21話 さっくん
夕方の公園。
オレンジ色の光が地面に長い影を落としていて、風が砂場の砂をさらさら運んでいく。
そこで、ひとりの男の子に出会った。
「何してるの?」
パジャマ姿のまま、彼はブランコを小さく揺らしていた。
足は地面についたまま、ただ前後に体を預けるだけ。
その姿が、どこか現実離れして見えた。
「病院から抜け出してきた。」
「へぇ。どこか悪いの?」
私は隣のブランコに腰掛ける。
鎖がきしむ音が、夕暮れの静けさに溶けていった。
「腎臓。移植しないと死ぬんだって。余命三年らしいよ。」
彼は淡々と言う。
まるで天気の話でもするみたいに。
「そうなんだ……。
私の腎臓、あげられたらいいのにね。」
口にしてから、自分でも驚くほど軽い言葉だったと気づく。
「ねぇ、なんで初対面でそんな軽く言えるの?」
彼は横目で私を見る。
その目は年齢よりずっと大人びていた。
「君、将来めちゃくちゃカッコよくなってそうだから。」
「なにそれ。」
「それに腎臓って二つあるでしょ。
一つくらいあげても大丈夫なんじゃないの?」
「そういう問題じゃなくてさ。
親とかは泣きながら言うよ。私のをあげられたらって。
でも合わないんだって。」
彼は足元の砂をつま先で蹴る。
その仕草が、言葉よりもずっと寂しそうだった。
「そっか。
じゃあ私のは合うかもしれないね。」
「適当な人。」
「失礼だな。」
そう言いながら、私は立ち上がる。
夕陽が沈みかけて、街灯がぽつぽつ灯り始めていた。
「まあ、腎臓はすぐにはあげられないけど……
良いものなら見せてあげられるよ。来る?」
「え?」
「すぐそこ。あのお店。」
私は、公園の向かいにある古い木造の店を指さした。
祖父が営む小さな店。
ガラス越しに、温かい光がゆらゆらと漏れていた。
「いく!」
少年は勢いよく立ち上がった。
パジャマの裾がふわっと揺れて、夕方の風に溶ける。
「あ、でもお母さんとか平気?」
「平気。
多分いまは、俺がいない方がいい。」
その言い方があまりに静かで、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「そう。」
「よし、じゃあいくぞ、少年!」
「少年って、!」
文句を言いながらも、彼はちゃんとついてくる。
私は彼の手を引いて、公園の外れにある古い木造の店へ向かった。
ガラス戸の向こうから、柔らかい灯りがこぼれている。
お爺ちゃんのお店だ。
「お爺ちゃんのコレクション、この子に見せていい?」
店の奥で作業していたお爺ちゃんが顔を上げる。
白い髭に、丸いメガネ。
手には細いピンセットとガラス片。
「ん?だれだ、その子は?」
「病院から抜け出してきたクソガキ。」
「クソガキっていうな!!」
少年が即座に反応する。
その声が妙に元気で、少し安心した。
私はお爺ちゃんのコレクションが置いてある部屋に入る。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
薄暗い部屋の中に、色とりどりの光が散らばっている。
棚にはガラス細工の万華鏡がずらりと並び、
光を受けて静かに瞬いていた。
「これって…」
少年は息を呑む。
その横顔に、光の粒が反射して揺れた。
「きれいでしょ?」
お爺ちゃんが集めたもの、手作りしたもの。
ひとつひとつに時間と手間と、たぶん少しの魔法が詰まっている。
お爺ちゃんは万華鏡職人だ。
「うん。
これ、綺麗。」
少年はそっと手を伸ばし、
並べられたガラス細工の万華鏡を指さした。
触れるのが怖いみたいに、指先が震えている。
「いいね。」
私は少年が指差した万華鏡をそっと手に取り、
その冷たいガラスの感触を確かめてから彼に渡した。
「のぞいてごらん。」
そう言って、彼の後ろに回り、
小さな手が落とさないように、そっと包むように支える。
万華鏡の先にある光を集めるように角度を調整すると、
部屋の中の色が一気に彼の視界へ流れ込んだ。
「うわあ。綺麗。
すごい。」
少年の声が震えていた。
驚きと、少しの喜びと、信じられないような気持ちが混ざった声。
「でしょ?」
私は彼の横顔を見つめる。
光の粒が頬に散って、まるで彼自身が万華鏡の一部になったみたいだった。
「それ、君にあげようか?」
「え?いいの?」
少年は目を大きく開く。
その瞳の奥に、さっきまでなかった明るさが灯っていた。
「うん。
あ、一応お爺ちゃんに確認取らないとだけど。」
私は部屋の外にいるお爺ちゃんに声をかける。
「お爺ちゃん、これあげてもいい?」
「お、お目が高いな。」
お爺ちゃんはゆっくり近づきながら、少年をじっと見つめる。
「その万華鏡が君を選んだんだな。」
「え?」
少年がぽかんと口を開ける。
「君が選んだんじゃなくて、
万華鏡が君を選んだんだよ。」
「お爺ちゃんまた難しいこと言ってる。」
私はため息をつくけれど、
お爺ちゃんの言葉の意味はなんとなく分かる気がした。
「その万華鏡は不思議な万華鏡なんだよ。」
お爺ちゃんは少年の手元を優しく見つめる。
「君が必要だと思った時に、きっと力になるはずだ。
そういうおまじないがかかってる。」
「そっか。」
少年は胸の前で万華鏡を抱きしめる。
まるで壊れやすい宝物を守るみたいに、
両腕でそっと包み込んだ。
その姿が、なんだかとても愛おしかった。
私は少年を病院まで送った。
外の空気は少し冷たい。
「じゃあね、少年。」
「名前あるから。
俺は――」
「じゃあ、さっくんだね!」
思わず笑って言うと、
彼は一瞬むっとした顔をしたあと、照れたように視線をそらした。
「うん。」
自動ドアの前で、彼はふいに振り返る。
胸に万華鏡を抱えたまま、少しだけ頬を赤くして。
「ねぇ、羽瑠!10年後。俺がかっこいい大人になったらさ、
羽瑠のこと口説きにいくね!」
「なんだそれ!
楽しみにしてる!」
私が笑って手を振ると、
彼も子どもみたいに全力で手を振り返した。
その姿が、胸の奥に焼きついた。
――ふっと、目を開ける。
朝。
カーテンの隙間から差し込む光が白くて、
夢の輪郭がまだ消えずに残っていた。
頬が濡れている。
涙。
「……さっくん。」
口にした瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。
夢の中のさっくんと朔が重なる。
朔は―
何かを私に隠している気がする。
その“何か”だけが、まだ胸の奥に残っていた。




