうお目にかかれません。このまま持ち帰ることはできませんかね?」
医師が絶句し、執事は青ざめた。
アルベルトはしばらく黙ってから、リゼリアーナに尋ねる。
「おい。こいつは犯罪者ではないのだろうな?」
「大丈夫です。生きている人間に危害を加えることはありません」
それはアルベルトが求めていた答えとはかなり違うものだった。さすがに自覚はあるのか、リゼリアーナは目を合わせないまま、そっと顔を逸らした。
「……まあいい。それで、ローデンとは何だ?」
これ以上追及しても、望む答えは得られそうにない。アルベルトはそう判断して話を戻した。
それで済ませるのか、とでも言いたげにセリアがこちらを見る。ヴァルシークもわずかに眉を動かしたが、二人とも口を挟みはしなかった。
「野に生えるローデンという草がありましてね。その球根から取れる毒です」
細身の男は待っていたとばかりに、滑らかに説明を始めた。
「乾燥させた球根が、鼠を駆除するための毒餌の材料として市中に出回っております。使う際には粉にして餌に混ぜるのが一般的ですな。ほかにも、ある種の心臓病に対する薬として用いられることがあります」
「薬? そのような毒がか?」
「もちろん、量は正確に測らねばなりませんがね。心臓の働きを弱めるということは、働きすぎている心臓には効き目があるということでもある。毒と薬は紙一重。どのようなものにも、使い道はあるということです。おや、まるでどこかの誰かのようではありませんか」
そう言うと、男は自分で可笑しくなったのか肩を揺らして笑い始めた。アルベルトはそれを無視して、グレナート家の医師に視線を向ける。
顔を引きつらせていた医師は、アルベルトの視線に気づくと、咳払いを一つして頷いた。
「言っていること自体は、間違っておりません。ローデンは心臓に作用する毒で、薬として用いることもあります」
医師の言葉を引き取るように、男が再び口を挟んだ。
「このローデンという毒……いや、薬と言うべきですかな? ともかく、少量ならすぐに害が出るものではありません。ですが、継続して摂取すれば、やがて心臓が弱り、死に至ります。一度に大量を飲み込めば、数時間で命を落とすでしょうな」
「数時間とは、正確にはどれほどだ」
「摂取した量のほか、体格や身体の状態にもよります。どれほど吐き出したかでも変わるでしょう。多くは一時間から六時間ほどで死に至るでしょうな」
「その間、本人にはどのような症状が出る?」
「初めは吐き気や目眩、身体のだるさでしょう。やがて脈が遅くなり、あるいは乱れ、重くなれば意識を失う。最期は心臓が止まります。もっとも、症状の現れ方にはかなり幅がありますがね」
その言葉に医師も異論を挟まない事を確認し、アルベルトはしばし考えた。
医師によれば死亡したのは夜半から明け方までの間。そこから最大六時間前となると、昨夜の夜会にまで及ぶ。しかも初めのうちは、吐き気やだるさを覚える程度で明らかな異常が現れるとは限らない。
「そうすると、昨夜の夜会で口にしたものと、その後の飲食を確かめる必要があるな」
「あの、本気であれを信じるのですか?」
セリアが、男を不気味なものでも見るような目で睨みながら尋ねた。
「信じたわけではない。当然、こちらでも確認を取る。だが、医師も毒の可能性を挙げている。あの男の見立てが正しいかどうかにかかわらず、令息が口にしたものを調べる必要はある」
「ああ……それは確かに。分かりました」
その間、リゼリアーナは口を挟むことなく、アルベルトたちのやり取りを眺めていた。一連の話が落ち着いたところで、ようやくのんびりと口を開く。
「では、私たちはこれで失礼します」
「死体を見ただけで帰るのか?」
「ほかのことは、これからあなた方が調べるのでしょう? それは後ほど教えていただきます。これ以上ここにいても邪魔になるだけですから」
確かに、このまま居座られても捜査の邪魔にはなる。だからといって、本当にこちらへ任せて帰るつもりなのか。そもそも近衛に調べさせその報告だけ受け取ろうという態度は、勝手が過ぎる。
そう思いはしたものの、ここで言い争っても仕方がないのは確かだった。
アルベルトは不満を口にすることなく、情報を交換する時刻と場所を取り決め、扉へ向かう彼女を見送った。
「ああ、そうでした」
しかし、二人の部下を連れて部屋を出る直前、リゼリアーナは足を止め、思い出したように振り返った。
「令息の死と、その死因は、しばらく伏せておきましょう」
「なんだと?」
アルベルトは彼女の発言に眉を寄せたが、すぐにその意図に思い至る。
「……犯人だけが知る情報を残しておくためか」
「はい」
「分かった。令息の死は可能な限り伏せ、毒の可能性とローデンの名は関係者以外には漏らさない。しかし限度はあるぞ」
伯爵家の令息が王家の命令による出頭を欠席し、そのまま姿を見せない。社交界の関心も集まっていて、死そのものを長く伏せておくことはできない。
調査を進めれば不審な死であることも察せられ、毒の名さえいずれは漏れるだろう。
「それは仕方ありません。表向きには令息は謹慎中。いいですね?」
一方的に言い残し、リゼリアーナは今度こそ部屋を出ていった。名残惜しそうに何度も遺体を振り返りながら、男もその後に続き、最後に細身の護衛が無言で扉を閉めた。
三人の足音が扉の向こうへ遠ざかってから、セリアが恐る恐る口を開く。
「あの……副団長は、カルディス侯爵令嬢とお知り合いなのですか?」
「同じ侯爵家だ。家同士の付き合いもある」
「なるほど……それにしてもなんというか……強烈な方々ですね」
突然現れて協力を求め、調査は近衛に任せたまま帰っていく。
そればかりか、令息は表向き謹慎中だと一方的に決めてしまった。その建前を通すため、当主や使用人とも口を合わせ、王宮をはじめ各所に話をつけるのはこちらである。
おまけに、連れてきた毒物の専門家はあれだ。
それでもセリアが言葉を濁したのは、侯爵令嬢への礼儀を考えてのことだった。
「噂通り変な連中だよな。特務調査局」
しかし、その配慮は横から口を挟んだビオンによってあっさり台無しにされ、セリアは思わず眉を吊り上げる。
「ビオン、失礼ですよ? あの方は五侯爵家のご令嬢です」
「それを言ったら副団長も五侯爵家の嫡男だけど」
その返答に、彼女の視線は「そもそも副団長にも敬意を払え」とでもいうように冷たくなり、ビオンはごまかすように言葉を続けた。
「ほら、リゼリアーナ嬢っていつもあんな感じで気取らない人だし」
「いつも? 前にもお会いしたことが?」
「今回のように近衛騎士団と特務調査局の任務が重なることは時々ある」
今度はヴァルシークが口を挟んだ。
「横紙破りで、調べ方も常識外れだが、結果は出す。我々も何度か先を越されている」
「なんだかんだ解決しちゃうんだよ。例の王太子暗殺未遂事件とかもそうだったんじゃないかな?」
それは特務調査局の名を広く知らしめた事件だった。
特務調査局は、王太子の政務と生活を支える王太子府に置かれた小さな部署である。
独自に人を捕らえ、屋敷を調査するような権限は持たず、必要とあれば王太子の命令によって近衛や各役所を動かす。
多くの事件を解決したと称賛される一方で、「王太子殿下の道楽」「王太子と侯爵家の威光を借りた張りぼて」といった陰口も絶えなかった。
直接関わるのは初めてのセリアでさえ、その噂は知っていた。
「その、先を越されたという事件は?」
「もういい」
興味を引かれて問いを重ねたセリアを、アルベルトはわずかに低い声で遮った。
「我々は調査を続ける。現時点で気づいたことはあるか」
その言葉に三人は姿勢を正す。まず口を開いたのはヴァルシークだった。
「室内にも遺体にも、争った形跡はありません。少なくとも、何者かに襲われたようには見えない。自然死か……毒殺だとしても、本人が口にしたものに混ぜられたのでしょうな。屋敷に戻る前か、戻った後かはまだ分かりませんが」
「そうだな」
彼らしい堅実な見立てに、アルベルトは頷き、セリアも異論は挟まなかった。しかしビオンは首をかしげる。
「では、この家が彼を毒殺したんでしょうか?」
それはいつものように何の気負いもなく、ただ思ったことを口にしただけのようだった。
アルベルトもその遠慮のなさを咎めることなく、理由を尋ねる。
「何故そう思う」
「令息は昨夜の夜会で婚約破棄を宣言しています。これはグレナート伯爵家にとって大変な醜聞です。このまま本人に好き勝手させるより、病死に見せかけて始末しようと考えたんじゃないでしょうか。家ぐるみなら簡単ですし」
「それはおかしい」
彼の推測を、セリアがすぐに否定した。
「確かに醜聞の元を消すのは貴族らしいといえばそうだけど、なぜ今? 領地にでも送り、頃合いをみて病死とすればいい。王家への出頭を目前にして毒殺するなんて、いかにも何か秘密でもあるみたいじゃないですか。あるいは、そう疑われても構わないぐらいの理由があった?」
そう言うと、セリアはそのまま考え込んだ。
「その可能性を考えるのはいい。だがそもそもこの家が毒殺したと決めつけるな」
「はい。申し訳ありません」
しかしアルベルトに釘を刺され、セリアは少し気まずそうにしながらも、素直に謝った。
「今の段階では、自然死か、事故か、他殺かも分からない。まずは昨夜から今朝までの令息の行動と、屋敷内の状況を洗い出す」
アルベルトは三人を順に見渡した。
「セリアは、昨夜から今朝までに令息を見た者の証言を集め、時系列を整理しろ。ビオンは、令息のもとに届けられた食事や酒、薬、手紙、荷物を確認しろ。ヴァルシークは屋敷の見取り図と昨夜の人員配置を調べ、この部屋に通じる経路と、屋敷の外に出られる場所を洗い出せ」
三人がそれぞれ頷く。
「遺体は王宮医務局に運ぶ。詳しく調べれば、何か分かるかもしれん。私は当主に許可を取ってくる。セリアは遺体を運ぶ手配もしておけ。ああ、令息の死が漏れぬように注意しろ。ただし、遺体の扱いは丁重にな」
「承知しました」
指示を受けた三人は、待機している団員たちに役目を振り分けるため、揃って扉に向かった。
「セリア」
しかし部屋を出る直前、アルベルトがその一人だけを呼び止める。振り返った彼女に、アルベルトはわずかな間を置いて付け加えた。
「医務局には、一応ローデンの可能性も伝えておけ」




