4-4 すれ違い
王太子府の一角に置かれた特務調査局に入るなり、アルベルトは一斉に向けられた局員たちの視線にも構わず、部屋の奥へ向かって声を張り上げた。
「おい、リゼリア!」
書類を手にしていた者が驚いて顔を上げる。リゼリアーナと向かい合って優雅に茶を飲んでいた貴族女性だけは、場違いなほど生き生きと目を輝かせた。
その視線の先で、リゼリアーナは椅子に腰掛けたまま、声の主を確かめるようにゆっくり振り返った。
だがアルベルトが彼女に歩み寄るより早く、いつもの護衛が音もなく二人の間に滑り込んだ。剣に手をかけたわけでも、威嚇する姿勢を取ったわけでもない。ただ、その細身の身体がアルベルトの前に立っただけで、室内の空気が一段重くなった。
「どうしました、突然。ディートリヒさんから話は聞けましたか?」
しかしリゼリアーナは、その空気にもアルベルトの剣幕にも動じず、護衛の脇から顔をのぞかせて尋ねた。
「どうもこうもない! なぜだ! なぜお前は――」
「おっと、そこまでです」
リゼリアーナの声は穏やかだったが、有無を言わせぬ響きがあった。
アルベルトはそこで初めて、周囲に何人もの局員がいることを思い出した。喉元まで出かかった言葉を飲み込み、周囲を一度見回してから声を落とす。
「……なぜ、あのことを知っていた」
リゼリアーナは護衛に軽く手を振って下がらせると、そのまま室内の者たちに目配せした。局員たちは慣れた様子で立ち上がり、近くにいた者から順に部屋を出ていく。
書類を手にしていた者は余計な興味を示さず素直に退室したが、先ほどまでリゼリアーナと茶を飲んでいた貴族女性は、いかにも名残惜しそうに席を立った。乱れのない仕草で扉へ向かいながらも、その目だけは何度もアルベルトたちの方へ戻ってくる。
最後には何か言いたげに振り返ったものの、護衛が無言で視線を向けると諦めたように小さく肩を落とし、廊下へ消えていった。
扉が閉まるのを見届けてから、リゼリアーナはアルベルトに向き直った。
「これでいいでしょう」
壁際に残った護衛は、いつものように室内のやり取りには関心がないかのように微動だにしなかった。
リゼリアーナはつい先ほど何を問われたのか思い出すように僅かに首を傾けた。
「何でしたっけ。ああ、ディートリヒさんのことですね。別に知っていたわけではありませんよ」
「なら、なぜ王太子殿下に確認を取った!」
先ほどより声は抑えていたものの、怒りまで消えたわけではない。アルベルトが詰め寄ると、リゼリアーナは椅子に腰掛けたまま、わずかに顔を上げた。
「あなたが集めた話には、少し引っかかるところがあったからです」
「どこがだ」
「ディートリヒさんには説明できない時間があり、その間にいた休憩室からローデンの残る薬入れが見つかった。エルヴェイン家が買ったローデンも、帳簿上の使用量と在庫が合わない。確かに、それらを繋げれば、その時間に令息に毒を盛ったという考えは成り立ちます」
リゼリアーナはそこで一度言葉を止め、そこまでの推論を認めるように小さく頷いた。
「でも、それではまだ説明のつかないことがいくつか残ります。ディートリヒさんはどうやって令息に毒を盛ったのか。呼び出したのなら、どうやって? その姿を誰にも見られなかったのはなぜなのか。被害者であるはずのグレナート家の皆さんの証言に、その痕跡がまったくないのはなぜなのか……」
「それは……」
「もちろん、調べれば分かったかもしれません。ですが、今回はもっと単純な説明がありました。あの夜、本当に具合を悪くしたのがディートリヒさんだった、というものです」
アルベルトは反射的に言い返そうとしたが、言葉にはならなかった。今となっては、そう考えれば、これまで不自然に見えていた事実のほとんどに筋が通ると分かっている。
だが、そんな説明で引き下がることはできなかった。
「それは分かる。いや、今なら分かる。だが、ならば何故そう言わなかった! あの場で可能性だけでも伝えていれば、裏を取ることもできたはずだ!」
「言おうとはしましたよ」
リゼリアーナは少し呆れたように眉を上げた。
「でも、あなたが言わせなかったでしょう?」
「そんなことはしていない!」
「だって、もしそうなら彼は病気を隠しているのでしょう? しかも、次期当主や第二王子殿下の側近という立場に関わるからこそ、家族ぐるみで秘密にしていることになる。そんな話を、あれだけ人がいる前で口にできるわけがないじゃないですか」
その点については、認めざるを得なかった。
実際、その可能性が正しかったなら、人前で口にすることなど許されなかった。間違っていたとしても、ディートリヒが重い病を隠しているという噂だけでも残れば、本人の名誉やエルヴェイン家の立場を傷つけかねない。
今この場でも、最低限の者だけを残し、人払いをしてから話している。昨日のリゼリアーナが同じ判断をしたとしても、それは当然のことだった。
「だから人払いをお願いしたのに、してくれなかったので言わなかったんです」
「そんな頼みは聞いていない!」
そう否定しながら、アルベルトは前日のやり取りを思い返した。
彼女は確かに、「この場では少し」と言っていた。今になって考えれば、あれは場所を変えるか、周囲の者を下げるよう求めていたのか。
リゼリアーナはどうして通じなかったのか本当に不思議だという顔でアルベルトを見た。
「どうもあなた、私と二人で話すことを嫌がっているみたいですし、説得するのも面倒になってしまって」
面倒だから黙ったなどという言い分にも、自分が彼女と二人で話すことを嫌がっているという決めつけにも、アルベルトには言い返したいことがいくらでもあった。だが、どこから説明しても余計なことまで口にする羽目になりそうで、結局は黙り込むしかなかった。
リゼリアーナはその沈黙を、否定できないから黙ったものと受け取ったらしい。僅かに肩を竦め、話を戻した。
「それに、どう考えても可能性は低かった。毒殺された令息の関係者が、偶然にも同じ毒を使った薬を必要とする病を患い、しかもそれを秘密にしていた、なんて」
薬入れを見つけ、ローデンとの繋がりに気づいた時点で、アルベルトたちはそれを犯行の証拠と考えた。リゼリアーナも、最初からディートリヒが病気だと確信していたわけではないのだろう。
「なので、一応こちらで確かめておけばそれで済むと思ったのです。違っていれば、あなたは予定どおりディートリヒさんから話を聞けばいい。合っていれば、王太子殿下から第二王子殿下に確認していただける。どちらにしても、困ることはないでしょう?」
壁際の護衛は相変わらず身じろぎ一つせず、アルベルトの味方をする気配もない。
怒鳴り込んできた時には、リゼリアーナが重大な情報を意図的に伏せ、自分がディートリヒを疑うのを黙って見ていたように思えていた。しかし、話を聞けば聞くほど、少なくとも彼女の判断にも筋は通っている。
説明が足りなかったことだけは確かだが、その原因の一端が自分にもあると言われれば、完全には否定できなかった。
リゼリアーナは黙り込んだアルベルトの顔を下から覗き込むようにしながら、ほんの少しだけ首を傾けた。
「分かっていただけましたか?」
アルベルトは答えなかった。
無言のまま踵を返し、入ってきた時とは打って変わって静かな足取りで扉へ向かった。
背後から引き止める声はなく、アルベルトはそのまま特務調査局を後にした。
評価やツッコミの感想などお待ちしております




