5-4 残された二人の物語
リゼリアーナの説明は、その後もしばらく続いた。
ローデンをどのように加工し、グラネのどの材料に混ぜたのか。ベルタ菓子店からオルディナ宝石店を経て令息に渡るまでに、誰かが手を加える余地はなかったのか。ネリア一人の犯行なのか、手を貸した者や知識を与えた者がいたのか。
「ですが、そのあたりはネリアさん本人に詳しく話を聞き、店の者や薬屋の証言、作業場に残った道具や材料と照らし合わせれば分かることです。今のところ共犯者がいたようには見えませんし、事件の大筋を覆すほど大きな問題にはならないでしょう」
犯人に辿り着くまでが、リゼリアーナたち特務調査局の役目だった。その後、供述を確かめ、犯行の細部を明らかにして正式な手続きを進めるのは、事件を預かる近衛騎士団の仕事である。
推測するしかない部分と、これから確かめられる部分とを分けながら、リゼリアーナは淡々と話し続けた。
しかし、アルベルトはそのどれにも反応しなかった。
普段なら、彼女の話の推測に過ぎない箇所を指摘し、どの話が誰から得られたものなのかを問いただしていたはずだった。共犯者の可能性を聞けば、誰から話を聞くべきか考え、証拠が残っていると考えれば、すぐに人員を割くよう部下に命じていただろう。
それが今は、長卓の向こうに座るリゼリアーナを見つめたまま、身じろぎ一つしない。
さすがのリゼリアーナも不審に思ったらしく、説明を途中で止めた。
「どうしました?」
問いかけられても、アルベルトは答えなかった。頭の中にあるのは、リゼリアーナのたどった道筋だった。
近衛騎士団は、令息本人と直接関係のある者たちを調べた。彼を殺す動機を持つ者。毒を盛る機会があった者。そして、毒を手に入れられた者。殺されたのがユリディスである以上、ユリディスを殺したい者の中に犯人がいると考えるのは当然だった。
だが、リゼリアーナは違った。
彼女は消えた贈り物に目を留め、その中身を令息と恋人の過去から推し量り、それを作った者に辿り着いた。まるで、犯人の狙いが令息ではないと、最初から知っていたかのように。
「いつからだ……」
低く漏れた声に、リゼリアーナは意味が分からないというように目を瞬かせた。
「何がです?」
アルベルトはそこで初めて身を動かし、抑え込んでいたものを吐き出すように問いかけた。
「お前が犯人に辿り着いた道筋は分かった。だが、なぜ最初からそんなところを調べた?」
リゼリアーナの表情は、まだ質問の意図を掴めていない様子だった。それさえも気に障り、アルベルトの口調はさらに強くなった。
「我々は先に疑うべきものを定め、それを可能性が高い順に調査する。だがお前は違う。得られた事実を繋いで一つの物語を組み立て、それが正しいかどうかだけを調査で確かめている」
そこまで口にしたところで、アルベルトの脳裏に以前の事件での彼女の動きが浮かんだ。それは自分の中で、いままでずっと燻っていた疑問だった。
「思えば今回だけではない。前の事件でも……いや、その前からもずっとそうだ。お前はいつも我々が追っているものとは別の場所に目を向け、初めから知っていたかのように一直線に答えに進む。いつからだ? いつからそれが正解だと分かっていた!」
別の事件まで持ち出して追及されても、リゼリアーナは怯むどころか、思いも寄らないことを尋ねられたように首をかしげた。
「いつからもなにも、そんなこと、調べてみるまで知りませんでしたけど」
「そんな訳がないだろう! お前の調査は、すべて犯人が分かっていなければできないものだ!」
「いえ、ただ私は、被害者と直接の利害がなく、分かりやすい動機を持たない者が犯人だと仮定していただけです」
「だから、その仮定がどこから出てきたのかと聞いている!」
アルベルトが身を乗り出しても、リゼリアーナはしばらく不思議そうに彼を見返していた。怒鳴られている理由が、本当に理解できていないようだった。
「おかしなことを聞きますね」
「何がだ」
彼女は、ひどく当たり前のことを説明するように、ゆっくりと口を開いた。
「だって、そうでなかったら、あなたが捕まえるでしょう?」
アルベルトの動きが止まった。
「だから私は、最初からそれ以外の可能性を調べていただけです。今回はその先に犯人がいましたが、それはたまたまです」
その言葉を理解した途端、アルベルトの胸を満たしていた苛立ちも、追及しようとしていた言葉も、すべて行き場を失った。
彼女が自分とは異なる道を選んだのは、特別なひらめきがあったからでも、犯人を知っていたからでもなかった。
彼女はただ、アルベルトが一方を取りこぼさないと信じ、最初からもう一方だけを引き受けていたのだ。
「お話は以上ですか?」
リゼリアーナはしばらく返事を待ったが、アルベルトが何も言わないのを見て、椅子から立ち上がった。
「それでは、残りについては分かり次第お知らせします」
護衛も壁際から離れ、彼女の後に続く。二人が部屋を出て扉が閉まると、しばらく誰も言葉を発せず、会議室には奇妙な沈黙だけが残った。
アルベルトは椅子に座ったまま、扉を見つめ続けている。
やがてセリアが心配そうに腰を浮かせ、恐る恐る声をかけた。
「だ、大丈夫ですか、副団長?」
反応はなかったが、彼女は上官を慰めるつもりなのか、閉じた扉に非難がましい視線を向けた。
「それにしても、いくら王太子殿下直属の組織を率いる方とはいえ、あれは少し言い過ぎです。副団長が捕まえるから自分は別のところを見るだなんて、勝手すぎます」
「確かになあ」
ビオンも、アルベルトの様子を窺いながら同意した。
「事件の話だけならともかく、贈り物をちゃんとしろとか、私生活のことにまで口を出してたし。というか、副団長って婚約されてたんですか?」
「それ以上言ってやるな」
低い声で制したのは、ヴァルシークだった。
セリアとビオンが揃って振り向くと、年を重ねた騎士はどこか諦めたような表情でアルベルトを眺めていた。
「しかしヴァルシーク殿。いくら何でも副団長が気の毒ではないですか」
「事情があって、まだ公にはされておらんのだが……」
ヴァルシークは二人に少し顔を寄せ、当人に聞こえても構わない程度の声で告げた。
「リゼリアーナ・カルディス侯爵令嬢は、副団長の婚約者だ」
その言葉に、セリアとビオンの顔から同時に表情が消えた。
「……え?」
「は?」
数瞬遅れて意味を理解すると、二人は勢いよくアルベルトを見た。
言われて改めて観察すれば、確かに様子がおかしい。先ほどから固まったように黙り込んでいるのは確かだが、それはただ落ち込んでいる者の顔ではなかった。
眉間には深い皺が刻まれ、口元も固く結ばれている。それなのに、耳の辺りだけが僅かに赤みを帯び、よくよく見れば、怒りとも落胆ともつかない表情の奥に、隠しきれない喜びが潜んでいた。
「王太子殿下をはじめ、何かと多くの男との仲を噂される婚約者に、少しでもよいところを見せようと張り切った挙げ句、見当違いの相手を犯人と疑い、しかもそれを当の婚約者に救われた」
ヴァルシークは、本人に情けをかけているのか、さらに傷を抉っているのか分からない口調で続けた。
「そのうえ、自分が失敗したと思った直後に、婚約者があっさり本当の犯人を捕まえる。そんな最高に恰好悪いところで、実はその婚約者からそれほどまでに信頼されていたと知らされたのだ。しばらく放っておいてやれ」
「……なるほど」
セリアはそれ以上何も言えなくなり、ビオンも何度か口を開閉した末、黙って椅子に座り直した。
ヴァルシークは、今度こそ余計な言葉を重ねず、長卓の上に残された書類に目を落とした。
ユリディスは、愛する相手と生きるために、家も身分も捨てようとした。
リディアは、先の見えない暮らしを受け入れてでも、彼とともにいることを選んだ。
クラリッサとその家族は、裏切られた怒りの中にあっても、家族になるはずだった男の死を悲しんだ。
グレナート家は、息子の愚行を恥じ厳しく罰した末、その息子を永遠に失った。
ネリアは、自分が選ばれない結末を書き換えようとして、その結果、自分の物語そのものを壊してしまった。
愛と呼ばれるものが、いつも人を幸福にするとは限らない。
そして目の前の副団長もまた、その扱いに困っているようだった。
人を救うこともあれば、目を曇らせ、傷つけ、時には殺人さえ引き起こす。それでも人は、懲りることなく誰かを思い、その相手から向けられる心を求めるのだろう。
ヴァルシークがそんな、言葉にしてしまえばありきたりなことを考えていた、その時だった。
先ほどまで完全に動きを止めていたアルベルトが、突然、椅子を倒す勢いで立ち上がった。
椅子の脚が床を擦る大きな音に、三人の部下は揃って顔を上げる。
「副団長?」
「いきなりどうしたんです?」
問いかけられても、アルベルトは誰とも目を合わせなかった。
耳の赤みを残したまま、あらぬ方向を見つめる。
そしてアルベルトは、何か重大な決断を下した者のように、胸を張って宣言した。
「オルディナ宝石店へ行く!」
婚約破棄殺人事件 おわり
これにて「婚約破棄殺人事件」にまつわる彼らの物語は終わりです。
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