22話 優しい嘘
夏休みに入った。
私を閉じ込めた女子生徒達は、注意を受け夏休み中は補修や掃除をさせられているらしい。
湿気を含んだ熱気が肌にまとわりつき、息をするだけで胸の奥が重くなる。
——夏祭りまで、あと一ヶ月弱。
あの日、私は“殺されるかもしれない”。
その事実だけが、じわじわと背中を冷やしていた。
「ねえ、お爺ちゃん。」
病室のベッドに座るお爺ちゃんの横顔が夏の光に照らされてゆっくり揺れている。
その穏やかさが、逆に胸をざわつかせた。
「なんだ?」
「朔が…何か隠し事してる。」
言葉にした瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
自分でも理由はわからない。ただ、嫌な予感だけが形を持ち始めていた。
「何かって?」
「わかんない。
でも何か…。」
朔の視線、声の揺れ、笑う顔。
何か違和感がある。
「ふーん。聞いてみたのか?」
「はぐらかされた。」
「うーん、なら言いたくないんだろ。」
「えー。」
お爺ちゃんはうっすら笑ったが、その目はどこか遠くを見ていた。
「嘘が全て悪いわけじゃない。」
「うん?」
「優しい嘘も必要な時はある。」
優しい嘘。
その言葉が、胸の奥にひっかかる。
「それでもさ…
それが私のことだったら?」
「だったら、尚更だろう。」
「え?」
お爺ちゃんは、少しだけ声を落とした。
「彼は…羽瑠のことが好きなんだろう。
守るための嘘かもしれない。」
守るため。
その言葉が、なぜか怖かった。
「…守るためってさ…。なによ。」
問い返す声が、自分でも驚くほど弱かった。
「まあ、羽瑠はそういうの好きじゃないよな。
だったら、直接聞くんだな。」
お爺ちゃんはハハッと笑った。
けれどその笑いは、どこか乾いていた。
「うーん、それもそうだ。
あのさ、さっくんって覚えてる?」
お爺ちゃんのベッドの横で、私は夢でみた少年の話をぽつりと切り出した。
「だれだ?」
「昔、お爺ちゃんの万華鏡あげた子。ほら、病院抜け出してた。」
「うーん。」
お爺ちゃんは眉を寄せて天井を見つめる。
記憶の引き出しを探っているような顔。
「なんか、不思議な万華鏡って言ってなかった?」
「万華鏡か。」
「ほら、このくらいの大きさで……真ん中にガラス細工が入ってるやつ。」
私が手で大きさを示すと、お爺ちゃんは「ああ」と小さく声を漏らした。
「あったな。確かにあげたような? あげなかったような? ……思い出せないな。」
「老化だね。」
「しょうがない。老いには勝てないからな。」
お爺ちゃんは、はは、と優しく笑った。
その笑顔を見て、胸の奥がじんわり温かくなる。
「お爺ちゃんは死ぬの怖くないの?」
ふと、聞いてはいけない気がしたけれど、口が勝手に動いた。
「婆さんが待ってると思えば怖くはない。
それよりも……自分より先にいかれる方がよっぽど怖いな。」
そう言って、お爺ちゃんは私の頭をそっと撫でた。
「そっか……。長生きしてね。」
「ふっ、優しい子だな、羽瑠は。」
お爺ちゃんは目を細め、少し間を置いてから言った。
「あー、思い出した。
その万華鏡はな、後悔している出来事を“やり直す機会”をくれるらしい。」
「まさか。」
「まさかだよ。」
「ほんと?」
「嘘かもしれないけどな。」
「どっちよ。」
お爺ちゃんは肩をすくめて笑った。
その笑顔は、冗談とも本気ともつかなくて、
胸の奥がまたざわつく。
まるで――
その万華鏡が、ただの思い出じゃないような気がして。
ふと、テーブルの上に置かれた冊子に目が止まる。
「あれ、お爺ちゃん、それなに?」
「ああ、黒木院長先生の論文が特集されててな。読んでみるか?」
お爺ちゃんはページの端を指で押さえながら、羽瑠にそっと差し出す。
受け取り、ぱらぱらとページをめくる。
専門用語がぎっしり詰まった文字の海が目に飛び込んできた。
「小児移植における…論文…?」
眉を寄せながら読み進める。
黒木院長の名前が太字で並び、その下には難しそうな図表が続いていた。
「なんか難しいね。
っていうか黒木院長ってすごい人なんだね…。あ、蓮水先生の論文もある。」
興味と困惑が入り混じった声でつぶやきながら、ひと通り目を通す。
ってか…蓮水先生って27歳なの?若いのに優秀だな。
ページを閉じて小さく息を吐いた。
「……なんか難しくてよくわからなかった。」
そう言って論文をお爺ちゃんに返す。
指先には、読み終えたばかりの紙のひんやりした感触が残っていた。
「はは、難しいよな。」
お爺ちゃんは受け取りながら、肩をすくめる。
「お爺ちゃんはわかった?」
「お爺ちゃんも大してわからん。」
その正直さに、思わず笑ってしまう。
お爺ちゃんもつられて笑い、二人の間にふっと温かい空気が流れた。




