24話 夏休み
8月に入った。
「羽瑠。」
朔はいつもと変わらない声で呼んだ。
「夏祭り、一緒に行こうよ。
それから海も行きたい。夏にやりたいこと、ぜんぶやろう。」
無邪気にそう言われて、胸が少しあたたかくなる。
「それより…どうなったの?
黒木院長のこと。」
「ちゃんと手は打ったよ。もう大丈夫。」
「そっか…ありがとう。どうやって?」
「それはね…内緒。」
いたずらみたいに笑う朔を見て、それ以上は聞けなかった。
◇
「羽瑠ー!」
朔が太陽に負けないくらいの明るさで手を振る。
夏休みの朝の空気は少し湿っていて、蝉の声が遠くで鳴いていた。
「おはよう。」
「眠そうだね。」
「うん。ちょっと。」
「楽しみで寝れなかった?」
「遅くにテレビ見ちゃって…。」
「なんの?」
「ホラー。」
「えー、怖いの苦手なんじゃないの?」
「テレビでやってて、怖いもの見たさで。」
「どういうやつ?」
「海に白い手がいっぱい出てくるやつ。」
「なんで見たの?ほんと。」
「何でだろう。」
朔があきれたように笑う。
その笑い声が、朝の空気に軽く溶けていく。
「……で、ほんとに行くの?海。」
「行くよ。夏休みだし。」
朔が当然のように言って、駅の方へ歩き出す。
私は慌てて後を追う。
ホームに着くと、潮風みたいな匂いがほんのり混じっていた。
電車がゆっくり入ってきて、二人は並んで乗り込む。
車内はまだ空いていて、窓際の席に座ると、
外の景色がゆっくりと流れ始めた。
「海、久しぶりだ。」
「うん。なんか、実感わいてきた。」
朔は窓の外を見ながら、少し嬉しそうに笑う。
その横顔に、朝の光がやわらかく差し込んでいた。
街並みが途切れ、緑が増え、
遠くの空がだんだんと青く広がっていく。
「……白い手、出てこないといいね。」
朔がわざとらしく低い声で言う。
「やめてよ!」
朔の肩を叩くと、朔は楽しそうに笑った。
電車は海へ向かって、ゆっくりと揺れながら進んでいく。
「海だ!」
「さすがに暑いね。」
「どうする? 海、入る?」
「もちろん!」
そう言って、二人は更衣室へ向かった。
私はワンピースタイプの水着に着替え、深呼吸してから外へ出る。
眩しい日差しの下、朔はすでに待っていて、水着の上にTシャツを着ている。
「お待たせ。」
「羽瑠……。ちょっと待って。」
「なに?」
朔は顔を真っ赤にして、慌てて視線をそらす。
「これは……いけません。」
「え?」
「肌、見えすぎ。かわいすぎ。」
そう言うと、朔は自分が着ていたシャツを脱いで私に差し出した。
「これ、着てください。」
渡されたのはシンプルな白いTシャツ。
「え、いいの?」
「いいよ。」
「そっか。じゃあ……」
私はTシャツを受け取り、ふといたずらっぽく笑う。
「でもさ……どう? 可愛い?」
軽く裾をつまんで、くるりと回って見せる。
朔は一瞬固まり、真剣な顔で言った。
「めちゃくちゃ可愛いです。
だから……俺だけに見せてください。お願いします。」
あまりに真面目な言い方で、逆に胸がくすぐったくなる。
夏の風が二人の間を通り抜け、波の音が遠くで弾けていた。
朔のTシャツに身を包む。
ふわりと、朔の温もりが残っている。
思わず、すんっと匂いをかいでしまう。洗剤の香りと、朔の匂い。
「朔の匂いだ。」
「え? くさい!? 大丈夫!?」
「いい匂いだから大丈夫。」
「ほんとに!?」
朔が少し慌てる。その様子がまた可笑しくて、私は笑ってしまった。
それにしても——。
「朔…良い体してるね。」
思わず視線が腹筋に吸い寄せられる。
日差しを受けて、うっすらと影が浮かぶ。無駄な肉が一切ない、引き締まったライン。
「あ、気づいちゃった?」
「うん。」
「鍛えてるんだよ。」
「へぇー。」
「頼りになる男は筋肉必須だろ?」
朔がニヤリと笑う。
その笑顔の下で、肩から胸にかけての筋肉が自然に動く。
太陽に照らされたその姿は、いつもより少し大人びて見えた。
「腕の傷、少し跡残っちゃうかな。」
私を助けようとガラス片で切った腕の傷がみえ、朔の腕にスッと触れる。
「大丈夫だよ。」
「ほんと?」
「それより…くすぐったい。」
恥ずかしそうに顔を背ける。
「あ、ごめん。」
手を離そうとしたら、ふわりと握られる。
「でも、羽瑠に触れられるのは悪い気はしないけどね。」
ニヤリと笑う。
「もう。」
そう言うと、
「よし、海入ろ!
あ、まず準備運動ね!」
朔が太陽みたいに明るく笑う。
「うん!」
2人でで腕を回したり、軽く屈伸したり。
砂の上は少し熱くて、足の裏に夏の気配がじんわり伝わる。
準備運動を終えると、朔が海の方を指差した。
「はい、白い手に攫われないように俺の手を掴んでね。
あと、浮き輪も使いましょう!」
そう言って、朔は浮き輪を持ち上げると――
スポッ。
そのまま私の頭からかぶせた。
「ちょ、ちょっと!いきなり!」
「安全第一だから。」
朔は真面目な顔をしているのに、口元だけが笑っている。
海風がふたりの髪を揺らし、波の音が足元まで届く。
浮き輪が胸のあたりでふわっと揺れて、私は思わず笑った。




