4-3 ラウレンス・レーヴェン
「君は、あの夜ディートリヒが休憩室で何をしていたのか調べているのだろう?」
第二王子ラウレンスは二人を見比べながら、何でもないことのように続けた。
「私が説明しよう」
「殿下から……ですか?」
アルベルトが問い返すのとほぼ同時に、驚きに身を固めていたディートリヒが弾かれたように立ち上がり、深く頭を下げた。
ラウレンスは二人に座るよう手で促したが、突然現れた王族を前に、どちらもすぐには動けなかった。困ったように苦笑すると、自ら空いていた椅子に歩み寄り、先に腰を下ろした。
「その時間、ディートリヒと一緒にいたのは私だ」
その言葉に、座り直そうとしていたアルベルトの動きが止まった。
「殿下……」
ディートリヒの声には、咎めるような響きこそなかったものの、隠していたことを明かされる苦しさが滲んでいた。
「君の忠誠は嬉しく思うよ。だが、このことで君への信頼が揺らぐことはない」
ラウレンスは穏やかに言い聞かせ、続いてアルベルトに視線を向けた。
「グランツ卿も、他人の秘密を面白半分に言いふらすような人間ではない。それに、このまま殺人の嫌疑を受け続ける方が、よほど君の名誉に関わるだろう」
ディートリヒはしばらく唇を引き結んでいたが、やがて観念したように頭を下げ、腰を下ろした。
「はい……申し訳ございません」
二人の間だけで話が進んでいくのを前に、アルベルトもようやく椅子に座り、口を挟んだ。
「……いったい、どういうことですか?」
「薬の用途についてだよ」
ラウレンスは卓上の銀の薬入れに目を向けた。
「ディートリヒは病を患っている」
「はあ!?」
あまりに予想外の答えに、アルベルトは思わず声を上げた。
だが、驚きが収まるより先に、アルベルトの脳裏に毒物の専門家が語った言葉が蘇った。
ローデンは心臓の働きを弱める毒であり、ごく少量なら、ある種の心臓病に用いられることがある。
「このことは家族と、ごく限られた者しか知らない。君が把握していなかったとしても無理はないよ」
ラウレンスの説明を聞きながら、アルベルトは目の前の男を見た。
ディートリヒは第二王子の側近であり、いずれエルヴェイン家を継ぐ立場にある。病の程度がどれほどであれ、次期当主や王族の側近として務めを果たせないのではないか。そんな無責任な噂を立てる者は必ず現れる。
病を隠す理由は、十分にあった。
彼にまだ婚約者がいないのも、あるいはこの辺りに理由があったのかもしれない。
つまり、エルヴェイン家が購入したローデンは、殺鼠剤に使われていただけではなかったのか。帳簿と在庫から消えていた分は、秘密裏にディートリヒの薬に加工されていたのか。
「では、ディートリヒ殿が患っているのは、心臓の病なのですか? しかし、夜会で体調を崩したのはマルセリア夫人だったはず……いや、違う」
答えを待つより先に、アルベルトの中でばらばらだった事実が急速に組み替わっていく。
「本当に体調を崩したのは、ディートリヒ殿だった……? 夫人はそれを隠すため、自分が大げさに倒れて見せる。あなたが母君を介抱する形を取り、誰にも怪しまれず広間を離れられるように」
「そのとおりだ」
ラウレンスは静かに頷いた。
「あの時、ユリディスの振る舞いに激昂したディートリヒは、発作を起こした」
「まさか……」
それならば、あの夜について集めた話の意味がすべて変わる。
マルセリア夫人は、休憩室を出た後は一人で歩き、友人に激しく不満をぶつけていた。体調を崩した者としては不自然だったが、最初から病人ではなかったのなら何の不思議もない。
そして事情を知ってみれば、彼女は婚約破棄に悲鳴を上げて倒れる女性ではなく、とっさに広間中の注目を自分へ集め、息子をかばえるだけのたくましさを持つ女性だった。
そう考えると、むしろ友人相手に怒りをあらわにしていた姿の方が、ずっと自然に思える。
「夜会に出席していた私も、ディートリヒの異変にはすぐ気づいた」
ラウレンスは当時を振り返るように目を細めた。
「とはいえ、大勢の前で医師を呼ぶわけにもいかない。そこで一度広間を離れ、事情を知る私の侍医を、人目につかないよう休憩室へ連れていった」
婚約破棄の直後、ラウレンスは急な所用ができたとして、進行をほかの者に預けていた。
当時は婚約破棄の騒ぎに興味を持ち、自ら事情を確かめに行ったのではないかと半ば呆れていたが、実際には側近を救うために動いていたというのか。
「私が休憩室に着いた時には、ディートリヒはすでに薬を飲んだ後だった。そのまま侍医に診察させたが、何しろ急な発作で皆が慌てていたからね。空になった薬入れは、その時に落としたのだろう」
アルベルトは卓上の銀細工に視線を落とした。
毒殺に使った証拠品を落とし、そのことに気づきながら放置した。それがこれまでの考えだった。
だが、薬を飲んだ直後の患者にとって、空になった薬入れに用はない。高価な品ではあるが、彼にとって大事なのは中身だ。その存在を忘れてしまっても無理はない。
少なくとも、毒を盛った犯人が偶然その容器を落とし、探しにも戻らなかったと考えるより、はるかに自然だった。
地道な調査によって薬入れが見つかり、そこからローデンが検出された。それがエルヴェイン家から消えたローデンや、ディートリヒの空白の時間とも重なった。そのため休憩室に落ちていた理由まで、犯行を前提に解釈してしまっていたのだ。
「ディートリヒの状態が落ち着き、侍医も傍にいる。そこでマルセリア夫人は、クラリッサ嬢のところへ戻ることにした」
ラウレンスの言葉に、アルベルトはゆっくりと頷いた。
夫人にとっては、息子だけでなく娘も大切な子供である。しかも、その娘は婚約者から大勢の前で婚約を破棄されたばかりである。
息子の治療を信頼できる者に任せられるなら、今度は娘のもとへ急ぐ。それは親として当然の行動だった。
そして、その途中で友人と顔を合わせたのだ。
「ディートリヒはまだ動かすべきではないと侍医に止められ、その後もしばらく休憩室に残った。私も侍医とともに傍にいたよ」
ラウレンスはアルベルトに真っ直ぐに目を向けた。
「彼にはユリディスを呼び出すことも、毒を盛るため休憩室を離れることもできなかった。それは私と、私の侍医が証明しよう。それでは不足かな?」
「いえ」
アルベルトは迷わず首を横に振った。
「不足などありません。これ以上ない証明です」
アルベルトは席を立ってディートリヒに向き直り、深く頭を下げた。
「ディートリヒ殿にも、謝罪します。数々の無礼をお許しください」
「謝罪は必要ない」
ディートリヒは穏やかに答えた。
「ローデンの所在が合わず、私の薬入れがあの部屋から見つかり、しかも中からローデンが検出されたのだろう。おまけに、私には人に話せない時間があった。事情を知らなければ、私を疑うのは無理もないことだ」
恨みを残した様子はなかったが、それがかえって、アルベルトの胸に重くのしかかった。
集めた事実そのものは間違っていなかった。だが、その意味を取り違え、一人の男を殺人犯と決めかけたのだ。
「申し訳ありませんでした……」
再び口にした謝罪は、先ほどより力がなかった。
そのまま消沈しかけたアルベルトだったが、ふと、一つの疑問が浮かんだ。
「ですが……」
「何かな?」
ラウレンスが続きを促す。
「殿下は、なぜ今、この場所にいらしたのですか?」
第二王子の側近が疑われていると、誰かが伝えたのだろう。それだけなら理解できる。
しかし、ラウレンスはディートリヒの空白時間が問題になっていることも、今日この場で追及されていることも知っていた。何より、薬入れと病について、まるで室内のやり取りを聞いていたかのように話していた。
「しかも、私が何を尋ねているかまで、ご存じだったようですが」
「ああ、それは……」
ラウレンスは少し気まずそうに苦笑した。
「兄上……王太子殿下から、直接尋ねられたんだ。私の側近について、あの夜に何があったのかとね」
「王太子殿下から?」
「ああ。兄上は、どうやら随分とよく見える目をお持ちらしい」
ラウレンスは意味ありげに笑い、アルベルトに視線を戻した。
「君が今日、ディートリヒをここに呼び出すことも、何を確かめようとしているのかも、彼女から聞いたよ」
一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
だが、思い当たる人物は一人しかいない。
アルベルトは今度こそ、何も言えずに立ち尽くした。
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