1-2 リゼリアーナ・カルディス
殺人事件につき、このエピソードには死体の描写があります。
アルベルトが応接室を出ると、待っていた三人の部下が一斉に姿勢を正した。若い男女の騎士に並び、ひとりだけ年嵩の男が落ち着いた様子で控えている。
「まずは遺体を確認する。行くぞ」
アルベルトが執事に目を向けると、執事は一瞬だけ唇を引き結んだ。それでも何も言わずに一礼し、廊下の先に歩き始めた。
一行は執事の後に続いて広い邸宅の廊下をしばらく進んだが、執事の足は止まらず、さらに屋敷の奥へと向かっていく。
「ずいぶん奥まで行くんですね」
それを不思議に思ったのか、若い男性騎士のビオンが誰にともなく呟いた。
その呟きに答える代わりに、アルベルトは先を行く執事に問いを向けた。
「遺体は、発見された部屋に?」
「はい。医師が死亡を確認した後も、そのままにしております」
「それから部屋に入った者は?」
「旦那様が確認なさった後は、出入りを止めております。それ以前については、私には正確なところまで分かりかねます」
「分かった。後ほど確認する」
やがて一行は、物置や使用人部屋らしい扉が並ぶ一角へたどり着いた。その廊下の奥にひどく頑丈な造りの扉があり、その前には見張りらしい使用人が一人立っている。
「何の部屋だ、ここは」
客を通すにはあまりに奥まった場所にありながら、扉だけは不釣り合いなほど頑丈に造られている。
アルベルトが疑問を口にすると、執事は答えるまでにわずかな間を置いた。
「ご家族やお客様がひどく取り乱された際、医師が参るまでお休みいただくための部屋でございます」
「……そうか」
それ以上問いたださず、アルベルトは扉の前に立つ使用人に視線を移した。緊張した面持ちでこちらを窺っていた使用人は、その視線を受けると、すぐに頭を下げた。
「朝から、ここで見張りを?」
「はい。旦那様より、誰も近づけぬよう命じられております」
「そう言いつけられてから、部屋に入った者はいるか?」
「いいえ。誰も」
「遺体が発見されたのは?」
「確か、六時の鐘が鳴る頃だったかと」
「その時、中に入った者は分かるか?」
そこで初めて、見張りの使用人はすぐには答えず、記憶を辿るようにしばし宙を見つめた。
「坊ちゃまを起こしに参った者と、その悲鳴を聞いて駆けつけた方々です。私も中に入りましたので、合わせて数人だったと思います。あとは、医師の先生が」
「君も中に?」
「はい。坊ちゃまは謹慎中でございましたので、その時も私が扉の前に控えておりました」
「そうか。詳しい話は後で聞く。扉に鍵はかかっていたのか?」
「はい。ただ、この部屋は外側から施錠する造りでして……」
「ああ、なるほど」
先ほどの執事の説明と合わせれば、外側から施錠する造りなのも腑に落ちる。「休ませる」というのは、ずいぶん穏当な言い方だったらしい。
アルベルトはそれ以上触れず、扉を開けるよう促した。
扉の頑丈さに比べ、室内は意外なほど簡素だった。
装飾のない壁に、寝台と小さな卓、椅子が一脚。花瓶のような、手に取れる調度品は一つも置かれていない。衣服や日用品の類もなく、誰かが日常的に使っている部屋ではないのは明らかだった。
寝台の脇には、無造作に脱ぎ捨てられた革靴が一足転がっている。その寝台には白いシーツが掛けられていたが、下に横たわるものの輪郭までは隠しきれていなかった。
アルベルトが枕元へ進み、シーツの端をつかむと、執事と扉の前にいた見張りが揃って顔を背けた。その後ろで、ビオンが笑みを消し、若い女騎士もわずかに表情を険しくした。年嵩の騎士だけは顔色を変えず、静かに寝台を見据えていた。
シーツの下から現れたのは、まだ若い男だった。
顔には苦悶が刻まれ、寝台の上で身を強張らせたまま横たわっている。口元と寝具、そして身を包む簡素な普段着の一部には、吐瀉した跡が残っていた。血の気を失った唇は暗く変色し、力の抜けた両手は、指だけが不自然に曲がっている。
目に見える傷はない。衣服には多少の乱れがあるものの、争った形跡と呼べるほどではなかった。
大半の者なら直視に耐えない遺体を前に、アルベルトはさらに詳しく観察しようとした。
しかしそのとき、背後から声がかかる。
「お待たせいたしました」
そう言って部屋へ入ってきたのは、五十をいくつか越えた頃の男だった。顔には隠し切れない疲れが見えるが、足取りにも声にも、長く人の生死に立ち会ってきた医師らしい落ち着きがある。
「あなたが令息を診たという医師か?」
「はい。グレナート家には長年お世話になっております」
「ご子息に持病は?」
「私の知る限り、ございません。幼少の頃から診ておりますが、大きな病を患われたこともありませんでした」
「あなたの見立てでは、死因は?」
「そうですね……」
医師は寝台に歩み寄ると、そこに横たわる男を改めて観察した。
「外傷はありません。首にも絞められた跡はない。ですが、吐いた形跡があり、手足も強く痙攣したようです。唇と爪の色も悪い。最期には、心臓が十分に働かなくなっていたのでしょう」
医師は口元や手足を順に示しながらそこまで説明すると、アルベルトに視線を戻した。わずかに間を置いてから、慎重に言葉を続ける。
「原因としては、心臓の病か、強い精神的負担による発作。あるいは食中毒や、何らかの毒による可能性も否定できません」
「持病はなかったのでは?」
「これまでの診察で異常を認めたことはありません。しかし、外からは分からない病もあるものです」
「なるほど」
「正確な時刻までは分かりませんが、夜半から明け方までの間に亡くなったものと思われます」
つまり今の段階では、自然死、事故、事件。いずれの可能性も捨てられないということだ。
そう考えたアルベルトが、次に何を確かめるべきか思案していると、場に似つかわしくない、のんびりとした声が戸口から届いた。
「失礼しますね」
アルベルトが振り返ると、若い女が二人の男を従え、返事を待つこともなく部屋に入ってきた。
滑らかな髪が歩みに合わせて揺れ、整った目鼻立ちには、一目見ただけで忘れがたい華やかさがあった。
だが、表情には緊張感というものがまったくなく、その美貌ゆえの近寄りがたさをいくらか和らげている。
もっとも、その柔らかな雰囲気は、かえって殺風景な部屋の中で彼女だけを異質な存在として浮かび上がらせていた。
「お前は……」
アルベルトは反射的に半歩ずれ、寝台を背にした。
若い女は、自身に集まる視線にもアルベルトの反応にも気を留めず、ゆっくりと室内を見渡すと、わずかに首をかしげた。
「ああ、皆さんお揃いのようで」
「カルディス侯爵令嬢……!?」
思いがけない人物を前に、若い女騎士のセリアが、押し殺した声でその名を口にした。




