38話 新しい恋人
それから速川先輩とは、月に一度ご飯に行くような関係になり、
半年が経った頃――また告白された。
「うーん……」
「どうしたの?」
黒木が論文から視線を上げる。
「告白されたんです。」
「へぇ。おめでとう。例の彼?」
興味なさそうに言うその声が、逆に落ち着く。
「はい。そういえば黒木先生も会いましたよね。
しれっと私の主治医だって言ってた。」
「間違ったことは言ってないよ。君のオペをしたときの主治医だし、今も健康状態は僕が見てる。」
「まあ……そうですけど。
それより、まだ返事してなくて。」
「どうして?確か彼、スカイアドホールディングスに勤めてるんでしょ?穏やかで、社員からの信頼も厚いようだね。」
「いや……なんで知ってるんですか。」
国内最大手の広告代理店でテレビCM、イベント、スポーツ案件に強いとされる一流企業だ。
「多少は調べるよ。
君に何かあったら困るからね。」
――一番危険なのはあなたなんだけど。
心の中でだけ呟く。
「それで?何を悩んでるの?」
黒木がまっすぐこちらを見る。
「だって……私、まだ朔のこと忘れられない。
それなのに他の人と付き合うのって、ずるくないですか。
速川先輩、優しいし……悪いじゃん。」
「ふーん。」
黒木はコーヒーを一口飲んで、淡々と言う。
「ずるくないよ。男なんていくらでもいる。そろそろ前を向いて、他の人を見てみれば?
もうあれから7年経つんだ。
案外、ころっと落ちるかもしれない。」
「……そういうもんですかね。」
「まあ、決めるのは君だけど。」
黒木はふっと笑った。
◇
「考えてくれたかな?」
速川先輩がまっすぐこちらを見る。
「はい。でも、私……ずっと忘れられない人がいるんです。
だから、やっぱり。」
「それでもいいよ。」
「え?」
「無理に忘れようとしなくていい。
それ以上に、俺が羽瑠ちゃんを幸せにできるよう努力するから。
だから……俺と付き合ってください。」
真っ直ぐに向けられた好意。
逃げ場のないほど誠実な眼差し。
朔もきっと、前に進んでいるはず。
なら私も――前に進まなきゃ。
「……はい。よろしくお願いします。」
それから付き合い始めた。
動物園にも行った。
ミーアキャットを指さす。
「湊さん、見てください。可愛い。」
「ほんとだ。可愛いね。」
湊さんは優しかった。
穏やかで、頼りになって、
いつも私を大事にしてくれた。
朔と過ごした4ヶ月よりも、
湊さんと過ごす時間のほうが長くなっていった。
キスもした。
抱き合って、身体を重ねた。
それでも――
胸の奥のぽっかり空いた穴は、
どうしても埋まらなかった。
笑っていても、
手をつないでいても、
湊さんの腕の中にいても。
私はいつも、
朔を探してしまっていた。
湊さんと付き合い始めて1年が経とうとしたころ、
私たちは夏祭りに行った。
浴衣を着て、手をつないで歩く。
屋台の灯りが揺れて、どこか懐かしい匂いがした。
「羽瑠ちゃん。りんご飴あるよ。食べる?」
「はい。」
りんご飴――
朔が好きだったな。
どこに行っても、何をしていても、
私はいつも朔を探している。
気づけば、ぽろりと涙がこぼれた。
「羽瑠ちゃん?どうしたの?
足痛かった?ごめんね、気づかなくて……」
湊さんが心配そうに覗き込む。
「ち、ちがうんです……ご、ごめんなさい。」
このままじゃダメだ。
私はゆっくりと息を吸う。
「湊さん……私と別れてください。」
「……え?」
「忘れようとしたけど、忘れられないんです。
湊さんの優しさに甘えて、私……ずっと彼を探してる。
最低なんです。」
震える声で言うと、
湊さんはゆっくりと私を抱きしめた。
「それでもいいよ。
俺は……君の一番じゃなくても、そばにいられるならそれでいい。」
「それじゃあ……私が自分を許せないんです。
本当に、ごめんなさい。」
しばらく沈黙が落ちたあと、
湊さんは小さく息を吐いた。
「そっか……俺は、その人を越えられなかったんだな。」
「ご、ごめんなさい……。」
「謝らなくていいよ。
羽瑠ちゃんは……悪くない。」
最後まで優しかった。
湊さんを好きになれていたら、
きっと幸せだったのだろう。
でも――
心は、どうしても朔を手放せなかった。




