3話 水族館デート
デート当日。
髪をハーフアップにして、お気に入りのワンピースを着た。
鏡の前で何度も確認してしまう自分に、思わず苦笑する。
……なんだかんだ、楽しみにしてる。
「おはよう!羽瑠。ワンピースだ。可愛い!」
朔はいつものように、まっすぐ褒めてくる。
「ありがとう。」
シンプルなシャツにズボンの朔は、
陽光を受けて爽やかに笑っていた。
「よし、行こう。」
そう言って、自然に手を引かれる。
その温度に、胸が少しだけ跳ねた。
「うわ、見て!このクラゲ可愛い。」
「ほんとだ。」
青い光に照らされたクラゲが、
ふわふわと漂っている。
二人で並んで歩く水族館は、
どこか静かで、心地よかった。
深海魚コーナーに入ると、
照明が落ちて一気に暗くなる。
水槽の青い光だけが、朔の横顔を淡く照らした。
そのとき──
「ねぇ、羽瑠。」
朔の声が、いつもより少し低く聞こえた。
「羽瑠のまわりで、変わったことってない?」
「別にないけど……
あ、朔に追い回されてるくらい?」
「そうじゃなくて。」
暗がりで表情はよく見えない。
でも、声の色がいつもと違う気がした。
「何かあったら言ってね。」
「何かって……。」
「なんでも。」
その言い方が妙に引っかかる。
胸の奥がざわっとした。
「変なの。」
言いかけたところで、
朔がいつもの明るい声で、
「イルカショー始まるんじゃない?いこう!」
まるで、さっきの空気を
なかったことにするみたいに。
イルカショーを見てから、お土産コーナーにやってきた。
「羽瑠。お揃いで何か買わない?」
「いいよ。」
「じゃあ。これは?」
「笛?」
「そうさっきイルカのトレーナーさんが吹いてたやつ!」
「うーん。」
「じゃあこっちは?」
朔が指さしたのは、イルカのストラップ。
「あ、可愛い。」
「これ買ってくる!待ってて。」
朔は嬉しそうにレジへ向かっていった。
その背中が、どこか子どもみたいで可愛い。
そのとき──
「あれー、羽瑠ちゃん?」
振り返ると、透さんが手を振っていた。
私の叔父だ。
柔らかく穏やかな人。
「あ、透さん!」
「どうしたんですか?」
「家族で遊びにね。」
「そうなんですか。」
「羽瑠ちゃんは……どうしたの?」
「私は──」
「羽瑠!」
低い声が割り込んだ。
朔が戻ってきて、私の前にすっと立つ。
さっきまでの明るさが消えて、目が鋭い。
「彼氏さん?」
「えっと……友達です。」
「彼氏候補です。
この人は?」
朔の声は静かだけど、明らかに警戒していた。
こんな朔を見るのは初めてで、胸がざわつく。
「あ、お母さんの弟だよ。」
「初めまして。湯浅 透です。」
透さんは優しく微笑む。
けれど朔は、その笑顔をじっと見つめたまま、
まるで“何か”を探るように目を細めていた。
「あ、パパ!!」
「ほら友梨、走らないの!」
透さんの奥さんと娘の友梨ちゃんが駆け寄ってくる。
家族の空気がふわっと広がって、場が明るくなる。
「あら、羽瑠ちゃん久しぶりね。」
「もしかして羽瑠ちゃんの王子様?」
友梨ちゃんが目を瞬かせる。
「えっ?!」
「そうだよ。羽瑠の王子様。」
朔はふっと、いつもの柔らかい笑顔に戻った。
さっきの鋭さが嘘みたいに。
軽く談笑して三人と別れたあとも、
朔はしばらく透さんの背中をじっと見つめていた。
その横顔は、どこか張りつめていて──
私は思わず息を飲んだ。
(……どうしたんだろう。)
水族館の帰り道。
「羽瑠、これあげる。」
「ありがとう。」
手のひらに乗ったのは、さっき二人で見ていたイルカのストラップ。
青いアクリルが夕陽を受けて、きらっと光る。
「あとこれも。」
「……笛。まさか買ってきたんだ。」
「うん。吹いてみてよ。」
「ふぃーっ。」
かすれたような、頼りない音が鳴った。
「……あんまりちゃんと鳴らないね。
もう少し息を真っ直ぐ出すのかな?」
「うーん、ちょっと練習しとく。」
「うん!呼んだら、俺いつでも羽瑠のところ行くよ!」
「そんなばかな。」
思わずふっと笑ってしまう。
「だからいつでもちゃんと持っててね。」
朔が笑う。
その笑顔が、さっき透さんを見ていたときの張りつめた表情を
すっかり溶かしてしまう。
(あ……よかった。いつもの朔だ。)
胸の奥が、そっと温かくなる。
「羽瑠。」
「なに?」
「俺ね、こうやって羽瑠とデートするの……ずっと夢だったんだ。」
「そんな大袈裟な。
まだ会って一カ月もたってないじゃん。」
「それでもだよ。
本当に……夢だったんだ。」
朔は笑っているのに、どこか胸の奥に触れてくるような声だった。
“今この瞬間を大事にしてる”というのか…。
その言い方が、少しだけ切なくて、少しだけ怖い。
「……変なの。」
そう言いながらも、胸の奥がじんわり熱くなる。
朔の言葉は軽くない。
一カ月じゃなくて、もっと長い時間を見てきた人の言葉みたいだった。




