19話 悪意
朔と過ごした誕生日デート。
あの時間は、胸の奥がじんわり温かくなるほど楽しかった。
ロケットペンダント…二人でお互いのことを想って作った。
今日はそれを制服の内側、誰にも見えない場所につけてきた。
肌に触れる小さな冷たさが、まるでお守りみたいに心を落ち着かせてくれる。
「羽瑠! おはよう。」
「おはよう。」
いつの間にか、朝はこうして朔と一緒に登校するのが当たり前になっていた。
彼は相変わらず、昨日と同じように、変わらない笑顔で隣にいる。
二人で教室に入ると、ほどなくして先生がやってきた。
「もうすぐ中間テストだから、今日は抜き打ちテストをします。」
「えー…聞いてない!!」
教室中が一気にざわつく。
「抜き打ちだって言っただろう。はい、配って。」
プリントが机の上に置かれる。
――全然勉強してない。
そもそもテストがあることすら忘れてた。
まあ、きっと朔も同じだろう。
そう思って横を見ると、彼は私の方にゆるりと手を振ってきた。
その仕草があまりにもいつも通りで、思わず肩の力が抜ける。
朔はペンを指先でくるくる回しながら、問題文を眺めているような、眺めていないような、掴みどころのない表情をしていた。
でも、ふと目が合った瞬間、彼は声を出さずに口の形だけで「すき」と言った。
それに気づき恥ずかしくなり、テストに目を向けた。
それから抜き打ちテストが終わり、先生が採点をしたそばから答案が返されていった。
「はい、さっさと返します。先生びっくりです。みんな勉強してなさすぎて驚きです。」
教室中がざわつく。
紙が机に置かれる音、誰かの嘆き声、椅子のきしむ音。
その全部が混ざって、空気が少し重く感じた。
「うわー俺やばい!!」
「終わった……」
あちこちから悲惨な声が上がる。
私も答案を受け取った瞬間、心臓がひゅっと縮んだ。
――100点中48点。
半分も取れてないじゃん……。
思わず答案を伏せたくなる。
「おお! 七瀬、すごいじゃないか。満点だ。」
先生の声が教室に響く。
「ありがとうございまーす。」
朔はひらりと答案を受け取り、軽く笑って席に戻っていく。
嘘でしょ。
唖然として朔を見ると、彼は余裕そのものの表情で、またゆるりと手を振ってきた。
チャイムが鳴ると同時に、朔が私の机にやってきた。
「羽瑠、どうだった?」
「悲惨だよ。」
私は答案を少しだけ持ち上げて見せる。
朔が覗き込むと、眉をひょいと上げた。
「あら。」
「ってか、朔って頭良かったんだね。」
「まあね。」
軽く肩をすくめるその仕草が、なんだか悔しいくらい自然でかっこいい。
「勉強教えようか?」
ニヤリと笑う朔。
その顔が、妙に自信に満ちていて、胸が少しだけ熱くなる。
確かに、このままじゃテストの点数がやばい。
補修なんて絶対に嫌だ。
それに――朔と過ごせる時間だって、限られているはずなのに。
「お願い!」
勢いよく頭を下げると、朔はすぐに笑った。
「任せて。」
その一言が、胸の奥にすっと灯りをともす。
こうして、放課後は図書館で勉強することになった。
静かな空間にページをめくる音だけが響く。
窓から差し込む夕方の光が、朔の横顔を柔らかく照らしていた。
「ねぇ、朔。これってさ……」
「これは、ここをこうして。」
指先でノートを示しながら説明する朔は、驚くほど教え方が上手い。
言葉がすっと頭に入ってくる。
「朔ってさ、わりと何でもできる人?」
「んー? そう?」
「うん。だってスポーツもできて、料理もできて……
おまけに顔もまあ良いし。」
「なに? 惚れ直した?」
「そうだね。」
「え!? ほんと!?」
声が少し大きくなってしまい、すぐに先生の鋭い声が飛んできた。
「ほら、そこ静かにしなさい。」
「す、すみません!」
慌てて頭を下げると、朔がスッと小声で覗き込んできた。
「なに?」
「いやー、嬉しいなって。
羽瑠とこうやって過ごせるの、幸せだ。」
その言葉が、胸の奥に深く刺さる。
――どうしてそんなふうに言うの。
まるで、いずれ来るかもしれない別れを
どこかで覚悟しているみたいで。
私は笑おうとしたけれど、
喉の奥がきゅっと締まって、うまく笑えなかった。
◇
朔のおかげで中間テストはなんとか乗り切った。
明日からは待ちに待った夏休みだ。
終業式を終えたあと、私は委員会の仕事で体育館の椅子を片付けていた。
汗ばむ空気の中、椅子の脚が床をこする音が響く。
「月宮さん。先生が体育倉庫にこれ持ってってって言ってたよ。」
ふいに声をかけられ、反射的に振り向く。
誰だろうと思う間もなく、ダンボールをぐいっと押しつけられた。
「わかりました。」
受け取ったものの、知らない女子生徒だった。
(誰だろう……?)
そう思いながら、私は体育倉庫へ向かう。
歩きながらふと疑問が浮かんだ。
(ん? ちょっと待って。
そもそもこれ、中身なんだろう。)
立ち止まってダンボールを覗こうとした、その瞬間だった。
――ガシャン。
背後で重い音が響いた。
「……え?」
振り返ると、体育倉庫の扉が閉まっている。
ダンボールを脇に置き、慌てて駆け寄り、取っ手を引く。
ビクともしない。
「うそ……」
心臓が一気に早鐘を打ち始めた。
扉を叩いてみても、返事はない。
静まり返った倉庫の中に、自分の呼吸音だけが響く。
やられた。
完全に油断していた。
学校にはもう敵なんていないと思っていたのに。
薄暗い倉庫の中で、私は立ち尽くした。
(どうしよう……)
胸の奥に、じわじわと不安が広がっていく。




