3-2 二人の出会い
「ええと、まずは令息の恋人、リディアさんですね。王太子府で保護されている彼女のところに話を聞きに行きました」
ビオンの報告に、アルベルトは「ああ」と頷いた。
リディアは事件当夜にユリディスと会っておらず、特務もすでに一度事情を聞いている。改めて話を聞く必要はあるが、王太子府との面倒な調整もあって、アルベルトは後回しにしていた。
代わりに確かめてくれたのなら正直なところ助かるが、ふと別のことに思い至って声を落とした。
「……彼女は、令息のことを知っているのか?」
「まだ知らせていないそうです。私にも口止めされました。ただ、彼女も何かよくないことが起きているとは察しているようでしたね」
「そうか。もう何日も経っているからな」
リディアが王太子府に保護されたのは八日の夜であり、今日はすでに十五日だった。事情もろくに明かされないまま外との行き来を断たれ、会えるはずだった男は一向に姿を見せない。彼女がユリディスの死に関わっていないのなら、あまりに気の毒な話だった。
「理由も教えてもらえず、ただ待つしかないのでしょう。つらいでしょうね……」
セリアが眉を曇らせると、ヴァルシークも重々しく頷き、会議室にはしばし沈んだ空気が流れた。
「それで、事情は聞いたのだろう。何を聞いた? いや、お前はその場にいなかったか」
アルベルトは気を取り直して問いかけたものの、不安を抱える彼女を大勢で囲んで話を聞くはずもないと思い直した。
こうして考えると、彼女から事情を聞く役目をリゼリアーナに任せたのは、リディア本人にとって悪くなかったのかもしれない。
「いえ、私も呼ばれました」
「お前も? まさか、大人数で取り囲んだのではないだろうな?」
「いたのは、リゼリアーナ嬢と、いつも一緒にいる護衛、それに私だけです。護衛の方は部屋の隅に立ったまま、口も開きませんでしたけど」
「……なぜ、お前が呼ばれた?」
「威圧感を与えない顔がいた方がいい、と言われまして」
アルベルトの脳裏に、特務調査局で顔を合わせた者たちが浮かんだ。死体を持ち帰りたがる毒の専門家を筆頭に、確かに人を安心させる顔ぶれとは言い難い。
「……そうか。それで?」
「リゼリアーナ嬢は、保護してから何度か会いに行っているみたいです。リディアさんとも、ずいぶん打ち解けていましたよ」
「あいつは五侯爵家の令嬢なのだがな……」
リディアがその身分を知っているのかは分からないが、どちらにしてもリゼリアーナなら気にしないのだろう。
「それで、彼女が令息と出会ったきっかけの話になりました」
「……何だって?」
アルベルトは、予想していたものとあまりに違う報告に思わず聞き返した。
「話しやすいことから始めたのでしょうか」
セリアも首をかしげながら口を挟んだ。緊張した相手から話を聞くためだと考えれば、分からなくもない。
「去年の建国祭の日、リディアさんは道端で火事に遭ったそうです」
「どういうことだ、それは」
「さあ……。火が出た原因までは、本人も知らないようでした」
「建国祭で火事なんてありましたか? 私は聞いた覚えがありませんけど」
セリアが記憶を探るように眉を寄せると、ヴァルシークが苦笑を浮かべた。
「大きな騒ぎにはならなかったのだろう。下町では祭りのたびに小火や喧嘩の一つくらい起きる。道端で火が出たというなら、篝火に使う油でも倒れたのではないか」
道端で火事に巻き込まれるという状況がいまひとつ想像できず、アルベルトたちは揃って首をひねったが、ビオンはその反応を待つことなく話を続けた。
「火は屋台や積まれていた資材に燃え移り、辺りはたちまち大騒ぎになったそうです。そんな中、リディアさんは路地に逃げ込む小さな子供を見つけて、思わず後を追った。子供が入った直後には、路地の入口にも火が回り始めていたとか」
「危険すぎる。女一人で追ったところで、何ができるというのだ。まず自分が避難して、周囲の者に助けを求めるべきだろう」
真顔でそう指摘するアルベルトに、「そういう話ではないでしょう」とヴァルシークが呆れた視線を向けた。
「子供は無事だったのですが、入ってきた側はすでに火の海。反対側も資材や荷物で塞がれ、外に出られる状態ではなかったそうです」
「下町の路地は、人一人が通るのがやっとという場所もありますからな。荷を積み上げれば簡単に塞がってしまう」
今度は路地の造りそのものに難をつけそうなアルベルトを見越し、ヴァルシークが先回りして補った。
「そこには逃げ場を失った若い女性がもう一人いて、二人で子供を守りながら、必死に荷物を動かそうとしたそうです。けれど、いくら押してもびくともせず、背後からは火が迫ってくる。もう駄目かもしれないと思った、その時。突然、道を塞いでいた資材が崩れ、その向こうから一人の男が手を差し伸べました」
ビオンは妙に臨場感のある口調で語り、得意げな顔で言葉を切ると、卓を囲む者たちを順に見渡した。
「それが、ユリディス令息だったそうです」
「……なぜ、そこにいる? そこは下町だろう?」
「下町の祭りを見物したくて、屋敷を抜け出していたのではないですか?」
ビオンは深く考えた様子もなく答えると、何事もなかったように話の続きを始めた。
「現れたのは、見るからに仕立てのよい服を着た若い貴族です。もっとも、その服は火の粉を浴びてあちこち焦げ、ほつれ、煤や泥で見る影もなかった。リディアさんと、もう一人の女性は、自分たちを助けたせいだと思って必死に謝ったそうです。ところが令息は笑顔で告げます。『何も問題はない。ただ……』」
「ただ?」
セリアが思わず先を促すと、ビオンは待っていたとばかりに頷いた。
「『せっかく買った菓子が駄目になってしまった』と、ぼろぼろに崩れたグラネを見せたそうです」
これで話を見事に決めたつもりらしく、ビオンは満足げに一同を見渡したが、誰もそれには反応せず、各々が知っていることを口にし始めた。
「グラネって、祭りの時期に売られる、あれですよね?」
「王冠菓子だな。建国時の逸話に由来するものだ」
「最近のものは、あまり王冠らしい形をしていないとも聞きますが」
「しかし、服がその有様になって、気にするのは菓子なのか?」
アルベルトの呆れがまじった疑問に、セリアが少し考えてから答えた。
「助けられた二人があまりに恐縮していたので、空気を和らげようとしたのではありませんか?」
「リディアさんもそう受け取ったみたいで、そこでようやく笑うことができたそうです。自分が助かったのだと、その時初めて実感したのかもしれませんね」
ビオンがしみじみと締めくくると、セリアとヴァルシークは、思いのほかよい話だったとでもいうように頷いた。
一人だけ不満そうな顔をしていたアルベルトは、しばらくして根本的な疑問に気づいた。
「……ちょっと待て。これは何の話だ?」
「ですから、二人の馴れ初めですが」
「事件に関わりそうな話を聞いたのではないのか!」
「さあ……とにかく、そんな話をしていましたよ」
確かに事件当日、リディアは特務調査局に保護されていて、彼女がユリディスに直接毒を盛ったとは考えにくい。
しかし恋人ともなれば、事前に何かを渡していた可能性もあれば、彼女しか知らない事情もあるだろう。
最近のユリディスの様子に変わったところはなかったか。誰かと揉めたり、恨まれたりしていなかったか。最後に会った時には何を話したのか。二人の関係や、二人が会っていた場所と日時を知っていた者はいなかったか。
事件につながりそうなことなら、聞くべきことはいくらでもあるはずだった。
「もういい。それで?」
苛立たしげに先を促され、ビオンは記憶を辿るように天井を見上げた。
「ええと、そうでした。一緒に閉じ込められていた女性は、近くの菓子店の娘さんだったそうです。令息の菓子が駄目になったと知ると、『うちの店のものを持ってくる』と言って店に戻り、自分で作ったグラネを持ってきた。その後、三人で分けて食べ、笑い合ったそうですよ」
「馴れ初め話の続きではない! リディアについて、何かほかに聞かなかったのか?」
「もちろん聞いていました。彼女にとっても、グラネは特別な菓子なのだそうです」
ようやくリディア自身の話に戻ったことに、アルベルトはわずかに期待したが、ビオンの語り口は何も変わらなかった。
「彼女がまだ幼い頃、自分で作った品が初めて売れたのが、建国祭の露店だったそうで。その時に得た金でグラネを買い、家に持ち帰って家族と食べたのだとか。初めて自分で稼いだ金を菓子に使うのかと家族には笑われたらしいですが、それ以来、彼女にとって大切な思い出になったそうです」
アルベルトは無言のまま、卓上の書類を指先で一度叩いた。ビオンはその苛立ちに気づいていないのか、気づいていて無視しているのか、気に留めた様子もなく話を続ける。
「後日、令息がリディアさんを訪ねてきて、見舞いだと言って高価な宝飾品を贈ろうとしたそうです。助けられたうえに、そんな物まで受け取れないと断ると、次からは菓子や花のような、あまり高価でないものを持ってくるようになった。それとリディアさんは、あの時一緒に助けられた菓子店の娘さんとも親しい友人になったそうですよ」
「あの……よい話ではありますけど、副団長が聞きたいのは、事件に関わりそうな話がなかったのか、ということです」
さすがに見かねたセリアが助け舟を出すと、ビオンは真顔で考え込んだ。
「事件に関わる話、ですか。その場では、今話したようなことしか聞いていませんでしたね」
「何をやっているんだ! あいつは!」
「ただの恋の話、ですね……」
「それだけではないだろう。リゼリアーナは、ほかに何を確かめさせていた?」
「そういえば、部下に調査を頼んでいましたよ」
今度こそ意味のありそうな話が出てきたため、アルベルトは椅子に座り直した。
「ほう。何を?」
「二人の馴れ初めです。下町なら、ほかにも火事のことを知っている者がいるだろうから、話を聞いてくるようにと。『リディアさんの側から聞いただけでは分からないこともあるでしょう』と言っていました」
アルベルトはしばらく無言でビオンを見つめた後、心底疲れたように息を吐いた。
「……もういい。こちらで把握していることは、お前から向こうに伝えておけ。協力するよう命じられている以上、隠すわけにはいかん」
確かに、自分が直接リディアの前に出れば、身分や役職のせいで余計に緊張させたかもしれない。
だが、これでは事情を確かめたというより、恋人との思い出話に付き合っただけではないか。
「我々は、夜会に居合わせた者たちの動きを洗い直す。特に行動に空白のあるディートリヒ殿と、先に控室に戻ったマルセリア夫人を中心に、いつ、誰と行動し、どこを通ったのかを改めて確かめる」
アルベルトは表情を改め、三人を順に見渡した。
「セリアはエルヴェイン家が購入したローデンについて、購入量と使用量、現在どれだけ残っているかも調べておけ」
セリアがすぐに頷く一方、ヴァルシークは黙ったまま、次の指示を待った。
「私は夜会に出席していた貴族を当たる。ヴァルシークは、それ以外の事実を集めろ」
「それ以外、と申しますと?」
「何でもいい。夜会の前後に王宮で起きた、普段とは異なることを探せ。小さないさかい、見慣れない品、なくなったもの、予定と違う人の動き。どれほど些細なことでも構わん。表に立っていた貴族ではなく、裏方に当たれ。侍従、給仕、門衛、控室を任された者、清掃を行った者、すべてだ」
ヴァルシークは任された仕事量を頭の中で見積もったらしく、口元に不満げな笑みを浮かべた。
「ずいぶん仕事が多くありませんかね」
「得意だろう。必要な人員は使って構わん」
「はいはい。承知しました」
仕方がないと言わんばかりに両手を上げるヴァルシークを横目に、残されたビオンがおずおずと自分を指差した。
「私は、どうすれば?」
アルベルトはしばしビオンを見つめてから、諦めを含んだ声で命じた。
「引き続き、特務調査局についていろ」
「はあ……」
新たな手がかりを得て意気込むセリアと、早くも必要な人員を考え始めたヴァルシークが、それぞれの役目に向かって足早に会議室を出ていった。
一方のビオンは、どこか釈然としない顔で首をかしげたものの、深く気にした様子もなく、再び特務調査局に向かい、二人とは反対の廊下へ消えていった。




