29話 夏休み
朝――。
今日は夏祭り。
私が“殺された日”。
きっと今日を乗り切れば大丈夫。
全部終わる。
もう大丈夫なはず。
……だけど、朔とはどうなるんだろう。
「おはよう、羽瑠。
朝ごはん作ったから食べよ。」
いつもと変わらない、爽やかな笑顔。
「うん。顔洗ってくる。」
洗面所の鏡に映る自分を見つめる。
目の奥が少しだけ揺れている。
ちゃんと…笑わなきゃ。
もう少しで、お別れになるかもしれないのに。
深呼吸して、部屋に戻る。
「よく眠れた?」
「うん。
いただきます。」
「どうぞ。」
2人で並んで朝ごはんを食べる。
味噌汁の湯気がふわっと上がって、
焼き魚の香りがほっとさせる。
こんな普通の朝が、
こんなに愛おしいなんて思わなかった。
朔はいつも通りで、
私だけが今日を意識している。
この時間が終わってしまうのが怖い。
でも、ちゃんと今日を迎えなきゃいけない。
箸を動かしながら、
胸の奥がじんわり痛む。
「お祭り、何時から行く?」
「うーん、どうしよっか。」
そう話していたところで、
スマホが突然鳴った。
『もしもし…羽瑠、大丈夫?』
母の声が聞こえた瞬間、
私は思わず背筋を伸ばした。
(やば…普通にお泊まりしてたなんてバレたらまずい。)
「うん、平気。」
『明日の夜には帰るからね。』
「わかったよ。」
『そうそう、朔くんと今日お祭りデートでしょ。』
まさかの名前が出てきて、
心臓が跳ねる。
横を見ると、
朔は頬杖をつきながらニヤッと笑っていた。
「うん、そうだけど。」
『真実さんに浴衣の着付け頼んであるから、行っておいで。』
「あ、ほんとに?」
『うん。楽しんできてね。』
通話が切れた瞬間、
私は大きく息を吐いた。
「はー…ひやっとした。」
私がそういうと、朔が肩をすくめる。
「さすがに無断外泊はまずいよね。
いくら旅行に行ってるとは言え…。」
「内緒ね。」
「うん。俺が殴られる。」
朔がふっと笑う。
その軽さに、緊張が少しだけほどけた。
透さんに連絡して、朔と一緒に家へ向かった。
玄関を開けると――
「あ、いらっしゃい!羽瑠ちゃん。
朔くんもどうぞ。」
透さんがいつもの柔らかい笑顔で迎えてくれる。
「こんにちは、お邪魔します。」
朔も丁寧にお辞儀して、
途中で買ってきたお土産を差し出した。
「気を遣わせちゃってごめんなさい。」
「いいのよ〜。羽瑠ちゃん、
浴衣、私のでよければあるからどうぞ。」
真実さんが優しく微笑む。
「ありがとうございます。」
「彼氏とのお祭りデートなんて青春じゃない。お手伝いさせて。」
真実さんが楽しそうに笑う。
その言葉に、私は思わず頬が熱くなる。
朔は横で、なにも言わずにニヤッとしていた。
別室に移動して、
淡い紫の浴衣に着替えさせてもらう。
帯をきゅっと締めて、
髪もアップにしてくれた。
鏡に映る自分が、
いつもより少し大人っぽく見える。
「可愛いわね。」
真実さんが満足そうに微笑む。
「ありがとうございます。」
胸の奥が少しだけ温かくなる。
今日が“あの日”だという不安はまだあるけれど。
「少し化粧もしていい?」
「はい、お願いします。」
そう言って、下地とファンデを塗ってくれる。
「なんか緊張してる?」
真実さんが簪をさしながら口を開く。
「少し不安で…。」
「不安?」
「はい。
この先ずっと一緒にはいられないのかなって。」
ぽつりとこぼれた言葉に、
真実さんは一瞬だけ目を細めた。
「あら…まあ、そうね。
目少しつぶって。」
「はい。」
アイシャドウを塗ってくれる。
「私もね、高校生のときに付き合ってた人がいたの。
すごく好きで、毎日一緒にいたのに…
大学に進学したら、自然と連絡が減って、
気づいたら心が離れちゃってた。」
「……。」
「あんなに好きだったのにね。
でもね、その時の思い出は今でもふっと思い出すの。」
真実さんは少し照れたように笑う。
「あ、透さんには内緒よ。」
「後悔してますか?」
「うーん…もう少し素直になれてたらなって思うことはあるわね。」
懐かしむように目を細める。
「でもね…あの時の思い出があったから、今の私がいる。」
「そうですか…。」
「間違いなく今の私は幸せよ。
透さんと、娘の友梨のおかげ。」
その言葉は、迷いのない温かさを帯びていた。
「透さん、羽瑠ちゃんの家で料理教わってるでしょ?」
「え?知ってたんですか?」
「まあね。
家族のために努力して、
喜ばせようとしてくれる…
そんなところも愛おしいの。」
その時、リビングのほうから
朔と透さんと友梨ちゃんの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「いいですね…素敵です。」
「羽瑠ちゃんも、きっとそんな未来がくるわ。」
真実さんの言葉は、
不安で揺れていた胸にそっと触れて、
少しだけ温めてくれた。
「そうだといいんですけど。」
私は曖昧に笑った。




